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2021年03月08日

パベル・パベル(三月五日)



 モアイと言って、真っ先に思い浮かぶのは、渋谷駅のハチ公像に次ぐ待ち合わせ場所だったモアイ像である。大学に入るために上京して、高校時代の先輩と初めて会うときに指定されたのが、モアイ像のところだった。確か、ハチ公像の周りは人が多すぎてお互いを見つけるのが大変だから、穴場で待ち合わせにしようというのが先輩の説明だった。一年とはいえ先に東京に出た人の言葉に、そんなもんかと反対しなかったのだが、後悔することになる。
 ハチ公像は田舎でも存在が知られているくらい有名だったので、何回か見に行ったこともあってどう行けばいいかも知っていた。モアイ像はあることすら知らず、先輩には簡単に見つかるといわれたけど、念のために早めに出かけた。駅に着いたのは待ち合わせの10分前だったが、駅の地図で場所を確認したのに、見事に迷ってしまって、モアイ像のところに着いたときには待ち合わせの時間を大きく過ぎていた。東京に出たての田舎者には、太刀打ちできないぐらい渋谷駅は巨大で複雑だったのだ。

 では、チェコでモアイと言うと言うと、当然イースター島のモアイ像が思い浮かぶのだが、それと密接に結びついているのがパベル・パベルという人物である。この人、もともとは建築技師だが、実証主義的な考古学者としてのほうが有名である。簡単に言えば、古代の建造物について机上でどんな方法で建造したとか、いやそれは不可能だとか喋喋するだけでなく、実際にできるかどうかやってみようというタイプの研究者で、コンチキ号のヘイエルダールや、古代船を建造して朝鮮半島を越えた角川春樹と同じように、古代技術を再現する活動をしている。

 最近たまたまこの人を取り上げたドキュメント番組を見たのだが、一部のオカルト主義者が超古代文明が云々というイギリスのストーンヘンジーの建設を再現するために、同じサイズの石を準備し、木と縄、そして人力だけで建ててみる様子も写っていた。残念ながらちょっとした問題が発生して完成はしなかったというが、映像で見る限りほぼ完成して、あと一つか二つか石を載せれば出来上がりというところまではいったようだ。
 その映像の中で、パベル氏は、技術的には古代「イギリス人」にも建設できたことが証明できたというようなことを語っていた。それはまだビロード革命が起こる前のできごとで、個人的には、共産党政権下で、このような研究、実験が行われていたという事実に一番驚かされた。

 そのパベル氏を一躍世界中で有名にしたのが、イースター島のモアイ像の移動実験である。作成された場所から、現在立っている場所までどのようにして運ばれたかについては、いろいろな説があるようだが、パベル氏は、1980年代半ばに、それまでの定説を覆して、モアイ像が立った状態で移動させられることを証明し、世界に衝撃を与えたらしい。世界中で公演を行ったというから、当時の共産党政権にとっても、チェコスロバキアの学問レベルの高さを宣伝するいい機会だったのかもしれない。
 パベル氏は、まずチェコで、巨大なモアイ像のレプリカを作成し、それを横倒しにすることなく動かす方法を実践し可能であることを確認してから、イースター島まで出向き、実際のモアイ像を使って、動かす実験を行った。実験は、長距離を動かしたというわけではなく、遺物の保存を考えてもそんなことはできないだろうし、せいぜい数メートルの移動だったようだが成功し、機械はなくても、人力と時間さえかければ移動が可能であることを証明した。
 番組では、パベル氏がイースター島に出かける前に、ヘイエルダールに手紙を送ったときのことを回想していた。自分の英語に自信がなかったので知り合いに翻訳してもらって、書き写して送ろうと思ったら、達筆すぎて読めずそのまま投函した。ヘイエルダールから返事が来たのはいいけど、やはり読めなかったと書かれていたらしい。ただ、同時に送った写真や図解にはある程度理解できたということが書かれていたという。

 この業績が、日本語版のウィキペディアの「モアイ」の項にも名前を挙げて記されていないのは、この人の名前にも原因がありそうな気がする。確かに、チェコには男性の名前を名字として使う例はある。ただ、多くは複数二格の「ヤヌー」「マルティヌー」の形を取ることが多いし、名字と同じ名前をつけることはほぼない。というか、この人しか知らない。チェコの名字と名前について知らない人が、「パベル・パベル」という名前を見て困惑したとしても仕方がない。親子の名前が、場合によっては孫まで3世代まったく名前が同じなんていう場合もあるけど、その程度でも日本の知り合いからは問い合わせのメールが来ることがある。

 とまれ、パベル氏はビロード革命後は生まれ故郷のストラコニツェで地方政治家として活躍しているようである。業績を紹介するようなHPでもあれば見てみたいのだけど、現時点では確認できていない。
2021年3月6日24時30分。










posted by olomoučan at 07:56| Comment(0) | TrackBack(0) | チェコ
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