2013年02月02日
聖書は実際に「聖なる書」なのか?
zeraniumのブログ より転載
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聖書は実際に「聖なる書」なのか? B
http://8729-13.cocolog-nifty.com/blog/2012/11/index.html#entry-83620474
儒教について、私たちがよく知るのが『論語』の教えでしょう。
『論語』は孔子の死後数百年経ってから、彼の弟子たちがまとめたものです。
有名な一節を取り上げてみましょう。
『子の曰(いわ)く、吾(わ)れ十有五にして学に志す。
三十にして立つ。
四十にして惑(まど)わず。
五十にして天命を知る。
六十にして耳順(した)がう。
七十にして心の欲する所に従って、矩(のり)を踰(こ)えず。』 (為政篇)
これを読んで若い人は、「自分も勉強するぞ」と青雲の志を抱くに違いないし、40歳前後の人は「今の境遇も天命だ。
辛抱して頑張ろう」と、気持ちを引き締めることでしょう。
しかし、私に言わせれば、これこそが、実は奴隷の教えです。
15歳にして勉学に励み、30歳にして独立する。
ここまでは人々が受け入れやすい、ごく普通のことです。
当時の平均寿命からすると、子どもが30歳になる頃に親は大体死んでいますから、それまでに勉学して独立せよ、というわけです。
ところがその次の、「四十にして惑わず」から隠れた本領が姿を現します。
「惑わない」というのは、いろいろな可能性を考えて他に気をとられることなく、一つの価値感で迷わずに生きるということです。
つまり惑わずに奴隷の道を歩め、ということです。
そして「五十にして天命を知る」において、さらに奴隷のボルテージが上がります。
当時の「天」とは、間接的に皇帝を指しています。
もちろん「天」には神のような直接的な意味もありますが、儒教の本質は、この世の神が皇帝であるというものです。
それは戦前の神ならぬ天皇陛下のような位置づけです。
つまり「天命を知る」とは、皇帝の命令を自ら進んで理解して行動するということです。
きわめつきは、「七十にして心の欲するままに従って、矩を踰えず」でしょう。
その意味はそうやって、70歳になると思うままに振舞っても道を外れないようになった、というわけです。
つまり奴隷の人生を70年間続ければ、何をやっても奴隷の枠から外れることはなくなる、ということです。
これは大変な話です。この教えによって出来上がった聡明で勤勉で、かつ命令を聞く人間が、どれほど権力者にとって都合のいいものであったか、私たちはそこに注意を向ける必要があります。
その証拠に儒教国ではいまなお、親よりもいい会社に入ってはいけないし、親が死ぬまで親よりもいい暮らしをしてはいけないという考えが根強く残っています。
日本では明治維新後に西欧の民主主義が輸入されたために、今の日本人はそういう考えをあまり持ってはいませんが、江戸時代の日本人にとっては、それを守るのが真っ当な生き方であったのです。
蛇足ですが、日本では神道は明治維新とともに作り出されました。
神道とは、明治政府が作った人工宗教であり、西欧では宗教とは認められないような代物(しろもの)です。
おそらく明治政府は政治を行なう上で、天皇の扱いをどうするか困ったものと思われます。
維新の功績が天皇にあることは、薩摩や長州もよくよくわかっていました。
なぜなら倒幕のための最大の武器が「錦の御旗(にしきのみはた)」であったからです。
そこで明治政府は天皇を神格化することを画策しました。
そして、それまで埃をかぶっていた原始宗教を拾い上げ、きれいに塵を払い、「これが日本古来の宗教だ」と掲げたのです。
しかし太古の神道には、教義も経典もありません。
そこでキリスト教を手本に、儒教の教えをベースにして形を整えました。
それでも神道は、神風特攻を遂行させることができるほどには成功したのです。
つまり大日本帝国の政府は、神道をうまく利用したのでした。
天皇家が時の政府による神格化の動きを、どのように受け止めていたのか、そこは定かではありません。
宗教は政治に利用されることをバネにして、勢力を拡大してきました。
権力者にとっては宗教は、実に使い出のある道具でした。それは人々を統治することはもちろん、政敵さえ失脚させることも簡単だからです。
「神の教えに背いている」と指弾することは、どんな嫌がらせよりも有効であったからです。
また領土的野心を満たそうとするときも、それは大いに役立ちました。
たとえばローマ帝国は、ゲルマン人との度重なる戦いに教会の司祭たちを伴い、占領地の住民にキリスト教を布教させたといわれています。
話をもう一度キリスト教に戻します。
今私たちがキリスト教と考えている宗教には、2つの大きな流れがあり、一つはカトリックで、すでに述べたようにローマ帝国が国教化したキリスト教であり、ローマ法王を頂点とするものです。
もう一つは、ご存知のようにプロテスタントです。そして実はプロテスタントにも、コンスタンティヌス大帝とは別の開祖がいるのです。
宗教を論じる際に、私がときどき紹介するエピソードの一つに、「ラリー・キング・ライブ」の話があります。
これは米国のCNNの看板トーク番組で、ラリー・キングが司会を務めており、アメリカ人の考え方や情勢を非常によく伝える格好のソースでした。
しかし残念ながら、2010年末に終了してしまいました。
それは9・11の出来事が起こり、その影響でイラク戦争が始まった頃で、このトーク番組で戦争の是非をめぐる討論が行なわれたときのことです。
出演者はユダヤ教の指導者のラビ、イスラムの宗教指導者、カトリックの神父、プロテスタントの牧師、そしてインド人のニュー・エイジ系指導者の5人でした。
そのとき、視聴者から電話で、「なぜ戦争では人を殺してもいいのですか」という質問が寄せられました。
すると、ユダヤ教のラビが「マーダー(murder)とキル(kill)は違う」と答えたのです。
つまり、戦争で行なう殺人はキルであって、それは許されるという意味です。
「ちょっと待て!」、と私は思わず突っ込みを入れたくなりましたが、番組に同席した他の宗教指導者たちは誰も反論しません。むしろ当たり前だと言わんばかりに平然としているのです。
それは実に不思議な光景でした。
この発言の裏には、宗教的な倫理があります。
つまり、神は「汝、人を殺すなかれ」とマーダー(murder)を禁じています。
人間が人間を殺すのが「マーダー」で、これは絶対に許されないはずです。
ただ旧約聖書の神は創世記の「ノアの箱舟」の話で、「悪を行なう人間」には大量殺戮を行なう神なのです。
しかし「正しい人」ノアは救われ、その子孫は「正しいこと」を続ける限り絶滅させられないとする契約を、神と締結しました。
そしてそこから、(神がそうであるから)、キルが許されないと言っているわけではない、という理屈が成り立つのです。
そこから導き出される論理は、
神との契約を守らない人間は、人類のために滅ぼされなければならないというものです。
ゆえに、人類のためにキルは許される、という結論にたどり着くのです。
ここで私が問題にしたいのは、彼らのおかしな論理のことではありません。
「マーダー」は許されないが、「キル」はその限りではないという彼らの解釈をたとえ百歩譲ってよしとしても、いったいその聖書は誰が書いた聖書なのか、という点です。
わかっていることですが、イエス・キリストもパウロも、アタナシウスも、そしてコンスタンティヌス大帝も、「マーダー」と「キル」の使い分けなど一切してはいないのです。
英語の聖書というのは、通常イギリス国教会の聖書で、KJV聖書といわれます。
プロテスタントの聖書は英語で書かれたものであり、実はカトリックの聖書も英語の聖書のKJV聖書をベースにしています。
このKJVとは、King James Version の略で、キング・ジェームズ1世の名前が使われています。
もともと『新約聖書』はギリシャ語で書かれていましたが、それがラテン語に翻訳されて広まっていきました。
カトリック教会が正式に聖書と定めているのは、いまでもラテン語で書かれたものだけですが、それと同じ意味において多くのプロテスタント教会が聖書と定めているのは、英語で書かれた聖書だけなのです。
だとすれば、誰が英語の聖書を翻訳し、編纂したのかが決定的に重要なポイントになります。
プロテスタントの英語聖書を作ったのは、スコットランド・アイルランド・イングランドを治めたジェームズ1世(チャールズ・ジェームズ・スチュアート)です。
彼は1611年に、イギリス国教会の典礼に使うという理由から『欽定(きんてい)訳聖書』(KJV聖書)をつくりました。
実は『欽定訳聖書』が誕生する14年ほど前、ジェームズ1世は『デモノロジー』(悪魔学)という書物を著わしています。
この本は、先に紹介した『魔女に与える鉄槌』の流れを汲み、イギリスにおける魔女狩りの指南書としての役割を果たしました。
つまり、イギリスの魔女狩りを主導した王が、現代に受け継がれるイギリス国教会の聖書、KJV聖書ををつくったのです。
「現代版 魔女の鉄槌」 苫米地英人著 フォレスト出版
抜粋したもの
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聖書は実際に「聖なる書」なのか? B
http://8729-13.cocolog-nifty.com/blog/2012/11/index.html#entry-83620474
儒教について、私たちがよく知るのが『論語』の教えでしょう。
『論語』は孔子の死後数百年経ってから、彼の弟子たちがまとめたものです。
有名な一節を取り上げてみましょう。
『子の曰(いわ)く、吾(わ)れ十有五にして学に志す。
三十にして立つ。
四十にして惑(まど)わず。
五十にして天命を知る。
六十にして耳順(した)がう。
七十にして心の欲する所に従って、矩(のり)を踰(こ)えず。』 (為政篇)
これを読んで若い人は、「自分も勉強するぞ」と青雲の志を抱くに違いないし、40歳前後の人は「今の境遇も天命だ。
辛抱して頑張ろう」と、気持ちを引き締めることでしょう。
しかし、私に言わせれば、これこそが、実は奴隷の教えです。
15歳にして勉学に励み、30歳にして独立する。
ここまでは人々が受け入れやすい、ごく普通のことです。
当時の平均寿命からすると、子どもが30歳になる頃に親は大体死んでいますから、それまでに勉学して独立せよ、というわけです。
ところがその次の、「四十にして惑わず」から隠れた本領が姿を現します。
「惑わない」というのは、いろいろな可能性を考えて他に気をとられることなく、一つの価値感で迷わずに生きるということです。
つまり惑わずに奴隷の道を歩め、ということです。
そして「五十にして天命を知る」において、さらに奴隷のボルテージが上がります。
当時の「天」とは、間接的に皇帝を指しています。
もちろん「天」には神のような直接的な意味もありますが、儒教の本質は、この世の神が皇帝であるというものです。
それは戦前の神ならぬ天皇陛下のような位置づけです。
つまり「天命を知る」とは、皇帝の命令を自ら進んで理解して行動するということです。
きわめつきは、「七十にして心の欲するままに従って、矩を踰えず」でしょう。
その意味はそうやって、70歳になると思うままに振舞っても道を外れないようになった、というわけです。
つまり奴隷の人生を70年間続ければ、何をやっても奴隷の枠から外れることはなくなる、ということです。
これは大変な話です。この教えによって出来上がった聡明で勤勉で、かつ命令を聞く人間が、どれほど権力者にとって都合のいいものであったか、私たちはそこに注意を向ける必要があります。
その証拠に儒教国ではいまなお、親よりもいい会社に入ってはいけないし、親が死ぬまで親よりもいい暮らしをしてはいけないという考えが根強く残っています。
日本では明治維新後に西欧の民主主義が輸入されたために、今の日本人はそういう考えをあまり持ってはいませんが、江戸時代の日本人にとっては、それを守るのが真っ当な生き方であったのです。
蛇足ですが、日本では神道は明治維新とともに作り出されました。
神道とは、明治政府が作った人工宗教であり、西欧では宗教とは認められないような代物(しろもの)です。
おそらく明治政府は政治を行なう上で、天皇の扱いをどうするか困ったものと思われます。
維新の功績が天皇にあることは、薩摩や長州もよくよくわかっていました。
なぜなら倒幕のための最大の武器が「錦の御旗(にしきのみはた)」であったからです。
そこで明治政府は天皇を神格化することを画策しました。
そして、それまで埃をかぶっていた原始宗教を拾い上げ、きれいに塵を払い、「これが日本古来の宗教だ」と掲げたのです。
しかし太古の神道には、教義も経典もありません。
そこでキリスト教を手本に、儒教の教えをベースにして形を整えました。
それでも神道は、神風特攻を遂行させることができるほどには成功したのです。
つまり大日本帝国の政府は、神道をうまく利用したのでした。
天皇家が時の政府による神格化の動きを、どのように受け止めていたのか、そこは定かではありません。
宗教は政治に利用されることをバネにして、勢力を拡大してきました。
権力者にとっては宗教は、実に使い出のある道具でした。それは人々を統治することはもちろん、政敵さえ失脚させることも簡単だからです。
「神の教えに背いている」と指弾することは、どんな嫌がらせよりも有効であったからです。
また領土的野心を満たそうとするときも、それは大いに役立ちました。
たとえばローマ帝国は、ゲルマン人との度重なる戦いに教会の司祭たちを伴い、占領地の住民にキリスト教を布教させたといわれています。
話をもう一度キリスト教に戻します。
今私たちがキリスト教と考えている宗教には、2つの大きな流れがあり、一つはカトリックで、すでに述べたようにローマ帝国が国教化したキリスト教であり、ローマ法王を頂点とするものです。
もう一つは、ご存知のようにプロテスタントです。そして実はプロテスタントにも、コンスタンティヌス大帝とは別の開祖がいるのです。
宗教を論じる際に、私がときどき紹介するエピソードの一つに、「ラリー・キング・ライブ」の話があります。
これは米国のCNNの看板トーク番組で、ラリー・キングが司会を務めており、アメリカ人の考え方や情勢を非常によく伝える格好のソースでした。
しかし残念ながら、2010年末に終了してしまいました。
それは9・11の出来事が起こり、その影響でイラク戦争が始まった頃で、このトーク番組で戦争の是非をめぐる討論が行なわれたときのことです。
出演者はユダヤ教の指導者のラビ、イスラムの宗教指導者、カトリックの神父、プロテスタントの牧師、そしてインド人のニュー・エイジ系指導者の5人でした。
そのとき、視聴者から電話で、「なぜ戦争では人を殺してもいいのですか」という質問が寄せられました。
すると、ユダヤ教のラビが「マーダー(murder)とキル(kill)は違う」と答えたのです。
つまり、戦争で行なう殺人はキルであって、それは許されるという意味です。
「ちょっと待て!」、と私は思わず突っ込みを入れたくなりましたが、番組に同席した他の宗教指導者たちは誰も反論しません。むしろ当たり前だと言わんばかりに平然としているのです。
それは実に不思議な光景でした。
この発言の裏には、宗教的な倫理があります。
つまり、神は「汝、人を殺すなかれ」とマーダー(murder)を禁じています。
人間が人間を殺すのが「マーダー」で、これは絶対に許されないはずです。
ただ旧約聖書の神は創世記の「ノアの箱舟」の話で、「悪を行なう人間」には大量殺戮を行なう神なのです。
しかし「正しい人」ノアは救われ、その子孫は「正しいこと」を続ける限り絶滅させられないとする契約を、神と締結しました。
そしてそこから、(神がそうであるから)、キルが許されないと言っているわけではない、という理屈が成り立つのです。
そこから導き出される論理は、
神との契約を守らない人間は、人類のために滅ぼされなければならないというものです。
ゆえに、人類のためにキルは許される、という結論にたどり着くのです。
ここで私が問題にしたいのは、彼らのおかしな論理のことではありません。
「マーダー」は許されないが、「キル」はその限りではないという彼らの解釈をたとえ百歩譲ってよしとしても、いったいその聖書は誰が書いた聖書なのか、という点です。
わかっていることですが、イエス・キリストもパウロも、アタナシウスも、そしてコンスタンティヌス大帝も、「マーダー」と「キル」の使い分けなど一切してはいないのです。
英語の聖書というのは、通常イギリス国教会の聖書で、KJV聖書といわれます。
プロテスタントの聖書は英語で書かれたものであり、実はカトリックの聖書も英語の聖書のKJV聖書をベースにしています。
このKJVとは、King James Version の略で、キング・ジェームズ1世の名前が使われています。
もともと『新約聖書』はギリシャ語で書かれていましたが、それがラテン語に翻訳されて広まっていきました。
カトリック教会が正式に聖書と定めているのは、いまでもラテン語で書かれたものだけですが、それと同じ意味において多くのプロテスタント教会が聖書と定めているのは、英語で書かれた聖書だけなのです。
だとすれば、誰が英語の聖書を翻訳し、編纂したのかが決定的に重要なポイントになります。
プロテスタントの英語聖書を作ったのは、スコットランド・アイルランド・イングランドを治めたジェームズ1世(チャールズ・ジェームズ・スチュアート)です。
彼は1611年に、イギリス国教会の典礼に使うという理由から『欽定(きんてい)訳聖書』(KJV聖書)をつくりました。
実は『欽定訳聖書』が誕生する14年ほど前、ジェームズ1世は『デモノロジー』(悪魔学)という書物を著わしています。
この本は、先に紹介した『魔女に与える鉄槌』の流れを汲み、イギリスにおける魔女狩りの指南書としての役割を果たしました。
つまり、イギリスの魔女狩りを主導した王が、現代に受け継がれるイギリス国教会の聖書、KJV聖書ををつくったのです。
「現代版 魔女の鉄槌」 苫米地英人著 フォレスト出版
抜粋したもの
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