2016年11月19日
大統領侮辱罪(十一月十六日)
戦前の日本には不敬罪というものがあって、天皇、皇族などに対して敬意を欠く言動をしてしまうと、犯罪として処罰の対象になっていたらしい。問題は、不敬とされる基準が恣意的に運用できることで、ささいなことをあげつらわれて罪に落とされた人が多かったと聞いている。
その不敬罪の大統領版、国家元首である大統領に対して敬意を欠く言動を犯罪とする法律を再制定しようとする動きが、チェコの国会議員の中にある。再というのは、ビロード革命以前の共産主義の時代には、この法律が存在し最大で二年の懲役が科されることになっていたらしい。これはマサリク大統領の第一次共和国時代にも存在したというから、廃止されている現在のほうが特殊なのかもしれない。
これまで、特に議論になることもなかったこの法律が、政治上のテーマの一つとなっている背景には、ゼマン大統領に対する相次ぐ抗議運動がある。2013年の大統領選出当初から、比較的高い支持率とはうらはらに、大統領選挙でシュバルツェンベルクを支持した層は、ゼマン大統領に対する不満と不信、批判を隠さず、ことあるごとに抗議行動を繰り返してきた。
こうして振り返ると、チェコの大統領選挙のゼマン対シュバルツェンベルクというのは、アメリカの大統領選挙のトランプ対クリントンというのに似ているなあ。どちらも前者は品のないおっさんで、後者は自分たちが正しいと他者を見下すスノッブな連中に支持されていたし。選挙そのものの示した意味はまったく別なものであったけれども、これについては、機会があれば、考えをまとめて書いてみようかと考えている。
閑話休題。
バーツラフ・クラウス大統領も、地球温暖化を否定するような発言をしたり、EUに対する否定的な意見を述べたりして、国民の反感を買っていた。任期終盤には、地方都市を訪問した際に、警備を潜り抜けてきた男にモデルガンで討たれるという事件が起こったけれども、大統領侮辱罪を制定しようという声は上がらなかったと記憶する。
それが、今回出てきたのは、例のダライラマ問題で、勲章を取り消したことに対する反発が大きく、抗議運動が相次いだことが原因だろう。その中には明らかに大統領を揶揄し、侮辱するようなものも多かった。それが国体(そんなものを戦前の日本人ならぬチェコの人が意識するのかは知らないけれども)の安定を損なうと考えたのか、一部の国会議員が動き始めたようだ。テレビでそれらの議員を代表して話をしていたのが共産党の議員というあたりは、権威におもねる共産主義者のものの考え方を繁栄していると言っていいのかな。
大統領就任てそれほど経たないうちに、ゼマン大統領にレッドカードを突きつけようという集会が開かれ、多くの市民が赤い紙を手に集まったのをかわぎりに、旧市街広場(だったと思う)の仮設の舞台上で演説を始めたゼマン大統領に腐った卵を投げつけ、警備員たちが傘で防ぐなんてこともあった。
ス・トホ・ベン(その中から外へ)というアナーキスト系の芸術家集団が、プラハ城の屋根に登って、チェコの国旗を取り外し代わりに国旗と同じ大きさの赤いトランクスを掲揚して逃走したという事件は、プラハ城の警備体制を問われる事態となり、警備主任の辞任につながったのだったかな。その裏で大統領府の長を務める人物が地元の村の人たちを集めて、大統領官邸見学ツアーを挙行していたため大きな批判を受けていた。
以上のうちレッドカード以外は、一般の法律の範囲内で、警察が捜査をし犯人を特定して裁判に持ち込んでいる。せいぜいが器物破損罪とか、窃盗罪、不法侵入罪というところだろうか。これでは重くても罰金刑で終わってしまう。それでは不十分だと考える人たちが、懲役刑を与えられるように法律改正を目論んでいるというわけだ。提案によれば、最大で懲役一年というから、大統領に腐った卵を投げつけて牢屋に一年入ると考えると割に合わないなあ。
ちなみに、チェコ国旗をプラハ城から盗み出したグループは、裁判で国旗の返却を求められたときに、あの国旗は国家の財産で購入した国民の資産であるから、細かく切り刻んでチェコ国民に配布したなどと答えていた。かつて似非左翼だった高校時代には、学校行事の際にはいつも講堂の舞台の奥に掲げられた国旗を外すような策を立てていたものだが、切り刻むなんてことは、恐れ多くてというつもりはないが、思いつきもしなかった。アナーキスト、さすがである。いやただの言い訳だろうけどさ。
表現の自由を制限するこの法律の制定には、大きな反発が予想されるので、実際に制定されることはないだろうと思いたいのだけど、どうだろう。共産主義の時代から政治家を笑い者にすることで、溜め込んだ不満を多少なりとも吹き飛ばして生きてきたチェコ人のこと、仮に侮辱罪が成立しても、罪に落とされるのを覚悟の上で、侮辱とみなされるような行動をやめないような気がする。
それにチェコ人も、日本人と同じで、赤信号みんなで渡れば怖くない的なメンタリティを有しているので、警察や裁判所が対応できないぐらい侮辱的行為が連発されて、うやむやのうちに有名無実の法律になってしまう未来を想像してしまうのである。それでこそチェコ人なのだけど、権威に弱い部分も持っているからなあ。チェコ語風に、ウビディーメ(見てのお楽しみ)と言ってこの稿を閉じることにする。
11月17日17時。
この法律のニュースの見出しを見たときに、大統領侮辱罪ではなく、大統領が国に恥をかかせるような振る舞いをすることを犯罪として処罰する法律かと思った。国会議員たちの大統領批判もうるさかったし。11月18日追記。
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