2020年07月03日
久しぶりに日本語のことを2(六月卅日)
承前
日本語の動詞のことを考えてみると、場所を表す際に「で」を必要とするものが圧倒的に多いことは言うまでもない。「に」を必要とする動詞は例外的なのである。だから、「で」を必要とする普通の動詞についてはいちいち覚える必要はない。あるのかないのかはっきりしないルールを覚えるよりは、「に」を必要とする動詞を特別に覚えていくほうが実用的である。
どちらを使うかわからない動詞や、初めて見る動詞が出てきたときには、とりあえず「で」を使って、違うと言われたら「に」に変えて、それで正しかったら「に」を使う動詞として覚えこむ。違うといわれたら「を」にしてみる。「を」でも駄目なら、その動詞は場所を必要としないか、存在しないかどちらかだというのが、日本語を勉強する友人たちに対するアドバイスである。
どうしても日本語の場所を表す助詞に関するルールが必要だというなら、覚えた「に」を必要とする動詞の共通点を探して、自分なりのルールを作り上げればいい。他人の主張するどこまで適用できるかもわからないルールを元に使用して間違えてもあまり意味はないが、自作のルールであれば間違いもまた有効に活用してルールに修正を加えていくことも可能になる。そこまで行ければ、日本人と同様に感覚的に使い分けるところまでは、もう一歩である。
さて、上にしれっと書いてしまったけれども、日本語で場所を表わす助詞にはもう一つ、「を」がある。これは「に」以上に特殊なもので数も少なく、「を」を必要とする動詞の性質には、「に」の場合よりも顕著な特徴があるので、一度覚えてしまうと間違えなくなる。だから、この問題については、「で」と「に」だけではなく、「を」も含めて考えなければならない。
「を」を必要とする動詞の特徴は、移動を表わす意味、もしくは移動の手段となる動作を意味として持つ動詞だというところである。移動を表わすものとしては「行く」「動く」、移動の手段を表わすものとしては、「歩く」「走る」を挙げておけば、問題はなかろう。人、もしくは物が、移動していく際に通っていく場所を「を」で表すのである。「通る」「経由する」のようにある点を通る場合でも「を」を使うし、本体は動かないけれども水が動く、「(川が)流れる」も「を」を必要とする。
この「を」を必要とする動詞の特徴としては、「に」を使うと、方向、つまり動作の向かう先を表わせるものが多いことで、例えば、「チェコに旅行する」は、旅行の目的地がチェコであることを示し、「チェコを旅行する」の場合には、チェコに行ってからチェコ国内をあちこち移動することに重点を置いた表現である。
助詞「で」と「を」の間で興味深いのは、「泳ぐ」である。この動詞は、「歩く」や「走る」ほど移動の手段という意識がないのか、「海で泳ぐ」「プールで泳ぐ」と普通は「で」を使う。しかし、泳いである地点から別の地点まで行くことが明白な場合には、「で」ではなく「を」を使わなければならない。移動にならない「プールを泳ぐ」は難しいけれども、オロモウツからホドニーンまでモラバ川を泳いだり、ヨーロッパから日本まで海を泳いだりすることは、文章の上では可能である。遊びやトレーニングとして泳ぐ場合には「で」で、泳いで移動するときには「を」を使うと覚えておけばいい。
最近は、「散歩する」に「で」を使って平然としている人もいて、場所を表わす助詞としての「を」が軽視されてるような感もあるが、保守的な日本語使用者としては、「公園で散歩する」なんて表現を見るとぎょっとしてしまう。ら抜きと同じで、小説なんかの会話文の中で、話している人の特徴づけに使うのなら素晴らしいと思うけど、地の文でやられると興ざめしてしまう。
とまれ、場所を表す助詞の「を」の存在なんてチェコ語を勉強して「v」と「na」の使い分けに苦労しなかったら気づきもしなかっただろうし、「で」と「に」も今ほど自覚的に使い分けてはいなかっただろう。外国語を勉強するということは、その外国語を通じて日本をを見直すことで、日本語の勉強にもなるのである。
外つ国の言葉を学びて、時に日本語に思ひを致す。而して復た学ぶ。此れ亦た楽しからずや。
2020年7月1日10時。
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