同じく仰せに曰く、
「悪人の真似をすべきより、信心決定の人の真似をせよ」
と仰せられ候云々。
(御一代記聞書304)
真似と聞くと大したことのないように思えるかもしれませんが、
信の人の真似をするというのは大変なことです。
信心決定した人のお気持ちは、
決定した人だけのことだと思っていては
とんでもないことです。
例えば恩徳讃。
如来大悲の恩徳は 身を粉にしても報ずべし
師主知識の恩徳も 骨を砕いても謝すべし
身を粉にしても骨を砕いても足りないご恩を歌われています。
恩が大きいということは、幸せが大きいということです。
これは信心決定した人だけに出てくる喜びではありません。
信心決定していなくても、真実を求めさせていただいている
その喜びはわいてくる。
身を粉にして骨を砕いて仏法を聞かせていただいた人でなければ、
身を粉にして骨を砕いて報いずにおれないご恩は知らされません。
信心決定の人の真似をしなさいと言われています。
苦しんでいる人がいたならば、その人のところにいって
悩みを聞いてあげたり話をすることもそれに入りますし、
話を聞いてまねて自分も話をしてみるとか。
模倣は創造の第一歩なのだから、まずはまねてみましょう。
今までやってなかった初めての領域にチャレンジして、
やってみてもらいたいと思います。
そして、うまくいかなければ何回でもやってみる。
くよくよせずにそれを取り返す。
そのようにしましょう。
100%ハッピーエンド成功間違いなしです。
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