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2013年03月06日
神代文字が明かす消された歴史の謎
「ヒエタノアレモコロサレキ」(稗田阿禮も殺されき)
古代日本は唐に占領された ― 漢字文化に抹殺された眞實 より転載
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http://www.asyura2.com/10/bd59/msg/848.html
太古、日本の王は世界を治めた!―
神代文字が明かす消された歴史の謎
高橋 良典 (著)
http://www.amazon.co.jp/太古、日本の王は世界を治めた-―神代文字が明かす消された歴史の謎-高橋-良典/dp/4198601550
内容(「BOOK」データベースより)
世界各地に遺る岩に刻まれた文字が何と日本語で読めた。
この神代文字の解読と神話の謎解きで、日本人のルーツは、世界最古の歴史を誇るティムルンの民、カラ族であり、その王は世界を治めていた、と手ぎわよく明かす。
内容(「MARC」データベースより)
ロスチャイルド財閥が日本の神代文字に異常な関心を示しているのはなぜか。
「隠蔽された地球史」とは。世界中の碑文・幻の文字の謎を明かす鍵が日本の古代文字に。
太古日本の歴史の真実を読み解く。〈ソフトカバー〉*
目次
はじめに
ロスチャイルド財閥が日本の神代文字に異常な関心を示している!?
四国・劍山には世界の王のしるし≠ェ眠っている!?
隠蔽された地球史≠ェ今、明らかにされる!
プロローグ “太古の秘密”を解き明かす―“地球探検”の旅へ
「世界の富の半分を所有」するロスチャイルド家
情報に錬金術を行使する一族の存在
世界中の神話はお互いによく似ている
太古の祕密を解き明かす鍵は神代文字だ!
日本の神代文字で世界の未解読文字が読める 伊勢神宮の不思議な文字≠ェ語りかける
神宮文庫の謎の奉納文が読めた!
さまざまな字体があった日本固有の古代文字
奉納文はニセモノではない!
神代文字は地球探検≠フマスターキーだ
第1章 “彼ら”が今、必死で探し求めているもの―古代のスーパー・テクノロジー“ヴィマナ”
アンデスの黄金板碑文が投げかけるメッセージ
ロスチャイルドの関心と神代文字が重なった
太古日本・クル族の脅威の航空機ヴィマナ
世界各地の伝承と遺物が証明するヴィマナの実在
地球各地から月や火星に飛んだヴィマナ
輝いていた太古日本カラ文明の数々
原日本人・カラ「クル」族の保持した宇宙文明の証明
ヒトラーやF・D・ルーズベルトも追い求めていたクルの宝
第2章 “漢字の呪縛”を解き放て―今、解かれる歴史の“闇の封印”
『日本書紀』の「古き字」とは何か?
古鏡に残された神代文字銘文を読む
従来の解釈には問題≠ェありすぎる!
何が書かれているのか? ― 新しい解読の真実性
覆された「上古文字なし」の通説 ― 何が問われるべきか
漢字の呪縛から離れよ ― 復権する古代日本
心ある学者は既に古鏡銘文の見直しの必要を感じている
イヅモ文字で読めた古鏡の銘文が表わす王
古代文字文化圏との遭遇 ― 広がる日本$「界
神代文字は「甲骨文字」成立の時点までさかのぼる!
第3章 古代日本は中国に占領された―漢字文化に抹殺された真実
神代文字を抹殺した恐るべき黒い勢力≠ェある
中国の日本占領GHQ≠ヘ大宰府に置かれていた
日本解体≠目にした天武天皇の憤慨
稗田阿礼は神代文字の通訳≠セった
ヒエタノアレモコロサレキ ― 知りすぎた男の悲劇
ベールに覆われた日本人の祖先の歴史
闇の封印≠フ外にある『契丹古伝』の発見
紀元前の日本史と世界史の虚構が暴かれる!
「漢字の発明者・蒼頡(そうきつ)」の碑文がいまだに解けない漢字国・中国の謎
中国・戦国時代の斉(せい)は出雲の国の事だった!? 紀元前の中国史を書き換えた西から来た人≠ニは何か?
第4章 伝説の楽園“ティルムン”を求めて―インド“高天原”への道
シュメール伝説の楽園「ティルムン」はどこにあるのか?
インダス国家こそティルムンだった!
インダス文明のベールをはがそう
サーンチー文字が神代文字で読めた!
暗号文書=w新撰姓氏録(しんせんしょうじろく)』からの出発
日本人はデカン高原からやって来た!
実在の歴史がアナグラム≠ノよって神話化されている
暗号解読の五法則≠ナ身近になるインド
第5章 世界に雄飛した太古カラ族―インダス文明の建設者は日本人だった
幻の蓬莱山(ほうらいさん)をめぐる「宮下文書(みやしたもんじょ)」の新視点
『宮下文書』の「大原(おおはら)」はボーパールか?
「高砂の不二山(たかさごのふじさん)」の正体が判明した!
デカンの民族大移動を証明する
面足命(おもだるのみこと)≠ヘハスティナープラの大王だった
インドの天神族′ケ流の地を行く
シュメール伝説のウトナピシュティムは日本神話の天御中主(あめのみなかぬし)だった!
東冥(とうめい)→東表(とうひょう)→東大国(とうたいこく)に隠されていたティルムン=日本の証明
インダス人が日本人の祖先だった事を示す祈りの言葉「生命永遠な在れ(いのちとわなあれ)」
鍵を握るウジャインのカラ族が残した神代文字碑文
バージャ石窟にはっきりと残されていた「カラ」の銘文
今よみがえるインダス文明を担った古代日本のカラ族の歴史
インド古代史と日本古代史がついに一致した!
第6章 太古日本の王は世界を治めた―実在した!幻の東大国ティルムンの王
原日本人・カラ族の足跡を求めて
太古日本の真相を明かす『契丹古伝』の三つの秘史
古代アフリカ、アジア、アメリカ一帯を治めた神祖スサダミコ
大王スサダミコとカラ族(日本人)の「五原」(五大陸)統治
エクアドルでの縄文土器発見が意味するもの
アフリカ古代碑文にも登場するスダス=i=スサダミコ)神代文字
世界各地で確認され始めたスサダミコの足跡
世界に向かって視野を広げたとき、古代日本人の真の姿が見えてくる
紀元前の地球規模の大異変には世界大戦≠烽ゥかわっている!?
古代の核戦争≠叙述する『マハーバーラタ』
破滅的な戦争が古代世界で何度も起こった!?
『山海経(せんがいきょう)』が明かす驚異の太古世界
『淮南子(えなんじ)』に記された禹(う)の地下都市は実在した!
世界全土を統治していた夏(か)王朝の禹(う)
『東日外三郡誌(つがるそとさんぐんし)』が明かす真実の歴史 ― 夏王朝はアソベ王朝だった! 太古日本のアソベ王朝とツボケ王朝は世界王朝だった!
エピローグ 太古日本は世界に広がっていた―二十一世紀“地球統一国家”の夢
インドの「タミル」もティルムンに由来する
縄文文明の見直しが始まった! ― 豊饒な古代世界の交流
あなたの先祖はアフリカ系? ― 意外な渡来もあった太古日本の広がり
世界各地の遺跡が示す原日本人・カラ族の高度な古代文明
言語が示すイスラエルとのつながり ― 八阪氏のルーツ再び
あなたの先祖はエトルリア人? ― カラ族はローマ帝国建国にかかわった!
碑文でたどれるカラ族地球大移動≠フ足跡
太古の宇宙船「サブハ」で世界を巡行した日本の王
天神降臨(てんじんこうりん)≠ゥら始まる古代世界の驚異の歴史の実相
アッシリアと戦った太古日本のティルムン王
太古、日本の王は世界を治めた≠アとを忘れてはならない
ティルムン世界王国の再建と五原の統治
太古日本=ティルムン王の世界統治を裏づける神代文字碑文
日本発、歴史上の大発見時代が始まった!
**************************************************************************************
アトランティスにいた攻撃的な人々とムー大陸の平和的な人々の間に、核戦争がおきて
人類は滅亡した。
生き残った人々が縄文時代から、歴史をまた、やり直したってことか!
高度な文明があったとしても、ほとんどの人々が虐殺されたら、ゼロから文明を始めなくてはならない。
しかし、考え方とか、思想はどこか残っている…。
日本人は、超古代ムーの生き残りの子孫だと思う。 (´・ω・`)
古代日本は唐に占領された ― 漢字文化に抹殺された眞實 より転載
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http://www.asyura2.com/10/bd59/msg/848.html
太古、日本の王は世界を治めた!―
神代文字が明かす消された歴史の謎
高橋 良典 (著)
http://www.amazon.co.jp/太古、日本の王は世界を治めた-―神代文字が明かす消された歴史の謎-高橋-良典/dp/4198601550
内容(「BOOK」データベースより)
世界各地に遺る岩に刻まれた文字が何と日本語で読めた。
この神代文字の解読と神話の謎解きで、日本人のルーツは、世界最古の歴史を誇るティムルンの民、カラ族であり、その王は世界を治めていた、と手ぎわよく明かす。
内容(「MARC」データベースより)
ロスチャイルド財閥が日本の神代文字に異常な関心を示しているのはなぜか。
「隠蔽された地球史」とは。世界中の碑文・幻の文字の謎を明かす鍵が日本の古代文字に。
太古日本の歴史の真実を読み解く。〈ソフトカバー〉*
目次
はじめに
ロスチャイルド財閥が日本の神代文字に異常な関心を示している!?
四国・劍山には世界の王のしるし≠ェ眠っている!?
隠蔽された地球史≠ェ今、明らかにされる!
プロローグ “太古の秘密”を解き明かす―“地球探検”の旅へ
「世界の富の半分を所有」するロスチャイルド家
情報に錬金術を行使する一族の存在
世界中の神話はお互いによく似ている
太古の祕密を解き明かす鍵は神代文字だ!
日本の神代文字で世界の未解読文字が読める 伊勢神宮の不思議な文字≠ェ語りかける
神宮文庫の謎の奉納文が読めた!
さまざまな字体があった日本固有の古代文字
奉納文はニセモノではない!
神代文字は地球探検≠フマスターキーだ
第1章 “彼ら”が今、必死で探し求めているもの―古代のスーパー・テクノロジー“ヴィマナ”
アンデスの黄金板碑文が投げかけるメッセージ
ロスチャイルドの関心と神代文字が重なった
太古日本・クル族の脅威の航空機ヴィマナ
世界各地の伝承と遺物が証明するヴィマナの実在
地球各地から月や火星に飛んだヴィマナ
輝いていた太古日本カラ文明の数々
原日本人・カラ「クル」族の保持した宇宙文明の証明
ヒトラーやF・D・ルーズベルトも追い求めていたクルの宝
第2章 “漢字の呪縛”を解き放て―今、解かれる歴史の“闇の封印”
『日本書紀』の「古き字」とは何か?
古鏡に残された神代文字銘文を読む
従来の解釈には問題≠ェありすぎる!
何が書かれているのか? ― 新しい解読の真実性
覆された「上古文字なし」の通説 ― 何が問われるべきか
漢字の呪縛から離れよ ― 復権する古代日本
心ある学者は既に古鏡銘文の見直しの必要を感じている
イヅモ文字で読めた古鏡の銘文が表わす王
古代文字文化圏との遭遇 ― 広がる日本$「界
神代文字は「甲骨文字」成立の時点までさかのぼる!
第3章 古代日本は中国に占領された―漢字文化に抹殺された真実
神代文字を抹殺した恐るべき黒い勢力≠ェある
中国の日本占領GHQ≠ヘ大宰府に置かれていた
日本解体≠目にした天武天皇の憤慨
稗田阿礼は神代文字の通訳≠セった
ヒエタノアレモコロサレキ ― 知りすぎた男の悲劇
ベールに覆われた日本人の祖先の歴史
闇の封印≠フ外にある『契丹古伝』の発見
紀元前の日本史と世界史の虚構が暴かれる!
「漢字の発明者・蒼頡(そうきつ)」の碑文がいまだに解けない漢字国・中国の謎
中国・戦国時代の斉(せい)は出雲の国の事だった!? 紀元前の中国史を書き換えた西から来た人≠ニは何か?
第4章 伝説の楽園“ティルムン”を求めて―インド“高天原”への道
シュメール伝説の楽園「ティルムン」はどこにあるのか?
インダス国家こそティルムンだった!
インダス文明のベールをはがそう
サーンチー文字が神代文字で読めた!
暗号文書=w新撰姓氏録(しんせんしょうじろく)』からの出発
日本人はデカン高原からやって来た!
実在の歴史がアナグラム≠ノよって神話化されている
暗号解読の五法則≠ナ身近になるインド
第5章 世界に雄飛した太古カラ族―インダス文明の建設者は日本人だった
幻の蓬莱山(ほうらいさん)をめぐる「宮下文書(みやしたもんじょ)」の新視点
『宮下文書』の「大原(おおはら)」はボーパールか?
「高砂の不二山(たかさごのふじさん)」の正体が判明した!
デカンの民族大移動を証明する
面足命(おもだるのみこと)≠ヘハスティナープラの大王だった
インドの天神族′ケ流の地を行く
シュメール伝説のウトナピシュティムは日本神話の天御中主(あめのみなかぬし)だった!
東冥(とうめい)→東表(とうひょう)→東大国(とうたいこく)に隠されていたティルムン=日本の証明
インダス人が日本人の祖先だった事を示す祈りの言葉「生命永遠な在れ(いのちとわなあれ)」
鍵を握るウジャインのカラ族が残した神代文字碑文
バージャ石窟にはっきりと残されていた「カラ」の銘文
今よみがえるインダス文明を担った古代日本のカラ族の歴史
インド古代史と日本古代史がついに一致した!
第6章 太古日本の王は世界を治めた―実在した!幻の東大国ティルムンの王
原日本人・カラ族の足跡を求めて
太古日本の真相を明かす『契丹古伝』の三つの秘史
古代アフリカ、アジア、アメリカ一帯を治めた神祖スサダミコ
大王スサダミコとカラ族(日本人)の「五原」(五大陸)統治
エクアドルでの縄文土器発見が意味するもの
アフリカ古代碑文にも登場するスダス=i=スサダミコ)神代文字
世界各地で確認され始めたスサダミコの足跡
世界に向かって視野を広げたとき、古代日本人の真の姿が見えてくる
紀元前の地球規模の大異変には世界大戦≠烽ゥかわっている!?
古代の核戦争≠叙述する『マハーバーラタ』
破滅的な戦争が古代世界で何度も起こった!?
『山海経(せんがいきょう)』が明かす驚異の太古世界
『淮南子(えなんじ)』に記された禹(う)の地下都市は実在した!
世界全土を統治していた夏(か)王朝の禹(う)
『東日外三郡誌(つがるそとさんぐんし)』が明かす真実の歴史 ― 夏王朝はアソベ王朝だった! 太古日本のアソベ王朝とツボケ王朝は世界王朝だった!
エピローグ 太古日本は世界に広がっていた―二十一世紀“地球統一国家”の夢
インドの「タミル」もティルムンに由来する
縄文文明の見直しが始まった! ― 豊饒な古代世界の交流
あなたの先祖はアフリカ系? ― 意外な渡来もあった太古日本の広がり
世界各地の遺跡が示す原日本人・カラ族の高度な古代文明
言語が示すイスラエルとのつながり ― 八阪氏のルーツ再び
あなたの先祖はエトルリア人? ― カラ族はローマ帝国建国にかかわった!
碑文でたどれるカラ族地球大移動≠フ足跡
太古の宇宙船「サブハ」で世界を巡行した日本の王
天神降臨(てんじんこうりん)≠ゥら始まる古代世界の驚異の歴史の実相
アッシリアと戦った太古日本のティルムン王
太古、日本の王は世界を治めた≠アとを忘れてはならない
ティルムン世界王国の再建と五原の統治
太古日本=ティルムン王の世界統治を裏づける神代文字碑文
日本発、歴史上の大発見時代が始まった!
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アトランティスにいた攻撃的な人々とムー大陸の平和的な人々の間に、核戦争がおきて
人類は滅亡した。
生き残った人々が縄文時代から、歴史をまた、やり直したってことか!
高度な文明があったとしても、ほとんどの人々が虐殺されたら、ゼロから文明を始めなくてはならない。
しかし、考え方とか、思想はどこか残っている…。
日本人は、超古代ムーの生き残りの子孫だと思う。 (´・ω・`)
2013年02月25日
太古、ティルムン=日本のカラ族が、太陽系の星々を治めていた?
UFOアガルタのシャンバラ より転載
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http://ameblo.jp/yamadori0250/entry-11178850746.html
<太古、日本は天国だった!>
17世紀のイギリスの作家スウィフトが「ガリバー旅行記」に登場させた天空人ラピュタの文字は、なんと日本の平仮名である。どんないきさつでこうなったかは、分からない。
<異星人が残した宇宙文字>
紀元前の日本と世界では、基本的には、アヒルクサ文字、イヅモ文字、トヨクニ文字、北海道異体文字の四種類の神代文字が使われてきた。
・ 第二次世界大戦まで、“サンカ”と呼ばれる謎の民がスサノヲの時代からひそかに伝えてきたと言われるサンカ文字は、トヨクニ文字そのものだった。
・ 竹内文書の大部分に記録用文字として使われたトヨクニ文字は、上記(うえつふみ)の全文を記録するために使われた文字である。
・ 探検協会の調査では、これらの四種の文字の中で最も古いのが、北海道異体文字(3500年前)であり、それに続くのが、アヒルクサ文字(3250年前)、トヨクニ文字(3000年前)、イヅモ文字(2800年前)であることが分かった。
・ 紀元前の日本人がカラ族と呼ばれ、ティルムン=日本のカラ族が、太陽系の星々を治めていた時代に各地で使われていたのが、これらの文字だったのではないか。
それぞれの文字はティルムン第一王朝(シュメール・夏)と第二王朝(インダス・殷)、第三王朝(エジプト・周)、第四王朝(中国・東大国)の時代に太陽系のカラ族の間で使われていたと見られるのである。
そのティルムンが太古日本そのものだった。
「縄文日本の宇宙文字」 (神代文字でめざせ世紀の大発見!)
(高橋良典) (徳間書店)
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ティルムン王朝(シュメール)が日本の超古代文明と関係あることを知らない日本人は多い。
学校の歴史の授業では、教えられることもない。 (´・ω・`)
2013年02月18日
ニコラ・テスラが残したもの
zeraniumのブログより 転載
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http://8729-13.cocolog-nifty.com/blog/2011/08/post-5dc2.html
アインシュタインと同じくテスラは、自然エネルギーを取り込んで人類に役立てる技術を提供することに献身していました。
それによって、飢餓や世界中の苦しみに終止符を打とうとしたのです。
地球上のすべての社会の益となるように使われるはず、と彼が信じていた技術で人類を力づけようというのが彼の当初の意図で、地球の自然のエネルギーを利用して、地球の住民にフリーエネルギーを与えようという崇高な考えを持っていたのです。
しかしアヌンナキの子孫である闇のエリートたちの基本的な計画はそれとは違っていました。
地球に関する彼らの利用計画は常に、自分たちに都合のいい利己的な考え方が土台になっていました。
金儲けのために地球から資源を奪い、人類はその盗み出された資源を求めて消費するしかないという状況を作り出すのが、アヌンナキによる人類の支配が始まった当初から人類に向けられた計画でした。それはあなた方の歴史が記録され始める何千年も前のことです。
ニコラ・テスラが始めのころ持っていた意図は崇高な目的のためでした。
しかし残念ながら人間としての彼は、未解決の我執(自我、エゴ)を抱えていたので、闇の権力者がそれを見逃すはずはなく、彼らはそれを利用することでテスラを自分たちの利益のために取り込もうと考えたのです。
未解決の我執(欲、執着、エゴ)こそが、彼らの餌であったからです。テスラは、地球の物理的エネルギーを利用することができれば、地球上の世界は永遠に変化するということを知っていました。
しかし不幸なことに、人類にフリーエネルギーをもたらすという彼の異次元的なビジョンは、既に地球の資源を所有していた企業によって却下されました。
彼らは既に、盗み出したエネルギーをあなた方に売っていたからです。
彼らはテスラに対する激しい反対運動を展開したために、彼のアイディアに対する冷笑と不信感はどうにもできないほど大きなものになり、全人類がフリーエネルギーを使えるようにするという彼の主張は、科学界のジョークにされたのです。
その後、落胆したテスラのもとに、闇のエリートに属する見張り役である軍隊のリーダーがやって来ました。彼らは多額の経済的支援や、彼らにしか提供できない機械の使用を許すことで、テスラの研究の成果を独占しようと考えたのです。
それと同時に、テスラに大きな注目が集まっていたので、彼を公的な場から遠ざけることで、闇の(米国)政府の計画の妨げとなるのを防ぐという謀略の一部でした。
彼には管理された実験環境が与えられ、そこでは自由に、アメリカの軍隊とそれに「協力的な」私企業のために、革新的な動力装置などを設計し、開発することができたのです。
このようにして、彼の精力は注がれる方向が変わり、彼が本来持っていた意図は妨害されたのです。
つまりは闇の権力者に、人類に自由をもたらすこのような技術を与えるつもりなどないからです。
そしてニコラ・テスラは自分の名誉と欲に屈し、その知識を(米国)軍隊の闇の力に差し出したのでした。
彼が若い頃に持っていた、全人類にフリーエネルギーを与えて、直線状の時間から人類を解放するというビジョンは、やがて、かつてアトランティスが持っていた「人間を支配するための装置」の設計をすることに、再び取って代えられたのです。
それは彼が再び向き合うために、カルマの選択として過去世から持ってきた記憶でした。
彼はこの時期、何千機という飛行機を墜落させたり、敵の大部隊をその場でまとめて殺したりできる、非常に強力な「殺人光線」を完成させたと報告しています。
彼が言っているのはつまり、アトランティス大陸を海底に沈め、地球の中核まで震撼させ、オーラを大気圏の外側の層まで揺るがした、まさにその技術のことだったのです。
テスラは20世紀の始めに、「殺人光線」装置を作動させました。
そしてそれを使ったシベリア奥地で起きた爆発はその規模があまりに大きく、あまりに破壊的で、原子爆弾の爆発ですらその衝撃の大きさにはかないませんでした。
この歴史的事件は、隕石の墜落であるとか、彗星が地球に衝突したなどと説明されていますが、ツングースカの原野に残された破壊の跡は、実はテスラによる狂気の発明の結果だったのです。
ニコラ・テスラとしてこの世に転生した魂は、再び、愛よりも権力を選びました。
すべての者が心を一つにした状態よりも、自分の自我を選んだのです。
そしてこの選択が、地球の運命を永遠に変えてしまいました。
アトランティスでそうであったように、この強大なパワーの知識は、この惑星に生きるあらゆる存在のあり方を決定することになりました。
それどころか、惑星そのもののあり方まで決定づけることになったのです。
HAARPとその真の目的に関する私たちの分析の裏づけとして、テスラが晩年、「いつの日か、エネルギーは別の惑星に送られる」、と予言したと言われていることを思い出してください。
彼のこの発言は、彼が作った「共振波動起爆装置」を使ってニビル星を地球のそばに引き寄せるという、アヌンナキの計画について直接言及してはいませんが、彼の無意識下の記憶が言わせた言葉に他なりません。
それはまさにかつてアトランティスに生きた、「殺人光線」の設計者であるテスラに代わり、HAARPの新たな技術者たちがアラスカの原野から今も試みていることなのです。
もしかすると、彼は三度(みたび)そこに、ハルマゲドンを待つ汚れた雪の上に、生きているのかもしれません。
「地球大変動の危機を救うアセンションの光」 シリウスの超叡智A
パトリシア・コーリ著 徳間書店
抜粋したもの
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1908年のシベリア、ツングースカの大爆発は隕石が落ちたのではなく、
ニコラ・テスラの殺人兵器の実験だった!
先日のロシアでの隕石の落下もたぶん、米軍の攻撃だったのだろう。
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http://8729-13.cocolog-nifty.com/blog/2011/08/post-5dc2.html
アインシュタインと同じくテスラは、自然エネルギーを取り込んで人類に役立てる技術を提供することに献身していました。
それによって、飢餓や世界中の苦しみに終止符を打とうとしたのです。
地球上のすべての社会の益となるように使われるはず、と彼が信じていた技術で人類を力づけようというのが彼の当初の意図で、地球の自然のエネルギーを利用して、地球の住民にフリーエネルギーを与えようという崇高な考えを持っていたのです。
しかしアヌンナキの子孫である闇のエリートたちの基本的な計画はそれとは違っていました。
地球に関する彼らの利用計画は常に、自分たちに都合のいい利己的な考え方が土台になっていました。
金儲けのために地球から資源を奪い、人類はその盗み出された資源を求めて消費するしかないという状況を作り出すのが、アヌンナキによる人類の支配が始まった当初から人類に向けられた計画でした。それはあなた方の歴史が記録され始める何千年も前のことです。
ニコラ・テスラが始めのころ持っていた意図は崇高な目的のためでした。
しかし残念ながら人間としての彼は、未解決の我執(自我、エゴ)を抱えていたので、闇の権力者がそれを見逃すはずはなく、彼らはそれを利用することでテスラを自分たちの利益のために取り込もうと考えたのです。
未解決の我執(欲、執着、エゴ)こそが、彼らの餌であったからです。テスラは、地球の物理的エネルギーを利用することができれば、地球上の世界は永遠に変化するということを知っていました。
しかし不幸なことに、人類にフリーエネルギーをもたらすという彼の異次元的なビジョンは、既に地球の資源を所有していた企業によって却下されました。
彼らは既に、盗み出したエネルギーをあなた方に売っていたからです。
彼らはテスラに対する激しい反対運動を展開したために、彼のアイディアに対する冷笑と不信感はどうにもできないほど大きなものになり、全人類がフリーエネルギーを使えるようにするという彼の主張は、科学界のジョークにされたのです。
その後、落胆したテスラのもとに、闇のエリートに属する見張り役である軍隊のリーダーがやって来ました。彼らは多額の経済的支援や、彼らにしか提供できない機械の使用を許すことで、テスラの研究の成果を独占しようと考えたのです。
それと同時に、テスラに大きな注目が集まっていたので、彼を公的な場から遠ざけることで、闇の(米国)政府の計画の妨げとなるのを防ぐという謀略の一部でした。
彼には管理された実験環境が与えられ、そこでは自由に、アメリカの軍隊とそれに「協力的な」私企業のために、革新的な動力装置などを設計し、開発することができたのです。
このようにして、彼の精力は注がれる方向が変わり、彼が本来持っていた意図は妨害されたのです。
つまりは闇の権力者に、人類に自由をもたらすこのような技術を与えるつもりなどないからです。
そしてニコラ・テスラは自分の名誉と欲に屈し、その知識を(米国)軍隊の闇の力に差し出したのでした。
彼が若い頃に持っていた、全人類にフリーエネルギーを与えて、直線状の時間から人類を解放するというビジョンは、やがて、かつてアトランティスが持っていた「人間を支配するための装置」の設計をすることに、再び取って代えられたのです。
それは彼が再び向き合うために、カルマの選択として過去世から持ってきた記憶でした。
彼はこの時期、何千機という飛行機を墜落させたり、敵の大部隊をその場でまとめて殺したりできる、非常に強力な「殺人光線」を完成させたと報告しています。
彼が言っているのはつまり、アトランティス大陸を海底に沈め、地球の中核まで震撼させ、オーラを大気圏の外側の層まで揺るがした、まさにその技術のことだったのです。
テスラは20世紀の始めに、「殺人光線」装置を作動させました。
そしてそれを使ったシベリア奥地で起きた爆発はその規模があまりに大きく、あまりに破壊的で、原子爆弾の爆発ですらその衝撃の大きさにはかないませんでした。
この歴史的事件は、隕石の墜落であるとか、彗星が地球に衝突したなどと説明されていますが、ツングースカの原野に残された破壊の跡は、実はテスラによる狂気の発明の結果だったのです。
ニコラ・テスラとしてこの世に転生した魂は、再び、愛よりも権力を選びました。
すべての者が心を一つにした状態よりも、自分の自我を選んだのです。
そしてこの選択が、地球の運命を永遠に変えてしまいました。
アトランティスでそうであったように、この強大なパワーの知識は、この惑星に生きるあらゆる存在のあり方を決定することになりました。
それどころか、惑星そのもののあり方まで決定づけることになったのです。
HAARPとその真の目的に関する私たちの分析の裏づけとして、テスラが晩年、「いつの日か、エネルギーは別の惑星に送られる」、と予言したと言われていることを思い出してください。
彼のこの発言は、彼が作った「共振波動起爆装置」を使ってニビル星を地球のそばに引き寄せるという、アヌンナキの計画について直接言及してはいませんが、彼の無意識下の記憶が言わせた言葉に他なりません。
それはまさにかつてアトランティスに生きた、「殺人光線」の設計者であるテスラに代わり、HAARPの新たな技術者たちがアラスカの原野から今も試みていることなのです。
もしかすると、彼は三度(みたび)そこに、ハルマゲドンを待つ汚れた雪の上に、生きているのかもしれません。
「地球大変動の危機を救うアセンションの光」 シリウスの超叡智A
パトリシア・コーリ著 徳間書店
抜粋したもの
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1908年のシベリア、ツングースカの大爆発は隕石が落ちたのではなく、
ニコラ・テスラの殺人兵器の実験だった!
先日のロシアでの隕石の落下もたぶん、米軍の攻撃だったのだろう。
2013年02月13日
アマゾンの闇
にゃんこのりうまち??な日々 より 転載
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http://nyannko-kiroku.blog.so-net.ne.jp/2013-01-25-2
本を出す度、やりきれない気持ちにさせられるのが、Amazonの対応だ。
米国生まれのこの会社には支配権力の影がつきまとうが、世界一のインターネット書店である以上、避けては通れない。それで、執筆意欲をそがれている。
わたしは12年7月に『亀井静香——最後の闘いだ。』(K&Kプレス)を上梓した。
しかし、9月に入ると、「在庫なし」の表示に切り替わった。版元の契約倉庫には、在庫が山積みになっていた。
理由は恐らく、「石原新党」の立ち上げがささやかれ始めたからだろう。
解散総選挙になれば、仕掛け人である亀井氏への注目ががぜん、高まる。
対米自立を公然と主張するわが国唯一の政治家に宗主国の大企業が意地悪をしているとみるのは、勘繰りすぎだろうか。
「そんなの、陰謀論だ」。こう言いたい読者も多いかもしれない。
このような疑念をお持ちの方には、2、3の事例を挙げておく必要がある。
『拒否できない日本』関岡英之(文春新書)は04年4月に発売されたが、05年10月の郵政民営化法案可決まで「在庫切れ」が続いた。
郵政民営化も明記した「年次改革要望書」の存在を広く知らしめた傑作である。
わたしが08年10月に出した『偽装報道を見抜け——世論を誘導するマスメディアの本質』(ナビ出版)は大抵の期間、「在庫切れ」だった。
この出版社は家族経営の零細企業で、後に廃業する。
気の毒なことだが、販売力に欠けるためかと思われた。
しかし、10年6月上梓の『亀井静香が吠える 痛快言行録』(K&Kプレス)も不可解な扱いを受ける。
発売3日後、人気論客の植草一秀氏のブログで紹介されると一時、Amazon総合で50位台に入った。
すると「一時的に在庫切れ」表示に変わったまま、1カ月以上を経る。
売り上げに最も重要な時期だ。倉庫には大量の在庫があった。
植草氏もブログでAmazonの対応に疑義を呈している。
不自然な「在庫切れ」のほか、読者レビューが載らない、ランクに表示されないなど。
こうした不可解な対応はネット上で「Amazon八部」などと称され、都市伝説として扱われている。
わたしは『偽装報道を見抜け』を出した後、「在庫なし」表示にしびれを切らし、同社に接触を試みたことがある。
同社のホームページには電話番号が記載されていない。
著者として連絡を取るにふさわしいメールアドレスも表示されていない。
唯一の連絡方法として、こちら側の電話番号を記入すると折り返し掛かってきて、メッセージを録音しておくというものがある。
同社にメリットがあると判断された場合のみ、連絡をするという仕組みだ。
試したが、掛かってこなかった。
納得がいかないので、同社の所在地を調べて乗り込む。
渋谷の外資系保険会社のビルの3階にあった。
かつて老舗の国産保険会社が所有していたノッポピルで、わが国で最初に外資に買収された保険会社の本社だった。
会社には改札のようなゲートがあって、通行証がないと入れない。
受付で用件を告げると、女性は「お約束ですか」と聞いてくる。
「いいえ」と答えると、「お約束のない面会は一切対応していません」とくる。
素朴な事情を話して「どう思うか」と尋ねても、マニュアル言葉の繰り返し。
ロボット人間を使った鎖国企業と悟った。
『亀井静香——最後の闘いだ。』はAmazonで発売直後の意地悪がなかった。
もともと流通が引き取りを少量にしたから、その必要がなかったのかもしれない。
版元の営業担当は、大手流通会社に「亀井さんは終わった人でしょう。
テレビ出てないじゃん」と言われたという。
だからこそ、わたしはせめて書籍で亀井さんのすばらしさを訴えようとしている。
「石原新党」がマスコミで取り上げられると、Amazonの「在庫なし」表示の意地悪も始まった。
著者として苦情を述べるルートがないので、出版社に接触をお願いした。
担当者がAmazonにメールを入れると、何と「e託販売サービス」を勧められた。
これは自費出版や企業の広報誌など、一般流通市場に乗らない出版物を50%の手数料を支払うことでAmazonのサイトに載せるもの。
自身の落ち度を棚に上げ、別のサービスを売り込むとは何事か。
版元の担当者は対抗策として、中古市場に新品を出した。
メッセージ欄に「アマゾンの補充が遅いため」と記した。
この皮肉を看過しているところは間抜けである。
植草氏がブログで自著に対する不可解な対応を書き込んだら翌日改善したのと同様に映る。
やり口が繊細さに欠くのである。
中古市場活用への報復だろうか、レビューが一つ消えた。
最初に掲載された5つ星の評価で、絶賛してくれている投稿文である。
この時点でレビュー数は5つ。2つは4つ星、3つが5つ星だったため、トップに平均の5つ星で表示されていたが、それが崩れた。
著者として連絡するメールアドレスがないので、ピントはずれた「問い合わせ」欄からその旨を書いて送信する。が、何の対応も取られず、2カ月以上がたった。
Amazonの不可解な対応については、告発する書籍や記事が皆無だ。
作家として自著の円滑な出版を損なう危険があることは、書かないのが賢明だからだろう。
書籍流通業界と相互に深い関わり合いを持つ新聞や雑誌がその手の記事を出さないのも自然なことである。
一方、インターネット書店は他業種と同様、寡占化の一途をたどるだろう。
ただでさえ、「Amazonに出品されていない本は世の中に存在しないのと同じ」(同社ホームページより)状況である。
著者が不満を感じ、別のネット書店だけを頼みにするというのは自殺行為だ。
誰もが、この世に正義があると信じたい。
だが、言論を交通管理する主人が悪意を持って差配しているなら、良書を物しても世の展望は暗い。
高橋清隆記者のプロフィール
反ジャーナリスト
著書:『亀井静香 最後の戦いだ。』(K&Kプレス)
『亀井静香が吠える--痛快言行録--』(K&Kプレス)
『偽装報道を見抜け!―世論を誘導するマスメディアの本質』(ナビ出版)
***********************************************************************************
勝間和代さんもアマゾンと一時、ケンカをしていた。
本のレビューを購入していない人が、わざと、誹謗中傷ばかり書き込むのはおかしいと
彼女はアマゾンに何度メールを出して、訴え、改善がなかったので、
アマゾンでの販売はやめ、楽天などほかのネット書店を使っていた。
その後、アマゾンで購入履歴のない人はレビューが書けなくなるように改善され、
今はたぶん、勝間さんの本も扱っていると思う。
ネットには自由があると思っていたが、アマゾンは、米国の利益にならない本は在庫切れで取り扱わない方針のようだ。
日本のマスコミが情報封鎖をしているのと同じように、アマゾンも情報封鎖をする取次だったんですね。
ガッカリ〜!
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http://nyannko-kiroku.blog.so-net.ne.jp/2013-01-25-2
本を出す度、やりきれない気持ちにさせられるのが、Amazonの対応だ。
米国生まれのこの会社には支配権力の影がつきまとうが、世界一のインターネット書店である以上、避けては通れない。それで、執筆意欲をそがれている。
わたしは12年7月に『亀井静香——最後の闘いだ。』(K&Kプレス)を上梓した。
しかし、9月に入ると、「在庫なし」の表示に切り替わった。版元の契約倉庫には、在庫が山積みになっていた。
理由は恐らく、「石原新党」の立ち上げがささやかれ始めたからだろう。
解散総選挙になれば、仕掛け人である亀井氏への注目ががぜん、高まる。
対米自立を公然と主張するわが国唯一の政治家に宗主国の大企業が意地悪をしているとみるのは、勘繰りすぎだろうか。
「そんなの、陰謀論だ」。こう言いたい読者も多いかもしれない。
このような疑念をお持ちの方には、2、3の事例を挙げておく必要がある。
『拒否できない日本』関岡英之(文春新書)は04年4月に発売されたが、05年10月の郵政民営化法案可決まで「在庫切れ」が続いた。
郵政民営化も明記した「年次改革要望書」の存在を広く知らしめた傑作である。
わたしが08年10月に出した『偽装報道を見抜け——世論を誘導するマスメディアの本質』(ナビ出版)は大抵の期間、「在庫切れ」だった。
この出版社は家族経営の零細企業で、後に廃業する。
気の毒なことだが、販売力に欠けるためかと思われた。
しかし、10年6月上梓の『亀井静香が吠える 痛快言行録』(K&Kプレス)も不可解な扱いを受ける。
発売3日後、人気論客の植草一秀氏のブログで紹介されると一時、Amazon総合で50位台に入った。
すると「一時的に在庫切れ」表示に変わったまま、1カ月以上を経る。
売り上げに最も重要な時期だ。倉庫には大量の在庫があった。
植草氏もブログでAmazonの対応に疑義を呈している。
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こうした不可解な対応はネット上で「Amazon八部」などと称され、都市伝説として扱われている。
わたしは『偽装報道を見抜け』を出した後、「在庫なし」表示にしびれを切らし、同社に接触を試みたことがある。
同社のホームページには電話番号が記載されていない。
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唯一の連絡方法として、こちら側の電話番号を記入すると折り返し掛かってきて、メッセージを録音しておくというものがある。
同社にメリットがあると判断された場合のみ、連絡をするという仕組みだ。
試したが、掛かってこなかった。
納得がいかないので、同社の所在地を調べて乗り込む。
渋谷の外資系保険会社のビルの3階にあった。
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会社には改札のようなゲートがあって、通行証がないと入れない。
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素朴な事情を話して「どう思うか」と尋ねても、マニュアル言葉の繰り返し。
ロボット人間を使った鎖国企業と悟った。
『亀井静香——最後の闘いだ。』はAmazonで発売直後の意地悪がなかった。
もともと流通が引き取りを少量にしたから、その必要がなかったのかもしれない。
版元の営業担当は、大手流通会社に「亀井さんは終わった人でしょう。
テレビ出てないじゃん」と言われたという。
だからこそ、わたしはせめて書籍で亀井さんのすばらしさを訴えようとしている。
「石原新党」がマスコミで取り上げられると、Amazonの「在庫なし」表示の意地悪も始まった。
著者として苦情を述べるルートがないので、出版社に接触をお願いした。
担当者がAmazonにメールを入れると、何と「e託販売サービス」を勧められた。
これは自費出版や企業の広報誌など、一般流通市場に乗らない出版物を50%の手数料を支払うことでAmazonのサイトに載せるもの。
自身の落ち度を棚に上げ、別のサービスを売り込むとは何事か。
版元の担当者は対抗策として、中古市場に新品を出した。
メッセージ欄に「アマゾンの補充が遅いため」と記した。
この皮肉を看過しているところは間抜けである。
植草氏がブログで自著に対する不可解な対応を書き込んだら翌日改善したのと同様に映る。
やり口が繊細さに欠くのである。
中古市場活用への報復だろうか、レビューが一つ消えた。
最初に掲載された5つ星の評価で、絶賛してくれている投稿文である。
この時点でレビュー数は5つ。2つは4つ星、3つが5つ星だったため、トップに平均の5つ星で表示されていたが、それが崩れた。
著者として連絡するメールアドレスがないので、ピントはずれた「問い合わせ」欄からその旨を書いて送信する。が、何の対応も取られず、2カ月以上がたった。
Amazonの不可解な対応については、告発する書籍や記事が皆無だ。
作家として自著の円滑な出版を損なう危険があることは、書かないのが賢明だからだろう。
書籍流通業界と相互に深い関わり合いを持つ新聞や雑誌がその手の記事を出さないのも自然なことである。
一方、インターネット書店は他業種と同様、寡占化の一途をたどるだろう。
ただでさえ、「Amazonに出品されていない本は世の中に存在しないのと同じ」(同社ホームページより)状況である。
著者が不満を感じ、別のネット書店だけを頼みにするというのは自殺行為だ。
誰もが、この世に正義があると信じたい。
だが、言論を交通管理する主人が悪意を持って差配しているなら、良書を物しても世の展望は暗い。
高橋清隆記者のプロフィール
反ジャーナリスト
著書:『亀井静香 最後の戦いだ。』(K&Kプレス)
『亀井静香が吠える--痛快言行録--』(K&Kプレス)
『偽装報道を見抜け!―世論を誘導するマスメディアの本質』(ナビ出版)
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勝間和代さんもアマゾンと一時、ケンカをしていた。
本のレビューを購入していない人が、わざと、誹謗中傷ばかり書き込むのはおかしいと
彼女はアマゾンに何度メールを出して、訴え、改善がなかったので、
アマゾンでの販売はやめ、楽天などほかのネット書店を使っていた。
その後、アマゾンで購入履歴のない人はレビューが書けなくなるように改善され、
今はたぶん、勝間さんの本も扱っていると思う。
ネットには自由があると思っていたが、アマゾンは、米国の利益にならない本は在庫切れで取り扱わない方針のようだ。
日本のマスコミが情報封鎖をしているのと同じように、アマゾンも情報封鎖をする取次だったんですね。
ガッカリ〜!
2013年02月08日
ウラ天皇と堀川政略 ; 明治維新の極秘計画
nueq lab より転載
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落合莞爾 「 明治維新の極秘計画 」 を読み解く
「 堀川政略 」の信憑性と発表の意図
http://nueq.exblog.jp/19958138/
落合莞爾の新著 「 明治維新の極秘計画 〜 堀川政略とウラ天皇 」 が話題になっています。
この中で、落合氏は孝明天皇暗殺を世に知らしめた鹿島昇氏の説は拙劣粗雑であると断じ、本当は孝明天皇暗殺は偽装であるばかりか、偽装工作の張本人は孝明天皇その人と尹(いん)宮(中川宮:久邇宮朝彦親王) であると主張されています。
そして孝明天皇は息子:睦仁親王と共に堀川御所に移って「 京都ウラ天皇 」 となり、その息子が堀川辰吉郎であると。
またこの本では触れられていませんが、堀川辰吉郎と云えば、中丸薫。
中丸薫自身は、「 自分は堀川辰吉郎の娘:明治天皇の孫 」と主張してるのは皆さんご存知の通りですが、果たしてこれらはどこまで真実を語っているのでしょうか?
気になるのは、情報源として紹介されている 「 さる筋 」 と 「 お方 」。
これらの人物は一体どういう筋のものなのか?
実はここにこの本の出版の意図があるようです。
つまり、落合さんは知ってか知らないでか、情報源による情報操作の息吹がこの本の中にはしっかりと忍ばされているようなのです。
なぜこの時期、孝明天皇暗殺の信憑性を覆し、明治維新のプロデューサー役を徳川慶喜から孝明天皇&尹宮に移す必要があるのか?
なぜその情報操作は必要なのか?
そして 「 さる筋 」 の奥にいる 「 その筋 」 とは?
一般に歴史の解析に於いては以下の要素・立場から学者・著者の主張が構成されます。
1) 事実 ・・・ 遺跡・遺物・地名など物的証拠
2) 史書 ・・・ 時の政権・著者に都合の良いように書かれた歴史書
3) 日記 ・・・ 個人の知り得る比較的赤裸々な記述
4) 伝聞・口伝
5) 1・2・3・4から導き出される客観的( 中立的 )推論 ( 但し 2・3・4 は客観的ではない )
6) 1・2・3・4から、及び学者・著者の先入観・思い込みから
導き出される主観的推論
しかし、5)6)の境界は曖昧であるばかりか、極論を云えば 「 客観性 」 などと云う立場は存在し得ない。と云うこともあります。
落合さんの新著は、これら6要素をすべて含んだものであるものの、1)2)が 「 さる筋 」「 お方 」 の4)によって巧妙に誘導され、6)を形成するに至った様を行間に読み取ることが出来ます。
最近はデジタル文化隆盛のためか、「 行間を読む 」、
或いは「 背景を読む 」と云う読書に於いて最も大切な行為が
おざなりにされ、皮相的な解釈が特にWEB場でまかり通ってるのは、
日本文化凋落の象徴的事象としてまことに憂慮すべき事態と云えるでしょう。
「 デジタル 」はその波形通り、「 アナログ 」的な連続性・意味性を
読み取ることがどうやら出来ないようです。
つまり豊穣な意味性から、痩せこけ皮相的な意味性への堕落です。
主張の誘導性問題とは裏腹に、この著書は非常に詳しく素晴らしもので優れた指摘もまた多くあります。
政体天皇 ( 東京表天皇 ) と 國体天皇 ( 京都ウラ天皇 ) の双文制を執った理由として、政体帝都江戸を維持しなければならないことと、國体護持のために天皇は国家シャーマンとして富獄( 富士山 )を西( 大峰山 )から拝さねばならない。
とする点は、うっかり納得してしまいそうになる素晴らしい論拠ですが、ウラ天皇( 國体天皇 )をもって欧州王室連合 = ワンワールドとの血縁関係と国際金融連合への加入を目論んだ( 受け入れた )との主張には首をかしげざるを得ないものの重要な示唆を与えてくれます。
しかし、これまで誰も語ることのなかった久邇宮( 尹宮 )と光格天皇にスポットを当てた点や、小栗上野介等による金銀レート操作や徳川埋蔵金に纏わる話などは目からウロコです。
金融面における実行役が、小栗上野介忠順と榎本武揚、渋沢栄一であるとしてその実態をおそらくは初めて詳しく紹介したのはさすがは元野村證券マン! と云った感があります。
金融・経済面に関してはまた、大鉄屋から淀屋辰五郎、紀伊国屋文左衛門に至るくだり( p.158 )も圧巻で、特に注目したのが初代紀文が偽装倒産して下北郡大畑湊に移って、弁財船ネットワークを創ったとの指摘。
「 フクシマは核兵器製造工場? 」に書いた金正日の父親 = 金策( キムチャク )= 本名:畑中里 と その兄:笹川良一 の故郷は下北半島。
弁財船ネットワークと日本船舶振興会、大畑湊と畑中、妙に符合するのは気のせいでしょうか?
そしてこの本からの別の大きな収穫の一つは、横田めぐみさんの母親:横田早紀江さんの出自に関して確信が持てたことです。
著名ブロガーの多くがその母親を梨本方子さんであるとしていますが、梨本宮家と浅からぬ縁のある僕は講演会でこれを否定、別の宮家をお伝えして来ましたがどうやら正解だったようです。
また、ワンワールド側からの情報として、「 天皇のルーツはシュメールである 」 と書かれてますが、これは鹿島昇さんが非常に詳しく論じた内容とも合致するものです。
落合さんは紀州和歌山在住。 紀伊国屋文左衛門の故郷でもあり、紀州徳川家の城下町でもあります。
幕末 〜 維新期の金融・経済に関して小栗上野介忠順と榎本武揚、渋沢栄一を描いていますが、もう一人忘れてはならない重要人物がいます。
日本初の株式会社:亀山社中の副官にして、日清戦争講和条約で清國贈収賄帝王とも云える李鴻章と下関会談を行った陸奥宗則 。
父親は紀州徳川家の勘定奉行だったが政争に敗れて切腹。
そう、紀州徳川藩経済金融トップの息子、「 脱藩浪人 」なのです。
いろは丸事件を始め、幕末 〜 日清戦争の重要ポイントに必ず顔を見せながら、これまで誰も語ることのなかった陸奥宗則。
幕末以来の不平等条約を全て対等条約に改正させ、日清講和条約では、清國から賠償金として2億テールの金塊をせしめる大功績を上げています。
(中略)
さて、問題は賠償金の2億テール = 2億円 = 2億ポンド( いずれも当時のレート )金塊の行方と運用です。
ここに紀州徳川家や 「 天皇の金塊 」、イングランド銀行の秘密などが関わってくるはずなのですが、落合さんは知らずか故意にかその根源となる陸奥宗則と落合さんの地元:紀州徳川家のことには全く触れようとしません。( 尤も維新後のことは次作で書かれるようです。)
情報操作とは、「 驚くべき事実の一端 」を開示しつつ、その裏にあるより大きな事実を隠蔽し、情報元の意図に即した方向性に世論を形成していくものです。
明治維新のプロデューサー役を徳川慶喜から孝明天皇&尹宮にすり替える問題についても、水戸光圀、或いは徳川家康に関する最も重要な南朝復帰命題の根幹に触れることなく論旨を進めています。
つまり、北朝とは何か? と云う重大な問題を知らないでいるのか、知りながら無視してるのか、、、、、しかし、鹿島昇さんの著書を読んでるならば、あえて触れない。 と云う態度をとってるとも云えます。
更に、鎌倉〜室町時代を遥かに遡る古代の南北朝について、北方騎馬民族系の北朝と、南方海洋系の南朝としていますが、この問題は単純に割り切れるものではありません。
しかし、あえて大雑把に捉えるなら、南方海洋系が北朝であり、北方満州系が南朝であると云えます。
こうした日本の古代史に対する錯綜した認識が前著「 金融ワンワールド 」以来、全編を貫いています。
偽書である古事記・日本書紀を前提にしてあたかも事実のごとく語ってる点も問題であると云えるでしょう。
(転載、終わり。)
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なるほど。 やっぱり、孝明天皇は暗殺されていなかったのか?
私もそんな気がしていた。 身代わりを殺して、社会的に抹殺しただけだと。
日本では、昔から、重要人物を殺したことにして、歴史が続く。
横田めぐみさんは梨本宮家とは別の宮家が関係しているらしい。
いずれにしろ、めぐみさんは、皇族とかかわりのある高貴な血筋であることに違いない。
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落合莞爾 「 明治維新の極秘計画 」 を読み解く
「 堀川政略 」の信憑性と発表の意図
http://nueq.exblog.jp/19958138/
落合莞爾の新著 「 明治維新の極秘計画 〜 堀川政略とウラ天皇 」 が話題になっています。
この中で、落合氏は孝明天皇暗殺を世に知らしめた鹿島昇氏の説は拙劣粗雑であると断じ、本当は孝明天皇暗殺は偽装であるばかりか、偽装工作の張本人は孝明天皇その人と尹(いん)宮(中川宮:久邇宮朝彦親王) であると主張されています。
そして孝明天皇は息子:睦仁親王と共に堀川御所に移って「 京都ウラ天皇 」 となり、その息子が堀川辰吉郎であると。
またこの本では触れられていませんが、堀川辰吉郎と云えば、中丸薫。
中丸薫自身は、「 自分は堀川辰吉郎の娘:明治天皇の孫 」と主張してるのは皆さんご存知の通りですが、果たしてこれらはどこまで真実を語っているのでしょうか?
気になるのは、情報源として紹介されている 「 さる筋 」 と 「 お方 」。
これらの人物は一体どういう筋のものなのか?
実はここにこの本の出版の意図があるようです。
つまり、落合さんは知ってか知らないでか、情報源による情報操作の息吹がこの本の中にはしっかりと忍ばされているようなのです。
なぜこの時期、孝明天皇暗殺の信憑性を覆し、明治維新のプロデューサー役を徳川慶喜から孝明天皇&尹宮に移す必要があるのか?
なぜその情報操作は必要なのか?
そして 「 さる筋 」 の奥にいる 「 その筋 」 とは?
一般に歴史の解析に於いては以下の要素・立場から学者・著者の主張が構成されます。
1) 事実 ・・・ 遺跡・遺物・地名など物的証拠
2) 史書 ・・・ 時の政権・著者に都合の良いように書かれた歴史書
3) 日記 ・・・ 個人の知り得る比較的赤裸々な記述
4) 伝聞・口伝
5) 1・2・3・4から導き出される客観的( 中立的 )推論 ( 但し 2・3・4 は客観的ではない )
6) 1・2・3・4から、及び学者・著者の先入観・思い込みから
導き出される主観的推論
しかし、5)6)の境界は曖昧であるばかりか、極論を云えば 「 客観性 」 などと云う立場は存在し得ない。と云うこともあります。
落合さんの新著は、これら6要素をすべて含んだものであるものの、1)2)が 「 さる筋 」「 お方 」 の4)によって巧妙に誘導され、6)を形成するに至った様を行間に読み取ることが出来ます。
最近はデジタル文化隆盛のためか、「 行間を読む 」、
或いは「 背景を読む 」と云う読書に於いて最も大切な行為が
おざなりにされ、皮相的な解釈が特にWEB場でまかり通ってるのは、
日本文化凋落の象徴的事象としてまことに憂慮すべき事態と云えるでしょう。
「 デジタル 」はその波形通り、「 アナログ 」的な連続性・意味性を
読み取ることがどうやら出来ないようです。
つまり豊穣な意味性から、痩せこけ皮相的な意味性への堕落です。
主張の誘導性問題とは裏腹に、この著書は非常に詳しく素晴らしもので優れた指摘もまた多くあります。
政体天皇 ( 東京表天皇 ) と 國体天皇 ( 京都ウラ天皇 ) の双文制を執った理由として、政体帝都江戸を維持しなければならないことと、國体護持のために天皇は国家シャーマンとして富獄( 富士山 )を西( 大峰山 )から拝さねばならない。
とする点は、うっかり納得してしまいそうになる素晴らしい論拠ですが、ウラ天皇( 國体天皇 )をもって欧州王室連合 = ワンワールドとの血縁関係と国際金融連合への加入を目論んだ( 受け入れた )との主張には首をかしげざるを得ないものの重要な示唆を与えてくれます。
しかし、これまで誰も語ることのなかった久邇宮( 尹宮 )と光格天皇にスポットを当てた点や、小栗上野介等による金銀レート操作や徳川埋蔵金に纏わる話などは目からウロコです。
金融面における実行役が、小栗上野介忠順と榎本武揚、渋沢栄一であるとしてその実態をおそらくは初めて詳しく紹介したのはさすがは元野村證券マン! と云った感があります。
金融・経済面に関してはまた、大鉄屋から淀屋辰五郎、紀伊国屋文左衛門に至るくだり( p.158 )も圧巻で、特に注目したのが初代紀文が偽装倒産して下北郡大畑湊に移って、弁財船ネットワークを創ったとの指摘。
「 フクシマは核兵器製造工場? 」に書いた金正日の父親 = 金策( キムチャク )= 本名:畑中里 と その兄:笹川良一 の故郷は下北半島。
弁財船ネットワークと日本船舶振興会、大畑湊と畑中、妙に符合するのは気のせいでしょうか?
そしてこの本からの別の大きな収穫の一つは、横田めぐみさんの母親:横田早紀江さんの出自に関して確信が持てたことです。
著名ブロガーの多くがその母親を梨本方子さんであるとしていますが、梨本宮家と浅からぬ縁のある僕は講演会でこれを否定、別の宮家をお伝えして来ましたがどうやら正解だったようです。
また、ワンワールド側からの情報として、「 天皇のルーツはシュメールである 」 と書かれてますが、これは鹿島昇さんが非常に詳しく論じた内容とも合致するものです。
落合さんは紀州和歌山在住。 紀伊国屋文左衛門の故郷でもあり、紀州徳川家の城下町でもあります。
幕末 〜 維新期の金融・経済に関して小栗上野介忠順と榎本武揚、渋沢栄一を描いていますが、もう一人忘れてはならない重要人物がいます。
日本初の株式会社:亀山社中の副官にして、日清戦争講和条約で清國贈収賄帝王とも云える李鴻章と下関会談を行った陸奥宗則 。
父親は紀州徳川家の勘定奉行だったが政争に敗れて切腹。
そう、紀州徳川藩経済金融トップの息子、「 脱藩浪人 」なのです。
いろは丸事件を始め、幕末 〜 日清戦争の重要ポイントに必ず顔を見せながら、これまで誰も語ることのなかった陸奥宗則。
幕末以来の不平等条約を全て対等条約に改正させ、日清講和条約では、清國から賠償金として2億テールの金塊をせしめる大功績を上げています。
(中略)
さて、問題は賠償金の2億テール = 2億円 = 2億ポンド( いずれも当時のレート )金塊の行方と運用です。
ここに紀州徳川家や 「 天皇の金塊 」、イングランド銀行の秘密などが関わってくるはずなのですが、落合さんは知らずか故意にかその根源となる陸奥宗則と落合さんの地元:紀州徳川家のことには全く触れようとしません。( 尤も維新後のことは次作で書かれるようです。)
情報操作とは、「 驚くべき事実の一端 」を開示しつつ、その裏にあるより大きな事実を隠蔽し、情報元の意図に即した方向性に世論を形成していくものです。
明治維新のプロデューサー役を徳川慶喜から孝明天皇&尹宮にすり替える問題についても、水戸光圀、或いは徳川家康に関する最も重要な南朝復帰命題の根幹に触れることなく論旨を進めています。
つまり、北朝とは何か? と云う重大な問題を知らないでいるのか、知りながら無視してるのか、、、、、しかし、鹿島昇さんの著書を読んでるならば、あえて触れない。 と云う態度をとってるとも云えます。
更に、鎌倉〜室町時代を遥かに遡る古代の南北朝について、北方騎馬民族系の北朝と、南方海洋系の南朝としていますが、この問題は単純に割り切れるものではありません。
しかし、あえて大雑把に捉えるなら、南方海洋系が北朝であり、北方満州系が南朝であると云えます。
こうした日本の古代史に対する錯綜した認識が前著「 金融ワンワールド 」以来、全編を貫いています。
偽書である古事記・日本書紀を前提にしてあたかも事実のごとく語ってる点も問題であると云えるでしょう。
(転載、終わり。)
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なるほど。 やっぱり、孝明天皇は暗殺されていなかったのか?
私もそんな気がしていた。 身代わりを殺して、社会的に抹殺しただけだと。
日本では、昔から、重要人物を殺したことにして、歴史が続く。
横田めぐみさんは梨本宮家とは別の宮家が関係しているらしい。
いずれにしろ、めぐみさんは、皇族とかかわりのある高貴な血筋であることに違いない。
2013年02月03日
人と違っていい、やりたいことを何でも始めよう
zeraniumのブログ より転載
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人と違っていい、やりたいことを何でも始めよう
http://8729-13.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/index.html#entry-84003787
日本人とは「日本方言を話す人」のことである
日本人のルーツの少なくとも一つが、朝鮮半島にあることは否定できません。
特に天皇家のルーツは、間違いなく朝鮮半島にあるでしょう。
天皇家の古い墳墓がその学術的価値にもかかわらず、未だにほとんど公開されていないのは、公開すれば皇室のルーツが明らかになってしまうからだと言われています。
まあ、そこまで踏み込んだ議論をしなくても、日本古来の文化とされるものの多くが、大陸からの渡来人がもたらしたものに起源を発することは、歴史の授業でもふつうに教えられていることです。
ついでに言うと、人種的に「日本人」を定義するのは論外です。
いくら念入りに遺伝子を調べても、日本人はモンゴル人とまったく変らないし、もちろん韓国人や中国人ともそれほど変りはないでしょう。
人種に注目した瞬間に、日本人というカテゴリーは存在しないことになってしまいます。そこで注目すべきなのが、言語なのです。
第1章で述べたように、ちょっとした地理的障壁があるだけで方言は生まれます。
日本列島の中にも、数え切れないほどの方言が存在しています。
そして島国である日本は、海によって他国と隔てられていますが、そのことは、日本列島内にある山河や小さな海峡といった障害とは比べものにならないほど大きいものです。
したがって、日本列島で話されている方言=日本語こそが、日本人を定義づけるためのもっとも明確な指標となるのです。
日本人は、まず何よりも「日本方言を話す人と定義づけられるべきなのです。
日本人とは「日本で義務教育を受けた人」のことである
日本人を定義づけるもう一つの指標は、教育です。
私の知人のラスベガス生まれのアメリカ人は、両親はどちらもアメリカ人ですが、幼いころから日本で育ち、日本の義務教育を受けました。
その彼女のものの考え方は、「日本人の普通の女の子」そのものです。
英語はネイティブに話しますが、「アメリカ人っぽい」と感じさせられる要素は容姿を除けばあまりありません。
先に述べましたが、義務教育は愛国心の洗脳のために使われていると説明しました。
まだ小さい子どもの脳に与えられる義務教育は、愛国心だけでなく、共同体の価値感を非常に効率的に刷り込むことが可能です。
それだけでなく日本の義務教育を受けた子どもは、さらに日本のマスメディアにも幼少期から接しているはずです。
ですから義務教育とメディアという、「国民」意識を育てる二つのシステムに囲まれて育っているのです。
たとえ日本国民という概念が幻想だとしても、幼い頃から一定の刷り込みを受けて育った人々は、共通の精神構造を持つようになります。
つまり日本の義務教育を受けた人々は、一つのカテゴリーとしてほかとは区別してもいいでしょう。
日本人を意義づける第二の要素は、「日本で義務教育を受けた人」ということになります。
したがってもしも「日本人をつくっているのは誰か」と問うならば、答えは「学習指導要領など、義務教育のカリキュラムをつくっている人」となるでしょう。
つまりは文部科学省の役人です。
それと日本のマスメディアで、とくにテレビの番組編成を考えているテレビ局幹部も加わっています。
しかしながら彼らにはその意識はないでしょう。
そしてその背後には、彼らをコントロールしている大手広告代理店もいます。
本書の冒頭で述べたように、大震災でライフラインが寸断されても、暴動はおろかスーパーの棚からパンを取ってくることさえ出来ない日本人をつくっているのも、文科省が考案したカリキュラムというわけです。
そう考えると、近年、授業中に子どもたちが教師の言うことを聞かず、勝手な行動をとる傾向を、「授業崩壊」などといって大げさに問題にして騒ぎ立てているのもうなずけます。
つまり、自分だけの意思で勝手に動かない、上の人の指示には必ず従う、周囲に迷惑をかけない・・・といった、大人しい日本人の育成にこれまでずっと成功してきた実績からすると、勝手に動き回る子どもが多数派になってしまうのは、管理する側にとっては一大事のはずです。
それはおそらく、彼らが作り上げた義務教育の根幹を揺るがす事態なはずです。
それでも「日本」にこだわりますか?
つまり「日本人」とは、@日本方言を話す人、A日本で義務教育を受けた人、ということで、極限すればこの二つにすぎません。
これを読んでいるあなたは、高確率で「日本人」でしょう。
ではこの定義の上に立って、ほかの日本人に対してどれほど連帯感がわくでしょうか?
同じ方言を話し、同じ教育を受けているわけですから、要するに同郷の同窓の友人のようなものです。
たしかに親しみは湧くにしても、それだけのことではないでしょうか。
それをいまどき、出身地や出身校に大人になってまでこだわるのはナンセンスです。
以上を踏まえた上で、改めて考えてみてほしいのですが、それでもあなたは「日本」あるいは「日本人」という枠組みにこだわりますか?
海外で事故が起きると、日本のニュースでは必ず真っ先に「日本人の安否」を伝えます。
これは言外に「日本人意外の命はどうでもいい」と言っているも同然です。
私に言わせれば、差別以外の何ものでもありません。
2011年の8月にアメリカで、ハリケーン「アイリーン」が東海岸を襲い、甚大な被害をもたらしました。
ところが日本ではほとんど報道されなかった。
報道しても視聴率が取れないからでしょう。
つい数ヶ月前に大震災に見舞われた日本人であるのに、なぜ同じく自然災害に見舞われている他国の状況に目を向けなかったのでしょうか。
国民国家に成りたての明治時代なら、「日本」にこだわることに意味はあったでしょう。
それはナショナリズム的な意味においてです。
ですから列強国に金銀を持ち去られないように、日本国内に資本を蓄積するのは、日本人が豊かになるためには必要なことであったと思います。
また敗戦後の焼け跡から立ち上がるために、「日本人」として団結することにも意味はあったでしょう。
だからこそ吉田茂首相は、「日本は独立を取り戻した」と解釈できる「優しいウソ」をあえてついたのだとも考えられます。
しかしとうの昔に日本は、世界でももっとも豊かな国の一つになっています。
にもかかわらず、相変わらず、「日本」という枠の中で利害を考えているのは、あまりにも視野が狭すぎるのではないでしょうか。
ネット右翼の若者たちのように、無力感を埋め合わせるために、「愛国」という杖にすがる人々がいるのは仕方がないことでしょう。
人は誰しも、心が弱くなることがあるからです。
しかし大人になっても、こうした幼稚な遊びに夢中になっているのは、やはりまずいと思うのです。
とにかく「やりたいことをやる」覚悟
それより何よりも、「日本」あるいは「日本人」という枠組みは、日本人のためにならないのです。
つまり日本らしく、日本人らしくあることは、結局、これまでの儒教的なものの上に築かれた心理的支配構造を受け入れることであり、自分の可能性を狭めることであることは、本書において繰り返し見てきたとおりです。
では、日本人はどう変ればいいのでしょうか?
どうやって「日本」や「日本人」といった枠組みから飛び出せばいいのでしょうか?
具体的な方策については後に提案したいと思いますが、まずは、「とにかくやりたいことをやれ」のひと言に尽きます。
日本の社会はあまりにも強い儒教洗脳と、よくできたパノプティコン(全体監視システム)社会であり、それがこれまで徹底的に個人の行動を縛り付けてきたと同時に、ピラミッド型の社会構造は、個人の可能性を阻害してきました。
言ってみれば、日本人はずっと手足を縛られたまま生きてきたようなものなのです。
それでもなお、日本は世界有数の富裕国になったのですから、もしも日本人が自由に動けるようになれば、さらなる飛躍が可能になるはずなのです。
だからまずは、「とにかくやりたいことをやれ」、そう呼びかけたいのです。
「やりたいことをやれ」と言ったところで、元が大人しい日本人のこと、社会が無法状態になる心配はないでしょう。
これまで窮屈な社会秩序を維持してきた日本人は、その分、集団で統率の利いた行動をとることができた。
明治の殖産興業にしても、戦後の「傾斜生産方式」にしても、政府が音頭をとり、各業界が強調して動くことによって成功したのです。
しかしすでに、この方法は行き詰っています。
なぜなら日本人は経済力は健在でありながら、すっかり活力を失ってしまっているではありませんか。
豊かになった日本人は、もはや奴隷のまま喜んで働くことはできません。
個人の可能性を潰され続けることにも、もう耐えられなくなっています。
それならば私たちは、一人ひとりがやりたいことをやる社会に一歩を踏み出すしかないのです。
「日本」を捨てよ 苫米地英人著 PHP新書
抜粋
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@Petit_Soleil17 からのツイート
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人と違っていい、やりたいことを何でも始めよう
http://8729-13.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/index.html#entry-84003787
日本人とは「日本方言を話す人」のことである
日本人のルーツの少なくとも一つが、朝鮮半島にあることは否定できません。
特に天皇家のルーツは、間違いなく朝鮮半島にあるでしょう。
天皇家の古い墳墓がその学術的価値にもかかわらず、未だにほとんど公開されていないのは、公開すれば皇室のルーツが明らかになってしまうからだと言われています。
まあ、そこまで踏み込んだ議論をしなくても、日本古来の文化とされるものの多くが、大陸からの渡来人がもたらしたものに起源を発することは、歴史の授業でもふつうに教えられていることです。
ついでに言うと、人種的に「日本人」を定義するのは論外です。
いくら念入りに遺伝子を調べても、日本人はモンゴル人とまったく変らないし、もちろん韓国人や中国人ともそれほど変りはないでしょう。
人種に注目した瞬間に、日本人というカテゴリーは存在しないことになってしまいます。そこで注目すべきなのが、言語なのです。
第1章で述べたように、ちょっとした地理的障壁があるだけで方言は生まれます。
日本列島の中にも、数え切れないほどの方言が存在しています。
そして島国である日本は、海によって他国と隔てられていますが、そのことは、日本列島内にある山河や小さな海峡といった障害とは比べものにならないほど大きいものです。
したがって、日本列島で話されている方言=日本語こそが、日本人を定義づけるためのもっとも明確な指標となるのです。
日本人は、まず何よりも「日本方言を話す人と定義づけられるべきなのです。
日本人とは「日本で義務教育を受けた人」のことである
日本人を定義づけるもう一つの指標は、教育です。
私の知人のラスベガス生まれのアメリカ人は、両親はどちらもアメリカ人ですが、幼いころから日本で育ち、日本の義務教育を受けました。
その彼女のものの考え方は、「日本人の普通の女の子」そのものです。
英語はネイティブに話しますが、「アメリカ人っぽい」と感じさせられる要素は容姿を除けばあまりありません。
先に述べましたが、義務教育は愛国心の洗脳のために使われていると説明しました。
まだ小さい子どもの脳に与えられる義務教育は、愛国心だけでなく、共同体の価値感を非常に効率的に刷り込むことが可能です。
それだけでなく日本の義務教育を受けた子どもは、さらに日本のマスメディアにも幼少期から接しているはずです。
ですから義務教育とメディアという、「国民」意識を育てる二つのシステムに囲まれて育っているのです。
たとえ日本国民という概念が幻想だとしても、幼い頃から一定の刷り込みを受けて育った人々は、共通の精神構造を持つようになります。
つまり日本の義務教育を受けた人々は、一つのカテゴリーとしてほかとは区別してもいいでしょう。
日本人を意義づける第二の要素は、「日本で義務教育を受けた人」ということになります。
したがってもしも「日本人をつくっているのは誰か」と問うならば、答えは「学習指導要領など、義務教育のカリキュラムをつくっている人」となるでしょう。
つまりは文部科学省の役人です。
それと日本のマスメディアで、とくにテレビの番組編成を考えているテレビ局幹部も加わっています。
しかしながら彼らにはその意識はないでしょう。
そしてその背後には、彼らをコントロールしている大手広告代理店もいます。
本書の冒頭で述べたように、大震災でライフラインが寸断されても、暴動はおろかスーパーの棚からパンを取ってくることさえ出来ない日本人をつくっているのも、文科省が考案したカリキュラムというわけです。
そう考えると、近年、授業中に子どもたちが教師の言うことを聞かず、勝手な行動をとる傾向を、「授業崩壊」などといって大げさに問題にして騒ぎ立てているのもうなずけます。
つまり、自分だけの意思で勝手に動かない、上の人の指示には必ず従う、周囲に迷惑をかけない・・・といった、大人しい日本人の育成にこれまでずっと成功してきた実績からすると、勝手に動き回る子どもが多数派になってしまうのは、管理する側にとっては一大事のはずです。
それはおそらく、彼らが作り上げた義務教育の根幹を揺るがす事態なはずです。
それでも「日本」にこだわりますか?
つまり「日本人」とは、@日本方言を話す人、A日本で義務教育を受けた人、ということで、極限すればこの二つにすぎません。
これを読んでいるあなたは、高確率で「日本人」でしょう。
ではこの定義の上に立って、ほかの日本人に対してどれほど連帯感がわくでしょうか?
同じ方言を話し、同じ教育を受けているわけですから、要するに同郷の同窓の友人のようなものです。
たしかに親しみは湧くにしても、それだけのことではないでしょうか。
それをいまどき、出身地や出身校に大人になってまでこだわるのはナンセンスです。
以上を踏まえた上で、改めて考えてみてほしいのですが、それでもあなたは「日本」あるいは「日本人」という枠組みにこだわりますか?
海外で事故が起きると、日本のニュースでは必ず真っ先に「日本人の安否」を伝えます。
これは言外に「日本人意外の命はどうでもいい」と言っているも同然です。
私に言わせれば、差別以外の何ものでもありません。
2011年の8月にアメリカで、ハリケーン「アイリーン」が東海岸を襲い、甚大な被害をもたらしました。
ところが日本ではほとんど報道されなかった。
報道しても視聴率が取れないからでしょう。
つい数ヶ月前に大震災に見舞われた日本人であるのに、なぜ同じく自然災害に見舞われている他国の状況に目を向けなかったのでしょうか。
国民国家に成りたての明治時代なら、「日本」にこだわることに意味はあったでしょう。
それはナショナリズム的な意味においてです。
ですから列強国に金銀を持ち去られないように、日本国内に資本を蓄積するのは、日本人が豊かになるためには必要なことであったと思います。
また敗戦後の焼け跡から立ち上がるために、「日本人」として団結することにも意味はあったでしょう。
だからこそ吉田茂首相は、「日本は独立を取り戻した」と解釈できる「優しいウソ」をあえてついたのだとも考えられます。
しかしとうの昔に日本は、世界でももっとも豊かな国の一つになっています。
にもかかわらず、相変わらず、「日本」という枠の中で利害を考えているのは、あまりにも視野が狭すぎるのではないでしょうか。
ネット右翼の若者たちのように、無力感を埋め合わせるために、「愛国」という杖にすがる人々がいるのは仕方がないことでしょう。
人は誰しも、心が弱くなることがあるからです。
しかし大人になっても、こうした幼稚な遊びに夢中になっているのは、やはりまずいと思うのです。
とにかく「やりたいことをやる」覚悟
それより何よりも、「日本」あるいは「日本人」という枠組みは、日本人のためにならないのです。
つまり日本らしく、日本人らしくあることは、結局、これまでの儒教的なものの上に築かれた心理的支配構造を受け入れることであり、自分の可能性を狭めることであることは、本書において繰り返し見てきたとおりです。
では、日本人はどう変ればいいのでしょうか?
どうやって「日本」や「日本人」といった枠組みから飛び出せばいいのでしょうか?
具体的な方策については後に提案したいと思いますが、まずは、「とにかくやりたいことをやれ」のひと言に尽きます。
日本の社会はあまりにも強い儒教洗脳と、よくできたパノプティコン(全体監視システム)社会であり、それがこれまで徹底的に個人の行動を縛り付けてきたと同時に、ピラミッド型の社会構造は、個人の可能性を阻害してきました。
言ってみれば、日本人はずっと手足を縛られたまま生きてきたようなものなのです。
それでもなお、日本は世界有数の富裕国になったのですから、もしも日本人が自由に動けるようになれば、さらなる飛躍が可能になるはずなのです。
だからまずは、「とにかくやりたいことをやれ」、そう呼びかけたいのです。
「やりたいことをやれ」と言ったところで、元が大人しい日本人のこと、社会が無法状態になる心配はないでしょう。
これまで窮屈な社会秩序を維持してきた日本人は、その分、集団で統率の利いた行動をとることができた。
明治の殖産興業にしても、戦後の「傾斜生産方式」にしても、政府が音頭をとり、各業界が強調して動くことによって成功したのです。
しかしすでに、この方法は行き詰っています。
なぜなら日本人は経済力は健在でありながら、すっかり活力を失ってしまっているではありませんか。
豊かになった日本人は、もはや奴隷のまま喜んで働くことはできません。
個人の可能性を潰され続けることにも、もう耐えられなくなっています。
それならば私たちは、一人ひとりがやりたいことをやる社会に一歩を踏み出すしかないのです。
「日本」を捨てよ 苫米地英人著 PHP新書
抜粋
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@Petit_Soleil17 からのツイート
日本は米国から独立した国家ではなく「日本自治区」
zeraniumのブログ より転載
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日本は米国から独立した国家ではなく「日本自治区」 A
http://8729-13.cocolog-nifty.com/blog/2012/11/index.html#entry-83934351
では当のアメリカ自身は「愛国洗脳」に、どの程度力を注いでいるのかというと、日本よりさらに強烈です。
2011年5月2日に、パキスタンでウサマ・ビン・ラーディンが米軍に急襲され、殺害されました。
そのとき三大ネットワークをはじめ、CNN、FOXなどアメリカのメディアはこぞって、彼の死を喜ぶアメリカ市民、特に学生の姿を放映しました。
しかし現地の大学に多くの友人がいる私が独自に得た情報では、放送で見られたような大騒ぎが、実際に現地で行なわれていた事実はほとんどありませんでした。
そもそもいくらテロの首謀者とはいえ、人が殺されたというニュースを聞いて大喜びで祝杯を上げるような連中が、そうそうたくさんいるはずがありません。
それは少し冷静になって考えればわかることです。
つまり、放映されたあの盛り上がりは、ほとんど演出だったのです。
おそらくごく一部での騒ぎを、さも全米で起きたことのように報道したのでしょう。
これがメディアをフル活用したアメリカの愛国洗脳の実例です。
そうやってほぼ全ての主要メディアで、「ビン・ラーディンの死を喜ぶべきだ」というメッセージを流して、徹底的に洗脳を行なっていたのです。
さかのぼって考えれば、イラク戦争の時もそうで、戦闘に参加している兵士たちを英雄視するメッセージを、アメリカのネットワークは流し続けました。これも愛国洗脳と考えるべきものです。
しかしある程度の教育を受けた人なら、そこまでみえみえの洗脳工作には違和感を覚えるはずで、かえって反発を強めるかもしれません。
しかしアメリカの怖いところは、まともな教育を受けていない人が多いということです。
そうした層には信じがたいほどストレートに洗脳が通じてしまいます。
つまり、アメリカの放送ネットワークや映画産業は、愛国洗脳のために存在すると言っても過言ではありません。
それだけ洗脳が効果的で有効な国であり、そこに絡む利権も日本とは比べものにならないのです。
日本人の愛国心が、実はアメリカの支配者のさじ加減でコントロールされている、他律的なものである歴史を明らかにしましたが、ここではさらに一歩進んで、私は次のような疑問を提示します。
それは、そもそも日本という国は、さらに日本国民は、本当に存在するのだろうか、ということです。
これはすでに私の著書の中で何度か指摘したことですが、戦後の日本国の出発点となったサンフランシスコ講和条約(1951年)の原文を検討する限り、日本国の独立は認められてはいません。
したがって、日本国民の存在も認められてはいない、と結論づけるしかないのです。
いきなり何を言い出すのかと思われるでしょうが、簡単に説明します。
連合国が日本の独立を認めたとされる講和条約の第1条(b)を見てみると、その原文はこうなっています。
The Allied Powers recognize the full sovereignty of the Japanese people over
Japan and its territorial waters.
日本語訳では、「連合国は、日本国及びその領水に対する日本国民の完全な主権を承認する」となっているので、当然ながら「日本国」や「日本国民」の存在を前提にして書かれていると思うはずです。しかし原文を注意深く読んでください。
「Japanese people 」のところで、「people」を小文字で表記してあるのがわかりますか。
英語では、国民を表す場合には「People」と大文字で記して始まるはずですが、そうはなっていません。
この箇所の本来の意味は単なる「日本の人々」であり、「日本国」や「日本国民」の意味ではないのです。ですから日本語訳もそのように訳されるべきだったのです。
また「完全な主権」という翻訳も曲者(くせもの)です。
なぜなら条約の第2条以降に、日本の対外主権、つまり国としての独立性を制限する規定が幾つもあるからです。
たとえば国際紛争解決の手段として、武力を用いることを禁じた第5条(a)がそれです。
ふつうならば独立国であれば当然、認められるべき権利のはずが、実際には制約されていることを考え合わせると、「full sovereignty」の「sovereignty」(主権)とは、対外主権のことではないと解釈しなければ矛盾が生じます。
つまりここでは、「日本の統治権は軍部でもなければ天皇でもなく、日本の人々、人民が100%持っているのだ」という意味で、「full sovereignty 」と言っているわけです。
この「sovereignty」という言葉は、アメリカでは、国ではなく各州の自治権を表す言葉としても使われているので、それに近い意味に捉えるのが妥当でしょう。
したがって、先ほどの第1条(b)を正確に和訳すると、こうなります。
「連合国は、日本の人民による日本と、その領海の十分なる自治を認める」
いかがでしょうか。
日本国の独立も、日本国民の主権もどこかに行ってしまいました。
これは現在も有効な国際条約ですから、私たちは日本国民ではありません。
私たちは「日本自治区」で生活する日本人なのです。
サンフランシスコ講和条約に署名した吉田茂主席全権大使をはじめとする、日本の代表たちが、条約の本来の意味に気づいていなかったはずがありません。
会議には宮澤喜一氏など、英語の達人も随行していたのですから。
そして実際に、吉田茂首相は条約署名後のスピーチでこう語っています。
It will restore the Japanese people to full sovereignty, equality, and freedom, and
reinstate us as a free and equal member in the community of nations.
「これにより日本の人々が主権を十分に取り戻し、平等と平和を回復するものであり、私たちを世界の民族のコミュニティに自由で平等な一員としてふたたび参加させるものである」
これは明らかに、日本の人民が軍部から主権を取り戻したという趣旨です。
条約の本来の意味をよく理解したうえでのスピーチであることは明白です。
にもかかわらず、日本国民に伝えられたのは、先ほどの「誤訳」でした。
このようにして、連合国の占領から日本国が独立を取り戻したのだ、という「優しいウソ」を、日本人は吹き込まれたのです。
「日本」を捨てよ 苫米地英人著 PHP新書
抜粋したもの
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日本は米国から独立した国家ではなく「日本自治区」 A
http://8729-13.cocolog-nifty.com/blog/2012/11/index.html#entry-83934351
では当のアメリカ自身は「愛国洗脳」に、どの程度力を注いでいるのかというと、日本よりさらに強烈です。
2011年5月2日に、パキスタンでウサマ・ビン・ラーディンが米軍に急襲され、殺害されました。
そのとき三大ネットワークをはじめ、CNN、FOXなどアメリカのメディアはこぞって、彼の死を喜ぶアメリカ市民、特に学生の姿を放映しました。
しかし現地の大学に多くの友人がいる私が独自に得た情報では、放送で見られたような大騒ぎが、実際に現地で行なわれていた事実はほとんどありませんでした。
そもそもいくらテロの首謀者とはいえ、人が殺されたというニュースを聞いて大喜びで祝杯を上げるような連中が、そうそうたくさんいるはずがありません。
それは少し冷静になって考えればわかることです。
つまり、放映されたあの盛り上がりは、ほとんど演出だったのです。
おそらくごく一部での騒ぎを、さも全米で起きたことのように報道したのでしょう。
これがメディアをフル活用したアメリカの愛国洗脳の実例です。
そうやってほぼ全ての主要メディアで、「ビン・ラーディンの死を喜ぶべきだ」というメッセージを流して、徹底的に洗脳を行なっていたのです。
さかのぼって考えれば、イラク戦争の時もそうで、戦闘に参加している兵士たちを英雄視するメッセージを、アメリカのネットワークは流し続けました。これも愛国洗脳と考えるべきものです。
しかしある程度の教育を受けた人なら、そこまでみえみえの洗脳工作には違和感を覚えるはずで、かえって反発を強めるかもしれません。
しかしアメリカの怖いところは、まともな教育を受けていない人が多いということです。
そうした層には信じがたいほどストレートに洗脳が通じてしまいます。
つまり、アメリカの放送ネットワークや映画産業は、愛国洗脳のために存在すると言っても過言ではありません。
それだけ洗脳が効果的で有効な国であり、そこに絡む利権も日本とは比べものにならないのです。
日本人の愛国心が、実はアメリカの支配者のさじ加減でコントロールされている、他律的なものである歴史を明らかにしましたが、ここではさらに一歩進んで、私は次のような疑問を提示します。
それは、そもそも日本という国は、さらに日本国民は、本当に存在するのだろうか、ということです。
これはすでに私の著書の中で何度か指摘したことですが、戦後の日本国の出発点となったサンフランシスコ講和条約(1951年)の原文を検討する限り、日本国の独立は認められてはいません。
したがって、日本国民の存在も認められてはいない、と結論づけるしかないのです。
いきなり何を言い出すのかと思われるでしょうが、簡単に説明します。
連合国が日本の独立を認めたとされる講和条約の第1条(b)を見てみると、その原文はこうなっています。
The Allied Powers recognize the full sovereignty of the Japanese people over
Japan and its territorial waters.
日本語訳では、「連合国は、日本国及びその領水に対する日本国民の完全な主権を承認する」となっているので、当然ながら「日本国」や「日本国民」の存在を前提にして書かれていると思うはずです。しかし原文を注意深く読んでください。
「Japanese people 」のところで、「people」を小文字で表記してあるのがわかりますか。
英語では、国民を表す場合には「People」と大文字で記して始まるはずですが、そうはなっていません。
この箇所の本来の意味は単なる「日本の人々」であり、「日本国」や「日本国民」の意味ではないのです。ですから日本語訳もそのように訳されるべきだったのです。
また「完全な主権」という翻訳も曲者(くせもの)です。
なぜなら条約の第2条以降に、日本の対外主権、つまり国としての独立性を制限する規定が幾つもあるからです。
たとえば国際紛争解決の手段として、武力を用いることを禁じた第5条(a)がそれです。
ふつうならば独立国であれば当然、認められるべき権利のはずが、実際には制約されていることを考え合わせると、「full sovereignty」の「sovereignty」(主権)とは、対外主権のことではないと解釈しなければ矛盾が生じます。
つまりここでは、「日本の統治権は軍部でもなければ天皇でもなく、日本の人々、人民が100%持っているのだ」という意味で、「full sovereignty 」と言っているわけです。
この「sovereignty」という言葉は、アメリカでは、国ではなく各州の自治権を表す言葉としても使われているので、それに近い意味に捉えるのが妥当でしょう。
したがって、先ほどの第1条(b)を正確に和訳すると、こうなります。
「連合国は、日本の人民による日本と、その領海の十分なる自治を認める」
いかがでしょうか。
日本国の独立も、日本国民の主権もどこかに行ってしまいました。
これは現在も有効な国際条約ですから、私たちは日本国民ではありません。
私たちは「日本自治区」で生活する日本人なのです。
サンフランシスコ講和条約に署名した吉田茂主席全権大使をはじめとする、日本の代表たちが、条約の本来の意味に気づいていなかったはずがありません。
会議には宮澤喜一氏など、英語の達人も随行していたのですから。
そして実際に、吉田茂首相は条約署名後のスピーチでこう語っています。
It will restore the Japanese people to full sovereignty, equality, and freedom, and
reinstate us as a free and equal member in the community of nations.
「これにより日本の人々が主権を十分に取り戻し、平等と平和を回復するものであり、私たちを世界の民族のコミュニティに自由で平等な一員としてふたたび参加させるものである」
これは明らかに、日本の人民が軍部から主権を取り戻したという趣旨です。
条約の本来の意味をよく理解したうえでのスピーチであることは明白です。
にもかかわらず、日本国民に伝えられたのは、先ほどの「誤訳」でした。
このようにして、連合国の占領から日本国が独立を取り戻したのだ、という「優しいウソ」を、日本人は吹き込まれたのです。
「日本」を捨てよ 苫米地英人著 PHP新書
抜粋したもの
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2013年02月02日
聖書は実際に「聖なる書」なのか?
zeraniumのブログ より転載
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聖書は実際に「聖なる書」なのか? B
http://8729-13.cocolog-nifty.com/blog/2012/11/index.html#entry-83620474
儒教について、私たちがよく知るのが『論語』の教えでしょう。
『論語』は孔子の死後数百年経ってから、彼の弟子たちがまとめたものです。
有名な一節を取り上げてみましょう。
『子の曰(いわ)く、吾(わ)れ十有五にして学に志す。
三十にして立つ。
四十にして惑(まど)わず。
五十にして天命を知る。
六十にして耳順(した)がう。
七十にして心の欲する所に従って、矩(のり)を踰(こ)えず。』 (為政篇)
これを読んで若い人は、「自分も勉強するぞ」と青雲の志を抱くに違いないし、40歳前後の人は「今の境遇も天命だ。
辛抱して頑張ろう」と、気持ちを引き締めることでしょう。
しかし、私に言わせれば、これこそが、実は奴隷の教えです。
15歳にして勉学に励み、30歳にして独立する。
ここまでは人々が受け入れやすい、ごく普通のことです。
当時の平均寿命からすると、子どもが30歳になる頃に親は大体死んでいますから、それまでに勉学して独立せよ、というわけです。
ところがその次の、「四十にして惑わず」から隠れた本領が姿を現します。
「惑わない」というのは、いろいろな可能性を考えて他に気をとられることなく、一つの価値感で迷わずに生きるということです。
つまり惑わずに奴隷の道を歩め、ということです。
そして「五十にして天命を知る」において、さらに奴隷のボルテージが上がります。
当時の「天」とは、間接的に皇帝を指しています。
もちろん「天」には神のような直接的な意味もありますが、儒教の本質は、この世の神が皇帝であるというものです。
それは戦前の神ならぬ天皇陛下のような位置づけです。
つまり「天命を知る」とは、皇帝の命令を自ら進んで理解して行動するということです。
きわめつきは、「七十にして心の欲するままに従って、矩を踰えず」でしょう。
その意味はそうやって、70歳になると思うままに振舞っても道を外れないようになった、というわけです。
つまり奴隷の人生を70年間続ければ、何をやっても奴隷の枠から外れることはなくなる、ということです。
これは大変な話です。この教えによって出来上がった聡明で勤勉で、かつ命令を聞く人間が、どれほど権力者にとって都合のいいものであったか、私たちはそこに注意を向ける必要があります。
その証拠に儒教国ではいまなお、親よりもいい会社に入ってはいけないし、親が死ぬまで親よりもいい暮らしをしてはいけないという考えが根強く残っています。
日本では明治維新後に西欧の民主主義が輸入されたために、今の日本人はそういう考えをあまり持ってはいませんが、江戸時代の日本人にとっては、それを守るのが真っ当な生き方であったのです。
蛇足ですが、日本では神道は明治維新とともに作り出されました。
神道とは、明治政府が作った人工宗教であり、西欧では宗教とは認められないような代物(しろもの)です。
おそらく明治政府は政治を行なう上で、天皇の扱いをどうするか困ったものと思われます。
維新の功績が天皇にあることは、薩摩や長州もよくよくわかっていました。
なぜなら倒幕のための最大の武器が「錦の御旗(にしきのみはた)」であったからです。
そこで明治政府は天皇を神格化することを画策しました。
そして、それまで埃をかぶっていた原始宗教を拾い上げ、きれいに塵を払い、「これが日本古来の宗教だ」と掲げたのです。
しかし太古の神道には、教義も経典もありません。
そこでキリスト教を手本に、儒教の教えをベースにして形を整えました。
それでも神道は、神風特攻を遂行させることができるほどには成功したのです。
つまり大日本帝国の政府は、神道をうまく利用したのでした。
天皇家が時の政府による神格化の動きを、どのように受け止めていたのか、そこは定かではありません。
宗教は政治に利用されることをバネにして、勢力を拡大してきました。
権力者にとっては宗教は、実に使い出のある道具でした。それは人々を統治することはもちろん、政敵さえ失脚させることも簡単だからです。
「神の教えに背いている」と指弾することは、どんな嫌がらせよりも有効であったからです。
また領土的野心を満たそうとするときも、それは大いに役立ちました。
たとえばローマ帝国は、ゲルマン人との度重なる戦いに教会の司祭たちを伴い、占領地の住民にキリスト教を布教させたといわれています。
話をもう一度キリスト教に戻します。
今私たちがキリスト教と考えている宗教には、2つの大きな流れがあり、一つはカトリックで、すでに述べたようにローマ帝国が国教化したキリスト教であり、ローマ法王を頂点とするものです。
もう一つは、ご存知のようにプロテスタントです。そして実はプロテスタントにも、コンスタンティヌス大帝とは別の開祖がいるのです。
宗教を論じる際に、私がときどき紹介するエピソードの一つに、「ラリー・キング・ライブ」の話があります。
これは米国のCNNの看板トーク番組で、ラリー・キングが司会を務めており、アメリカ人の考え方や情勢を非常によく伝える格好のソースでした。
しかし残念ながら、2010年末に終了してしまいました。
それは9・11の出来事が起こり、その影響でイラク戦争が始まった頃で、このトーク番組で戦争の是非をめぐる討論が行なわれたときのことです。
出演者はユダヤ教の指導者のラビ、イスラムの宗教指導者、カトリックの神父、プロテスタントの牧師、そしてインド人のニュー・エイジ系指導者の5人でした。
そのとき、視聴者から電話で、「なぜ戦争では人を殺してもいいのですか」という質問が寄せられました。
すると、ユダヤ教のラビが「マーダー(murder)とキル(kill)は違う」と答えたのです。
つまり、戦争で行なう殺人はキルであって、それは許されるという意味です。
「ちょっと待て!」、と私は思わず突っ込みを入れたくなりましたが、番組に同席した他の宗教指導者たちは誰も反論しません。むしろ当たり前だと言わんばかりに平然としているのです。
それは実に不思議な光景でした。
この発言の裏には、宗教的な倫理があります。
つまり、神は「汝、人を殺すなかれ」とマーダー(murder)を禁じています。
人間が人間を殺すのが「マーダー」で、これは絶対に許されないはずです。
ただ旧約聖書の神は創世記の「ノアの箱舟」の話で、「悪を行なう人間」には大量殺戮を行なう神なのです。
しかし「正しい人」ノアは救われ、その子孫は「正しいこと」を続ける限り絶滅させられないとする契約を、神と締結しました。
そしてそこから、(神がそうであるから)、キルが許されないと言っているわけではない、という理屈が成り立つのです。
そこから導き出される論理は、
神との契約を守らない人間は、人類のために滅ぼされなければならないというものです。
ゆえに、人類のためにキルは許される、という結論にたどり着くのです。
ここで私が問題にしたいのは、彼らのおかしな論理のことではありません。
「マーダー」は許されないが、「キル」はその限りではないという彼らの解釈をたとえ百歩譲ってよしとしても、いったいその聖書は誰が書いた聖書なのか、という点です。
わかっていることですが、イエス・キリストもパウロも、アタナシウスも、そしてコンスタンティヌス大帝も、「マーダー」と「キル」の使い分けなど一切してはいないのです。
英語の聖書というのは、通常イギリス国教会の聖書で、KJV聖書といわれます。
プロテスタントの聖書は英語で書かれたものであり、実はカトリックの聖書も英語の聖書のKJV聖書をベースにしています。
このKJVとは、King James Version の略で、キング・ジェームズ1世の名前が使われています。
もともと『新約聖書』はギリシャ語で書かれていましたが、それがラテン語に翻訳されて広まっていきました。
カトリック教会が正式に聖書と定めているのは、いまでもラテン語で書かれたものだけですが、それと同じ意味において多くのプロテスタント教会が聖書と定めているのは、英語で書かれた聖書だけなのです。
だとすれば、誰が英語の聖書を翻訳し、編纂したのかが決定的に重要なポイントになります。
プロテスタントの英語聖書を作ったのは、スコットランド・アイルランド・イングランドを治めたジェームズ1世(チャールズ・ジェームズ・スチュアート)です。
彼は1611年に、イギリス国教会の典礼に使うという理由から『欽定(きんてい)訳聖書』(KJV聖書)をつくりました。
実は『欽定訳聖書』が誕生する14年ほど前、ジェームズ1世は『デモノロジー』(悪魔学)という書物を著わしています。
この本は、先に紹介した『魔女に与える鉄槌』の流れを汲み、イギリスにおける魔女狩りの指南書としての役割を果たしました。
つまり、イギリスの魔女狩りを主導した王が、現代に受け継がれるイギリス国教会の聖書、KJV聖書ををつくったのです。
「現代版 魔女の鉄槌」 苫米地英人著 フォレスト出版
抜粋したもの
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聖書は実際に「聖なる書」なのか? B
http://8729-13.cocolog-nifty.com/blog/2012/11/index.html#entry-83620474
儒教について、私たちがよく知るのが『論語』の教えでしょう。
『論語』は孔子の死後数百年経ってから、彼の弟子たちがまとめたものです。
有名な一節を取り上げてみましょう。
『子の曰(いわ)く、吾(わ)れ十有五にして学に志す。
三十にして立つ。
四十にして惑(まど)わず。
五十にして天命を知る。
六十にして耳順(した)がう。
七十にして心の欲する所に従って、矩(のり)を踰(こ)えず。』 (為政篇)
これを読んで若い人は、「自分も勉強するぞ」と青雲の志を抱くに違いないし、40歳前後の人は「今の境遇も天命だ。
辛抱して頑張ろう」と、気持ちを引き締めることでしょう。
しかし、私に言わせれば、これこそが、実は奴隷の教えです。
15歳にして勉学に励み、30歳にして独立する。
ここまでは人々が受け入れやすい、ごく普通のことです。
当時の平均寿命からすると、子どもが30歳になる頃に親は大体死んでいますから、それまでに勉学して独立せよ、というわけです。
ところがその次の、「四十にして惑わず」から隠れた本領が姿を現します。
「惑わない」というのは、いろいろな可能性を考えて他に気をとられることなく、一つの価値感で迷わずに生きるということです。
つまり惑わずに奴隷の道を歩め、ということです。
そして「五十にして天命を知る」において、さらに奴隷のボルテージが上がります。
当時の「天」とは、間接的に皇帝を指しています。
もちろん「天」には神のような直接的な意味もありますが、儒教の本質は、この世の神が皇帝であるというものです。
それは戦前の神ならぬ天皇陛下のような位置づけです。
つまり「天命を知る」とは、皇帝の命令を自ら進んで理解して行動するということです。
きわめつきは、「七十にして心の欲するままに従って、矩を踰えず」でしょう。
その意味はそうやって、70歳になると思うままに振舞っても道を外れないようになった、というわけです。
つまり奴隷の人生を70年間続ければ、何をやっても奴隷の枠から外れることはなくなる、ということです。
これは大変な話です。この教えによって出来上がった聡明で勤勉で、かつ命令を聞く人間が、どれほど権力者にとって都合のいいものであったか、私たちはそこに注意を向ける必要があります。
その証拠に儒教国ではいまなお、親よりもいい会社に入ってはいけないし、親が死ぬまで親よりもいい暮らしをしてはいけないという考えが根強く残っています。
日本では明治維新後に西欧の民主主義が輸入されたために、今の日本人はそういう考えをあまり持ってはいませんが、江戸時代の日本人にとっては、それを守るのが真っ当な生き方であったのです。
蛇足ですが、日本では神道は明治維新とともに作り出されました。
神道とは、明治政府が作った人工宗教であり、西欧では宗教とは認められないような代物(しろもの)です。
おそらく明治政府は政治を行なう上で、天皇の扱いをどうするか困ったものと思われます。
維新の功績が天皇にあることは、薩摩や長州もよくよくわかっていました。
なぜなら倒幕のための最大の武器が「錦の御旗(にしきのみはた)」であったからです。
そこで明治政府は天皇を神格化することを画策しました。
そして、それまで埃をかぶっていた原始宗教を拾い上げ、きれいに塵を払い、「これが日本古来の宗教だ」と掲げたのです。
しかし太古の神道には、教義も経典もありません。
そこでキリスト教を手本に、儒教の教えをベースにして形を整えました。
それでも神道は、神風特攻を遂行させることができるほどには成功したのです。
つまり大日本帝国の政府は、神道をうまく利用したのでした。
天皇家が時の政府による神格化の動きを、どのように受け止めていたのか、そこは定かではありません。
宗教は政治に利用されることをバネにして、勢力を拡大してきました。
権力者にとっては宗教は、実に使い出のある道具でした。それは人々を統治することはもちろん、政敵さえ失脚させることも簡単だからです。
「神の教えに背いている」と指弾することは、どんな嫌がらせよりも有効であったからです。
また領土的野心を満たそうとするときも、それは大いに役立ちました。
たとえばローマ帝国は、ゲルマン人との度重なる戦いに教会の司祭たちを伴い、占領地の住民にキリスト教を布教させたといわれています。
話をもう一度キリスト教に戻します。
今私たちがキリスト教と考えている宗教には、2つの大きな流れがあり、一つはカトリックで、すでに述べたようにローマ帝国が国教化したキリスト教であり、ローマ法王を頂点とするものです。
もう一つは、ご存知のようにプロテスタントです。そして実はプロテスタントにも、コンスタンティヌス大帝とは別の開祖がいるのです。
宗教を論じる際に、私がときどき紹介するエピソードの一つに、「ラリー・キング・ライブ」の話があります。
これは米国のCNNの看板トーク番組で、ラリー・キングが司会を務めており、アメリカ人の考え方や情勢を非常によく伝える格好のソースでした。
しかし残念ながら、2010年末に終了してしまいました。
それは9・11の出来事が起こり、その影響でイラク戦争が始まった頃で、このトーク番組で戦争の是非をめぐる討論が行なわれたときのことです。
出演者はユダヤ教の指導者のラビ、イスラムの宗教指導者、カトリックの神父、プロテスタントの牧師、そしてインド人のニュー・エイジ系指導者の5人でした。
そのとき、視聴者から電話で、「なぜ戦争では人を殺してもいいのですか」という質問が寄せられました。
すると、ユダヤ教のラビが「マーダー(murder)とキル(kill)は違う」と答えたのです。
つまり、戦争で行なう殺人はキルであって、それは許されるという意味です。
「ちょっと待て!」、と私は思わず突っ込みを入れたくなりましたが、番組に同席した他の宗教指導者たちは誰も反論しません。むしろ当たり前だと言わんばかりに平然としているのです。
それは実に不思議な光景でした。
この発言の裏には、宗教的な倫理があります。
つまり、神は「汝、人を殺すなかれ」とマーダー(murder)を禁じています。
人間が人間を殺すのが「マーダー」で、これは絶対に許されないはずです。
ただ旧約聖書の神は創世記の「ノアの箱舟」の話で、「悪を行なう人間」には大量殺戮を行なう神なのです。
しかし「正しい人」ノアは救われ、その子孫は「正しいこと」を続ける限り絶滅させられないとする契約を、神と締結しました。
そしてそこから、(神がそうであるから)、キルが許されないと言っているわけではない、という理屈が成り立つのです。
そこから導き出される論理は、
神との契約を守らない人間は、人類のために滅ぼされなければならないというものです。
ゆえに、人類のためにキルは許される、という結論にたどり着くのです。
ここで私が問題にしたいのは、彼らのおかしな論理のことではありません。
「マーダー」は許されないが、「キル」はその限りではないという彼らの解釈をたとえ百歩譲ってよしとしても、いったいその聖書は誰が書いた聖書なのか、という点です。
わかっていることですが、イエス・キリストもパウロも、アタナシウスも、そしてコンスタンティヌス大帝も、「マーダー」と「キル」の使い分けなど一切してはいないのです。
英語の聖書というのは、通常イギリス国教会の聖書で、KJV聖書といわれます。
プロテスタントの聖書は英語で書かれたものであり、実はカトリックの聖書も英語の聖書のKJV聖書をベースにしています。
このKJVとは、King James Version の略で、キング・ジェームズ1世の名前が使われています。
もともと『新約聖書』はギリシャ語で書かれていましたが、それがラテン語に翻訳されて広まっていきました。
カトリック教会が正式に聖書と定めているのは、いまでもラテン語で書かれたものだけですが、それと同じ意味において多くのプロテスタント教会が聖書と定めているのは、英語で書かれた聖書だけなのです。
だとすれば、誰が英語の聖書を翻訳し、編纂したのかが決定的に重要なポイントになります。
プロテスタントの英語聖書を作ったのは、スコットランド・アイルランド・イングランドを治めたジェームズ1世(チャールズ・ジェームズ・スチュアート)です。
彼は1611年に、イギリス国教会の典礼に使うという理由から『欽定(きんてい)訳聖書』(KJV聖書)をつくりました。
実は『欽定訳聖書』が誕生する14年ほど前、ジェームズ1世は『デモノロジー』(悪魔学)という書物を著わしています。
この本は、先に紹介した『魔女に与える鉄槌』の流れを汲み、イギリスにおける魔女狩りの指南書としての役割を果たしました。
つまり、イギリスの魔女狩りを主導した王が、現代に受け継がれるイギリス国教会の聖書、KJV聖書ををつくったのです。
「現代版 魔女の鉄槌」 苫米地英人著 フォレスト出版
抜粋したもの
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聖書をしのぐ大ベストセラー『魔女に与える鉄槌』 2
zeraniumのブログ より転載
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キリスト教の開祖はコンスタンティヌス大帝 A
http://8729-13.cocolog-nifty.com/blog/2012/11/index.html#entry-83605331
やや脇道にそれますが、宗教はいつの時代においても、政治と権力に都合のいい教義を作り上げるものです。
彼らは権力者の権力強化に自分たちが役立つからこそ勢力を拡大し、成功することを知っているのです。
権力者の役に立たなければ、イエス・キリストがそうであったように一撃で潰されて終わりです。
東洋で力を持つ宗教は仏教であると考える人がいるかもしれませんが、それは誤った理解です。
実際には、仏教徒は今のインドにはほとんどいません。
日本にはいますが、その数はせいぜい1億人くらいのものです。
ほかにスリランカとミャンマー、ネパールの一部、ブータン、そしてチベットを合わせても、仏教徒の数はせいぜい数千万人でしょう。
そうすると世界65億人中、仏教徒は2億人もいない計算です。
それに対し、儒教はどのくらいいるかというと、中国と韓国の人口を合わせるだけですでに15億人くらいいます。
中国共産党が支配する中国に宗教はないと思うかもしれませんが、それは見える形での宗教がないだけの話です。
古代中国で生まれ、後漢の時代に国教化された儒教は、現代の中国人の心にも非常に深く刻まれているのです。
さらに歴史的に中国の影響が強かった東南アジアの国々や、その影響下にあった日本のことを考えると、儒教の信徒と言えるような人間は、少なく見積もっても16億人は固いのではないでしょうか。
儒教がそこまで勢力を拡大することができたのも、それが権力者の権力強化に大いに役立つ宗教であったからです。
天皇家は、江戸時代まで仏教を信仰していました。
そして明治維新後は、諸外国にはキリスト教に改宗したかのように振舞っています。
明治からこのかた、天皇家では男子にはプロテスタントの家庭教師が付き、女子はカトリックの勉強をしています。
そして実際にカトリックの学校出身者が天皇家に嫁いでいます。
そうしないと、欧米列強の王室と対等に付き合えないという事情があったのでしょう。
天皇を神だと思っていた当時の日本人には理解できない事実ですが、宗教が勢力を持つ陰には必ず、権力者の意図が働いているのです。
「現代版 魔女の鉄槌」 苫米地英人著 フォレスト出版
抜粋したもの
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キリスト教の開祖はコンスタンティヌス大帝 A
http://8729-13.cocolog-nifty.com/blog/2012/11/index.html#entry-83605331
やや脇道にそれますが、宗教はいつの時代においても、政治と権力に都合のいい教義を作り上げるものです。
彼らは権力者の権力強化に自分たちが役立つからこそ勢力を拡大し、成功することを知っているのです。
権力者の役に立たなければ、イエス・キリストがそうであったように一撃で潰されて終わりです。
東洋で力を持つ宗教は仏教であると考える人がいるかもしれませんが、それは誤った理解です。
実際には、仏教徒は今のインドにはほとんどいません。
日本にはいますが、その数はせいぜい1億人くらいのものです。
ほかにスリランカとミャンマー、ネパールの一部、ブータン、そしてチベットを合わせても、仏教徒の数はせいぜい数千万人でしょう。
そうすると世界65億人中、仏教徒は2億人もいない計算です。
それに対し、儒教はどのくらいいるかというと、中国と韓国の人口を合わせるだけですでに15億人くらいいます。
中国共産党が支配する中国に宗教はないと思うかもしれませんが、それは見える形での宗教がないだけの話です。
古代中国で生まれ、後漢の時代に国教化された儒教は、現代の中国人の心にも非常に深く刻まれているのです。
さらに歴史的に中国の影響が強かった東南アジアの国々や、その影響下にあった日本のことを考えると、儒教の信徒と言えるような人間は、少なく見積もっても16億人は固いのではないでしょうか。
儒教がそこまで勢力を拡大することができたのも、それが権力者の権力強化に大いに役立つ宗教であったからです。
天皇家は、江戸時代まで仏教を信仰していました。
そして明治維新後は、諸外国にはキリスト教に改宗したかのように振舞っています。
明治からこのかた、天皇家では男子にはプロテスタントの家庭教師が付き、女子はカトリックの勉強をしています。
そして実際にカトリックの学校出身者が天皇家に嫁いでいます。
そうしないと、欧米列強の王室と対等に付き合えないという事情があったのでしょう。
天皇を神だと思っていた当時の日本人には理解できない事実ですが、宗教が勢力を持つ陰には必ず、権力者の意図が働いているのです。
「現代版 魔女の鉄槌」 苫米地英人著 フォレスト出版
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聖書をしのぐ大ベストセラー『魔女に与える鉄槌』
zeraniumのブログ より転載
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キリスト教の開祖はコンスタンティヌス大帝 A
http://8729-13.cocolog-nifty.com/blog/2012/11/index.html#entry-83605331
聖書をしのぐ大ベストセラー『魔女に与える鉄槌』
15世紀から17世紀という二百数十年の間に魔女裁判で処刑された人は、数百万人とも推計されています。
戦争に明け暮れたヨーロッパでは裁判記録は消失しており、残っているのはごくわずかのものです。
そのために実際にどれほどの人が処刑されたのか、正確なことは誰にもわかりません。
断片的な記録から、中世ヨーロッパの世界で魔女狩りが大変な猛威を振るったことがわかっているのですが、興味深いことに、その流行はある時期を境に急速に終息しています。
何かきっかけが存在するはずなのですが、探してもこれといった出来事は見つかりません。
たとえれば昨日まで重病に苦しんでいた人が、朝目を覚ますとケロッとして起き上がってきたという感じで、これは実に不思議なことだといわなくてはなりません。
ほとんど指摘されてはいないことですが、私の考えでは、魔女狩りの流行はヨハネス・グーテンベルクによる印刷機の発明ときわめて深く関係しています。
1445年にグーテンベルクは、葡萄の圧搾機にヒントを得て活版印刷術を発明しました。
これが、私たちが世界三大発明と呼ぶほどの強烈なインパクトを、その後の社会にもたらすことになります。
それから10年後に、彼は後にグーテンベルク聖書と呼ばれる『ウルガタ』(ラテン語訳聖書)を底本とした印刷聖書を世界で初めて作りました。
グーテンベルク聖書の初版部数は現代の感覚では「わずか」ともいえるほどで、ほんの180部に過ぎませんでした。
その値段を知るすべはありませんが、おそらく現代に置き換えれば、聖書1冊でフェラーリが1台買えるほど高価なものであったと思われます。
しかしその陰に、聖書を遥かにしのぐ大ベストセラーが存在したことはほとんど知られていません。
それが、1487年にドイツで出版された『魔女に与える鉄槌(てっつい)』という書物です。
この本は異端審問官であったドミニコ会修道士ハインリッヒ・クラマーとケルン大学神学部長であったヤーコプ・シュプレンガーによって書かれたもので、いわば魔女狩りのための初めてのマニュアル本です。
1487年から1520年の間に13版の増刷がされ、1547年から1669年までの間にさらに33版が増刷されています。
一節には3万部程度刷られたといわれていますが、当時としては驚異的な部数です。
しかし伝えられている版数はあくまで公式の記録にすぎず、出版の本質がコピー文化であることを考えると、そのほかにたくさんの海賊版が作られていたのは確かです。
いずれにしても『魔女に与える鉄槌』が、当時としては驚異的な版数を重ねたことは、何よりもその需要の大きさを物語るものです。
この本は、想像以上に速いスピードで、全ヨーロッパに広がったと思われます。
その理由はこの書物が、いわば「裏モノ」というべき性格を持っていたからです。いつの時代においても「裏モノ」の伝播と増殖のスピードは「表モノ」よりも圧倒的に速いものです。
この書物は魔女狩りのマニュアルという以上に、人々の心を捉える何かを内包していました。
そして、中世の暗黒時代を象徴する魔女狩りは、『魔女に与える鉄槌』というこの上ないエンジンを手に入れたかのように、ヨーロッパの隅々にまで広がっていったのです。
この書物の記述は微に入り細に入り、神学的な出典がこれでもかと示されています。
そのために努力を傾注した著者たちの、息遣いさえ聞こえてきそうなほどです。
しかしもちろん、これを魔女狩りの推進エンジンとして始動させるためには、それ相当の仕掛けが必要であったのも確かです。
『魔女に与える鉄槌』が魔女狩りのエンジンになった理由を述べるためには、まずキリスト教とは何かという点を明らかにしていかなければなりません。
最初にひと言だけ述べておくと、その理由は「それが印刷された言葉」だからです。
私たちはどういうわけか、書かれているものや、印刷されたものに深い意味を見出そうとする生き物であり、それに非常に囚われてしまうものです。
実はキリスト教の成り立ちにはこの点が大きく関係しています。
(略)キリスト教の本当の開祖は、歴史的に見れば、それがコンスタンティヌス大帝(コンスタンティヌス1世)であることは一目瞭然です。
特筆すべきことは、325年に行なわれた第1回ニケア公会議です。
ローマカトリック教会には、公会議という最高会議があり、全世界の教会の司教が出席し、教義や典礼、教会法などについて審議、決定を行なう最高意思決定機関です。
この教会史上初の第1回ニケア公会議を開催し主導したのが、コンスタンティヌス大帝でした。
当時キリスト教は、キリスト論や三位一体論の解釈をめぐり対立していました。
なかでも信徒からなるアリウス派は三位一体を否定し、唯一神を主張したので、三位一体を唱えるアタナシウス派と激しく対立しました。
一方、コンスタンティヌス大帝はローマ帝国の再統一を果たす野望を抱いており、そのためにキリスト教という宗教の力を利用するつもりだったので、アリウス派を排除する側につき、結局アリウス派はアタナシウス派に破れて異端とされてしまったのです。
コンスタンティヌス大帝はその勢いで、正典の編纂に取り掛かりました。
現在伝えられる『新約聖書27編』は、アリウス派を異端として退けたアタナシウスその人が選んだものです。
もちろんその選択にコンスタンティヌス大帝の意思が大いに関わったのは確実です。
なぜなら為政者が自らの権力統治に、都合の悪い内容を国教と認めるはずがないからです。
またキリスト教の開祖はパウロだという根拠も、イエスと1度も会っていないパウロによってイエス像が描かれており、イエスが話していたアラム語ではなく、ヘブライ語やギリシャ語で最近書かれた書簡の多くが新約聖書に選択され、教義の中心とされていることにあります。
ただしこのパウロ書簡を採択させた張本人は、コンスタンティヌス大帝です。
しかしながらトマスの福音書やユダの福音書、マグダラのマリアの福音書など、支配統治に都合の悪そうな福音書はしっかり退けられています。
英語の「Virgin」に置き換えられたもともとのヘブライ語は「若い女性」という意味であり、イエスの処女懐胎が教義とされたのは、325年ニケア公会議においてです。
もともとはヘブライ語で”almah”という単語が使われており、これは結婚適齢期の女性、もしくは新婚の女性を表す一般名詞です。
これがギリシア語に訳される過程で、若い女性と処女の両方を意味する”παρѲνο(parthenos)”と訳されました。
つまりニケア公会議ではヘブライ語の元の言葉を無視して、ギリシア語の派生的意味合いの「処女」をわざわざ選んだのです。
思うに、2000年前の世界ではどの地域においても、性習俗は緩(ゆる)いものであったと考えられます。
現代のように、国家が家族を統治の単位と考えて規制していたわけではなく、女性が男性の経済力を頼って生きる時代でもなかったのです。
したがってキリストが処女から生まれなければならない特別な理由もはじめからなかったのです。
それをわざわざ「処女」と訳したのは、キリストの死後300年の時が経ってからであり、そうでなければならない理由が別に生じたからと考えられます。
正典に加えられず、焚書(ふんしょ・焼却された文書)はいったいどのくらいの量に上ったことでしょうか。
たとえば20世紀に発見された死海文書は、およそ850巻にのぼっており、洞窟の中から膨大な文書が見つかったことで世界中が驚いたのですが、それでも当時、焚書された量に比べれば、ほんのわずかにすぎないと考えられています。
それは死海文書の100倍という規模で、焚書が行なわれたとしても驚くにはあたらないのです。
こうした文書が『新約聖書』27編に集約されたわけです。
キリスト教はこのときに整理され、はじめて現在に伝わるキリスト教の姿になりました。
そしてアタナシウスが選んだとされる27編は、397年の第3回カルタゴ公会議において、『新約聖書正典』として認められました。
以後、ローマカトリック教会はこの正典を一字一句いじらずに、現代に伝えているわけです。
そうだとすればキリスト教の開祖は、イエス・キリストでもなく、パウロでもなく、コンスタンティヌス大帝である、としなくてはなりません。
コンスタンティヌス大帝が主導し、その意向を働かせて27編を選ばせたという歴史的事実を見れば、キリスト教の開祖は彼しかいないのです。
また、もともとわからなかったイエスの生誕日を12月25日としたのも、当時ローマ帝国でキリスト教より流行していた、ミトラ教の教祖の生誕日が12月25日であったのを取り入れたものであり、聖母伝説を取り入れたりすることで、ミトラ教徒の取り込みまで行なわれていました。
ミトラという言葉は、サンスクリット語のマイトレーヤ(弥勒菩薩)と同語源です。
キリスト教が大乗仏教と似ていると言われるのは、時代的にもミトラ教を取り込んだためかもしれません。
「現代版 魔女の鉄槌」 苫米地英人著 フォレスト出版
抜粋したもの
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もし、あなたが一瞬で相手と良好な人間関係を築きたいのなら、
この人間心理を理解しておくことをオススメします。
初めての人とでも自然に良好な人間関係を築く方法がわかる
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キリスト教の開祖はコンスタンティヌス大帝 A
http://8729-13.cocolog-nifty.com/blog/2012/11/index.html#entry-83605331
聖書をしのぐ大ベストセラー『魔女に与える鉄槌』
15世紀から17世紀という二百数十年の間に魔女裁判で処刑された人は、数百万人とも推計されています。
戦争に明け暮れたヨーロッパでは裁判記録は消失しており、残っているのはごくわずかのものです。
そのために実際にどれほどの人が処刑されたのか、正確なことは誰にもわかりません。
断片的な記録から、中世ヨーロッパの世界で魔女狩りが大変な猛威を振るったことがわかっているのですが、興味深いことに、その流行はある時期を境に急速に終息しています。
何かきっかけが存在するはずなのですが、探してもこれといった出来事は見つかりません。
たとえれば昨日まで重病に苦しんでいた人が、朝目を覚ますとケロッとして起き上がってきたという感じで、これは実に不思議なことだといわなくてはなりません。
ほとんど指摘されてはいないことですが、私の考えでは、魔女狩りの流行はヨハネス・グーテンベルクによる印刷機の発明ときわめて深く関係しています。
1445年にグーテンベルクは、葡萄の圧搾機にヒントを得て活版印刷術を発明しました。
これが、私たちが世界三大発明と呼ぶほどの強烈なインパクトを、その後の社会にもたらすことになります。
それから10年後に、彼は後にグーテンベルク聖書と呼ばれる『ウルガタ』(ラテン語訳聖書)を底本とした印刷聖書を世界で初めて作りました。
グーテンベルク聖書の初版部数は現代の感覚では「わずか」ともいえるほどで、ほんの180部に過ぎませんでした。
その値段を知るすべはありませんが、おそらく現代に置き換えれば、聖書1冊でフェラーリが1台買えるほど高価なものであったと思われます。
しかしその陰に、聖書を遥かにしのぐ大ベストセラーが存在したことはほとんど知られていません。
それが、1487年にドイツで出版された『魔女に与える鉄槌(てっつい)』という書物です。
この本は異端審問官であったドミニコ会修道士ハインリッヒ・クラマーとケルン大学神学部長であったヤーコプ・シュプレンガーによって書かれたもので、いわば魔女狩りのための初めてのマニュアル本です。
1487年から1520年の間に13版の増刷がされ、1547年から1669年までの間にさらに33版が増刷されています。
一節には3万部程度刷られたといわれていますが、当時としては驚異的な部数です。
しかし伝えられている版数はあくまで公式の記録にすぎず、出版の本質がコピー文化であることを考えると、そのほかにたくさんの海賊版が作られていたのは確かです。
いずれにしても『魔女に与える鉄槌』が、当時としては驚異的な版数を重ねたことは、何よりもその需要の大きさを物語るものです。
この本は、想像以上に速いスピードで、全ヨーロッパに広がったと思われます。
その理由はこの書物が、いわば「裏モノ」というべき性格を持っていたからです。いつの時代においても「裏モノ」の伝播と増殖のスピードは「表モノ」よりも圧倒的に速いものです。
この書物は魔女狩りのマニュアルという以上に、人々の心を捉える何かを内包していました。
そして、中世の暗黒時代を象徴する魔女狩りは、『魔女に与える鉄槌』というこの上ないエンジンを手に入れたかのように、ヨーロッパの隅々にまで広がっていったのです。
この書物の記述は微に入り細に入り、神学的な出典がこれでもかと示されています。
そのために努力を傾注した著者たちの、息遣いさえ聞こえてきそうなほどです。
しかしもちろん、これを魔女狩りの推進エンジンとして始動させるためには、それ相当の仕掛けが必要であったのも確かです。
『魔女に与える鉄槌』が魔女狩りのエンジンになった理由を述べるためには、まずキリスト教とは何かという点を明らかにしていかなければなりません。
最初にひと言だけ述べておくと、その理由は「それが印刷された言葉」だからです。
私たちはどういうわけか、書かれているものや、印刷されたものに深い意味を見出そうとする生き物であり、それに非常に囚われてしまうものです。
実はキリスト教の成り立ちにはこの点が大きく関係しています。
(略)キリスト教の本当の開祖は、歴史的に見れば、それがコンスタンティヌス大帝(コンスタンティヌス1世)であることは一目瞭然です。
特筆すべきことは、325年に行なわれた第1回ニケア公会議です。
ローマカトリック教会には、公会議という最高会議があり、全世界の教会の司教が出席し、教義や典礼、教会法などについて審議、決定を行なう最高意思決定機関です。
この教会史上初の第1回ニケア公会議を開催し主導したのが、コンスタンティヌス大帝でした。
当時キリスト教は、キリスト論や三位一体論の解釈をめぐり対立していました。
なかでも信徒からなるアリウス派は三位一体を否定し、唯一神を主張したので、三位一体を唱えるアタナシウス派と激しく対立しました。
一方、コンスタンティヌス大帝はローマ帝国の再統一を果たす野望を抱いており、そのためにキリスト教という宗教の力を利用するつもりだったので、アリウス派を排除する側につき、結局アリウス派はアタナシウス派に破れて異端とされてしまったのです。
コンスタンティヌス大帝はその勢いで、正典の編纂に取り掛かりました。
現在伝えられる『新約聖書27編』は、アリウス派を異端として退けたアタナシウスその人が選んだものです。
もちろんその選択にコンスタンティヌス大帝の意思が大いに関わったのは確実です。
なぜなら為政者が自らの権力統治に、都合の悪い内容を国教と認めるはずがないからです。
またキリスト教の開祖はパウロだという根拠も、イエスと1度も会っていないパウロによってイエス像が描かれており、イエスが話していたアラム語ではなく、ヘブライ語やギリシャ語で最近書かれた書簡の多くが新約聖書に選択され、教義の中心とされていることにあります。
ただしこのパウロ書簡を採択させた張本人は、コンスタンティヌス大帝です。
しかしながらトマスの福音書やユダの福音書、マグダラのマリアの福音書など、支配統治に都合の悪そうな福音書はしっかり退けられています。
英語の「Virgin」に置き換えられたもともとのヘブライ語は「若い女性」という意味であり、イエスの処女懐胎が教義とされたのは、325年ニケア公会議においてです。
もともとはヘブライ語で”almah”という単語が使われており、これは結婚適齢期の女性、もしくは新婚の女性を表す一般名詞です。
これがギリシア語に訳される過程で、若い女性と処女の両方を意味する”παρѲνο(parthenos)”と訳されました。
つまりニケア公会議ではヘブライ語の元の言葉を無視して、ギリシア語の派生的意味合いの「処女」をわざわざ選んだのです。
思うに、2000年前の世界ではどの地域においても、性習俗は緩(ゆる)いものであったと考えられます。
現代のように、国家が家族を統治の単位と考えて規制していたわけではなく、女性が男性の経済力を頼って生きる時代でもなかったのです。
したがってキリストが処女から生まれなければならない特別な理由もはじめからなかったのです。
それをわざわざ「処女」と訳したのは、キリストの死後300年の時が経ってからであり、そうでなければならない理由が別に生じたからと考えられます。
正典に加えられず、焚書(ふんしょ・焼却された文書)はいったいどのくらいの量に上ったことでしょうか。
たとえば20世紀に発見された死海文書は、およそ850巻にのぼっており、洞窟の中から膨大な文書が見つかったことで世界中が驚いたのですが、それでも当時、焚書された量に比べれば、ほんのわずかにすぎないと考えられています。
それは死海文書の100倍という規模で、焚書が行なわれたとしても驚くにはあたらないのです。
こうした文書が『新約聖書』27編に集約されたわけです。
キリスト教はこのときに整理され、はじめて現在に伝わるキリスト教の姿になりました。
そしてアタナシウスが選んだとされる27編は、397年の第3回カルタゴ公会議において、『新約聖書正典』として認められました。
以後、ローマカトリック教会はこの正典を一字一句いじらずに、現代に伝えているわけです。
そうだとすればキリスト教の開祖は、イエス・キリストでもなく、パウロでもなく、コンスタンティヌス大帝である、としなくてはなりません。
コンスタンティヌス大帝が主導し、その意向を働かせて27編を選ばせたという歴史的事実を見れば、キリスト教の開祖は彼しかいないのです。
また、もともとわからなかったイエスの生誕日を12月25日としたのも、当時ローマ帝国でキリスト教より流行していた、ミトラ教の教祖の生誕日が12月25日であったのを取り入れたものであり、聖母伝説を取り入れたりすることで、ミトラ教徒の取り込みまで行なわれていました。
ミトラという言葉は、サンスクリット語のマイトレーヤ(弥勒菩薩)と同語源です。
キリスト教が大乗仏教と似ていると言われるのは、時代的にもミトラ教を取り込んだためかもしれません。
「現代版 魔女の鉄槌」 苫米地英人著 フォレスト出版
抜粋したもの
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