無明煩悩しげくして 塵数のごとく遍満す
愛憎違順することは 高峯岳山にことならず
(正像末和讃)
無明とはここでは煩悩のこと、
煩悩をあえて強められて、
無明煩悩といわれる。
繁くして、無明煩悩が沢山ある。
空気中に浮かぶ塵の数ほどある。
遍満とは一杯満ち満ちている。
愛憎違順
自分に近づいてくる人は、心がかかってかわいい人だ。
信長が秀吉を可愛がる。
ところが嫌いなやつ、イヤな奴はとことんいじめる、
そんな人間の感情を愛憎違順という。
それが同じ人でも自分に都合のいいときは誉めるが
同じ人が自分に刃向かってくるとなるとそれは憎しみにかわる。
人間の愛とは実に自分勝手でエゴ。
一番可愛いのが自分、自己愛、
本当は自分が可愛いから可愛い自分にくる者が可愛い、
自分に刃向かう者は嫌い、自己中。
ピカチューじゃない。
近頃虫がおおい、電車で携帯電話とか……
こういうの自己中といいます。
そういう自己中心てきな考え方をエゴ。自分を愛する人可愛い。
自分に刃向かう者はにくい。
かわいさ余って憎さ百倍、骨肉あいはむ、民族同士の争いも大変。
個人でも国家でもよくある、愛憎違順、
親鸞聖人にもそんなお気持ちが沢山ある。
高い峰峰、高い山、ヒマラヤ山脈のようにそういう心がある。
と懺悔されたお言葉です。
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