2016年09月04日
チャースラフスカーを悼む(九月一日)
日本にいたころ、チェコ関係の集まりに行くと、年配の方々が、東京オリンピックのチャースラフスカー選手の思い出を感情をこめて話すのを聞かされることが多かった。残念ながら、次のメキシコオリンピックでも生まれる前の話なので、現役時代の姿を同時代で見たことがあるわけではないのだが、体操がくるくる目覚ましく回って何をしたのかもスローで見ないとわからなくなる前の、美しさと優雅さを体現した選手だったようだ。
ソ連の選手の優勝に抗議の姿勢を見せたメキシコオリンピック以後、政治信条のせいで、民主化が始まるまでは迫害を受けていたようだが、ビロード革命後名誉を回復し、現在でも、ダナ・ザープトクコバーと並んで、チェコのスポーツの、スポーツ選手の象徴のような存在であった。そんなチャースラフスカーが亡くなったというニュースが、昨日チェコを揺るがした。
つい最近も、サーブリーコバーの自転車競技の参加をめぐって、IOCの会長に個人的なお願いをしたり、リオに向かう選手たちに応援のメッセージを送ったりして、少なくともテレビで人前に出るときには、病気に苦しんでいる様子は見せていなかっただけに、驚きも大きかった。人前で苦しむ姿は見せられないという意地があったのだろうか。
リオオリンピックで銅メダルを獲得したオンドジェイ・シネクが、「リオが終わった後に電話をかけたんだけど、遅かった」と言い、結局リオで出場できなかったサーブリーコバーが、「チャースラフスカーのような方は、不滅の存在なんだ」と言ったというスポーツ新聞の見出しを読むだけで、不覚にも涙がこぼれそうになって、記事を読むことができなかった。年をとると涙もろくなっていけない。
記事の見出しを追うだけでも、チェコのスポーツ選手たちにとっては、いかに大切でかけがえのない存在だったのかが見て取れる。癌で闘病されていたという話だが、オリンピックに出場したチェコの選手たちは知っていたのだろうか。
日本に対しては、本当に友好的でいてくださったようで、東日本大震災の後、被災地の子供たちをチェコに招待して、スポーツをさせるイベントにも笑顔で参加して子供たちを元気づけてくださっていた。一番喜んだのは、子供たちの親、もしくは祖父母の世代だったかもしれないけれども。こういうイベントこそ、スポーツの持つ力というものを如実に表していると言ってもいいのかもしれない。その象徴がチャースラフスカーだったのだ。
チェコのニュースでは、日本のニュースでチャースラフスカーの死が大々的に取り上げられて、日本中が哀悼の意を示しているというニュースが流れされた。日本での注目され方で言えば、ハベル大統領よりも上かもしれない。やはり、東京オリンピックを同時代で知っている人たちにとっては、不滅の存在だと言えるのだろう。
さほど思い入れのないはずの私のような人間ですら、ニュースの見出しを見て思わず絶句してしまったのだから、現役時代を知る人たち、精神的な支援を受けたチェコのスポーツ選手たちの受けた衝撃は押して知るべしである。
最後に、これまでの功績と、日本への友好に感謝を捧げ、御冥福をお祈りすることで本稿を終わりとしたい。「チャースラフスカーさん」も、「チャースラフスカー氏」も、「チャースラフスカー女史」も書いてみてしっくりこなかったので、敬称は省略させていただいた。多分、現役時代を知らないにもかかわらず、いつまでたってもスポーツ選手として意識してしまうために、何もつけないのが一番しっくりくるのかもしれない。
9月2日21時。
意あまりて言葉足りずになってしまった。9月3日追記。
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