2018年08月16日
十七日目、あるいはハーブティーは美味しい?〈LŠSS2018〉(八月十四日)
この日の日の授業の開始時間は定時よりも30分遅い9時15分からになった。前日月曜日の夜にモラビアの民族舞踊を練習するワークショップ参加者の発表会を名目にした飲んだくれイベントが行なわれ、多くの学生が深夜まで飲むことになるのは自明のことだったために、事務局が多少の配慮を下ということのようだ。話によればビールやワインが大量に持ち込まれ、際限なく飲み続けたらしい。一次会の終了が2時ごろで、それから二次会に行った連中もいたというから、若いってのはいいねえと言うべきなのか。
うちのクラスも一人欠席者が出たし、何人かいつもと違って理解に時間がかかったり頓珍漢なことを言ったりする人がいた。二日酔いについては否定していたけど。この件に関しては、特に個人名は秘すことにする。隣のクラスの誰かが、休み時間に自分が今朝学校に行くために量の部屋を出ようとしたら同室の人が帰ってきたとか言っていた。徹夜で飲み続けた人たちもいたということなのだろう。
授業では金曜日のテストに向けて予行演習のようなこともした。単位のかかっている学生たちは真面目に試験に合格したいと考えているようだ。こちらとしてもあれこれ復習できるのはありがたい。ただこの先生が素直に教科書に出てくるような文章で聴解問題や、読解問題を作るわけがない。聴解は1942年に出版されたユーモア小説の『サトゥルニン』の冒頭部分が使われた。この小説は映画化もされていて見たことはあるはずなのだけど、それほど印象に残っていない。チェコ語が難しくて理解しきれなかったのかもしれないと、冒頭部分の聴解問題をやって思った。
ここに登場する人間を三つのタイプに分類するやり方は、どこか他でも読んだことがあるような気もする。ブラーフ博士が考案したという分類方法は、日曜の午前中の朝食が終わったぐらいの時間帯のがらがらの喫茶店で、テーブルの上にコブリハというドーナツの一種が入った皿が置かれている状況で何をするかに基づいている。一つ目のカテゴリーには大半の人が入るというのだが、ぼんやりとコブリハをお昼の時間まで眺め続けるというもの。二つ目のグループに属するのは、そのコブリハを喫茶店にいる人に投げつけたらどんなことが起こるだろうかと想像して楽しむ人のグリープ。こちらの方が精神的に大人なのだそうだ。三つ目が理論の提唱者も実在を疑っていたという投げつけたらという想像を実行に移してしまう人。最近の小説に登場しても違和感のない一節である。
休憩時間の後の発表はポーランドのアリツィア。科学的に合成された薬品にアレルギーがあるという彼女は薬の代わりに飲んでいるというハーブティーについて語った。民間療法のようなものだが、アリツィアの話では十分に効果があるという。せっかくなのであまり知られていないものをと言って三つのハーブティーを紹介した。そのうちの二つには、チェコ語、ドイツ語、ラテン語だけでなく、日本名も表示されていた。
一つ目はムラサキバレンギク。北アメリカ原産だったものがヨーロッパに持ち込まれて各地で育てられるようになったものだそうだ。先生の話ではチェコ語名もあるけどほとんど誰も知らず、ラテン語名のエヒナツェアを使う人が多いとのこと。風邪の引き始め、ちょっと体調がおかしくなったかなというときに飲むといいらしい。このハーブティーは見たことはあるけど飲んだことはない。
二つ目はセイヨウナツユキソウ。こちらは解熱剤、鎮痛剤として利用されていて、アリツィアはサマースクールで病気になったときのためにわざわざポーランドから持ってきたのを見せてくれた。三つ目は和名が発見できなかったというチェコ語でスルデチニーク。チェコ語では心臓という言葉から作られた名前なので心臓関係に作用するらしい。他にも気分を落ち着けるためにいいお茶だと言っていた。
三つのうち二つは、写真だけでなく和名も見せられたのに、正直ピンとこなかった。ハーブティーだからというより、植物なんて普段から注意してみているわけではないし、和名も日本にはえていないものに関してはその世界にいる人、関心を持つ人以外は知らないということが多いのである。チェコでは手に入りそうだから気になるのは味である。三つとも「美味しいの?」と質問をすると、最初は変な味だと思ったけど今では慣れたから、問題なく飲めるという。一番美味しいと思うのはという質問には、ちょっと考えて最初のムラサキバレンギクだという答えが返ってきた。ちなみに一番まずいのは最後のスルデチニークだとか。
午後の講義はブリュッセルについて。チェコ語で大文字で始めてブリュッセルと書くと、もちろんベルギーのブリュッセルを指し、場合によっては特に否定的な意味でEUを指すこともあるのだけど、小文字で書くと大文字のブリュッセルで戦後最初に開催された世界万博の際にチェコスロバキアのパビリオンで展示されたスタイルをさすのだという。この講義は後者についてで、60年前とは思えないような斬新なデザインのさまざま製品とその背景が紹介された。
問題は、今も変わらないのだろうけど、万博で展示された製品は、西側向けにチェコスロバキアがどれだけの技術を持っていて、どれだけ進んでいるかということを宣伝するためのもので、大量生産を前提にしたプロトタイプですらなかったという点にある。チェコスロバキア館は、アメリカやソ連などの大国を押さえて一番人気のある展示会場だったので、国内の報道でもその成功について沈黙するわけにもいかず、大々的に報道された結果、何で国内で手に入らないんだという声が高まり、少しずつ生産に移されたけれども、実現までは長い時間がかかったのだという。
1958年のブリュッセルの万博の前後から、プラハの春の1968年までの約10年間が、チェコスロバキアの工業デザインにとっては全盛期で、その後デザイナーの多くが亡命したり、職を追われたりした結果、この時期になされたデザインが少しずつ形を変えながら長期にわたって生産され続けることになったらしい。講義をしてくれた先生がこのテーマでブログをやっているというので、興味のある方はこちらを。チェコ語はできなくても写真を見るだけでも楽しめそうである。ただし、すべてが58年の万博のものというわけではない。
夜はお酒を飲みに行くことになっていたので、宿題を終わらせるために喫茶店に入る。くそ暑い町の中をふらふら歩き回った後だったので、冷たいものをと思ってアイスティーを注文したのだが、失敗だった。オロモウツにしては珍しくクーラーが凄く効いていて、宿題の作文を書き終える頃には寒さに震えることになったのだ。入ったときは快適な涼しさで、これなら勉強が進むと思ったのだけど、そこに氷が大量に放り込まれたアイスティーまで飲むと、内と外から体を冷やすことになってあまりよくなかったようである。次はこの涼しい喫茶店で宿題をしながら暑い紅茶を飲もう。
昨夜眠くて書き上げられなかったので、朝書き上げた。
2018年8月16日7時52分。
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