2020年09月11日
イジー・メンツル2(九月八日)
「つながれたヒバリ」以後、数年の沈黙を余儀なくされたメンツルは、1976年にスビェラーク、スモリャクのツィムルマン劇団と組んで「Na samotě u lesa(森のそばの一軒家)」を制作する。この映画がきっかけになったのか、メンツルは1977年から79年にかけて、ツィムルマン劇団の一員として活動している。ただし、映画の撮影の仕事が忙しくて出演できないことが多かったらしい。確か、この映画も出演したヤン・トシースカがアメリカに亡命したためテレビで放映できなかったという話を聞いたことがある。
77年には、ハベル大統領を中心とするグループが発表した「憲章77」に対抗して、共産党政権が準備したいわゆる「アンチ憲章」に署名を強要されている。当時、当局ににらまれながら仕事をしていた芸能関係者の大半が、強要に応じて署名したと言われる。多くはその事実については触らないようにしているようだが、メンツルは、自分は恥じることはない、恥じるべきは強制した奴らだとか語っていたという。ただ、後に母校のFAMUで教えていたときに、学生たちからボイコットを食らったという話の原因がこれだったのかもしれない。
この問題は、出世のために共産党に入党したと称するビロード革命後の政治家たちと、仕事を続けるために「アンチ憲章」に署名した芸術家たちと、どちらが非難されるべきかという話にもつながる。結局「憲章77」に署名もせず、活動の支援もしなかった人たちに「アンチ憲章」に強制的に署名させられた人たちを批判する権利はないということになるか。トシースカなど「アンチ憲章」に署名しながら、裏では「憲章77」関係者を支援していたともいう。同年のうちに亡命してしまうわけだが。
1980年には、再びフラバル原作の「剃髪式」を制作。メンツル追悼の第一作としてチェコテレビが亡くなったニュースが流れた日に放送したのが、このビール工場を舞台にした作品だった。フルシンスキーも登場するが、誰よりも強い印象を残すのは、イジー・シュミツル演じる主人公の、兄役(弟かも)のハンズリークで、なぜか「ペピン伯父さん」と呼ばれている。これは映画の最後で生まれることが予言された赤ちゃんが原作者のフラバルで、フラバルの伯父さんがペピンだということで、伯父さんと呼ばれると解釈していいのかな。映画の舞台となったニンブルクのビール工場ではこの作品にちなんだビールを生産していたとはずである。
83年にもフラバル原作の「Slavnosti sněženek(福寿草の祝祭)」。「剃髪式」から引き続いて、フルシンスキー、シュミツル、ハンズリークの三人が主要な役を演じる。ウィキペディアによると、原作者のフラバルもちょい役で出ているらしいのだが、どの役で出ていたのか思い出せない、というか気づけなかった。スビェラークとブルックネルというツィムルマン関係者は、ちょい役だけど確かにいたのを思い出せる。
そして、85年には第三の代表作である「スイート・スイート・ビレッジ」が公開される。脚本はスビェラーク。この映画について語られるときには、主人公のオティークを演じたハンガリー人の俳優と、オティークとコンビを組むトラック運転手役のスロバキア人のラブダが取り上げられることが多いのだけど、しょっちゅう車をぶつけたり故障させたりしているお医者さんを演じたフルシンスキーも忘れてはいけない。あの村の雰囲気は、この医者の存在なしには考えられない。ちなみに同名の長男も出演しているが父親ほどの存在感はない。
ビロード革命の直前の1989年に公開されたのが、「Konec starých časů(古き時代の終わり)」で、バンチュラの原作を映画化したもの。第一次世界大戦後のチェコスロバキア独立後に、かつての貴族の邸宅を手に入れたなりあがり一家を描いたものだったと記憶する。一回目か二回目かのサマースクールで担当者が自分の一番好きな映画だと言って見せてくれたのだが、正直、こちらのチェコ語のせいもあって、話がいまいち理解できなかった。
最初に見たときには、気づかなかったと言うよりは、チェコの俳優のことを知らずに気づけなかったのだが、ルドルフ・フルシンスキーが、次男のヤンと親子の役で出演していた。長男のルドルフ若よりも、こちらのヤンのほうが役者としては成功している印象である。政治的な発言が多すぎるのはどうかと思うけど。
この話もう少し続く。
2020年9月9日22時
タグ:映画
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