これは、現代ではバイアスといわれていますが、
昔から分かっていることです。
例えば仏教では、すべての人は迷った考え方をしていると
教えられていますが、その最初にあげられるのが
ものごとがいつまでも続くと思っている、ということです。
これは妄念であり、
本当はこの世のすべては無常だと教えられています。
これを諸行無常といいます。
それを私たちは、常がある、変わらないものがある、
と思っています。
これは、現代物理学でも、この世を構成している
素粒子にさえも寿命があると
分かっていますので、間違いありません。
それにもかかわらず、自分の大切なものは壊れないし、
自分の大切な人とはずっと一緒にいられると思っています。
本当は無常なのに、常があると迷っているのです。
無常は日本人は平家物語で有名で親しまれています。
冒頭にこのようにあります。
「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり」
諸行無常の諸行とはすべてのものです。
無常は常がない。
この世の一切は必ず崩れるのだ、壊れるのだ
ということです。
ところがみな常がある、変わらないと思っています。
人間の命でいえば死なないと思っています。
「そんなこと思ってませんよ。
いつか死ぬぐらい知ってますよ」
と思うかも知れません。
では明日死ぬと思えるでしょうか?
明日は死なないだろう。
死ぬと思ったらとても平気ではいられません。
じゃあ明日になったら?
また明日は死なないと思います。
じゃあその次は?
といっても明日も死なないと思います。
数学的帰納法から言って、永遠に死なないと思っています。
しかし必ず明日死ぬという日がやってきます。
明日死なないと思っている人が
明日死んだということが100%きます。
だから実はいつまでも死なないと思っています。
「この世は無常だ。
いつか死ななねばならないと」いわれて
「分かってますよ」と言っていても、
心では全く反対の事を思っているのが私たちなのです。
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