2023年01月09日
私の自家用車遍歴(1台目を購入するまで編)
私は、20歳で自動車の運転免許を取得しました。
京都の自動車学校に通いました。(筆記試験は隣接県で受けました)
住んでいた場所から通える範囲には、二つの自動車教習所がありました。
あくまでも噂でしたが、一方は免許は取り易いけどそこの卒業生は事故率が高いと
言われていました。もう一方は、厳しいけど事故率はもう一方ほど高くないと言われていました。
私は、迷わず厳しいけど事故率の低い方に通いました。
その方が、免許を取ってから苦労しないのではと考えたからです。
自動車の運転技術と運動神経とは、何ら関係ないと思いますが、
運動神経があまり良くない私は、教習で3回補習を受け、卒検で1回落ちています。
教習所の実技では、教官からかなり厳しい指摘があり、自分には運転は向いていないと
めげることが度々ありました。
その頃に流行っていた歌が、松田聖子の『夏の扉』でした。
還暦を過ぎた今でも、この曲を聴くと当時を思い出し、ブルーな気持ちになります。
(曲自体は、明るい軽快な曲なので、当時はこの曲に励まされた記憶があります)
筆記試験は、1回で合格です。(当たり前ですかね)
それから、大阪の会社に就職しましたが、都市部では自動車は必要なく
しばらくはペーパードライバーでした。
20代後半には、ゴルフをやり始めました。周りにはゴルフ好きが多く、
車が無い私でも誰かが送り迎えをしてくれました。
その後、関連の病院に駐在勤務することになりました。
病院は、比較的マイペースな人が多く、平日に休みを取ってゴルフに誘ってもらうことが
増えました。(今のコロナ禍での総合病院の状況では、想像もつかないと思います)
病院の方々は、とても人が良くて、住んでいる方向が違う私の家にも、
寄り道をして送り迎えをしていただきました。それも、かなり年上の役職のある方でもでした。
そういうことが続くと、流石に申し訳なく思い、自分の車を持ちたいなと思っていました。
そんな時に、会社の同期が車を買い替えることになり、
私に車を安く譲ってもらうという話になりました。
私は、その気になっていたところ、同期が「高く下取りしてくれたので、
譲る話は無かったことに」と言われてしまいました。
自家用車を所有する気になっていた私は、悶々とし、
じゃ自分で車を買おうということにしました。
当時は(今もですかね)、日産、トヨタ、ホンダの車が人気で、
私が買える車種は見つかりませんでした。なので、その他のメーカーで探していました。
ほぼ絞り込んだ頃に、かの同期に「この車を買うつもり」と話したところ、
「それは止めた方が良い。自分が知っている自動車販売店があるから紹介してやる」
ということになり、同期の幼馴染の人が社長(2代目)をやっている会社から購入しました。
いろいろなメーカーの車を扱っている会社でしたが、私に勧められたのは
『三菱のランサー・フィオーレ アレックス』という車でした。
<ランサーフィオーレ アレックスの仕様>
・メーカー: 三菱自動車
・排気量: 1,500cc
・色: 白とグレーのツートン
・特徴: 4ドアセダン、オートマチック、パワーステアリング
運転席と助手席のみパワーウンドウ
・車両本体価格: 記憶が定かではありませんが、100万か120万だったと思います
カタログ(表紙)
カタログ(見開き)
カタログ(最終ページ)
初めての車としては、小型で取り回しも良く、自分には合っていたと思います。
この車をスタートに、私の愛車遍歴が始まりました。
<次に続く>
京都の自動車学校に通いました。(筆記試験は隣接県で受けました)
住んでいた場所から通える範囲には、二つの自動車教習所がありました。
あくまでも噂でしたが、一方は免許は取り易いけどそこの卒業生は事故率が高いと
言われていました。もう一方は、厳しいけど事故率はもう一方ほど高くないと言われていました。
私は、迷わず厳しいけど事故率の低い方に通いました。
その方が、免許を取ってから苦労しないのではと考えたからです。
自動車の運転技術と運動神経とは、何ら関係ないと思いますが、
運動神経があまり良くない私は、教習で3回補習を受け、卒検で1回落ちています。
教習所の実技では、教官からかなり厳しい指摘があり、自分には運転は向いていないと
めげることが度々ありました。
その頃に流行っていた歌が、松田聖子の『夏の扉』でした。
還暦を過ぎた今でも、この曲を聴くと当時を思い出し、ブルーな気持ちになります。
(曲自体は、明るい軽快な曲なので、当時はこの曲に励まされた記憶があります)
筆記試験は、1回で合格です。(当たり前ですかね)
それから、大阪の会社に就職しましたが、都市部では自動車は必要なく
しばらくはペーパードライバーでした。
20代後半には、ゴルフをやり始めました。周りにはゴルフ好きが多く、
車が無い私でも誰かが送り迎えをしてくれました。
その後、関連の病院に駐在勤務することになりました。
病院は、比較的マイペースな人が多く、平日に休みを取ってゴルフに誘ってもらうことが
増えました。(今のコロナ禍での総合病院の状況では、想像もつかないと思います)
病院の方々は、とても人が良くて、住んでいる方向が違う私の家にも、
寄り道をして送り迎えをしていただきました。それも、かなり年上の役職のある方でもでした。
そういうことが続くと、流石に申し訳なく思い、自分の車を持ちたいなと思っていました。
そんな時に、会社の同期が車を買い替えることになり、
私に車を安く譲ってもらうという話になりました。
私は、その気になっていたところ、同期が「高く下取りしてくれたので、
譲る話は無かったことに」と言われてしまいました。
自家用車を所有する気になっていた私は、悶々とし、
じゃ自分で車を買おうということにしました。
当時は(今もですかね)、日産、トヨタ、ホンダの車が人気で、
私が買える車種は見つかりませんでした。なので、その他のメーカーで探していました。
ほぼ絞り込んだ頃に、かの同期に「この車を買うつもり」と話したところ、
「それは止めた方が良い。自分が知っている自動車販売店があるから紹介してやる」
ということになり、同期の幼馴染の人が社長(2代目)をやっている会社から購入しました。
いろいろなメーカーの車を扱っている会社でしたが、私に勧められたのは
『三菱のランサー・フィオーレ アレックス』という車でした。
<ランサーフィオーレ アレックスの仕様>
・メーカー: 三菱自動車
・排気量: 1,500cc
・色: 白とグレーのツートン
・特徴: 4ドアセダン、オートマチック、パワーステアリング
運転席と助手席のみパワーウンドウ
・車両本体価格: 記憶が定かではありませんが、100万か120万だったと思います
カタログ(表紙)
カタログ(見開き)
カタログ(最終ページ)
初めての車としては、小型で取り回しも良く、自分には合っていたと思います。
この車をスタートに、私の愛車遍歴が始まりました。
<次に続く>
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