蓮如上人のお言葉。真実の宝を教えられています。
「弥陀をたのめば南無阿弥陀仏の主になるなり。南無阿弥陀仏の主にな
るというは、信心を獲ることなり」と云々。又「当流の真実の宝という
は南無阿弥陀仏、是れ一念の信心なり」と云々。
(御一代記聞書239)
阿弥陀仏を信ずれば、南無阿弥陀仏が自分のものになると。
よく部屋に何かあったとき、これの持ち主は誰だと言うね。
主は誰だと。こういう言い方をしますね。
南無阿弥陀仏の主になるとは、南無阿弥陀仏の主人になると言うこと。
そして、南無阿弥陀仏が真実の宝であると。
世の中に、いろんな宝はあるけれど、真実の宝は南無阿弥陀仏であると。
ダイヤモンド・ルビーも宝。
だけどそういうものは、落としたり、なくなったりすることがあります。
せっかく取った金メダルと、ホテルに忘れた人もいるね。
しかも、金メダルって金メッキで、しばらくたつとはがれてくるんだって。
体操の加藤選手が、昔金メダルを8個取ったという。
テレビで全部持ってきてもらっていたが、6個にしか見えない。
2個は銅メダルでないかと思ったら、メッキのはがれたメダルだった。
金メダルもメッキがはがれる。その喜びも続かない。
子宝と言って、自分の子供が宝だという人もいる。
どんな金銀財宝も、子供に勝る宝はないといわれます。
ところが大切な子供でも、裏切られて、殺されてしまうお母さんもいる。
あるいは、子供が交通事故でなくなったりする。
永遠の宝ではないんですね。
女の子だったら、お父さん泣くよ。
また、息子が嫁をもらうと、嫁さんの方に行ってしまって、
お母さんの方を見向きもしなくなる。
子宝と思っていても、死ぬときまで一緒にはいけない。
この世の宝はみんな裏切って去っていく。
ところが、南無阿弥陀仏は一度自分のものになったら、絶対に離れない。
死ぬときでもついてくる。
だから心得ると言われる。これが仏凡一体。仏心と凡心が一つになる。
だから摂取不捨なんです。摂取して、捨てられない。
がっちり納め取って、絶対にすたられることがない。
落とす心配も、焼ける心配も、忘れる心配もない。
忘れ物の多い人でも、絶対に大丈夫。こう言うのを真実の宝と言います。
裏切らないから。
そして、間違いなく弥陀の浄土につれていって下さいますから、真実の宝です。
その御本尊は、掛やぶれと。
常に大切にして下さい。
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