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2013年02月03日

人と違っていい、やりたいことを何でも始めよう

zeraniumのブログ より転載

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人と違っていい、やりたいことを何でも始めよう
http://8729-13.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/index.html#entry-84003787


日本人とは「日本方言を話す人」のことである

   日本人のルーツの少なくとも一つが、朝鮮半島にあることは否定できません。

   特に天皇家のルーツは、間違いなく朝鮮半島にあるでしょう。

天皇家の古い墳墓がその学術的価値にもかかわらず、未だにほとんど公開されていないのは、公開すれば皇室のルーツが明らかになってしまうからだと言われています。

まあ、そこまで踏み込んだ議論をしなくても、日本古来の文化とされるものの多くが、大陸からの渡来人がもたらしたものに起源を発することは、歴史の授業でもふつうに教えられていることです。

   ついでに言うと、人種的に「日本人」を定義するのは論外です。

   いくら念入りに遺伝子を調べても、日本人はモンゴル人とまったく変らないし、もちろん韓国人や中国人ともそれほど変りはないでしょう。

人種に注目した瞬間に、日本人というカテゴリーは存在しないことになってしまいます。そこで注目すべきなのが、言語なのです。

   第1章で述べたように、ちょっとした地理的障壁があるだけで方言は生まれます。

   日本列島の中にも、数え切れないほどの方言が存在しています。

そして島国である日本は、海によって他国と隔てられていますが、そのことは、日本列島内にある山河や小さな海峡といった障害とは比べものにならないほど大きいものです。

したがって、日本列島で話されている方言=日本語こそが、日本人を定義づけるためのもっとも明確な指標となるのです。

日本人は、まず何よりも「日本方言を話す人と定義づけられるべきなのです。

日本人とは「日本で義務教育を受けた人」のことである

   日本人を定義づけるもう一つの指標は、教育です。

   私の知人のラスベガス生まれのアメリカ人は、両親はどちらもアメリカ人ですが、幼いころから日本で育ち、日本の義務教育を受けました。

その彼女のものの考え方は、「日本人の普通の女の子」そのものです。

英語はネイティブに話しますが、「アメリカ人っぽい」と感じさせられる要素は容姿を除けばあまりありません。

   先に述べましたが、義務教育は愛国心の洗脳のために使われていると説明しました。

   まだ小さい子どもの脳に与えられる義務教育は、愛国心だけでなく、共同体の価値感を非常に効率的に刷り込むことが可能です。

それだけでなく日本の義務教育を受けた子どもは、さらに日本のマスメディアにも幼少期から接しているはずです。

ですから義務教育とメディアという、「国民」意識を育てる二つのシステムに囲まれて育っているのです。

たとえ日本国民という概念が幻想だとしても、幼い頃から一定の刷り込みを受けて育った人々は、共通の精神構造を持つようになります。

   つまり日本の義務教育を受けた人々は、一つのカテゴリーとしてほかとは区別してもいいでしょう。

日本人を意義づける第二の要素は、「日本で義務教育を受けた人」ということになります。

したがってもしも「日本人をつくっているのは誰か」と問うならば、答えは「学習指導要領など、義務教育のカリキュラムをつくっている人」となるでしょう。

つまりは文部科学省の役人です。
それと日本のマスメディアで、とくにテレビの番組編成を考えているテレビ局幹部も加わっています。

しかしながら彼らにはその意識はないでしょう。
そしてその背後には、彼らをコントロールしている大手広告代理店もいます。

   本書の冒頭で述べたように、大震災でライフラインが寸断されても、暴動はおろかスーパーの棚からパンを取ってくることさえ出来ない日本人をつくっているのも、文科省が考案したカリキュラムというわけです。

そう考えると、近年、授業中に子どもたちが教師の言うことを聞かず、勝手な行動をとる傾向を、「授業崩壊」などといって大げさに問題にして騒ぎ立てているのもうなずけます。

つまり、自分だけの意思で勝手に動かない、上の人の指示には必ず従う、周囲に迷惑をかけない・・・といった、大人しい日本人の育成にこれまでずっと成功してきた実績からすると、勝手に動き回る子どもが多数派になってしまうのは、管理する側にとっては一大事のはずです。

それはおそらく、彼らが作り上げた義務教育の根幹を揺るがす事態なはずです。

それでも「日本」にこだわりますか?

   つまり「日本人」とは、@日本方言を話す人、A日本で義務教育を受けた人、ということで、極限すればこの二つにすぎません。

これを読んでいるあなたは、高確率で「日本人」でしょう。

ではこの定義の上に立って、ほかの日本人に対してどれほど連帯感がわくでしょうか?

同じ方言を話し、同じ教育を受けているわけですから、要するに同郷の同窓の友人のようなものです。

たしかに親しみは湧くにしても、それだけのことではないでしょうか。
それをいまどき、出身地や出身校に大人になってまでこだわるのはナンセンスです。

   以上を踏まえた上で、改めて考えてみてほしいのですが、それでもあなたは「日本」あるいは「日本人」という枠組みにこだわりますか?

   海外で事故が起きると、日本のニュースでは必ず真っ先に「日本人の安否」を伝えます。

これは言外に「日本人意外の命はどうでもいい」と言っているも同然です。

私に言わせれば、差別以外の何ものでもありません。
2011年の8月にアメリカで、ハリケーン「アイリーン」が東海岸を襲い、甚大な被害をもたらしました。
ところが日本ではほとんど報道されなかった。
報道しても視聴率が取れないからでしょう。
つい数ヶ月前に大震災に見舞われた日本人であるのに、なぜ同じく自然災害に見舞われている他国の状況に目を向けなかったのでしょうか。

   国民国家に成りたての明治時代なら、「日本」にこだわることに意味はあったでしょう。

   それはナショナリズム的な意味においてです。

ですから列強国に金銀を持ち去られないように、日本国内に資本を蓄積するのは、日本人が豊かになるためには必要なことであったと思います。

また敗戦後の焼け跡から立ち上がるために、「日本人」として団結することにも意味はあったでしょう。

だからこそ吉田茂首相は、「日本は独立を取り戻した」と解釈できる「優しいウソ」をあえてついたのだとも考えられます。

   しかしとうの昔に日本は、世界でももっとも豊かな国の一つになっています。

   にもかかわらず、相変わらず、「日本」という枠の中で利害を考えているのは、あまりにも視野が狭すぎるのではないでしょうか。

ネット右翼の若者たちのように、無力感を埋め合わせるために、「愛国」という杖にすがる人々がいるのは仕方がないことでしょう。

人は誰しも、心が弱くなることがあるからです。

しかし大人になっても、こうした幼稚な遊びに夢中になっているのは、やはりまずいと思うのです。

とにかく「やりたいことをやる」覚悟

   それより何よりも、「日本」あるいは「日本人」という枠組みは、日本人のためにならないのです。

つまり日本らしく、日本人らしくあることは、結局、これまでの儒教的なものの上に築かれた心理的支配構造を受け入れることであり、自分の可能性を狭めることであることは、本書において繰り返し見てきたとおりです。

では、日本人はどう変ればいいのでしょうか? 

どうやって「日本」や「日本人」といった枠組みから飛び出せばいいのでしょうか?

   具体的な方策については後に提案したいと思いますが、まずは、「とにかくやりたいことをやれ」のひと言に尽きます。

日本の社会はあまりにも強い儒教洗脳と、よくできたパノプティコン(全体監視システム)社会であり、それがこれまで徹底的に個人の行動を縛り付けてきたと同時に、ピラミッド型の社会構造は、個人の可能性を阻害してきました。

言ってみれば、日本人はずっと手足を縛られたまま生きてきたようなものなのです。

   それでもなお、日本は世界有数の富裕国になったのですから、もしも日本人が自由に動けるようになれば、さらなる飛躍が可能になるはずなのです。
だからまずは、「とにかくやりたいことをやれ」、そう呼びかけたいのです。

「やりたいことをやれ」と言ったところで、元が大人しい日本人のこと、社会が無法状態になる心配はないでしょう。

   これまで窮屈な社会秩序を維持してきた日本人は、その分、集団で統率の利いた行動をとることができた。

明治の殖産興業にしても、戦後の「傾斜生産方式」にしても、政府が音頭をとり、各業界が強調して動くことによって成功したのです。

しかしすでに、この方法は行き詰っています。
なぜなら日本人は経済力は健在でありながら、すっかり活力を失ってしまっているではありませんか。

豊かになった日本人は、もはや奴隷のまま喜んで働くことはできません。
個人の可能性を潰され続けることにも、もう耐えられなくなっています。

  

 それならば私たちは、一人ひとりがやりたいことをやる社会に一歩を踏み出すしかないのです。


              「日本」を捨てよ 苫米地英人著 PHP新書

                          抜粋

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posted by ぷちそれいゆ at 15:32| BOOK

日本は米国から独立した国家ではなく「日本自治区」 

zeraniumのブログ より転載

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日本は米国から独立した国家ではなく「日本自治区」 A
http://8729-13.cocolog-nifty.com/blog/2012/11/index.html#entry-83934351


   では当のアメリカ自身は「愛国洗脳」に、どの程度力を注いでいるのかというと、日本よりさらに強烈です。

2011年5月2日に、パキスタンでウサマ・ビン・ラーディンが米軍に急襲され、殺害されました。

そのとき三大ネットワークをはじめ、CNN、FOXなどアメリカのメディアはこぞって、彼の死を喜ぶアメリカ市民、特に学生の姿を放映しました。

   しかし現地の大学に多くの友人がいる私が独自に得た情報では、放送で見られたような大騒ぎが、実際に現地で行なわれていた事実はほとんどありませんでした。

そもそもいくらテロの首謀者とはいえ、人が殺されたというニュースを聞いて大喜びで祝杯を上げるような連中が、そうそうたくさんいるはずがありません。

それは少し冷静になって考えればわかることです。

   つまり、放映されたあの盛り上がりは、ほとんど演出だったのです。

   おそらくごく一部での騒ぎを、さも全米で起きたことのように報道したのでしょう。

これがメディアをフル活用したアメリカの愛国洗脳の実例です。

そうやってほぼ全ての主要メディアで、「ビン・ラーディンの死を喜ぶべきだ」というメッセージを流して、徹底的に洗脳を行なっていたのです。

さかのぼって考えれば、イラク戦争の時もそうで、戦闘に参加している兵士たちを英雄視するメッセージを、アメリカのネットワークは流し続けました。これも愛国洗脳と考えるべきものです。   

しかしある程度の教育を受けた人なら、そこまでみえみえの洗脳工作には違和感を覚えるはずで、かえって反発を強めるかもしれません。

しかしアメリカの怖いところは、まともな教育を受けていない人が多いということです。
そうした層には信じがたいほどストレートに洗脳が通じてしまいます。

つまり、アメリカの放送ネットワークや映画産業は、愛国洗脳のために存在すると言っても過言ではありません。

それだけ洗脳が効果的で有効な国であり、そこに絡む利権も日本とは比べものにならないのです。

   日本人の愛国心が、実はアメリカの支配者のさじ加減でコントロールされている、他律的なものである歴史を明らかにしましたが、ここではさらに一歩進んで、私は次のような疑問を提示します。

それは、そもそも日本という国は、さらに日本国民は、本当に存在するのだろうか、ということです。

これはすでに私の著書の中で何度か指摘したことですが、戦後の日本国の出発点となったサンフランシスコ講和条約(1951年)の原文を検討する限り、日本国の独立は認められてはいません。

したがって、日本国民の存在も認められてはいない、と結論づけるしかないのです。

   いきなり何を言い出すのかと思われるでしょうが、簡単に説明します。

   連合国が日本の独立を認めたとされる講和条約の第1条(b)を見てみると、その原文はこうなっています。

   The Allied Powers recognize the full sovereignty of the Japanese people over
  Japan and its territorial waters.

   日本語訳では、「連合国は、日本国及びその領水に対する日本国民の完全な主権を承認する」となっているので、当然ながら「日本国」や「日本国民」の存在を前提にして書かれていると思うはずです。しかし原文を注意深く読んでください。

   「Japanese people 」のところで、「people」を小文字で表記してあるのがわかりますか。

   英語では、国民を表す場合には「People」と大文字で記して始まるはずですが、そうはなっていません。

この箇所の本来の意味は単なる「日本の人々」であり、「日本国」や「日本国民」の意味ではないのです。ですから日本語訳もそのように訳されるべきだったのです。

   また「完全な主権」という翻訳も曲者(くせもの)です。

   なぜなら条約の第2条以降に、日本の対外主権、つまり国としての独立性を制限する規定が幾つもあるからです。

たとえば国際紛争解決の手段として、武力を用いることを禁じた第5条(a)がそれです。

ふつうならば独立国であれば当然、認められるべき権利のはずが、実際には制約されていることを考え合わせると、「full sovereignty」の「sovereignty」(主権)とは、対外主権のことではないと解釈しなければ矛盾が生じます。

   つまりここでは、「日本の統治権は軍部でもなければ天皇でもなく、日本の人々、人民が100%持っているのだ」という意味で、「full sovereignty 」と言っているわけです。

この「sovereignty」という言葉は、アメリカでは、国ではなく各州の自治権を表す言葉としても使われているので、それに近い意味に捉えるのが妥当でしょう。

したがって、先ほどの第1条(b)を正確に和訳すると、こうなります。

   「連合国は、日本の人民による日本と、その領海の十分なる自治を認める

   いかがでしょうか。

   日本国の独立も、日本国民の主権もどこかに行ってしまいました。

これは現在も有効な国際条約ですから、私たちは日本国民ではありません。

私たちは「日本自治区」で生活する日本人なのです。

   サンフランシスコ講和条約に署名した吉田茂主席全権大使をはじめとする、日本の代表たちが、条約の本来の意味に気づいていなかったはずがありません。

会議には宮澤喜一氏など、英語の達人も随行していたのですから。

そして実際に、吉田茂首相は条約署名後のスピーチでこう語っています。

   It will restore the Japanese people to full sovereignty, equality, and freedom, and
reinstate us as a free and equal member in the community of nations.

   「これにより日本の人々が主権を十分に取り戻し、平等と平和を回復するものであり、私たちを世界の民族のコミュニティに自由で平等な一員としてふたたび参加させるものである」 

   これは明らかに、日本の人民が軍部から主権を取り戻したという趣旨です。

   条約の本来の意味をよく理解したうえでのスピーチであることは明白です。

にもかかわらず、日本国民に伝えられたのは、先ほどの「誤訳」でした。

   このようにして、連合国の占領から日本国が独立を取り戻したのだ、という「優しいウソ」を、日本人は吹き込まれたのです。


              「日本」を捨てよ 苫米地英人著 PHP新書

                        抜粋したもの


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posted by ぷちそれいゆ at 14:46| BOOK

魔女狩りを始動させた『魔女に与える鉄槌』はエロ本だった(2) 

zeraniumのブログ より転載

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魔女狩りを始動させた『魔女に与える鉄槌』はエロ本だった E
http://8729-13.cocolog-nifty.com/blog/2012/11/index.html#entry-83670623


魔女狩りは、異端審問の法廷に魔女が引きずり出されることによって始まりました。

   魔女の烙印を押された人々の中には男性もいましたが、その大多数が女性であったことがわかっています。(ラテン語で魔女を表す Maleficarum は男性にも女性にも使われる単語です) 

後には子どもにまで魔女狩りが大流行するのですが、それ以前は、そこにある魔女像を見てとることができます。
魔女とされた彼女たちのほとんどは、暮らしの慎ましい一人暮らしの老女だったのです。

そこには異教徒として咎められるような、異端思想を持っていたという事実は見当たりません。

彼女たちが魔女として訴えられた理由は、魔女という概念を作り上げる上で非常に重要なポイントです。

   彼女たちの多くは、占いや民間療法に通じた人々であったことが、断片的な記録に残っています。

   (魔女狩りが行なわれた理由の主なものでは、彼女たちは古代から伝わるヒーリングの継承者であり、ハーブといわれる薬草や鉱物、また祈りを用いて、病気を治す薬の作り方や、体や心を癒したり回復させたりすることのできるヒーラーでした。
彼女たちには霊感やサイキック能力を備えた人々が少なくなく、心を病み、生活に疲れた人々の良き相談相手でもあったのです。

彼女たちの用いる方法は、現代でいうホメオパシーと呼ばれる代替療法であり、主に薬草を用いた治療法でした。

のホメオパシーは現代では西洋医学から排斥されており、医療行為として認められてはいません。

現在のようなオール化学薬品の台頭のためには、このような代替療法の分野は潰しておく必要があったのです。


   本来、霊能力といわれるサイキック能力は遺伝によって伝えられることがわかっており、多くの場合、それを受け継ぐのは女性です。

支配者である権力者にとって一番都合の悪いのが、彼女たちのような別の世界と繋がることができて、そこから情報を得たり、現実の真相を見抜く能力を持った人々でした。

支配者が、このような彼女たちが受け継ぐ遺伝的系譜を断ち切る必要を感じていたことは、不思議なことではありません。

またサイキック能力を持つ人々の行為を抑圧するために、「占いや口寄せ、死者と交信してはならない」という一文が、旧約聖書に入れてあるのです。zeranium)

   『魔女に与える鉄槌』が、魔女狩りを流行させる装置として大きな役割を果たしたことはすでに述べました。

私はラテン語の原典と英語訳の現代版を手に入れましたが、かなり分厚い本で、原著のページ数で620あまりのページ数があったとされています。

この本は3部構成になっており、
   第1部は、「妖術に必要な三要素、悪魔、魔女、および全能の神の許可について」
   2部は、「魔女が妖術を行なう方法、及びその方法を無効にさせる方法について」
   3部は、「魔女及びすべての異端者に対する教会ならびに世俗双方の法廷での裁判について」
   というように設問形式で、魔女の定義とその裁判方法が詳細に記述されています。

   『魔女に与える鉄槌」で定義された魔女像は、ヨーロッパ全土に広がっていく魔女の雛形(ひながた)でした。

この本を書いた一人であるドミニコ会士のハインリヒ・クラマーは、手回しよく、教皇インノケンティウス8世からお墨付きの回勅を求め、それをこの本の序文に転用しました。

その一部分を紹介してみましょう。

   「近年、北ドイツとライン諸地域で、多くの男女がカトリック信仰から逸脱し、男色魔、女色魔に身をゆだね、あるいはさまざまな妖術によって作物や果実を枯らせ、また胎児や家畜を殺し、人畜に苦痛と病気を与え、夫を性的不能、妻を不妊にし、多数の人々の災厄の原因となっていることを、我々は激しい悲しみと苦しみ持って聞いている。

我らの愛する息子ら、すなわちドミニコ会士、神学の教授、ハインリッヒ・クラマーとヤーコプ・シュプレンガーとが法王書簡に従って同地方の異端審問官として派遣されている。
そこで我々は、彼らの審問が自由に、あらゆる方法をもって、なんびとをも矯正し、投獄し、処罰する権限を持つことを命じる。」

(『魔女に与える鉄槌』に収録されたインノケンティウス8世の回勅より)

   いかに堕落した教会とはいえ、当時の人々にとって法王の言葉は特別なものであり、また異端審問官にとっては、「錦の御旗」ともなる、強力な後ろ盾であったはずです。

洗脳の基本は、情報を権威づけし、あたかもそれが唯一絶対のものであるかのように見せかけることが第一歩です。

いつの時代にも、人間は権威づけによって自分を大きく見せようとするものですが、クラマーという男はむしろ、情報を操ることに長けた人物であり、かつてのナチスドイツのゲッペルス宣伝相の出現を連想させます。
そしてこれらの権威付けとともに印刷本となった『魔女に与える鉄槌』によって、人々はその実在を信じ込んでいくのです。

『魔女に与える鉄槌』は性的刺激

   今日、私たちが魔女という言葉に抱くイメージは、火にかけられて熱した大きな鍋をかき混ぜる老婆といったところでしょう。

しかし『魔女に与える鉄槌』を読む限りそうではなく、その中から受けるものは、男性を性的に誘惑する女性という強烈なイメージです。

つまり、セックスアピールの強い魅惑的な女性を連想させる記述にあふれているのです。

当時、裸婦を描いた絵画があったとしても、性的な春画の版画が出回ることはなかったはずで、版画の技術はあっても大衆化されてはいませんでした。

   そうした社会の中で、『魔女に与える鉄槌』は、読み手の性的興奮を大いに刺激したことは容易に想像できます。

私は書き手の側も十分それを意識していたと思います。

そしてそれが、この本の爆発的な普及を可能にしたと考えられます。おそらく『魔女に与える鉄槌』を購入した人は、本棚や人の目に触れるところには置かなかったと思います。

青少年の目には、あまりに刺激が強過ぎるからです。

グーテンベルク聖書は公然と飾っても、『魔女に与える鉄槌』は隠していたことでしょう。

   魔女裁判を描いた映画を見ると、魔女を演じる主人公はたいてい若くて美しい女性です。

そうでなければ作品として成り立たず、美人がはりつけにされるので、お客はお金を払って映画を見るのです。

現代に見られるこうした作用がすでにこのとき、中世の魔女裁判において生み出されていたのです。

『魔女に与える鉄槌』は、魔女裁判につきもののSM 的な刺激を読者に伝え、人々を現実の魔女狩りへと誘ったのです。たとえば次のような記述がそれです。

   「ドイツでは秘部の毛を剃ることは作法に反するこことみなされるだろうが、他の国では全身の毛が剃られる」

   実際の魔女裁判では必ずしも、美人が拷問にかけられたわけでも、はりつけにされたわけでもありません。

しかしその効果は、罪人の公開処刑とはまったく異なっていたはずです。

『魔女に与える鉄槌』によって、魅惑的な女性が悪魔と性行為を行なったというストーリーが与えられ、それによって形成されたきわめて残虐かつ甘美な、「共同の幻想」が魔女裁判を支えたのです。

   そして、「我々は現在、ほとんどの魔女を処刑し終わったので、いまや若い女性に手を伸ばしている」とドイツの異端審問官が記しているように、『魔女に与える鉄槌』が示すイメージどおりの方向へ、現実が動いていきました。

私が先に、グーテンベルク聖書が表の世界だとすれば、『魔女に与える鉄槌』は裏の世界だったと指摘した理由はこれです。

強烈な力で流行が起こされるとき、それを引き起こす力の裏表は常に一体なのです。

どちらか一方が欠けても、魔女狩りの大流行は成立しなかったはずです。

そして表はともかく、隠れた裏の世界について、批判的な検証が行なわれることはありませんでした。

どこか他人の目に触れないところに置かれた『魔女に与える鉄槌』について、内容がおかしいという議論を誰も提起しなかったのです。

   だからこそ、宗教改革のリーダーたちも、教会の腐敗を指弾することはできても、魔女裁判の愚かさを批判する力にはなり得なかったのでした。

裏の世界は多数の目に晒されることなく存在し、公然とした議論の対象にならないという点で、常に強力なのです。

魔女裁判はこのようにして、ヨーロッパ大陸に吹き荒れる嵐となって広がっていきました。

とくにドイツ、フランス、あるいはイタリアといった北西ヨーロッパで凄まじい勢いを見せました。

頻繁に行なわれる魔女裁判のために、村民がほとんどいなくなるというケースもありました。

「現代版 魔女の鉄槌」 苫米地英人著 フォレスト出版

                        抜粋したもの

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なるほど。 インターネットという情報を共有できる道具が発明された一方で、ネットのアダルト映像は、「美魔女」などと、持ち上げて年増の女性をも商品化することに成功している。

ネット業界もエロ・ビジネスでもっている。



posted by ぷちそれいゆ at 14:17| History

魔女狩りを始動させた『魔女に与える鉄槌』はエロ本だった(1) 

zeraniumのブログ より転載

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魔女狩りを始動させた『魔女に与える鉄槌』はエロ本だった E
http://8729-13.cocolog-nifty.com/blog/2012/11/index.html#entry-83670623

   1198年にインノケンティウス3世がローマ法王の位につくと、カタリ派への弾圧を決め、1209年、ついに南フランスに討伐軍を送ることを決定しました。

彼は討伐軍を組織するにあたり、ローマ市民のなかに異端に対する怒りを巧みに煽りたて、一方で討伐軍には異端者の領地と財産を与えることを約束したのです。

何と老獪(ろうかい)な政治家でしょうか。つまり軍人一人ひとりに最も精力的に異端狩りを行なわせる方法は、彼らの欲に火をつけることだと心得ていたのです。

   法王の命によって送られたこの軍隊は、アルビ十字軍と呼ばれました。

   それははじめから南フランスのカタリ派という、キリスト教徒の討伐を目的として組織された最初の十字軍でした。

そして異端討伐は、その後20年間に渡って繰り広げられたのです。

アルビ十字軍が各地で行なったのは、住民の大虐殺でした。
そこではカタリ派かそうでないかということは、もはや関係がありませんでした。

なぜなら、そもそも略奪することが目的になっていたので、殺戮に迷いの入り込む余地はなく、彼らはむしろそれを愉しんでいました。

たとえば娘を井戸に落とし、その上から次々と大きな石を投げ込むという蛮行が行なわれたのがその典型でしょう。

   いつの時代の十字軍も、その目的は領土と財産の収奪でした。
   彼らが掲げた異教徒を滅ぼすという大義名分が、いかに都合のいい理由であったかを、アルビ十字軍は雄弁に物語っています。

なぜなら、同じキリスト教徒に対しても、明らかに異端ではなかった人々に対しても、変わりなく卑劣な蛮行が行なわれたからです。

先に述べたように、「キル」と「マーダー」は違うと発言した現代の宗教指導者の話を紹介しましたが、アルビ十字軍においてはいったいどこが違うというのでしょうか。

ですから「ちょっと待て!、頭は大丈夫か?」と、私が激しく突っ込みを入れたくなったのは、このような歴史的史実を知っていたからです。

   13世紀の南フランスで行なわれた虐殺の膨大なエピソードがありますが、ここでその話に分け入ることはやめておきましょう。

そして、1229年の戦争終結までに、南フランスのあらゆる都市はすべて陥落したのです。

   戦争終結の年、カタリ派に対する異端審問が始まりました。

   しかし果たして、審問の法廷に引きずり出された人々が、本当に生き残ったカタリ派だったのか、ただの市民だったのかは今となってはわかりません。

拷問に次ぐ拷問によって、「私は神の教えに背きました」という異端の自白が強制されました。

なかには自ら無実を訴え続ける不屈の人もいましたが、そういう人は酷い拷問によって絶命しました。自白してもしなくても、とにかく死が待っていたのです。

   これが残虐な拷問と処刑が繰り返される、中世の暗黒裁判の始まりを告げる号砲であったということができます。

そしてカタリ派への異端審問をきっかけとして、異端審問制という制度が生まれることになったのです。

この制度の特徴は、「恒久的」「専門組織」「全権委任」という点です。

つまり異端審問制というのは、最初から、「すべての権限を持ち、永遠に異端を取り締まる」というものでした。

異端審問官が果たす権能は裁判官だけではなく、現代の司法制度でいえば、彼らは検察であり、警察であり、処刑吏であり、白を黒と言いくるめて人を殺すための、人類史上最大の思想警察ともいうべき存在でした。

   教皇グレゴリウス9世は、この組織が猛威を振るうための「秘薬」を、そっと注入することも忘れませんでした。

それは異端審問官の活動を支える収入源の中に、審問によって処刑される異端者の没収財産を含めたのです。

それはかつての教皇インノケンティウス3世がアルビ十字軍に用いた方法でしたが、しかし教皇グレゴリウス9世は、それが恒久的に働くように制度の中に埋め込んだのです。

              「現代版 魔女の鉄槌」 苫米地英人著 フォレスト出版

                        抜粋したもの

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posted by ぷちそれいゆ at 13:15| History
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