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陽葵は、ひなたと読みます。仏教が好きな仏教ガールです。一緒に仏教を学びましょう。
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2017年07月29日

岐阜県の火事で大きな阿弥陀如来が空に登って行かれた

南無阿弥陀仏を浄土他流の人みたいに、ただの字じゃないかなんて思ったら大変。
そういう心得違いをしている人に、
蓮如上人はそうではないぞと仰有っています。


法敬坊、蓮如上人へ申され候、

「あそばされ候御名号、焼け申し候が、六体の仏になり申し候。不思議なる事」

と申され候えば、蓮如上人、其の時仰せられ候、

「それは不思議にてもなきなり、仏の仏に御成り候は、
不思議にてもなく候。悪凡夫の弥陀をたのむ一念にて仏になるこそ不思議よ」

と仰せられ候なり。(御一代記聞書78)


法敬坊というのは蓮如上人のお弟子の一人です。

上のように蓮如上人に申し上げた。

遊ばされたと言うのは、蓮如上人がお書きになられたということ。

別に、遊んでいたわけじゃない。

蓮如上人は、たくさんの御名号をかかれた方です。

この蓮如ほどたくさん書いたものはないだろうと仰有るほど。

そして、門徒の方に与えられたんです。その中の御名号の一つが焼けてしまった。

家が火事になったんですね。

焼けた家から六体の仏様が、登って行かれた。

何という不思議なことがあるもんですねと蓮如上人にご報告した。

ところが蓮如上人は、全然不思議ではないと仰有った。

仏様が燃えて仏様になって空に登って行かれたのだから、全然不思議ではない。

これ、本当にあったことなんですよ。

岐阜県の飛騨高山でこういうことがあって、大きな阿弥陀如来が空に登って行かれたということがあって、
写真になって、新聞にも載った。

それは不思議ではないと。

不思議というのは、悪しかできない我々凡夫が、

南無阿弥陀仏を頂いて、仏様になれると言うことが不思議なんだと仰有った。

だから、南無阿弥陀仏というのは単なる字ではないんですね。

真実の宝とは、仏様そのものなんですね。仏の心なんです。

posted by 陽葵 at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 仏教
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