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陽葵は、ひなたと読みます。仏教が好きな仏教ガールです。一緒に仏教を学びましょう。
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2019年08月22日

死を知っていても自分が死ぬと思っていない証拠

50年間、自動車の運転を続け、一生のうちに死亡事故を起こす確率は、
1-(1-5237/58483021)^50=0.004468 (0.4468%)
となります。

つまり、
223.8人に1人が死亡事故を起こす
という結果になります。

若くて収入の多い人をひき殺すと、賠償金は何億円にもなります。
賠償金が払えなければ、交通刑務所に行くことになります。

禁錮の場合は労働なしです。
懲役となると労働があります。
1日4700円くらいのお金が支払われます。
そこで、懲役刑を終えると、受刑中に働いた分のお金をもらって刑務所から出ることとなります。

このようなことになったら大変なので、
0.4%の事故のために、
または人を事故死させてしまう
0.01%の事故のために、保険に入ります。

ところが、私たちが死ぬのは100%です。
0.01%の他人の死は準備するのに、
100%の自分の死は準備していません。

これが問題です。
なぜかというと他人は死ぬと思っても、自分だけは死なないと思っているからです。

「自分が死ぬことくらいは知っているけどなあ」
と思うかもしれませんが、

知っているのと、分かっているというのは、違います。
分かっているというのは思っているということです。

後1週間後に試験と知っていいても、勉強しないという人は、
その重大性が分かっていないということです。

人間はいつか死ぬ、それは知っています。
しかし何の備えもしていないということは、
自分が死ぬとは分かっていないのです。

その死の問題を解決するのが仏教です。
諸行無常ですから、いつ死ぬか分かりません。
仏教を聞くのが、死の準備なのです。

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