玉置浩二『あこがれ』二曲目、「ロマン」です。
卑怯すぎるスローバラードです。これ、この一曲のためだけにこのアルバム買っても損したと思う人はかなり少ないでしょうね。それくらいのとんでもないメロメロソングです。いやまいった、後半に収録されている先行シングル「コール」をまつ意味がないくらい、最初のほうでいきなり来たよキラーチューン!と気分をいきなり最高潮に盛り上げてくれる名曲です。
リバーブたっぷりなのになぜか澄んだ音色のピアノで曲ははじまります。そのうちベースが入ってドラムが入ってと来るかと思いきや、ずっとピアノで突っ走ります。
なんとこの曲、二番の終りでようやくストリングスが入るのですが、それまではピアノとボーカルの、見事すぎる緩急・強弱だけですべてを表現するのです。これは「Time」以来でしょう。安全地帯にも「記憶の森」、ライブで「瞳を閉じて」や「ほゝえみ」をピアノ一本で歌いきるということもないではなかったのですが、それにしたって珍しいことです。しかも、こんなアルバムのしょっぱなから炸裂させるような技ではありません。このアルバムをご愛聴のかたはもちろんご存知でしょうけども、このアルバム、ずっとこんな感じです。でも初聴時はそれがわからないものですから、この曲でこのアルバム全体の基調を知らされるという形になります。当然に、聴き終わってから、ああ、あの曲ですでに知らされていたんだ……と思うわけですが。
『安全地帯VIII 太陽』で泣けるバラードが少なめだったような気がしてなんとなく欲求不満だった当時のわたくし、玉置さんはもうそういう曲が書けないか、何らかの事情で書かないことにしているのではないかと思っておりましたから、この曲には正面からドスコイ!とぶちかましをくらいました。もちろんこのアルバムの前に「あの頃へ」とか「ひとりぼっちのエール」とかの直撃をくらっておりますので、バラードが書けないと怪しんでいたわけではありません。「こういう」泣けるバラード……何が「こういう」なのかはわかりませんが、こういう脳天にドカンと薬物を注入してくるような陶酔バラードは久しぶりだ……いや、もしかして初めてだったのかもしれません。思いだしてみても、これほどのド正面からの強烈な張り手は過去になかったように思えるのです。比較的近いのは「あなたに」とか「夢のつづき」とか「Friend」とかですが、まさかピアノ一本で、終盤にストリングスを入れるとはいえ、こんなシンプルで美しいアレンジで、歌の力をこれほどまでに直接押し出してきたことはありませんでした。玉置さんの歌はいつだって歌の力がものすごかったのですが、それを極限までに突き詰めたような音像に、ただただ、呆然としました。
音数の少ない、そして音量を抑えたピアノによる前奏〜Aメロに、リバーブの効いたボーカル、玉置さんはもうあまりリバーブお使いにならないんですけども、このときはまだバシバシ使っています。これが、欧州の神殿か何かでピアノ一台と管弦楽団だけの無観客コンサートでもやってるんじゃないかと思われるほどの異世界感を感じさせます。Bメロというかサビも、ストロークが増える感じではありますけども、抑制的なピアノに乗せて玉置さんの声が響きます。
二番、ややピアノ大きくなったかな?くらいで、基本的には一番と変わらないバランスを保ち曲は進みます。いまはPCのプレーヤーで簡単に一番のサビと二番のサビを連続で聴くなんてことができますからやってみるんですけども、そうすると二番のサビがずいぶん一番のサビに比べて音量が大きいことに気がつきます。三番はストリングス入ってますからさらに大きいです。これは、ボーカルと、ピアノと、ストリングスの皆さんが意識的にそうしたのでしょう。オートメーションであとから音量調整したって可能性もなくはないんですけども、玉置さん、なんとなくそういうの嫌がりそうじゃないですか。だから、ボーカルがどんどん盛り上がっていき、それに呼応してピアノがきもち強く鍵盤を叩き、ストリングスを入れたぶんさらに玉置さんも声を張り上げ……と、自然に生まれた音量変化であると信じたいのです。
さて須藤さんの歌詞ですが……なんですかこれ、ロマンチックすぎて卑怯ですよ(笑)。たったひとつの愛って、そんなわけないじゃないですか、とくに玉置さんは。だけど、本当にたったひとつに聴こえちゃうんですよ!玉置さんの恋愛歴にツッコミを入れる入れないはともかく、誤解の余地のない超ストレートな始まりです。「夜空が〜目覚めないうち」っていうのは要するに朝になるまでにってことなんですけども、その間夜空が「届かぬ夢」を追い続けるっていうのは多少わかりにくいというか、わからないですね。ムリヤリ考えますと、夜は頭狂ってますので(笑)、夜に色々考えだすとダメなんですよ。あれこれ思惟がほとばしって、自動的に「届かぬ夢」が量産されてしまいます。ですから、夜に手紙を書いてはいけないというのは古人の知恵なのですが、夜に書いた手紙は決して封を閉じず、朝になってからもう一度読み直して、投函するべきかするべきでないかを考えなくてはなりません。ほぼ100パーセント没になります(笑)。当時はE-mailとかなかったですから、何度もこれで難を逃れたものです。ありがとう郵便局!ですから、夜は恋人とリモートで語るのも好ましくありません。LINEなどもってのほかです。うっかり送信ボタンを押し、「取り消し」が間に合うタイミングを逃してからでは取り返しがつかないのです。ですから直接会って、そしてただ、朝まで抱きしめあうのがいいでしょう……。いや、ロマンチックなことを言っているわけではありません。純粋に、それが人生の失敗や損失を過度に大きくしないコツなのだとおじさん世代が忠告しているのです。うん!言葉少なめに、ただロマンチックなことを言っている体裁にしておけばよかった!(笑)
二番も卑怯ですね、宇宙の果てで命が消えて小さな灯になるって!ふつうに病院とかで死ぬと思いますけど、それは熱く熱く愛し合う若者にとってはそれこそ宇宙の果てにあるくらい遠いことなのです。わたくしもそう思っておりました。みんな宇宙船地球号(レイジー)に乗っているんだから、病院で死んでも宇宙のはてて死んだことには違いないのですが、そういうことじゃないんですよね。「生」のいちばん熱いとき、いちばん盛り上がっているときですから、「死」が果てしなく遠くにある感覚はよくわかるのです。ですから、「宇宙の果て」はかなり共感度の高いことばなんです。実際には次の瞬間に脳溢血とかで死ぬかもしれないんですけども、やはりそういうことでもないのです。ひとは、恋とか愛とか子育てとか、そういうことをしていると先が見えない感覚を味わいます。それが、いずれ必ず来る「死」を遠く感じさせるのです。実際に寿命が延びるとかそういうことは起こるのかどうかはわかりませんが、感覚的・心理的に「死」を遠く感じるんですね。こればかりは、人間のアタマとか認識能力とかの仕様でしょうから、それ以外に説明できません。ただ、充実していると、終わったときに「あっという間だったなあ!」となるんじゃないかという気はしなくもないんですが、それはそれでもう、仕方ないじゃないですか、そう生きちゃったんだから。
「遠く離れてた」というのも、実はえらく近くにいたのかもしれませんが、物理的距離ではなく感覚的・心理的に遠かったんですね。めぐり会えてないってことはいないと同じですから。実は僕たちは、すでに出会っていたことにこの瞬間気がついたのだった……なんてことは起こったとしてももちろん偶然ですから、最近出会ってつきあうようになった恋人というのは、もちろん遠かったのです。出会えたよろこびは、もちろん最初のうちは大きいもので、それまでの人生がすべて「悲しみばかり拾って彷徨ってた」ように感じられるものです。非常にというか、異常に共感度の高い表現です。もうほんとに悲しみばかり拾ってましたよ!前の恋人とは当然お別れしてるんですから「悲しみ」には違いないんですけども、そんなリアルな悲しみでなくとも、タンスの角に足の小指をぶつけたとか自動車学校で卒検に寝坊して落ちたとか(笑)そんなつまらぬことでさえ、恋人に出会うための序曲であったかのように感じられるのです。これも人間の性というやつなのでしょう……ひとはストーリーに酔います。というか、ストーリーがあると思わないとやってられませんよ。実際にはすべてがバラバラに起こっており、そこでわたしたちの知覚がその都度反応して因果性というストーリーを脳内で作り出しているのだ、などという夢も希望もストーリーもない話は300年も前から論じられてはいますけども、それをまともに受け止めたらそこで終わるものが大きすぎて(笑)、とても耐えられないのです。ですから、酔おうじゃありませんか。めぐり会えたことを奇跡だと思って、糸がつながれたのだと信じて、指を絡め、そして眠ろうじゃありませんか……あ、いや、わたくし、なんででしょう、寝込みたくなってきましたよ(笑)。
そして「君の胸」「僕の胸」「君の指」「僕の指」と、なんと見事な視点の変化!なぜ指から行かないでいきなり胸から!いや、よくわかる順序なんですけど。だってくっついてたら暑いですし(笑)。歌詞でこのよくわかる順序をやられたら、もう共感度マックスです。「指」の箇所が、ストリングスで一番盛り上がるところなんですよね。ふとしたときに愛しさがあふれる(80年代ふう)、なんて言いかたを今でもするのかわかりませんが、そういうとき、手を握る、指を絡める、といった行動を人は取るのかもしれません。やや、これはいささか感傷的に過ぎたかもしれません。トシもとってますが、それ以前になんだかわたくし、日々の生活に疲れているようです。
と、このように、このとんでもない名曲「ロマン」を語ってみました。夏がちょうど終わるころに「終わらない夏」を扱いたいなあ、なんて思ってますから、ちょうどいいペースかもしれません。このアルバムが発売されたのは春でしたが、このアルバムを夏まで聴きまくっていたのですから、「終わらない夏」はかなりキました。1993年……あの年は梅雨が終わらず、「終わらない夏」もなにも、夏が来なかったのです(笑)。秋からはタイ米食べて暮らしてた未曽有の凶作の年でした。
そんな一年を支えてくれたアルバムの、冒頭キラーチューン「ロマン」のご紹介でした!
価格:2,401円 |
同じものを繰り返し聴いて、それを自分の血や肉にするってことが実感できないのかもわからないですね。誰かに、参考書サブスクリプションとかで大学受験に臨んでみてほしいなあ(笑)。
物理的に聞けないから無意味なのだが
井上陽水、安全地帯、玉置浩二ソロ作品をCD買えるうちに集め
手元に置き折に触れ繰り返し聞く方がどれほど有意義な事か
様々な音楽手法が詰まってる。