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2016年06月17日

病気の記其二(六月十四日)



 このテーマもここで放置すると、何を書いたか忘れてしまいそうなので、前回書き落としたことを落穂拾い的に書いていこう。

 高血圧で病院通いを始める前に、一番よく通ったのは歯医者だった。定期的に検診を受けて、早期治療を目指したのだけれども、一度、大変な目に遭った。日本で治療して被せ物をしてあった歯が痛み始め、歯医者に行ったら被せ物の下に虫歯が発生しているという。虫歯の黴菌、もしくは毒素が歯の根っこのほうまで上がっていき、そのせいで激痛をもたらしているというのだ。
 このときは、痛みで口が開けられなくなり、その開けられない口を無理やり押し開いての治療で、麻酔を打ってもらったののだが、その注射を打つのが強烈に痛かった。治療中は歯の痛み自体はそれほどではなかったような気もするが、他の部分が痛くて涙がこぼれそうだった。チェコにしては珍しく、一日では治療が終わらず、何日か連日で通って、かなり強い消毒薬で患部を洗浄し、いったん蓋をして、また翌日にそれを外して洗浄をするというのを何回か繰り返して、ようやく痛みが治まった。それまでは、痛み止めが聞いている間は、何とかなるけれども、痛み止めが切れたら痛みで何も、それこそ眠ることさえできないという状態だったのだ。
 当時、週一で通っていた通訳の仕事先に電話をかけて事情を説明したのだが、翌週行ったら、正直何を言われているのかわからなかったと言われてしまった。口が思うように開けず、スープを飲むのも大変な状態だったので、まともな話ができなかったのも当然か。
 事情を説明したところ、一緒に仕事をしていた日本から来ていた方が、自分の体験を話してくれた。親不知が虫歯になって抜くことになったらしいのだが、普通の歯医者ではどうやっても抜けなくて、入院して全身麻酔をかけた上で、抜歯してもらったのだという。あれは抜歯というより手術だったねと笑いながら言うその人を見て、親不知だけは抜きたくないと思ったのだった。

 しかし、それから数年後、歯医者で親不知に虫歯が発見され、抜くしかないということになってしまった。この歯は、日本にいるときに歯磨きの仕方が下手だったのか、虫歯が進行しているのに全く気付かず、ある日突然、破裂するように砕け散った歯の残りに、歯医者で無理やり被せ物をしてもらったものだったので、ついに来るべき日が来たかと、施術の当日は覚悟を固めて歯医者に向かった。親不知を抜いた人からは、大変だったという話しか聞いていなかったので、時間がかかって、血が大量に流れて、しばらくは発熱するものだと、できれば全身麻酔はしたくないけど、などと考えていた。
 それなのに、意外とあっさり抜けてしまって、拍子抜けしてしまった。血は流れたけれども、特筆するほどでもなかったし、痛みも被せ物の下に虫歯ができたときに比べれば軽いものだった。付き添いなしで歯を抜いてもらって、何事もなく無事に診察室を出ることができたのだから、我がチェコ語もそれなりになってきたなあなどと筋違いなことを考えながらうちに帰って鏡を見たら、顔や手に血痕が残っていた。この状態でトラムに乗って帰ってきたのだが、何を思われたか不安である。抜歯の後の歯医者ではそこまで気が回らなかったのだ。

 医者に登録して高血圧だといわれたときには、その原因調査の一環で、いろいろな内臓の検査を受けた。そしたら、なんか心臓が変だと言われて、大学病院にまで音響検査に出かけることになった。まず喉の奥が開いた状態になるように麻酔のようなものを口の中に塗られて、オエッとなった状態で口の中から食道なのか、気管なのかに検査用の音響装置が送り込まれ、定期的に吐き気を催すけれども、何も食べておらず吐くものはなく、その装置のせいで出口もなく、口からよだれがだらだらと垂れ流れる状態で、結果なんかどうでもいいから早く終わってくれと一心に願っていた。すぐに終わってくれたら心臓に欠陥があると言われても受け入れられるとまで思った。
 それなのに、お医者さんは、検査装置のモニターを見ながら、のんびり装置を上下させ、あれこれびっくりしたような、感心したような声をあげていた。一緒にいた看護師さんを呼び寄せてモニターの映像を見せ、教科書に載せてもよさそうな見事な何とかだねえなどと言っていたらしい。この辺は付き添いで来てくれたうちのに後で聞いた。心臓の機能上は全く問題ないけれども、普通は心臓の発達の過程で消えてしまうものが、残っているらしい。日本語で言われてもよくわからないことを、チェコ語で言われてわかるはずもないのだが、何でも弁のようなものが、一つ余計についているらしい。ここまで生きて来て知らなかったし、知りたいとも思わなかったし、できれば知りたくなかったというのが正直なところである。

 そんなこんな苦しみを経ても、高血圧の原因はわからず、降圧剤を飲み続けている。いや、原因は運動不足と仕事のストレスであるのは明らかなのだけど、それが避けられないものである以上は、一生薬と付き合っていくことになりそうだ。その前に、高血圧の定義が変わって、このぐらい大丈夫になってくれるのが理想なのだけど、最近は定義の数値が下がり気味らしいので、さらに強い薬を飲まされることになるかもしれない。今はもう慣れてしまったけれども、初めて降圧剤を飲んだときには、体が思うように動かないような、妙なつらさがあったのを覚えている。
 昔の自分だったら、こんな薬飲んでまで健康な生活を送りたいとは思わないなんて考えたのだが、現実を受け入れられるようになったのは、いいことなのか悪いことなのか。改めて自分もいわゆる成人病なのかと思うと気が滅入ってきた。気が滅入ってきたので今日の分はお仕舞。
6月14日17時。
posted by olomoučan at 07:04| Comment(0) | TrackBack(0) | チェコ
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