南無阿弥陀仏を浄土他流の人みたいに、ただの字じゃないかなんて思ったら大変。
そういう心得違いをしている人に、
蓮如上人はそうではないぞと仰有っています。
法敬坊、蓮如上人へ申され候、
「あそばされ候御名号、焼け申し候が、六体の仏になり申し候。不思議なる事」
と申され候えば、蓮如上人、其の時仰せられ候、
「それは不思議にてもなきなり、仏の仏に御成り候は、
不思議にてもなく候。悪凡夫の弥陀をたのむ一念にて仏になるこそ不思議よ」
と仰せられ候なり。(御一代記聞書78)
法敬坊というのは蓮如上人のお弟子の一人です。
上のように蓮如上人に申し上げた。
遊ばされたと言うのは、蓮如上人がお書きになられたということ。
別に、遊んでいたわけじゃない。
蓮如上人は、たくさんの御名号をかかれた方です。
この蓮如ほどたくさん書いたものはないだろうと仰有るほど。
そして、門徒の方に与えられたんです。その中の御名号の一つが焼けてしまった。
家が火事になったんですね。
焼けた家から六体の仏様が、登って行かれた。
何という不思議なことがあるもんですねと蓮如上人にご報告した。
ところが蓮如上人は、全然不思議ではないと仰有った。
仏様が燃えて仏様になって空に登って行かれたのだから、全然不思議ではない。
これ、本当にあったことなんですよ。
岐阜県の飛騨高山でこういうことがあって、大きな阿弥陀如来が空に登って行かれたということがあって、
写真になって、新聞にも載った。
それは不思議ではないと。
不思議というのは、悪しかできない我々凡夫が、
南無阿弥陀仏を頂いて、仏様になれると言うことが不思議なんだと仰有った。
だから、南無阿弥陀仏というのは単なる字ではないんですね。
真実の宝とは、仏様そのものなんですね。仏の心なんです。
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