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陽葵は、ひなたと読みます。仏教が好きな仏教ガールです。一緒に仏教を学びましょう。
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2017年10月01日

死んだら死んだとき?

夏目漱石も、死んだら死んだときだと平生はいっていましたが、
実際に死んでいくときには、
「今死んでは困る今死んでは困る」
といわずにおれなかった。

納得や合点と信心決定ということは全く違う
ということ。

 

世間のことでも、理屈と実際は如何に異なったものか。
大工4人で3ヶ月かかって建てる家
大工6人なら2ヶ月
12人なら1ヶ月
360人なら1日
31104000人なら1秒で建つ。
そんな理屈通りにはゆきません。

 

着物を着れば温かいと信じていても温かくならない。
電灯がともれば明るくなると合点していても温かくならない。
ご飯を食べれば満腹するとわかっていても腹はふくれない。

実際に着物を着る。
電灯つける。
ご飯を喉に通すという体験をしなければならない。

 

他人の子供が死んでお悔やみにいくのと、
自分の子供が死んだときと天地の相異がある。

 

動物園の虎を眺めているのと、実地にジャングルの中で
虎に出会った時は全く違います。

 

後生くらい心が苦悩の根元だと知って納得していても、
後生くらい心を解決せずに、
実際に一歩後生につっこんだときには、
後生くらい心が出てきます。

 

まことに死せんときはかねてたのみおきつる妻子も財宝も我が身には
ひとつもあいそうことあるべからず、されば死での山路の末三途の大河をば
ただひとりこそ行きなんずれ

 

蓮如上人のいわれている通りです。
頭で知った覚えた合点したということは臨終の嵐の前には
何にもならないのです。
後生くらい心を実際に阿弥陀仏に破って頂く体験をさせて頂かなければ
ならないのです。

タグ:蓮如
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