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2019年12月30日
『チェコの伝説と歴史』(十二月廿七日)
1918年のチェコスロバキア独立以前のハプスブルク家に支配されたチェコで、チェコ語で創作活動をしていた作家たちの中で、ニェムツォバーと並んでよく知られているのが、この本の作者のアロイス・イラーセクである。ニェムツォバーの代表作である『Babička』が『おばあさん』の題名で日本語に翻訳され、岩波文庫にも収録されるなど日本でも昔からよく知られているのに対して、イラーセクの作品が日本語に翻訳され出版されたのは2011年のこの本が最初である。
翻訳者の浦井康男氏の解説によれば、イラーセクは歴史小説家として知られ、特にフス派戦争以後のチェコ民族の苦難の時代において、民族の尊厳を守るために、民族の敵とも言うべき存在と正面から立ち向かった人々の姿を描く作品が多いらしい。言い換えれば重厚なテーマの暗い雰囲気の作品が多いということにもなり、知名度のわりにチェコでもあまり読まれていない作品が多いようである。
そんなイラーセクの作品の中の例外が本書でチェコ語での題名は『Staré pověsti české』。チェコでは子供向けの本として出版されており、今でも多くの子供たちに読まれているらしい。邦題の「伝説と歴史」というのは、チェコ語「pověst」の苦心の訳のようである。「pověst」という言葉自体は伝説と訳されることが多いが、評判に近い意味で使われることもある。内容が事実だとは限らないということである。
チェコ語ではそれに「staré」が付いているので、昔から伝わっている真偽不明の古い歴史的伝説をイラーセクが集大成したものと考えておく。日本でも1980年代ぐらいまでは、子供たちが神話の天孫降臨から江戸時代ぐらいまでの出来事をエピソード的に取り上げた物語的通史を読んで歴史認識の基礎を築いていたが、同じようなことがチェコでも行われていたのかもしれない。なんてことを考えていた。
この本を手に入れたのは、出版から4年ほどあとの2015年のことだが、以来夏や冬の長期的な休みにうちのの実家に出かけるたびに、読み通そうと持参していたのだが、これまではあれこれあって一部しか読むことができていなかった。それが今年、うまく時間が取れて3日ほどかけて注も含めて通読することができた。
通読してあれこれ誤解していたことに気付いた。一番大きいのは、チェコの神話に当たる民族のチェフの話から通史的に伝説が並べられていると思い込んでいたことで、実際には通史というには取り上げられている時代も少なく、必ずしも年代順に並んでいるわけではなかった。特に聖バーツラフを除くプシェミスル朝の王については、いくつかの部分で断片的に取り上げられるに過ぎない。
その後の歴史でも王たちについてよりもフス派のジシカについて詳しく記されているわけだけれども、このことについて、1978年という共産党政権下に出版された版では、イラーセクはチェコの諸侯や国王たちが歴史の主人公だった時代には関心を持っておらず、人民が歴史において役割を果たし始めたフス派戦争の時代からイラーセクの歴史は始まるのだといういかにもな解説が付いている。この版は、何とクレメント・ゴットワルトによる短い序文がついているという点でも時代の産物なのだけど。本人が書いたのかどうかは不明である。
誤解といえば、これまでチェコ語の子供向けの本で読んできたチェコの神話の冒頭部分と、イラーセクの書いたものとは微妙に違っていた。チェフには弟のレフがいて、このレフとレフに率いられた人たちがポーランド人の祖になったという話は知っていたが、二人の率いる集団が分かれたのは、新たな定住の地を求める旅の途中だと思っていた。それがレフたちも一度は、チェフとともにジープ山のふもとに定住してしばらくしてから再度旅立ったのだという。
どちらが正しいかという問題ではなく、自分が読んだ本の記述がイラーセクの本を元にかかれたものだと思っていただけに、その違いに驚いただけである。もちろん、この手の子供向けの神話を読んだのはチェコ語の学習を始めたばかりのころだから、こちらのチェコ語の能力の不備で誤解していた可能性もないとは言わないけど。
他にも二代目の指導者であるクロクがチェフの息子ではないとか、リブシェと結婚してチェコの指導者となるプシェミスル・オラーチが、以前から知り合いだったとか、「娘たちの戦い」の女性側の指導者がリブシェの侍女だったとか、こちらが知っている話とは微妙に違っていて、すでに知っている話なのに、興味深く読むことができた。
気になるところは他にもあったのだけど、クリスマス進行中でもあるし、次回回しにする。
2019年12月27日24時。