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2019年12月17日

パベル・ブルバ退任?(十二月十四日)



 ここ二、三日チェコのネット上のスポーツ関係のサイトをにぎわしているのが、プルゼニュのパベル・ブルバ監督が明日の試合を最後に、つまり今シーズンの秋の部が終わった時点で、プルゼニュの監督を辞めるのではないかというニュースである。以前から、スパルタ行きとか、オストラバ行き、果てはモスクワのどこかのチーム行きの噂は流れては消えてを繰り返していたが、今回はかなり信憑性が高いらしい。
 報道によると、プルゼニュの監督を退任した後は、ブルガリアのルドゴレツ・ラズグラドの監督に就任することが決まっているらしい。ブルガリアリーグとチェコリーグを比べると、チェコの方が上のような気もするけど、予算規模はブルガリアのトップチームであるルドゴレツの方が上かもしれない。引き抜かれるわけだから監督としての報酬も上がるだろうし。心配はロシアのマハチカラに引き抜かれたときに期待されたほどの結果を残せなかったことか。

 ブルバ監督が最初に率いた一部リーグのチームは、バニーク・オストラバである。そのときは解任された監督の後をコーチだったブルバが引き継いでシーズンを終了させ、翌シーズンはまたコーチに戻り、監督のコムニャツキーを支えてバニークのリーグ優勝に貢献したのだった。それが2004年のことで、シーズン終了後にスロバキアのプーホフの監督に就任している。
 スロバキアでは、プーホフの後に、ジリナでも監督を務めチームを優勝に導いている。それを評価されてプルゼニュの監督に就任したのが2008年のことだった。チェコ人の監督が、スロバキアで監督を務めてからチェコに戻ってくるという例は意外に多く、スパルタの監督を務めて今はスロバキア代表の監督になっているハパルもそうだし、コムニャツキーも一時スロバキアで監督を務めていた。シグマの監督のラータルもスロバキアにいたかな。この人の場合にはポーランドやベラルーシの印象のほうが強いけど。

 それはともかく、プルゼニュの監督となったブルバは、金持ちクラブのスパルタやスラビアと違って高額で有望選手を買ってくることのできないプルゼニュで、もう終わったと思われていた選手や、期待されてスパルタに移籍しながら成功できずに放出された選手たちを、再生することで強いチームを作り上げることに成功した。前者の代表が日本に移籍したこともあるパベル・ホルバートで、後者はコラーシュやリンベルスキーなどで、プルゼニュでの活躍がきっかけで代表に選ばれるのである。
 ブルバのプルゼニュが最初に優勝を果たしたのは3シーズン目の2010/11のことだった。その後、2013年の秋に、チェコのサッカー協会がプルゼニュに契約解除金を支払って代表の監督に引き抜くまでの間にプルゼニュをチェコ最強のチームに育て上げた。特筆すべきはチャンピオンズリーグの予選での圧倒的な勝ち抜け率だろう。コペンハーゲンやローゼンボリなど当時は格上だと思われていたチームを押しのけて、リーグで優勝して予選の出場権を獲得したとしは、二回とも本選まで勝ち進んでいる。本選ではさすがにそこまでの強さは発揮できなかったが、グループ3位を確保して、春のヨーロッパリーグの出場権は二回とも確保している。

 代表では、こちらも予選では強さを発揮し、強豪と見られていたオランダを破るなどして2016年のヨーロッパ選手権出場を決めた。予選の結果から本選も期待されたのだけど、いいところなくグループステージ敗退。特に硬直したメンバー選考などで強く批判を受けた。もともと時間をかけてチームを作るタイプの監督で、一度チームが出来上がると、なかなかメンバーを変えないところがあった。プルゼニュでは活躍した選手がドイツに買われていったおかげで、強制的にメンバーの入れ代わりが怒っていたけど、代表ではそんなこともなく、いつものメンバーが出ることが多かった。若手、若手と言っても伸び悩んでいる選手が多かったのも確かなんだけど。
 批判の高まりに耐えかねてということもないのだろうけれども、ヨーロッパ選手権のあと、突然ロシアのマハチカラの監督に就任した。これも代表の監督として契約を延長していたこともあって、批判の対象になった。マハチカラでは、オーナーが約束したほど選手獲得などで協力的ではなく、期待された成績を残せず解任されたので、ブルバの時代は終わったなんて評価もあった。もちろん、高く評価するチームは多く、スパルタは何度もオファーを出したようだが、タイミングが合わなかったのか一度も合意に達することはなかった。

 2017年のシーズン開幕からプルゼニュに復帰したブルバはすぐにチームを優勝に導くなど、手腕が衰えていないことを証明した。ただ、昨シーズンも今シーズンも、中国の資金で優秀な選手を集め、それを監督の力でまとめることに成功したスラビアの後塵を拝し続けており、ブルバのというより、プルゼニュの、チェコ、スロバキアのそこそこ優秀な選手の中からチームのコンセプトにあった選手を取ってくるというやり方では太刀打ちできなくなってきている。
 しかも、今年はチャンピオンズリーグの予選の出場権を獲得したのに、あっさり敗退し、ヨーロッパリーグの予選でも負けてしまった。ブルバの予選につよい神通力も消えたのかと思わせる事態に、そろそろ潮時かも知れないという感想を持った人は多いようだ。その後チームをある程度建て直し、現在リーグでは2位につけている。とはいえ首位のスラビアには圧倒的な勝ち点のさをつけられているだけでなく、内容でも大きく劣っている。監督にとっても、チームにとっても何かを変える必要があったのだろう。

 現在ではスラビアのトルピショフスキーにお株を奪われている感はあるが、ブルバがチェコ最高の監督の一人であることは疑いを得ない。ブルガリアでその実力を発揮して、ドイツ辺りに監督として招かれるなんてことがないかなんてことを期待してしまう。プルゼニュにはホジャバ、フブニーク、ホリー、カルバフと4人もオロモウツ育ちの選手がいるから、スパルタやスラビアよりも応援してしまうのだけど、ブルバが実はオロモウツの近くのプシェロフ出身だというのも応援する理由になっている。
2019年12月15日14時。




スラビアの監督の名前修正。






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チェコとスロヴァキアを知るための56章第2版 [ 薩摩秀登 ]



マサリクとチェコの精神 [ 石川達夫 ]





















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