2021年05月09日
シエレバッハの謎(五月六日)
二つ目のコピーした記事は、「大日本山林会報」の184号(1898年4月)に掲載された「「ベーメン」國「シエレバッハ」市樂器製造用木材」という記事である。シエレバッハが現在のチェコのどの町に当たるのかは調べたけれどもわからなかったというのは、以前も書いたとおりである。わからなかったのも当然である。入手した記事のコピーを見たら町の名前は「シエレバッハ」ではなく、「シェンバッハ」になっていた。表紙に刷られた目次のほうでは、「ン」の活字がつぶれて二つの画がつながっているため「レ」のように見えるから、誤植というべきか、データ化の際の間違いと見るか微妙なところである。
記事の内容は、この町で楽器製造に使用する木材の種類や産地について書かれたあまり興味深いとは言えないものだが、「ウンガルン」「ボスニーン」「ヘルツヲウイナ」などの地名が出てきて、それぞれ、ハンガリー、ボスニア、ヘルツェゴビナのことだろうかなどと考えるのはなかなか楽しい。独立前のボヘミアを、「ベーメン国」と国扱いしているのも、何か理由がありそうだけど、よくはわからない。
もちろん、ここで重要なのは記事の内容よりも、「シェンバッハ」がボヘミアのどの町なのか頑張って確定することである。いろいろ検索などした結果、「シェンバッハ」は現在なら「シェーンバッハ」と延ばして書くことの多い地名で、ドイツ語の「Schönbach」に相当するであろうことがわかった。チェコ語のウィキペディアで検索するとオーストリアやドイツにある町も出てくるが、いくつかのボヘミアの町のドイツ名として使われていたことがわかった。いずれも西ボヘミアか北ボヘミアのドイツとの国境近くの町である。
一応列挙しておくと、西ボヘミアのヘプの近くの村クラースナー、同じくヘプの近くの町ルビ、北ボヘミアのモストの近くの町メジボジー、リベレツの近くのズディスラバ、それにホモウトフの近くにあった廃村ポトチナーが、以前ドイツ語でシェーンバッハと呼ばれていたようだ。ドイツ語地名とチェコ語地名には何らかの関連性、類似性があると思っていたので、これだけばらばらのチェコ語の地名がドイツ語ではすべて同じ地名で呼ばれていたというのは驚きである。
次になすべきことは、これらの町の中に、楽器製造がさかんな、もしくは盛んだったところはないか確認することである。またまたチェコ語版のウィキペディアのそれぞれの町のページで確認したところ、このなかではルビのところにだけ楽器製造について書かれていた。それによると、19世紀末の時点で、この町には4000人近くの人が住んでおり、そのうちの三分の一が楽器製造にかかわる仕事をしていたという。また特にバイオリンの生産で知られていたらしい。
ルビの町のHPをみるとバイオリンがあしらわれたデザインになっている。それに、この町にはバイオリン作者の像や、楽器、楽器製造に関する博物館などもあるようである。ということは、この日本にまで伝えられた楽器生産の町シェンバッハは、現在の西ボヘミアのドイツとの国境の町ルビだと考えて間違いなさそうである。このようにちゃんとした結果が出ると、コピーを送ってもらってよかったと思うことができる。ただし、今でもこのまちで楽器が製造されているのかどうかはわからなかった。
ところで、このルビについての記事は雑誌の「如是我聞録」という部分に掲載されている。「是の如く我聞けり」だから、人から聞いた話をまとめたということだろうか。情報源がどんな人だったのかも気になるが、これはもう調べようのないことである。
ちなみに、日本のヤフーで「シェーンバッハ」で検索すると砂防会館に入っている施設が最初に出てくる。会議室の貸し出しをしているところのようで、「シェーンバッハ・サボー」というのが正式名称らしいが、「サボー」というのは何だろう。一瞬、ハンガリーの名字のひとつかと、「シェーンバッハ」はドイツ語だし、思ったのだが、何のことはない砂防をカタカナ表記しだだけだった。
2021年5月7日18時30分。
タグ:国会図書館
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