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2023年05月22日

バーディ2つ

日曜日はゴルフ。今年2回目。
会社のゴルフ部のコンペなのだが、廻ったことのない人とのプレーは気が乗らない。
受傷前のようにゴルフに自信を持っていたなら良いのだが、時々ちゃんとクラブが振れないことがある。左腕がピクッとなってスィングがずれる時がある。実際に先週練習場で空振りをした。
下手と思われるのが嫌なのだ。
そこそこ上手でいい球を打っていた、よく飛んでいた、よくゴルフができるまで回復したねと思ってもらいたいのだ。情けないかな、でもそんなことを思うのも事実だ。
今現在の自分を人は判断する。過去がどうだったとかは関係ない。
そんなことを分かりながらも過去の栄光にすがる。受傷したとはいえ見た目は普通なのだ、受傷したことを逃げ道にしてはいけない。前の状態を取り戻すと宣言しているではないか。

一緒に回った人はかなり飛ぶ人だった。300ヤード級のドライバーが飛び出す。いや、オレも昔は飛んだんだよ、それは心の中で思うことにした。
不思議なことにプレーをしている時に歩きづらいとか受傷による症状は全く起きなかった。何かに夢中になると痛みや痺れを忘れることと同じ。あまり知らない3人と廻るから意識が違うところに行っていたのだろうか。午前はここ最近の同じようなスコア。50を超える。
何が悪いわけではない、そんなゴルフに慣れてしまったのだろうか。ただ身体はどこも不調を感じないし平気で歩いている。

最近はスコアをつけない。どうせリハビリの一環だと考えていることと良いスコアがでないから。よいスコアよりも‘昔のような’球が打てる、スィングができることを思う。ただゴルフは結果というスコアで判断される。
何も考えていないゴルフだった。それは良い意味で。ヘッドスピードは遅いが昔と同じような感覚でスィングができているのだ。身体の不自由さを忘れていた。
受傷前のゴルフの気分になったのだろうか。午後からはバーディが2つ出た。
受賞後のゴルフの目標が受傷前日の88。とにかくハーフ44も一つの目標なのだが44で廻ることができた。

不自由さを感じなかったのは単に身体の調子が良かったからなのだろうか。
じゃあそれは継続できるのだろうか。そこが肝心だ。
確実に身体の変化はある。筋肉、動き。昨晩、もう一つ変わったと感じたことがあった。これについては次回。
posted by shigenon at 12:52| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2023年05月19日

感じ方

鍼後の調子の良かった状態が徐々に消えていくのを感じる。
といっても痛みや痺れが強いというわけではない、健常な人でいうなら軽やかさがが無くなるという感じだろうか。良い状態といっても‘ふつう’の人の状態ではないが。
6週間ぶりの鍼は良い状態をもたらせたのは間違いないのだけど。

お尻や右下腿の痺れ、動く感覚は去年と比べてどうなのだろう。
去年の5月のブログを読み返す。よく分からない、どんな強さの痛みか書ききれていないのだ。ただ感覚的には去年より痺れに関しては少ないと思うのだが。
去年の5月に左腕の筋肉が付いたような気がすると書いている。そうなのだ、そのころから左腕の筋肉は付き始めて可動も良くなった。
1年で色んな事が良くなっているのだ。

「症状固定」「リハビリである程度までは回復」・・・
頚髄損傷の予後についてはそのようなネガティブな情報しかない。それはそうなのだろう、程度が人によって違う。出る症状も。
じゃあ自分は程度が良かったのか。そんなことはない。左腕は40日動かなかったのだ。それは急性期だからそうなのだろうが、受傷から半年後でも薬のタブレットを押し出す力すらなかった。
筋肉を付ければ動くという安直な行動は血流も良くした。脚を無理に動かすことによる坐骨神経痛という状況にはなったが、それと引き換えに得た動きは大きい。

昨日は筋トレ。なぜかこれまでの東京で筋トレを終えた時の調子よさと同じような感じではない。マシンの種類は違えどほとんど同じ動きなのだが。
環境で身体の感じ方が変わるということはあるのだろう。
明後日はゴルフ。久しぶりに歩く。
posted by shigenon at 16:24| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2023年05月17日

左半身の稼働ヨシ

火曜日、ゴルフの打ちっぱなしに。
東京では打ちっぱなしに行くことはあまりなかった。すぐ近くに練習場はあったのだが距離が150ヤードほどしかなかった。東京ならではだ。
実家からは車で10分ほどの場所に広い練習場がある。21日に会社のゴルフ部のコンペに参加することになったので練習に行く気になった。3月に知り合いから送別の品としてゴルフクラブを貰っている、それを試してみたかった。

前回ゴルフに行ったのは3月25日。
久しぶりに振るクラブ、不安であったが杞憂だった。それどころか驚いたのがそれほど左腕に違和感なく振れている。この3回ほど、10月のゴルフからスィングの変化を感じられなかった。それは寒さや雨だったからだろうか。
確かに左上体の筋肉は付いたのだ。筋肉だけが全てではない、やはりピクッと痙攣がおきて力が抜けることはある。でも筋肉が付いたからこそ力強いスィングが出来るのだ。

母親のモノ忘れが少し酷くなった。
確実に1週間前より酷いように感じる。目の前のことをやるのに不自由はないのだが、他の事をやっているとその前の事を忘れる。
冷蔵庫には忘れ去られた食材が溜まる。そうならないよういつ使うと冷蔵庫に貼るのだがそれが出来ない。
ついついキツく言ってしまう自分が嫌になっている。これは認知症という病気で、本人は一生懸命それと戦っているのだと思いながらも言ってしまう。言って改善できるのは学んでいくことができる人だけであって、認知症の人に言っても無理なのだろう。

明日からは優しく接しようと毎晩思う。
自分が受傷して何か月も一人東京に居てくれ、毎日病院まで来てくれたのだ。子へは無償の愛というが子から親へも無償の愛だ。
posted by shigenon at 17:50| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2023年05月15日

6週間ぶりの東京

木曜日に夜行バスで東京へ。夜行バス自体は学生時代に長野へスキーに行ったとき以来。
昔の夜行バスは普通の路線バスと変わらない車両だっと記憶している。そんなに席もリクライニングできず窮屈だったと。
今回の夜行バスは3列シートでリクライニングも十分にできそう。
22:30大阪発までK君に付き合ってもらい居酒屋。17時に待ち合わせしたので3軒の居酒屋巡り。
バスの乗車場所に迷うなどのトラブルがあったが無事乗車。
3列は隣が気にならないから良いのだがそもそも5名ほどしか乗車していなかった。席は思ったほどリクライニングの角度は深くなく、失敗したのが前輪の上の席だったので揺れが酷かった。乗車人数が少なく車両が軽いことも原因なのだろうか。

ほとんど眠れず7時前に八重洲に到着。八重洲のバスセンターは去年できたばかりだ。
10時に前の居住地の近くのジムに行くので3時間ほど時間を潰さないと。前もって調べていたネットカフェに向かうが満室だった。各地から来た、特に女子が多かったがキャリーケースを引いた人で溢れていた。
仕方なく浅草橋まで出てネットカフェへ。実はネットカフェや漫画喫茶という場所に入るのも初めてだった。3時間の利用、思ったほど高くない。そこで仮眠と思っていたが眠れなく時間を過ごした。

久しぶりの元行っていたジム。やはりマシンが変わると効く筋肉が違うことを感じる。それと元々の加重でマシンを動かすが重く感じる。今のジムでの加重を見直さないといけないと思ったが、今のジムのマシンで負荷は少ないのに筋肉が付いたように思うのはどうしてなのだろうと考える。
筋肉を付けることが目標ではなく身体の稼働を良くするためのマシントレーニングなのだ。
ジムを終えて火曜日の夜を過ごしていた洋食屋へ。ランチだが生ビールを1杯だけ。
いつも過ごしていたカウンターの席に座ると時が経っていないように感じる。ママ、シェフと楽しく話して店を後にする。

久しぶりの鍼。やはり身体が鍼を欲しているの感じる。Aセンセイは右下腿に打ちながら“硬くなってますね”と言う。ジムのローラーで耕して右下腿は柔らかさを維持していると思ったがそうではなかった。これまでよりも本数を多く使ってくれる。6週間ぶりだ、やはり毎週行っていた時と比べると身体が整っていないのだろうか。
4月に自転車で転んだ時に右手首を捻挫していた。最初は痛くなかったが特定の動きをすると痛みが走る。それを言うと痛みを感じる場所から離れた個所に鍼を打ってくれる。痛い場所が治療ポイントではないのだ。
鍼を終えて前の住居へ。転送前の郵便物を受け取る。

そして居酒屋Qへ。まだ16時なのだがマスターは居る。
のんびりとカウンターで呑んで店の終了とともに一緒に住居へ行って泊めてもらう予定だった。ところがバスで眠れなかったこと、久しぶりの鍼の効果もあったのか何杯か呑むと眠くなってきた。
先に住居に行って仮眠をとる。そして店から戻ってきたマスターとママに起こしてもらい一緒に呑む。
この時気づいたが捻挫している手首は痛みが軽くなっている。鍼で捻挫が治るのかという理屈が良く分からないが何かが作用するのだろう。完全に痛みは無くなってはいないがずいぶんマシだ。
この日眠って途中で目が覚めるが、右下腿は全く痺れを感じない。3月の一番調子の良かった時の状態。

翌日はSNSグループの管理人の誕生会。14時に厚木に集合。そのまま近くの温泉宿に向かい夕方からパーティ。温泉に浸かってからイタリアンに舌鼓。パーティの終盤の記憶があまりないほど呑んだ。
帰ってからもハイボールやワインを呑むがあまり覚えていない。
翌日も昼前から駅近くで呑み。恐らく10杯以上のハイボールを呑んだか。小田原からの新幹線を予約していたが、気が付けばもう間に合わない時間になっていた。
小田原から名古屋で乗り換えてのぞみに。よく乗り換えの名古屋で目が覚めたことだ。

今朝、バス乗り場まで歩く道。田舎の道の路肩は凹凸も多く歩き辛かったのだが、しっかり地面をつかんだ歩きが出来ている。これまでそんな感覚で歩くことはできなかった。
やはり脚の調子がいいときは足裏の感覚が活きているのだろう。鍼による効果、これは感じざるを得ない。でも6週間に1回の上京なのだ。
この感覚が維持できるよう自分なりのケアをしないといけないのだろう、そう考えながら感覚を記憶に刻んだ。
posted by shigenon at 12:43| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2023年05月10日

気力

月水金しか会社に行かなければのんびりできると思っていたのだがそうでもない。
その想像は東京で生活している中でのものだった。実際にはあっという間に火曜と木曜は過ぎる。土日も満足感のある休日とは言えない。が、それは東京でも同じか。
火曜日はジムが定休日。せっかくの出勤しない日なのにジムに行けないのはもったいないと思っていたが、ジムに行かねばと強迫観念に苛まれることのない日になってちょうど良かったか。

出勤日は必ず呑んで帰る。東京の時のように店の人やお客さんと仲良く過ごすといった店は未だ見つけられていない。ただ呑んで酔いを楽しんでいるだけ。
20時30分のバスを逃すと21時30分。翌日は休みなのだが20時30分のバスに乗るくらいの酒量が丁度いいのかもしれない。それ以上呑み屋で呑むとバスで寝てしまう。年齢とともに酔い方が変わり、すぐに眠くなってしまう。これは同級生みんなが言っているので加齢なのだろうか。
帰ると21時。風呂に入って寝るという何とももったいない休前日だと思うが、何かをやろうという気力もそのまま家で吞もうという気持ちにもならない。

気力の衰え。
そうなのだろう。色んなことに興味を持ち自分に活かしていく、自分はそんなタイプだったのではないか。それが失われている。過去にもそんな時はあったが、その時はイラついた日々を過ごしたものだ。
イラつきもしない。これは大人になったというコトバでもあるとともに諦めやその他ネガティブな状態を思ってしまい何か1歩を踏み出せないことなのだろう。
知らず知らずに衰えていくものか、気力は。

明るい明日のために自分の能力を高める。
頭も身体も同じ。そのためにリハビリをしている。生活に困らない程度に身体が動かせるといいななんて思わなかったではないか。だから「元通り」の自分を欲した。
身体はすぐには難しいのだ、その前に頭が劣化してはいけない。

今週末は東京。久しぶりの鍼治療。
初めての夜行バス。乗車が22時30分なのでそれまで大阪のK君に付き合ってもらって呑む。12日の早朝に東京に着くのだが前のジムで筋トレをして、昼は前に火曜日にいつも行っていた洋食屋でランチ。
夜はいつも週末を過ごしていた居酒屋。そしてマスターとママの家に泊めてもらう。
翌日はSNSの友達の誕生日パーティ。厚木の温泉に泊まる。
久しぶりの面々に会える、もう東京を離れて6週間になるのだ。
posted by shigenon at 10:12| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2023年05月08日

こどもの日

3日に幼なじみのK君からメッセージが来た。
K君の息子がバドミントンをやっているようで、そのトーナメント表を見たら僕の息子の名を見つけたと。明日(5日)に行くので来ないかと。
心臓の鼓動が高まった。対面するには試合という重要な場だ、それはそぐわない。試合には母親も見に来るだろうとか色んなことが去来する。
でも聞いた以上、行くしかない。遠くから見れればそれでいい。

とても大きな会場で人で溢れていた。
まずはK君に連絡。そしたらK君の息子が出たダブルスはもう負けて終わったので帰るという。こちらに戻って初めて会うのでしばらく立ち話。K君が息子の学校の応援席を通った選手に聞いてくれた。そんなことさえ自分で出来ないくらいの臆病さがその時の自分だ。
息子の高校の選手たちが座っている席の後ろに陣取る。
16面のコートで男女が試合。ダブルスが終わってからシングルスの試合ということだが、どの試合をしているのか分からない。K君からはシングルスの組み合わせの表しかもらっていない。会場でも配っていない。アナウンスで試合番号と高校、選手を読み上げたのを聞くのが唯一の方法。

会場に着いたのは10時半くらい。1時間ほど耳を傾けていたがずっとコートではダブルスの試合。息子はダブルスには出ないのだろうか、それも分からない。大会本部は組合せ表も配布しなければ進行状況も貼りださない。
朝飯も食ってきていないので近くで何か食事をと会場を出た。何もない場所だ。会場の前の洋食屋に入るがほぼ満員で食事が終わるまで1時間かかった。
息子の高校の応援席のすぐ近くの父兄席に座れた。依然コートはダブルスの試合。応援席に座っているだろうかと注視する。あの子じゃないかなと思う子がいた。2年前に両親に会いに来てくれた時よりも少し雰囲気は似ていて目元は自分、鼻の高さは母親によく似てる。
遠くから横顔をズームで何枚も写メを撮る。
息子がその子だという確信も持てないので感情の持って行き場がない。14時過ぎまで居たがずっとダブルスでシングルスが始まる気配がないので家に帰った。

帰ってからもモヤモヤしていた。
正しい行動だったのか、他にすることはなかったのか。でもどうしょうもない、息子らしき人物を眺めながら呑んで過ごす。この子が息子なのか確信がないからどうしようもない、思い込むこともできない。
翌日の朝はタンスの整理をしていた。寝室は服を置いているがタンスの中の整理が全くできていない。
そうしているとK君からメッセージが来た。
「○○君(息子)が1回戦に勝って2回戦を今日やるよ」
悩むことはないのだが、自分の近くに息子がいるということだけでも値打ちのある事なのだ、すぐに向かった。

会場でK君と落ち合う。K君と息子の母親は我々の結婚前からテニス仲間だった。そしてK君の奥さんは息子の母親と幼なじみという関係。10年位前まで息子を見かけるたびに写メを送ってくれていた。奥さんの両親も息子を見かけると写真を撮ってくれてK君経由で送ってくれていた。
K君の息子もシングルスの試合がある。二人で会場アナウンスに注意しながら話し込んでいた。そしたらK君が○○さんが来たという。息子の母親、自分の元嫁だ。
我々の後ろで立っているようだ。
会って話すには何故この場所にいるかと説明も必要だ。実家に移り住んだことも知らない。彼女の精神を乱したくない。この場で17年ぶりに会うにはそぐわない。
しばらくすると前のスタンドに移動して熱心に試合を見ている。自分が見える範囲にいてくれたら偶然出くわすこともない。

K君がトイレにいった。その時に彼女と出くわした。もちろん自分が来ていることはK君は言わない。
なんと息子のシングルスの試合は終わって帰るということだった。熱心に見ていたのは息子の試合だったのだ。自分たちの席からは手前のコート3面は見えなかった。それと息子だと思っていた子はずっと座ったままだったのだ。アナウンスに耳を傾けてはいたが聞き逃していたようだ。
がっかりした、仕方がないが。それと同時に座っていた子は完全に他所の子だった。(2年前の息子の写真をK君に見せたところ間違いないと言っていたくらい似ていた)
K君が生徒に息子がどこに座っているか聞いてくると言ってくれた。その行為が息子の耳の入ったらどうだろうかとも考えたが、試合も見れなかったのでその行為に甘えた。

「2列目の2番目にいる」とK君が聞いてきた。その方向を後方ナナメから見る。背の高さが座っていても分かる、肩幅も広い。少し顔が見える、間違いない。涙でかすむ。
彼はコートで試合している選手を応援している。
もう我慢が出来なかった。彼らの席の前に行ってカメラを自撮りにして息子を正面から眺めた。そして写メも撮った。
席に戻ると彼らの席が騒然とし、息子を含めた何名かがこちらを見ている。そして息子がスマホをこちらに向けて写真を撮る。
この時は父親が来たということが解ってそうしたのかと思った。
後で考えると、自分が不自然に写真を撮っていることを誰かが見て、女子の盗撮犯に思われたのかもしれない、そして息子は犯人の写メを撮ったのか。

盗撮犯には間違いない。でもどっちだと思って自分の写メをとったのだろうか。
思い切って声をかけるか?どうすべきか自分で判断ができなかった。17年ぶりにじかに自分の息子を見たことでこれ以上望むことなどできなかった。精神が高ぶり過ぎていた。
K君の息子の試合もいつやるか分からないので帰ろうということになった。それに救われたように同調した。
帰りに彼の前を通っていく。彼を見上げて一瞬立ち止まる。彼の高校が試合中だったようだ。一瞬彼はこちらを見たがすぐにコートに目が行く。こちらに何の関心も向けなかった。
やはりあの時はただの盗撮犯だと思われたのだろうか。写メを撮った時は青のサングラスに青のマスク。目の前を通るときはサングラスから普通のメガネ。さっきの盗撮犯としてももう認識されなかった。
そもそもは、息子に気づいてもらえないかという自分の情けなさだと後になって思う。

帰ってからも色々と思った。果たして自分の行動が正しかったのか、足りなかったのか。
でも仕方ない、舞い上がってしまっていた。
こどもの日、プレゼントを貰ったのは自分だ。
posted by shigenon at 10:24| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2023年05月05日

マッチョ

GWはカレンダー通りだが火曜日は休みなので6連休。何もしないまま半分が過ぎた。
引っ越しの整理はやらないといけないと思いながらやらなくても生活できているので後回しになってしまう。
もともと休みで帰省していた時は実家では怠惰な生活だった、住んだからといってもその習慣が残っている。
火曜は散髪、水木はジムへ。

胸筋が大きくなった。胸筋は動くから実感しやすい。
受傷後、右胸はある程度の筋肉は付いたが左胸は付きにくかった。左半身の筋肉が付きにくいのは麻痺側だから。しかし去年くらいから左腕に筋肉が付くなど変化があった。
左右同じように動かしているのだ。左の腕橈骨筋が付き始めたのは鍼で何らかの変化があったからだと思っている。それはピクンピクン筋肉が動く“奇跡の1本”の鍼によって左脚の筋肉が付き始めた。

筋肉は刺激されて太くなる。受傷によって動く刺激が伝わらない・伝わりにくい筋肉の束がいくつかあった。それは今もある。
無理やり筋肉を動かす。それによって覚醒した筋肉もあった。そんなことがあるのかと思われるかもしれないがすべて自分が経験したことだ。
こちらでジムに行き始めてからの変化には驚いている。両腕の筋肉が太くなり胸筋が付いた。腹が少し出ているのを見なければ少しマッチョだ。
特に荷重は変えていない、ただマシンが変わったので前と同じ荷重ではないがほぼ前お同じくらいに設定している。

これはマシンが変わって動かす角度がこれまでと変わったからに間違いない。東京の時も週1回違う支店で違うマシンを使うたびに感じていたこと。
こう書きながら自分でも半信半疑なのだ。ほとんど変わらない荷重でそれほど一生懸命筋トレに励んでいるわけじゃない。ただ動かしているだけ。これは反省しないといけないことだが。
胸筋で言えばフライの荷重は変わらない。マシンは変わったけど同じ25キロで同じような感覚。ただ違うのが動かすスタート位置が少し後ろ。胸の前まで動かす量がほんの少し多い。それだけなのだが前より少しキツイなとは感じている。
まあそれだけでなくこれまで週2回だったのが週3回になっていることが大きいか。でもまだ1か月も経っていない。

フットローラーはこれまで3回使用。
前回書いたように終わったあとからすぐに実感できる。足裏の感覚がよくなっている。2回目の3日はお尻とか色んな個所を試した。
神経痛の感じは打撲で痛い感覚と似ているかもしれない。押したときのキューとする痛み。
その痛みを感じるすべての右脚とお尻にフットローラーを当てる。少し当たるだけで痛い個所もある。
そしたら翌日は本当に打撲したような痛みになった。特に右モモ裏。少し強く当て過ぎたのか。
イメージとしては荒れ地を耕すコンバインだったのだが、まずは準備運動が必要だったのだろう。

5日は楽しみなことがある。
それについては次回報告できるだろう。
posted by shigenon at 08:11| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2023年05月01日

フットローラー

土曜日に久しぶりに高校からの友達が集まった。
もう40年以上も吞んでいる。たわいもない話をしながら呑むのだが、時が止まったような感覚にはなるがそれぞれのライフステージはずいぶん変わった。
呑む量もそれぞれ少なくなった。前は親の仇を取るかの如く呑んでいたのだが。歳なのだ、みんなが早く眠くなる。早々に呑みは終わって家に泊まる。翌朝6時くらいにはみんな起きていた。
みんなでモーニングを食べに行って帰宅した。

帰ると買い物に母親を連れて行かないといけない。前日も行ったのだがペットボトルの水がないと言っていた。でも確かめると10本以上残っていた。こういうことは日常茶飯事なのだ。
豆乳がない、パンがない、そういうから買うが見ると在庫がある。買うものを忘れることがあるので紙に書くが、前日に買ったのに書いているものが多数だ。
キッチンの戸棚の中を見たら愕然とする。同じものがヤマほどあるのだ。それも2010年くらいが賞味期限になっているもの。うどんスープなどは引き出しの中に溢れかえっている、GW中にすべてチェックしないといけないか。

4月だけで9回目のジム。身体の調子は悪く感じたり良く感じたりの繰り返しか。
この日も特段悪くはないのだが、ジムに着いて車から降りると両手の痺れが強いことを感じる。両手の痺れが強く感じることは久しぶりだ。筋トレの加重は強くしていないものの行く回数が多いからかけっこう肩と腕が張った状態だからだろうか。
腕のマシンを動かし始めると痺れは気にならない。やはり腕の張りからくる状態なのだろうか。
上体の筋肉は前より付いたような気がしている。そんなに無理をして筋肉を付けようとはしていない、前と同じような加重なのだが。やはりマシンの種類が変わって動かす方向が少しでも違うと使えていなかった筋肉が刺激されるのは間違いないのだろう。

このジムは土曜・日曜日は空いている。お年寄りの平日会員が多いよう。平日はいつも誰かが使っているフットローラーが空いていた。
大きな器具だ。そろばん玉のような木製の玉が回っている。以前、この同じジムの大阪に入会していた時もあった。その時もお年寄りがずっと使っていたのを覚えている。
痺れている右ふくらはぎを乗せる。かなり強い刺激なのだろう、左足も乗せるが左足は神経が生きているので刺激の強さを感じる。
右のふくらはぎはずっと押せば痛い感じがある。痺れが緩和する前まではその押せば痛い箇所が固まっているような感覚があった。筋硬結なのだろう。

長腓骨筋や前脛骨筋にも当てるが骨が邪魔をする、骨に当たらないよう工夫する。使っているとほぐれていくのが感じられる。それと同時に足の指や足裏が鍼を打ったように響く。
硬くなり穴が小さくなったゴムホースが柔らかくなり流れが良くなる。乾いた荒地に水が流れる。
これはいいかもしれない。鍼は筋肉のピンポイントを刺激して筋肉を動かすが、これは物理的に筋肉そのものへの刺激。鍼は打つ箇所が限られるがこれまで手付かずだった箇所も刺激が入る。
足の甲や足指が張ったピアノ線のようにビンビンする。好きな刺激だ。
ローラーから降りると確実に脚が変化した。ローラーの刺激で足裏の感覚も良い。それは今現在も続いている。
やはり何か刺激を入れることは必要なのだろう。それが正しい箇所で正しい刺激なのかは別にして、心地よく感じる刺激は身体にマイナスにはならないのだろう。

GWは暦通り。月水金勤務は今日だけ出勤すれば6連休だ。
28日に街に呑みに行ったが多くの人で行こうと思っていた居酒屋に入れなかった。実は些細な退職金が入金されたので美味しいものをと思ったのだが。
今日は特にその気分でもないのでどこか適当に呑んで帰ろう。
posted by shigenon at 11:17| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2023年04月28日

新しい整形外科へ

昨日こちらで新しい整形外科に行った。
3月の引っ越し前にもらった薬もちょうどなくなるタイミング。今月初めに父親を整形外科に連れて行った際に予約していた。
予約制だ。11時半の予約、MRIの画像などあればと言われたが今さら東京の病院に連絡する気もしない。そりゃあればあるでいいが、なるほどと確認程度なのだ。
父親を連れて行った時もそうだったがとても混みあっている。予約時間は目安でしかなく、けっこう待つことになる。センセイは若く愛想がいい。上から目線で言うことのないセンセイだ。
受傷した経緯を話す。当時の状況が判る資料を持ってきてくれと言われていたので入院時のリハビリ計画書、手術の簡単なメモ書きなどを持ってきていたが、それらをコピーしていた。

医者に行って治してもらうとかという気持ちはない。それは無理だろう。単に今まで飲んでいる薬を処方してもらうだけだ。アロプリノール、リリカ、牛車腎気丸。
レントゲンを撮りましょうと言われた。特に悪い状態でなく自分が解っている症状のときに医者に来てレントゲンや採血と言われると、居酒屋に来て勝手に今日のオススメを出される気持ちになる。
もう固定症状だから必要はないと思うが何らかの今の状態の記録が必要なことも確かだ。
レントゲンで腰も撮る。その意味は解らなかったが脊柱管自体の太さや背骨類の加齢による劣化状況を確認するには有効だ。腰椎の下のほうは可動しすり減りがあるが、腰を曲げた時に腰椎の上のほうはほとんど動いていないと言われた。
そうなのだろう、身体が硬くしなやかに動かさないことに慣れているからそうなっているのだろう。

かなり時間がかかった。11時に行って戻ったのは13時。
この時はまだ前回書いたように右下腿や足裏の痺れは前より強いように感じていた。
あとやることは出来上がったメガネを取りに行きジム、翌朝の粗大ごみを近くの集積場に持っていくために車に積み込み。
今月7回目のジム。このジムで特筆すべきことは「パワープレート」が設置されていること。うまく使えばリハビリに役立ちそうなのだが今はブルブルを下腿や腰に感じるよう使っているだけ。
ブルブルが身体にどう良い影響を及ぼすのか判らないから学習しないといけない。単に使っていて気持ちいいが。
この某新聞社系のジムは居心地がいい。スタッフが気持ちよく挨拶してくれる。いや、これはふつうなのだろう。前の大手ゲーム系ジムの行っていた支店のフロアのスタッフがふつうではなかったのだろう。

夜になると痺れが緩和していることに気づいた。
何でだろうと考えた時に前日と変わった要因はそれほどない。気温・気圧配置の変化。前日までは寒いし雨もあった。もう一つが牛車腎気丸。先月品切れで貰えなかったが自分でネットで購入していた。いつも飲んでいるツムラではなくもう一社の大手。ここの漢方薬は錠剤だ。
整形に行ったあと慣れ親しんだ顆粒を2回飲んでいた。どうなんだろ、成分に違いがあるのだろうか。
ともかく少し痺れが緩和したことで、悪くなる一方ではないことが解って喜ばしい。

巷はGWという喜びだ。休みが多くある今の生活ではそれほど有難みを感じない。
これまでは東京から実家に帰るというやるべきことがあったのだが今は何もない。明日は高校時代からの付き合いの5人衆が集まることになっている。
あとはジムと引っ越しの整理の続きか。
posted by shigenon at 09:52| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2023年04月26日

健全な精神でいることで健全な身体に

少し痺れが強くなっているか。
生活に不自由を感じなかったのであまり気にはしていなかったが、下腿、特に足首から先の痺れが強くなっている。今朝4時ころに目が覚め、先月までと同じような感覚で脚の痺れの感覚をチェックした。
生活自体が変わるとこれまで身体をチェックしていた行動などが変わってしまい適切な身体のチェックを行うこと自体が出来ていなかった。
ベッドに横になった状態だとほとんど痺れを感じなかったのが先月末までの状態。それが痺れを感じる。

火曜日の夜、家の中を歩いていて右足の靴下が半分脱げているのに気づいていなかった。
足裏の感覚がどうなのだろうかと注意して家の中を歩く。足裏の感覚が鈍くなっているのだろうか、すなわちそれは痺れが強くなっていることなのだが。
ただそれだけでは判断できないこともある。東京で過ごしていた家も今の家も板間。ただ同じ板間と言っても板の種類が違う。継ぎ目があるない、硬い柔らかい板といったこと。
麻痺して痺れているのだが、不思議とその感覚を敏感に感じていた。不思議なのだがこの家の板は硬く感じるのだ。だから歩いていても感覚が違うなと思っていた。それは足裏の痺れが軽い時に。そのため色んな気づきが感じられていない。

日曜日に実感として痺れが強くなった時があった。そして月曜火曜と寒い日が続いた。
その時に東京で冬になったら起きていた症状、左半身が固まって動きが悪くなる状態になった。月曜日は10℃くらい、火曜日は8℃だった。
これまではこんな温度では固まってはいなかったようにも思う。ただ言えるのは同じ気温でも田舎のほうがひんやりと感じる、底冷えというような、これは感覚なのか。
今年の冬はそんなに身体が固まることはなかったように思う。10℃弱で身体がそのように感じるのは調子がよくないからなのだろうか。
左手首の冷感も、もう1年くらいなかったのだがそれも感じるようになっている。

自分の身体のことだ、散々これまでチェックしてきた。
何で調子が良くなるのか悪くなるのか、そのために小さなことを書き記したり感じたことを書いてきた。
ただ良くなる理由は鍼の施術が多かったか。悪くなる理由は気候に依ることが多かったか。
自分が感じるイメージでは疎通が悪いという感覚。耕されていた土地が荒れて水はけが悪くなっている。
それが部分だけなら判るのだが、いろんな箇所に出てきたということは中枢神経による障害自体が強くなっているのだろう。流れの良かったゴムホースが少し詰まったようなものなのか。
身体が整っていない状態になっているのだろうか。

去年の10月くらいから良い状態になっていた。今年に入ってからはその良い状態が当たり前になっていた。実際に3月くらいからあまり身体を意識していなかった。ルーティンの行動…通勤、タバコロード、ジム、鍼でその状態はまかなえていた。
今月から変わったことは生活すべて。日々の生活で身体を動かすパターンが変わっている。
1日置きとはいえほとんど座った状態。休みはジムに行くもののこれまでのような心地良さはない。往復車を使うという面倒くささで知らず知らずの緊張感があるからか。
週3で呑みに行くがこれまでのように色んな話をして楽しく過ごすといったことはない。一人でスマホ相手に呑んでいるのだ。何よりも体を整える治療を受けていないことも大きな要因か。

健全な精神は健全な身体に宿る。その逆、健全な精神でいることで健全な身体に。
まさに自分が頚髄を損傷してからやってきたことは健全な精神でいることだった。言い換えれば(これが健全かどうかは別として)酒を呑んでゴルフをするという目標が自分の精神の健全性を維持できたし、その身体を自然と作ろうとしてきたのだ。
生活が変わり気になることが多く精神が張った状態なのも事実だ。
今一度気楽な生活になったという実感を持たないといけないのだろう。この生活が自分のルーティンになるのだから。
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shigenon
2014年クリスマスイブのプレゼントは最悪でした。 「頸髄損傷」というケガなのか病気なのか・・その症状との戦いの記録と現在の日々をアップします。 (2018年4月追加) 不全の頸髄損傷は「健常な人」に見えます。“ふつうに見える”様に努力をしています。が、反面、「もう良くなったんだ」と思われがち。 骨折とは違い、中枢神経の損傷は完全回復はしないという現実。 「健常に見える」「もっと良くなるよう努力する」「もう治っているんでしょ」の狭間で何とか毎日を過ごしています。
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