メメント・モリは、ラテン語ですが、日本語でいうと
「死を忘れるな」ということです。
死というと生き物が死んでしまうことや、
誰か他の人が死ぬことを思い浮かべますが、
忘れてはいけないのは、
人の死でなく、
自分の死です。
忘れるなというのは、簡単に忘れているからでしょう。
人間はいかに、簡単に自分が死ぬということを忘れるということです。
現代人となると、まるっきり忘れ果てています。
死を目の当たりにすること、少なくなりました。
概念の死と現実の死は全く別物です。
昔は死がそこらじゅうに転がっていました。
飢饉や災害で膨大な死がありました。
死について考えるのは、生について考えることです。
昔の人、自分の死について考えていたからでしょう。
現代人は、その正反対の生き方をしています。
平均寿命が伸びたって、死ぬことは変わりません。
死は、自然の摂理なのに、人生の不条理のように扱います。
死を世の中から隔離しようとしているようです。
それが風潮なのでしょう。
人が死ぬのは当たり前です。
日本では、テレビ画面で死体を映すのはNGです。
死んだ瞬間にテレビに映しません。
死は、人の目から隠されます。
お茶の間に、本物の死を持ち込んではいけないということなのでしょう。
そのくせドラマでは、殺したり殺されたりが日常茶飯事です。
殺し合いをして、死体が山ほど転がっています。
すべて偽物の死です。
フェイクで、撮影が終われば笑って起き上がるとわかっているからです。
おかげで俺たちは死を忘れて生きています。
自分の死は今日か明日かもしれないのに、能天気に生きています。
だが、死から目をそむけることは、生から目をそむけることなのです。
生きてる実感も生まれません。
現代人のモラルが低下していると言われる理由はそれだと思う。
いつか必ず死ぬってことをよく考える。
引きこもりのニートだって、あらゆる人間にとって意味があります。
ビートたけしは
「メメントモリは道徳の土台なのだ」
と言っています。
死から目をそむけては、生きる意味も分かりません。
死を見つめることが、生を見つめることになるのです。
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