2016年06月15日
病気の記(六月十二日)
チェコに来て初めて病院に行ったのは、いつだったか正確に覚えていないが、医者のお世話になったのがいつだったかは、しっかりと覚えている。いや、正確に言えば、忘れられない。あれはチェコに来た年の晩秋というか初冬というか、九月に一度思いっきり冷え込んだあと、また暖かくなった時期のことだから、十月だったが十一月だったか。とにかく日曜日のことだった。
当時毎月買っていた「どこで、いつ、何が」という題名の情報誌で見かけたハンドボールの試合を見に行こうと、朝寮で時間をつぶしていたら、背中の右側の下のほうに何とも言えない痛みを感じ始めた。体をひねったり痛む部分を温めたりすると、痛みが治まるような気がしたのだが、寄せては返し、寄せては返す波のように、痛みが戻ってきて、最終的には痛みで動けなくなった。
痛みでうなりながらベッドに転がっていると、近くの部屋に住んでいた中国人と、アフリカのどこかの国の人が心配して見に来てくれて、たまたまそのアフリカの人、ガーナの人だったかなが、医学部生で、このままじゃまずかろうということで救急車を呼んでくれた。皮肉なことにその後痛みが引いて、お医者さんたちが来たころには、ちょっと熱っぽくて痛みの残滓もあったけど、立ち上がれないほどの痛みは感じなくなっていた。寮に住んでいてよかったと、寮費が安いこと以外では、初めて思った瞬間だった。
まあ、このときの痛みは、二度目の腎臓結石のときの痛みに比べれば、かわいいものだったのだが、それまでに感じたことのない種類の痛みだっただけにショックは大きく、外国にいるという事実とあいまって、もう帰ってしまおうかと気弱になってしまったのだった。このとき医者に進められたとおりに飲んだくれ生活を送ることで、結石だけでなく弱気も溶けてしまって現在に至るわけだから、チェコのビールの力は偉大である。
二番目に行ったのは歯医者だった。一年目はビザを取るために旅行保険みたいなものに入っていたが、二年目は入っておらず、できれば医者には行きたくなかったのだけど、日本出国前に一年半以上の時間と、ウン万円の費用をかけて、治療してきた歯の一本の詰め物が落ちてしまったのだ。どうしようか悩んだけれども、日本で治療したら保険なしでいくら取られるかわからないし、チェコ語の練習にもなるかと、うちのに連れられて歯医者に出かけた。
チェコの病院のよくわからない受付のシステム以外は何の問題もなく、日本のように今日は削るだけで来週詰め物なんてこともなく、待ち時間を除けば三十分ほどで無事に治療が終わってしまった。チェコ語も取り立てて理解できない表現は出てこず、難しい表現もあったのかもしれないけど、その場の流れでなんとなく理解したような気になったのだろう。ただ、治療費を払おうとしてびっくり。日本でばか高い国民保険の掛け金を毎月支払った上で、治療に際して払わされる額よりも安かったのだ。下手をしたら、今日は治療なしで歯石を取りましょうねなどといわれて、虫歯の数が減らなかったときよりも安かったかもしれない。
チェコの保険制度も、多分に漏れず破綻の危機にあり国費の投入が行われているのだが、これだけ医療費が安かったらそうもなるわなと納得してしまう。オーストリアとの国境地帯の歯医者さんには、保険の利くチェコ人の患者よりも、保険の利かないオーストリア人の患者のほうが多いという話もむべなるかなである。最近はEU内であればどの国で治療を受けても自国の保険制度の対象になるという法律ができたらしいので、国境地帯のオーストリア人たちにとっては、チェコの歯医者に通うメリットがますます大きくなっているようだ。
チェコの医療制度は、旧社会主義国家であるせいか、患者に優しい。保険に加入していれば一般的な治療には、治療費はかからない。一時期は医療保険の破綻を防ぎ、病院の財政を改善するために、30コルナの診察料や、一日100コルナの入院費などを取るという画期的な制度が導入されたのだが、残念なことに、急患の場合を除いて廃止されてしまった。
一般にチェコの人たちは、病気になったときに適当な医者を見つけて飛び込むというようなことはしない。かかりつけの医者に登録してあって、具合が悪くなったらまずそこに行き、そこで対処しきれないときには、大学病院などの大きく専門的な病院にまわされることになる。以前知り合いが、直接大学病院に行ったら、診察はしてもらえたけど、直接来るなといって怒られたと言っていた。
ということで、うちも数年前にオロモウツの医者に登録するために出かけた。最初の日に血圧が高いと言われて、原因を調べるためにあちこち検査に送り出され、登録なんかしなければよかったと後悔したのだが、後の祭り、尿検査、血液検査、レントゲンはかわいいもので、目の検査、腎臓のソナーでの検査、血圧の二十四時間測定などなど、そんなに大騒ぎするほど血圧が高かったわけではないのだが。
そして血圧を下げる薬を飲まされ、それが妙に体に合わずに咳が止まらなくなって、確実に健康状態は悪化した。その後飲み始めた別の薬は、そんな副作用はないが、途中でいわゆるジェネリックに切り替えられ、これも体に合わない気がする。
知人には、血圧下げるなら酒やめて塩抜きの食事をしていればいいんだよと、ビールとソーセージを目の前にして言われ、これやめるぐらいだったら血圧は高くてもいいと決意したのだった。ただ、降圧剤の影響かビールが以前ほどおいしく感じられなくなったのは、痛恨の出来事である。ビールを飲むためにチェコに来たというのに。診察費は払うから、ビールをおいしく飲める体を返してくれと叫びたい。毎朝定期的に薬を飲むというのも年を取ったようで嫌だ。って、年は取ったか。
定期的に、正確には薬が切れそうになるたびに医者に足を運んで、念のために血圧を測ってもらう。面倒なこと極まりないのだが、半村良の『高層街』で予防医療に重点を置いた新しい医師の姿を模索する主人公の物語を読んだときには、すばらしい、これからの医療はこうあるべきだ、などと感動していたのだ。読書での体験と実体験では感じることが違うということか。いや、このことは読者というもののいい加減さを示しているのかもしれない。
6月13日16時。
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