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陽葵は、ひなたと読みます。仏教が好きな仏教ガールです。一緒に仏教を学びましょう。
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2019年09月11日

すべての人は病人?

仏教では、全ての人は病人だと教えられています。
病人といっても、肉体の病ではありません。
心の病です。

ところがこの病は自覚がありません。
すべての人がかかっているのに自覚がないのです。

しかし、その病気にかかっている兆候はあります。
その兆候が
有無同然
です。

会社で働いていると社長はお金があって偉そうに命令していて
いいなと思います。
ところが社長は社員をやとうので大変です。

日本人は東南アジアに比べるとお金がありますが、
自分たちは幸福だとは思っていません。
実際、ベトナムからの留学生に聞くと
日本人幸せそうでない
といいます。

別にお金があっても幸せにはなれないのです。

お金以外でもそうですが、何かが
あってもなくても幸せになれないのは同じだ
というのが有無同然です。

この病の病名を
無明業障の恐ろしき病
といいます。

恐ろしいのは病にかかっている
自覚がないからです。

それがどんな病かというと
後生暗い心です。

後生とは、死んだらどうなるかということです。
死は人生最大の問題です。

そしてやがて100%確実に直面します。
どうして確実な未来を心配しないのでしょうか。
それよりも年金を心配しています。

後生くらい心。どれだけ、自覚を持っているでしょうか。
言われても分からないくらい自覚ができません。

「一週間後に死ぬとなったらどうしますか」
とインタビューすると、
「お金下ろして使いまくります」
と答えます。

しかし、実際に医者から宣告されたら、
同じことをする人はありません。
死に直面したら、そんなことはできないのです。
お金を使っても何も楽しくありません。
貴重な命の時間を無駄にして後悔するだけです。

死を遠くに見ているから言えることなのです。

昔から西洋ではメメントモリと言われています。
「死を思え」ということです。
宗教学者の山折哲雄さんは、
『私が死について語るなら』という本で、
死について教育で教えるべきといっています。


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