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2023年04月24日

同級生とBBQ

4月3日から新天地で新しい仕事…と書けばかっこいい。出向先から親会社に戻り本社勤務…と書けばもっとかっこいい。
実際は何かこれまでやっていたことを具体的に活かす仕事をしていない。これまでボーッと60歳までの38年間を過ごしてきたわけではない。専門的な分野ではそれなりに業界では名を売ったし評価もいただいた。自分ではスペシャリストでもありながらゼネラリストだという自負もある。正直、何でもこなしてきたのは事実だ。大きく成功を収めたのはある分野だけだが。
今は全く思いもしない部署で思いもしない業務。それもそんな忙しくしているわけでない。

この会社自体が若く、工場現場は別として営業とか企画で長く勤めて定年という人は数人だ。
どう定年後の仕事をするかという仕組み作りが出来ていない。
まあ週3勤務の嘱託社員なのだ。会社や仕事で何かを成し遂げようと思っていたことからは卒業だ。これまで十分貢献したのだからがむしゃらになる必要もないのだろう。
しかしやるべきことがそんなに無いというのも辛いものだ。
与えられた業務をこなし、残りの時間を過ごすが1日の長さを感じるようになった。
このままではいけない、バカになる。これまでならそう思って何かを変えてきた。仕事が生活の中心とは思わないが、ワークライフバランスの中で仕事はきっちりやった。
もうそう思わなくていいのだろう。その開き直りをするのにまだ時間がかかりそうだ。

土曜日は中学の同級生のBBQに誘われていた。今年初めの同窓会が縁で同級生のグループラインに入れてもらい誘ってもらっていた。
中学時代は全く目立つ生徒ではなかった。クラブ活動には参加していたがそれ以外で同級生の友達と親しく遊びに行ったということもあったのだろうか。記憶の中でクラブ活動以外の行動が抜け落ちている。
今年最初の同窓会では何人かが親しく話しかけてくれた。なんで親しく話しかけてくれるのかが不思議だった、当時なにか親しくした記憶がない人なのだが。
そういう中でBBQに参加。遅くいったので空いているテーブルに座る。
顔は判るのだが名前がでてこない。でもしばらくすると会話は盛り上がる。話していて名前を少しづつ思い出すといった状態だった。

そして小規模な2次会に誘ってもらった。酒が呑める・酒が好きということはここで役に立つ。好きだから特に断る必要がないのだ。
2次会は他にも行われていたようだが、この前の同窓会から親しく声かけてくれている同窓会の中心的な友達についていった。
田舎に戻り新たな人間関係といってもまずは同級生を頼るしかないだろう。月火水とずっと呑みに行っているが酒場で隣り合わせて仲良くなるという状況にはまだ出くわしていない。
自分も社会的動物なのだなと実感した。やはり何かを共有できる場や人を欲しているのだ。

土日は連続でジムに行った。ジムのマシンはこれまでと違うがそれぞれ前と同じように感じる加重で。
やはりマシンが変わると使う筋肉が変わることは間違いない。ちょっとした動かす角度の違いで使っていなかった筋を使っているから筋肉痛になる。
もう今月は6回行っているが、それだけで上腕二頭筋が大きくなっている。
ジムにはパワープレートが設置されている。まだ興味半分で使っている状態で効果を得られる使い方が出来ていないが、身体に何らかの変化をつけられるかもしれない。

身体の状態。
日曜日に左腕と右足首から先の痺れが強くなった。変な体制で寝転んでいたからかと思ったがなかなか治らない。少し痺れが強くなってもこんなものだと思うようになっている。そうしているうちにだんだん痺れが強くなってしまっていたことも多々ある。
ジムで念入りにストレッチ。少しは元の軽い痺れの状態に戻ったか。
前にも書いたが生活が変わり身体をチェックする場面が決まった時でない。これまでと同じベッドに寝てはいるが、明け方に目が覚めても不思議と前と同じ感覚で身体の状態を思うことがない。
どんなに痺れや痛みが強くても脳が気にしないようにする習慣、良いことなのだが悪しきこともあるか。
posted by shigenon at 10:20| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2023年04月21日

再び顔が

またやってしまった。
水曜日は家からの最寄り駅まではチャリ。バス待ちなしで家の近くの居酒屋に行くため。
水曜日なのに店はいっぱいだった。家の近くだし翌日は休みなので何かを気にする必要はない。ゆっくり呑んだ。いつもより焼酎のロックは1杯多く。
店を後にしたのは21時ころか。帰りはチャリを押していた。道を渡ったところで考えが変わった。自転車を押すには横幅を取る。田舎の道は狭い、そして街灯もなく真っ暗だ。
田舎は車社会で歩く人や自転車の人は殆どいない。早くこの車道から家への住宅街の道に入りたかった。
チャリにまたがり一気にこの道をやり過ごそう。

その時だった。またがって一漕ぎした瞬間に横に倒れた。そんな突然ではない、ゆっくりと。
メガネは吹っ飛び開いていたカバンの中身は飛び散る。
額とほほ骨に痛みが。擦りむいたようだ。カバンの中身を拾いメガネを探す。しかしいくら探しても見当たらない。メガネをかけていないからないから余計にだ。額からは血が流れ出ていた。
恥ずかしいが居酒屋に戻って店主に助けを求める。
店員の女性がおしぼりを出してくれる、血がべっとり付いた。そして店主がスマホをライトにしてメガネを探してくれた。メガネはフレームがぐにゃりと曲がり、レンズが地面に擦れて深いキズが付いていた。

デジャブ。去年の長野で倒れた時を思い出す。
たんこぶは出来ていないから頭は打ってはいないのか。倒れる瞬間は覚えているが今となっては何がどうなったのかは判らない。
倒れてしばらくうごめいていたことは記憶にある。しばらくしてその横を車が通ったことも。
呑んだら乗るな、もちろん車だけでなくチャリもなのだ。これまでは東京で安易にチャリに乗って週末を過ごす居酒屋に行っていた。それ自体もいけないことだが、乗りなれたママチャリ、明るい道、人が歩いていることによる注意力の維持などがあったから大事を起こさず済んでいたのだ。

とにかく反省しかない。自分がしたことだ。
もう二度と呑んでチャリに乗ることはないだろう。何かが1つ変われば命に関わること。またそれを経験していながら懲りていない自分なのだ。
買ったチャリ自体も安全で乗りやすいかといえばそうでない。これまではハンドルがアップになったママチャリばかり乗っていたのだ。
これはハンドルがまっすぐのタイプ。前かがみで乗る態勢になるから普通に乗っている時も少し違和感がある。普段から気を付けないといけない。
帰ってすぐに湿潤療法の絆創膏を貼る。額、頬骨、膝下も血が出ていた。
2度目だからどうケアしようか悩むことなく手際よく出来るのは良いことなのかどうか。こんなことに慣れたくはない。もう何も考えずにそのまま寝た。

起きると現実だ。何もやる気はしないのだがそういうわけにもいかない。
まずは家が商売をしていた名残りで置いてある売れ残りのスーツなどが部屋のハンガーの場所を取っている。それらの中に父親が自分用に作ったスーツもあった。
父親に聞くと置いておいてくれと言う。自分のモノだ、捨てるなら死んでからにしてくれと。その気持ちはわからないでもない、もう着る機会はないだろうが。
新品の古いスーツ、古い生地はしっかりして重厚だ。それらを古着屋に持っていく。6着で2040円の値が付いた。

チャリの防犯登録もしておかないといけない。ネットで買っても自転車屋でやってくれるようだ。
転んだこともあり自転車への執着は弱くなってはいるが。
近所に個人の自転車屋があるが、さすがにそこで買っていないので持っていけないからチェーン店に持ち込む。簡単な手続きで完了。昨日転んだ時にブレーキと変速の位置がずれたようで、それを言うと親切に直してくれた。
メガネも買わないといけない。前回はギリギリ1年の保証で半額で同じものを手にした。
自転車屋とメガネ屋はすぐ近くにあった。新しいメガネを買うときはどんなフレームにしようかとワクワク感のある買い物なのだが、必要に迫られたことなので楽しい買い物ではなかった。適当に選んだ。

ジムにも行った。負傷して筋トレ気分ではないのだが、かといって時間を持て余す。
身体を動かすことで気分転換という健全な気持ちは維持したい。この時に右手首に違和感があったのだが気にしていなかった。今日になって判ったが転倒した時に右手首を捻っていたようだ。
とりあえずはこなさないといけないことは済ました。身体に無数の擦り傷があるにも関わらず。

今日は出勤。酒が元でケガをしたにも関わらず今日もどこかに呑みに行こうと考えている。
posted by shigenon at 14:03| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2023年04月19日

生活を作る

自分の部屋・リビングの段ボールは無くなったが適当に収納しただけ。なかなか自分の部屋で過ごす気もしない。
火曜日は休日なのだが少しゆっくり起きるとあっという間に時間が過ぎていく。
日曜日にネットで注文した自転車が届いた。折り畳みの26インチ。午前中はこれを組み立てた。家の駅から帰りのバス待ちがイラつくために買った。雨予報でない日は自転車もいいかなと。
いや、家の近くの居酒屋にバス待ちなしで行くためだと言ったほうが正しい。もちろん居酒屋から家は近いから呑んでは乗らない。
午後に銀行にその自転車に乗って出かけた。26インチは小さすぎたようだ、径が小さく多く漕がなければならない。漕いでいると大腿四頭筋が張ってきた。思わぬ筋トレになるかもしれない。

月曜日の帰りは途中の大きな駅前で居酒屋探し。安くておいしい大衆居酒屋を見つけた。
その駅で呑んだときはそこからバスに乗れば家のすぐ近くのバス停まで行ける。2つの経路を使い分けている。20時30分のバスに乗ったら21時着。次の日は休みだが、家の近くまで来ると真っ暗だし歩いている人もいない。深酒も危険だ、これくらいの時間に帰るのが良いのだろう。
21時だと風呂に入って落ち着いたら22時。還暦オヤジにはちょうどよい時間だ。

母親の物忘れが酷くなっている。日に日に酷くなっているのではないか。
買い物を一緒にして買った情報を共有できたと思っても、それは共有できていない。その時に今晩のおかずとして買うが、1時間したら何を作っていいのかわからなくなっている。
そんなものなのだと思って接しないといけないのだろう。
自分の部屋の大事なものを勝手に捨てて、そんなもの捨てていないと言い張っていたのが3年くらい前。恐らくそのころから認知症は始まっていたのだろう。
もともと自分が良かれと思ったことを勝手にやることはあったようだ、昨日父親が言っていた。そしてそれを変わらずやって、忘れるようになったから大変だ。
毎日接しているから日に日に酷くなっているように思うのだろうか。

身体の状態は悪くはない。鍼にも行っていない、整体にも行っていない、セルフで何も治療行為をやっていない、ただジムの筋トレだけなのだが。
今日は家の近くで呑んで、明日はジム。午前中は手を付けていなかった服の箱を開けよう。もう着ない服は古着屋だ。
こちらの生活に馴染むというより新しく生活を作っていかないといけない。自分も老い先短いのだ。
posted by shigenon at 17:22| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2023年04月17日

引っ越しから20日

3週間を超え鍼を打たない状態は最長記録になった。
何か不調かと言われればそうでもないし、なにか好転したかといえばそれもない。この前書いたように細かな身体の変化を感じ取るルーティンが出来上がっていないこともある。
寝ている時に思ったがかつての痺れから緩和した状態が続いている。これは去年の10月くらいからの改善か。

夜中に立ち上がった時に感じていた産まれたての小鹿のような弱々しさ。
引っ越してからベッドから降りて立ち上がる位置が逆になった。左側から降りるようになったこととトイレまでが近くて壁伝いで壁を支えに歩くから感じていない。トイレのすぐ横が階段なので気を付けないと真っ逆さまに転げ落ちるから慎重だ。
今晩は夜中の右脚の強さを確認してみよう。

土日とジムで筋トレ。平日と違って少し若い世代も来ている。スタジオメニューもズンバやボクササイズ、ピラティスなど一般的に人気のメニューも集中している。
ボクササイズはやりたいなと思いながらも早い動きに対応できるだろうかと思い悩む。結局はマシン筋トレ、まだどの荷重設定にすれば良いのか悩む。
ジムにはパワープレートが2台設置されている。木曜日はお年寄りが多いので常にいっぱいだが土日は空いていることが多いようだ。つま先立ちや踵重心で立って下腿への振動を感じる。
初めて使ったが使いようでは何か身体の改善に使えそうだ。

引っ越しによる片付けも進めないといけない。
ようやく玄関に積み上げていた本を片付けた。もともと実家の本棚に詰め込んでいた本、廃棄業者が来た時にそのスチール本棚を廃棄した。そしてそこにギュウギュウに詰まっていた本は玄関に積み上げていた。引っ越しの段ボール7箱分になった。運送便が引き取りに来て古本買取り業者行き。
あとは部屋の押入れに入っている服、持って帰ったものの着ない服、長年にわたってもらったグラスやカップなどを買取り業者に持っていけばスッキリするだろう。

金曜日は駅から30分歩いて呑みに行った。
これは少しキツイのでもう無理だ。かといって駅でバスを30分待つのも辛いしタクシーで帰るのも惜しい。それで自転車を買った。
今日か明日には到着するだろう。天気を確認して家の近所で呑むときは自転車で駅まで行こうかと。
少しづつこちらの生活に馴染む準備が出来てきたか。もう20日も経ったのか。
posted by shigenon at 11:01| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2023年04月14日

平日の休日

週のうち4日休みがあるが、まだ生活がパターン化されていないので休んでいるという実感がない。それに加え自分だけのことをするだけではない。
昨日の休みもあっという間に過ぎていった。引っ越し前後で月の残り回数が溜まっていた英会話、母親の医者、本屋、ジム、買い物。
母親は認知症を遅らせるため貼り薬を処方されていたがそれを貼らないことが続いていた。貼ると皮膚が膨らんだように荒れるからだ。
水曜にいつも行く内科に行って薬を変えてもらうように、その内容もメモにして医者に渡すよう用意して一人で行った。でも結局は「貼る箇所を変えたら大丈夫」とそれでもダメなのにそう言われて帰ってきていた。

しかもまた貼らないのに薬を処方されていた。調べてみると6か月分くらいの薬が家に残っていた。
それを持って一緒に医者に行った。結局飲み薬に変えてもらう。それをメモにして医者に渡すだけにしておいたのだが。
薬の在庫がなくて今日になるという。薬が入ったら電話しますと調剤薬局で言われたが恐らく忘れるだろう。
貼るメモ帳を買ってきて自分で書いてもらって冷蔵庫に貼るようにした。いや、何でもやることは書くんだよと言って書くのだがそれ自体を忘れてしまうのだ。冷蔵庫の前だと確実だと思いたい。
実家に戻って2週間だがこの2週間でも認知症が進んだように感じて仕方ない。

昨日は村上春樹の新作の発売日だった。
ファンとしては発売日に買いたいので本屋へ。本屋の並びには古本や中古衣類や中古家電を買い取って販売する店もある。家の箱を開けていない服、何年もハンガーに掛かった服、本棚を処分した時の文庫本数百冊も早いうちに持っていかないと片付かない。これらが寝室と玄関横に積みあがっている。
ジムは体験から初めて。東京で行っていたジムよりはかなり大きい。人も多いがやはり平日の昼過ぎ、自分が一番若いくらいだった。
マシンの種類はこれまでと違うので体験の翌日はかなり筋肉が張った。今日も筋肉痛、今まで刺激が入らなかった筋が刺激されるのは良いことだろう。

買い物も母親に任せられなくなっている。
これまでは姉にスーパーに連れて行ってもらっていたが、買いすぎて賞味期限が切れる。その時は必要だと思って買うのだろうが買ったことを忘れるのだ。第一に賞味期限を見ていない。
食べ残したものなども冷蔵庫に入れるがそれも忘れる。たまに姉は冷蔵庫の中を見て捨てていたようだが、これからは自分が注意しないといけない。そのためには思い付きでなく計画的なメニューなのだろうか。本当はその日の気分で食べるものというのが家庭での食事の醍醐味だがそうは言ってられない。
食の安全もあれば無駄も省かないと。ご飯でさえどんどん炊いていつのかわからないご飯が冷凍されていたのだから。

身体の状態。
これまでのように朝の地下鉄通路での歩きの状態、しばらく座ってオフィスからタバコロードを歩く状態とか評価できる基準が無くなった。新しく自分の体の状態をチェックできるルーティンを作るまでに至っていない。そもそも歩く量が半分から3分の1になっている。
昨日のジムで感じたのはストレッチポールを当てると痛かった右の腸腰筋の痛みが無くなっていた。右脚の押せば痛い箇所があるのは変わらない。
今日は金曜日、家の近くの居酒屋に行くつもりだがバスは40分待ち。駅から30分歩いてみようかと思っている。
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2023年04月12日

時間間隔

出勤日は外で呑んで帰ることにしている。
月曜日はリーズナブルに呑めるところがどこかにないかと。これまでとは入ってくる収入が違う、同じ楽しむのでも価格を気にしないと。
何軒か店をピックアップした。その店に向かうとカウンターは満席だった。しかも年配の常連さんらしき人たちでいっぱい。新参ものとしてその輪には入り辛そうだった。
そしてプラプラして目についた店へ。

やきとり1本100円からと安い店だ。ビールをたのんで飲んでいると焼き場のお姉さんが話しかけてくれる。こういう会話をしてくれる店が一人呑みには有難い。
帰りはバス。そのバスも1時間に1本しかない。20時30分、21時30分、22時45分。
家までは30分。あまり吞みすぎるとバスで寝てしまって山奥への旅になる。19時前から吞むので程よいのは20時30分のバスだろう。
安い店だが結局は4000円近くになる。なんとなく3000円くらいで済ませたいなあとか思うのだが。
でもこの考えも正しいが違う考えもある。

残された時間は短いのだ。極端な贅沢をしようとも思わないがセコくなってはいけない。
年上の呑み友が言っていた。「入ってくるものが無くなるとセコくなるぞー」と。その通りだろう。ただ何かに1000円余分に使ったところでしれている。そんなことは毎日でもないのだ。
働いてはいるが週3日勤務、しかも再雇用だとかつての4分の1にも満たない年収だ。あとは貯蓄の食いつぶしなのだが、一応90歳までは何とかなるように思っている。

昨日は父親を整形外科に連れて行った。
正月には家の周りを散歩できていた父親は立って歩けるものの外への散歩はできない。膝の痛みが強くなったという。
これまで月に1回医者に行っているが、そういう話はしていないようだ。今回は診察に同伴して医者にその旨を伝えた。2年前からレントゲンを撮っていないようでレントゲンを撮ると膝関節の隙間が狭くなっていることと筋肉がかなり減っている。

父親は最初は要介護3の認定だった。痴呆の症状、全く歩けなくなったことも含めてそう認定されたのだが、見直しでは要支援2になった。
極端な認定変更なのだが、その時は動けたし今も頭はしっかりしているからか。
介護認定の変更によりPTさんの訪問がなくなった。筋肉が落ちたのはこれが原因でもあるのだろう。
膝の痛みが筋肉でカバーできるわけではないだろうが筋肉が無いよりあるほうが良いと思うのだが。
痴呆の症状はないが何かに対してのやる気が失せているのも感じられる。これが加齢なのだろうか。

母親のモノ忘れはかなり深刻かもしれない。
書いていてもその書いたことを忘れる。目の前のことはその時の自分の気持ちで行動するようだ。
食べ物の管理はもう期待できないので自分がやるしかないだろう。食べ物を作っても残ったら冷蔵庫に入れてそれをそのまま忘れる。
あまり言い過ぎてもいけないのだが、言ってもハイハイとスルーするのでキツイ言葉でいってしまう。
これまではなかったことだが、母親も言われすぎたら怒るようになってきた。これは良くないことなのだろう、言い方・伝え方を考えないといけない。

そんな状態でスタートした新生活。
自分の部屋の荷物はまだ散らかったまま。1階の玄関には収納する場所がなく放置された靴の入った段ボール。寝室のスペースを開けるために本棚を捨てて山積みになった書籍。ブックオフに送るつもりなのだが手を付けられていない。持って帰った新品の食器などもフリマで売ろうと思っていたが段ボールのまま。
そんな状態でも食う・寝るができるから後回しになってしまっているのだろう。

今日は出勤。明日は休みだが午前中に英会話、午後からはジム。
なんだかこちらに戻って時間があるのだが時間感覚にまだ慣れない。
posted by shigenon at 10:21| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2023年04月10日

2023年4月も10日が過ぎ

金曜日は家の近くの居酒屋へ。
なんせ仕事が終わってから家までの乗り継ぎが悪い。駅でバスを30分も待てないのでタクシーで。
若い店主だった。1987年生まれと言っていた。
刺身も美味しく、何よりも酒の種類が豊富で驚いた。芋焼酎の「妻」。これは25年前に島根・松江の九州県人会会長の居酒屋でよく飲んでいた。そこの大将の一押しだった。それ以降、東京でも見かけたがとんでもない価格だったので吞んでいない。
日本酒も一四代など各地の銘酒が揃っていた。

家に入ったのだから家の事をちゃんとやらないといけないのだが、両親を車に乗せて買い物に行くくらいか。まだ自分の荷物の整理もできていないので他の事に余裕がない。
週3日勤務なのにあわただしく自分の時間が過ぎていく。
身体の事を気に掛けることもなく2週間が過ぎた。忙しければそれなりに気にせず過ごせるものだ。
歩くとか何かを動かすといった大きな筋肉を使う動きは多少の痺れや違和感があっても苦なくやれる。でも指を動かすような細かな動きが少しダメなときは何か神経の症状が良くないのだろう。
夜にのんびり超音波治療器やらEMSをやりたいのだがもう少し先になりそうだ。

会社での仕事。
全くもってこれまでのキャリアと関係ないことをやっている。総務人事グループ。笑ってしまう。
今のところはルーティンの仕事としては社内報。さっそく1本記事をまとめた。
1フロアに70数人いるのにシーンとしたオフィス。なんか居心地悪い。
まあ嘱託勤務者なのだ、言われたことをやる、それが期待される以上のアウトプットであればよいだろう。
posted by shigenon at 10:08| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2023年04月07日

月水金勤務

まだまだバタバタ過ごしている。
月水金の出勤、今日で3日め。バスで10分、JRで10分乗った後ローカル線に乗り換え。その乗り換えで30分待たなければいけない。そうなれば家から会社までは1時間を超える時間がかかってしまう。帰りも同じだ。バスを30分待たないといけない。しかもそれは家の近くまで行く最終のバス。
東京では家から会社までが15分ほどだったことが懐かしく思える。
引っ越しの荷物はまだすべて開梱できていない。とりあえず座れることと寝れる状態にはなったが。
火曜・木曜と休みなのだが色々とやることがあった。

実家に戻り変化を感じる。それは両親。
確実に悪い方向に向かっているのだ。父親は正月には家の周りを1周歩いていた。それがもうできなくなった。家の中をなんとか歩いているという状態。
母親のモノ忘れは酷くなった。3月の中旬に帰った時よりも酷い。もしかしたらこの10日ほどでも酷くなったのではないだろうか。少し前に言ったことでもすぐに忘れる。
自分の思ったことはできるのだ。料理もできる。ただ用意していたものを料理するのを忘れたり。
買い物で買ったものも忘れる。自分で仕舞いこんでしまうのだ。その仕舞ったこと自体を覚えていない。
老人性のモノ忘れってそんなものなのだろうか。

自分が戻ってきたことによるストレスも悪化させている原因なのかもしれない。
そんな気がする。これまでと少し違う生活になるからこれまでの父と二人のルーティンを壊しているのだろう。
仕事に行く月水金は帰ると20時ころになる。食事もそのまま作ってかかわらなくてもいいのだが、片付けも気になるようだ。そこで月水金の出勤日には食事はいらないとした。
口で言ってもすぐに忘れるので紙に大きく書いて冷蔵庫に貼った。

昨日、こちらのジムに体験入会。これもこれまではチャリ5分で行けたジムが車で15分かかる。商業施設が近くにあるので土日はもっと渋滞するだろう。
マシンの種類はこれまでと違う、フロントプルダウンはなかった。東京で行っていたジムよりは広いが人も多い。スタッフに聞くとデイタイム会員が多いという。ほとんどが70代とおぼしき人たちだ。若いスタイルの良い美女までは期待しないが。
一通りの筋トレを終わらした。やはりマシンが変わると使う筋肉の部分が微妙に変わるので今日は筋肉痛。11日から本会員としてスタートする。

これまでの生活から変わったから身体の事を細かく思っていない。足親指母指球の痺れは少しマシにはなってきた。それ以外の部分はそれほど気になる症状がない。
忙しくしていたらそれほど気にならない状態なのは嬉しい。
今日は金曜日。実家の近くにある居酒屋が気になっているので行ってみようと思っている。
posted by shigenon at 15:25| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2023年04月05日

怒涛の日々

引っ越しも終わり新天地で勤務をしている。その合間で。
怒涛の1週間だった。27日はもう冷蔵庫もスイッチを切っているので焼きトン屋。ホッピーで。関西には焼きトンという文化はないしホッピーも見たことない。ホッピーは大阪第三ビル地下とかでは見たが、中の焼酎量が東京の下町呑み屋に比べると少ない。最後ではないが食べておこうと。
28日は不用品回収と引っ越しのおまかせパックの梱包。梱包は9時と聞いていたがいつまでたっても来ない。時間は前日に確認していたのだ。再確認の電話にも折り返しがない。来たのは13時過ぎ。どうも手配を忘れていたよう。不用品回収業者と重なり混沌とした。
その後はいつもの最後の洋食屋。何か特別なことはない、ただルーティンで行っていた最後というだけ。
常連さんも含めて一旦サヨナラ。また来ることはあるだろう。

29日は引っ越し。時間は不確定ということなので昼過ぎまで待った。前もって連絡ということだったのだが。来たのは13時半。
もう梱包はしてある、あとは運ぶだけ。
ただマッサージ機はパーツを取り外さないと部屋から出ない。部屋からは出たが階段で曲がれなかった。結局リクライニングさせて無事搬出。終わったのは20時過ぎ。
こうなると想定していたのでその日は居酒屋Qのママの家に泊めてもらうかもと言っていた。
引っ越しが終わって居酒屋Qへ。いつもの常連さんが待っていてくれたのには感謝。そして閉店後にマスターとママと一緒に部屋で呑みなおし。

翌日は実家へ移動だが、荷物は夜にトラックが走っている。
12時過ぎと指定したがどうだろうか。仕事でも使ったことのない早い新幹線で移動。11時半には実家に着いた。
荷物は13時半ごろから搬入。段ボールだけで70個以上、それに衣装ケース15個にタンス類やベッド。かなりの量だ。2階の2部屋をリビングと寝室と分けて使うがすぐにあふれかえった。キッチンにあったものは1階へ。勝手に母親が開けて仕舞ったので訳が分からなくなっている。
実はまだ開梱は済んでいない。もうのんびりやるしかないのだ。おまかせパックは押入れの不要物も一緒に運んできた。それらを選別して捨てながらの作業。

そんなことをゆっくりやっているとあっという間に時間は過ぎた。
4月3日が初出勤日。18年過ごした出向元から親会社へ。かつて1995年に勤務していた場所だ。ただ本社は大きなビルになり勝手が全く分からない状態。
前は車で通勤していたが今回からはバスと電車で。歩くという行為が少なくならないようにだ。そてと帰りにはどこか呑みに行きたいから。しかし通勤に1時間以上かかってしまう。バスや電車の本数が少なく時間を上手く組み合わせられない。
会社での所属は総務人事グループ。笑ってしまう。何のキャリアも活きないが仕方ない。週3日のゆるい勤務なのだ。主に社内報が当面の仕事だ。

とにかく新しい生活に慣れなくてはいけない。会社も仕事も。

今回はとりあえずは生存確認のような内容になってしまった。
体の調子は悪くないが、低周波治療器で前腓骨筋を刺激したら親指の下の母指球の辺りの痺れが強くなった。それが原因なのかどうか。まあ痺れていないと思って普通に過ごしている。あとは不調はない。
posted by shigenon at 12:45| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2023年03月27日

また1週間ぶりで〜還暦誕生日〜最後の出勤

毎日のように送別会が続いた。身体の具合はどうかというとそれに十分に耐えた動きが出来ている。
細かく言うと少し痛い箇所が出てきたりするが、数日で気にならなくなっている。
20日は洋食屋へ。21日が祭日だ、何の予定もなく休前日に部屋にいるのは寂しい。いや、引っ越しの準備とかをしなければいけないのだが。それからの逃避だ。
21日はジムに行って服やいろんな整理を軽くした。どうせやるならしっかりと整理しなければいけないのだが。それでもゴミ袋4つくらいに。部屋に引っ越し用の段ボールが届いたので邪魔で動きづらいのを言い訳に。

22日は誕生日だ。この日で還暦を迎えた。
別に予定はなかったが、2週間ほど前に1月に数十年ぶりに会った最初の会社の同期から引っ越す前にもう一度呑もうと誘いが来ていた。それがこの日になった。まあ予定なく誕生日を一人で過ごすよりは楽しい。この前会った時は女子のように3時間は喋りっぱなしだったのだ。
3人で広島焼きを食べに行き再び長い時間話をした。

23日は午後から2軒の得意先に退職の挨拶。
仲の良い得意先への挨拶は最後にしたかった。夕方行った得意先では数日前に社長交代が実施された。その元社長とはプライベートでゴルフに行く仲だ。元社長と長く話をし、他の社員と話していると「メシでもいこか」と誘われた。
新社長、元社長、次長の3人と居酒屋で3時間ほど呑んで帰る。

24日は某業界の重鎮3人との飲み会。
それまでにデスク周りとロッカーの整理。ちょうど終わった時に電話が鳴った。夕方に約束しているうちの一人、某女性部長。ヒマだろ、上野にいるから出てきて先に呑まないかと。
得意先の要望には応えないといけない。上野に着くと「餞別の品を送りたい」と言う。
そのまま革製品のショップに入り好きなのを選べという。名刺入れはもういらない、財布は去年替えたばかりだが価格を見るとどれも2万円を近い。もう甘えるしかない。2つ折りの財布を選んだ。
そしてアメ横で2杯ずつ呑んで飲み会の日本橋へ移動。4人会と名付けてコロナ前まではたまに呑んでいたのだ。
仕事を中心とはするが、それを超えて仲良くできる。これが一番自分の望むことなので嬉しい会。
次は奈良に旅行を一緒にしようという話になった。

25日はいつものルーティン。
ジム⇒鍼⇒居酒屋Q。ただいつもと違うのはこれが最後のルーティン。
ジムは全くの最後になるが鍼は6週間に1回通うつもり。やはり前脛骨筋の深い鍼がピリピリと足の指まで感じる。そして次に打つ鍼がその感じている箇所だ。
「打つところが少しポコッと穴が開いたように見える」というセンセイ。それは間違いないと確信する。
居酒屋Qは店がある限りまたいつでも行けるという気持ちだ。次に東京に来た時には泊めてくれるとも言ってくれている。

26日は向島の料理屋さんのコンペ。
雨だ。しかも寒い。朝のハーフだけで中止になった。でも戻って宴会、そしてその後は中華屋に行って送別会を開いてくれた。
前に今回のゴルフで一旦脱会し次はタイミングがあれば参加すると言っていたのだが、次も参加するのが当たり前のようになっていた。それはそれで嬉しいが。

ずっと呑み続けているので少しお腹が出たような感じだ。
でも体重は変わっていない。あとは明日が引っ越し業者による梱包、そして不用品業者による回収。
29日の午後から引越しになる。
posted by shigenon at 15:48| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ
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2014年クリスマスイブのプレゼントは最悪でした。 「頸髄損傷」というケガなのか病気なのか・・その症状との戦いの記録と現在の日々をアップします。 (2018年4月追加) 不全の頸髄損傷は「健常な人」に見えます。“ふつうに見える”様に努力をしています。が、反面、「もう良くなったんだ」と思われがち。 骨折とは違い、中枢神経の損傷は完全回復はしないという現実。 「健常に見える」「もっと良くなるよう努力する」「もう治っているんでしょ」の狭間で何とか毎日を過ごしています。
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