2013年02月02日
聖書をしのぐ大ベストセラー『魔女に与える鉄槌』
zeraniumのブログ より転載
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キリスト教の開祖はコンスタンティヌス大帝 A
http://8729-13.cocolog-nifty.com/blog/2012/11/index.html#entry-83605331
聖書をしのぐ大ベストセラー『魔女に与える鉄槌』
15世紀から17世紀という二百数十年の間に魔女裁判で処刑された人は、数百万人とも推計されています。
戦争に明け暮れたヨーロッパでは裁判記録は消失しており、残っているのはごくわずかのものです。
そのために実際にどれほどの人が処刑されたのか、正確なことは誰にもわかりません。
断片的な記録から、中世ヨーロッパの世界で魔女狩りが大変な猛威を振るったことがわかっているのですが、興味深いことに、その流行はある時期を境に急速に終息しています。
何かきっかけが存在するはずなのですが、探してもこれといった出来事は見つかりません。
たとえれば昨日まで重病に苦しんでいた人が、朝目を覚ますとケロッとして起き上がってきたという感じで、これは実に不思議なことだといわなくてはなりません。
ほとんど指摘されてはいないことですが、私の考えでは、魔女狩りの流行はヨハネス・グーテンベルクによる印刷機の発明ときわめて深く関係しています。
1445年にグーテンベルクは、葡萄の圧搾機にヒントを得て活版印刷術を発明しました。
これが、私たちが世界三大発明と呼ぶほどの強烈なインパクトを、その後の社会にもたらすことになります。
それから10年後に、彼は後にグーテンベルク聖書と呼ばれる『ウルガタ』(ラテン語訳聖書)を底本とした印刷聖書を世界で初めて作りました。
グーテンベルク聖書の初版部数は現代の感覚では「わずか」ともいえるほどで、ほんの180部に過ぎませんでした。
その値段を知るすべはありませんが、おそらく現代に置き換えれば、聖書1冊でフェラーリが1台買えるほど高価なものであったと思われます。
しかしその陰に、聖書を遥かにしのぐ大ベストセラーが存在したことはほとんど知られていません。
それが、1487年にドイツで出版された『魔女に与える鉄槌(てっつい)』という書物です。
この本は異端審問官であったドミニコ会修道士ハインリッヒ・クラマーとケルン大学神学部長であったヤーコプ・シュプレンガーによって書かれたもので、いわば魔女狩りのための初めてのマニュアル本です。
1487年から1520年の間に13版の増刷がされ、1547年から1669年までの間にさらに33版が増刷されています。
一節には3万部程度刷られたといわれていますが、当時としては驚異的な部数です。
しかし伝えられている版数はあくまで公式の記録にすぎず、出版の本質がコピー文化であることを考えると、そのほかにたくさんの海賊版が作られていたのは確かです。
いずれにしても『魔女に与える鉄槌』が、当時としては驚異的な版数を重ねたことは、何よりもその需要の大きさを物語るものです。
この本は、想像以上に速いスピードで、全ヨーロッパに広がったと思われます。
その理由はこの書物が、いわば「裏モノ」というべき性格を持っていたからです。いつの時代においても「裏モノ」の伝播と増殖のスピードは「表モノ」よりも圧倒的に速いものです。
この書物は魔女狩りのマニュアルという以上に、人々の心を捉える何かを内包していました。
そして、中世の暗黒時代を象徴する魔女狩りは、『魔女に与える鉄槌』というこの上ないエンジンを手に入れたかのように、ヨーロッパの隅々にまで広がっていったのです。
この書物の記述は微に入り細に入り、神学的な出典がこれでもかと示されています。
そのために努力を傾注した著者たちの、息遣いさえ聞こえてきそうなほどです。
しかしもちろん、これを魔女狩りの推進エンジンとして始動させるためには、それ相当の仕掛けが必要であったのも確かです。
『魔女に与える鉄槌』が魔女狩りのエンジンになった理由を述べるためには、まずキリスト教とは何かという点を明らかにしていかなければなりません。
最初にひと言だけ述べておくと、その理由は「それが印刷された言葉」だからです。
私たちはどういうわけか、書かれているものや、印刷されたものに深い意味を見出そうとする生き物であり、それに非常に囚われてしまうものです。
実はキリスト教の成り立ちにはこの点が大きく関係しています。
(略)キリスト教の本当の開祖は、歴史的に見れば、それがコンスタンティヌス大帝(コンスタンティヌス1世)であることは一目瞭然です。
特筆すべきことは、325年に行なわれた第1回ニケア公会議です。
ローマカトリック教会には、公会議という最高会議があり、全世界の教会の司教が出席し、教義や典礼、教会法などについて審議、決定を行なう最高意思決定機関です。
この教会史上初の第1回ニケア公会議を開催し主導したのが、コンスタンティヌス大帝でした。
当時キリスト教は、キリスト論や三位一体論の解釈をめぐり対立していました。
なかでも信徒からなるアリウス派は三位一体を否定し、唯一神を主張したので、三位一体を唱えるアタナシウス派と激しく対立しました。
一方、コンスタンティヌス大帝はローマ帝国の再統一を果たす野望を抱いており、そのためにキリスト教という宗教の力を利用するつもりだったので、アリウス派を排除する側につき、結局アリウス派はアタナシウス派に破れて異端とされてしまったのです。
コンスタンティヌス大帝はその勢いで、正典の編纂に取り掛かりました。
現在伝えられる『新約聖書27編』は、アリウス派を異端として退けたアタナシウスその人が選んだものです。
もちろんその選択にコンスタンティヌス大帝の意思が大いに関わったのは確実です。
なぜなら為政者が自らの権力統治に、都合の悪い内容を国教と認めるはずがないからです。
またキリスト教の開祖はパウロだという根拠も、イエスと1度も会っていないパウロによってイエス像が描かれており、イエスが話していたアラム語ではなく、ヘブライ語やギリシャ語で最近書かれた書簡の多くが新約聖書に選択され、教義の中心とされていることにあります。
ただしこのパウロ書簡を採択させた張本人は、コンスタンティヌス大帝です。
しかしながらトマスの福音書やユダの福音書、マグダラのマリアの福音書など、支配統治に都合の悪そうな福音書はしっかり退けられています。
英語の「Virgin」に置き換えられたもともとのヘブライ語は「若い女性」という意味であり、イエスの処女懐胎が教義とされたのは、325年ニケア公会議においてです。
もともとはヘブライ語で”almah”という単語が使われており、これは結婚適齢期の女性、もしくは新婚の女性を表す一般名詞です。
これがギリシア語に訳される過程で、若い女性と処女の両方を意味する”παρѲνο(parthenos)”と訳されました。
つまりニケア公会議ではヘブライ語の元の言葉を無視して、ギリシア語の派生的意味合いの「処女」をわざわざ選んだのです。
思うに、2000年前の世界ではどの地域においても、性習俗は緩(ゆる)いものであったと考えられます。
現代のように、国家が家族を統治の単位と考えて規制していたわけではなく、女性が男性の経済力を頼って生きる時代でもなかったのです。
したがってキリストが処女から生まれなければならない特別な理由もはじめからなかったのです。
それをわざわざ「処女」と訳したのは、キリストの死後300年の時が経ってからであり、そうでなければならない理由が別に生じたからと考えられます。
正典に加えられず、焚書(ふんしょ・焼却された文書)はいったいどのくらいの量に上ったことでしょうか。
たとえば20世紀に発見された死海文書は、およそ850巻にのぼっており、洞窟の中から膨大な文書が見つかったことで世界中が驚いたのですが、それでも当時、焚書された量に比べれば、ほんのわずかにすぎないと考えられています。
それは死海文書の100倍という規模で、焚書が行なわれたとしても驚くにはあたらないのです。
こうした文書が『新約聖書』27編に集約されたわけです。
キリスト教はこのときに整理され、はじめて現在に伝わるキリスト教の姿になりました。
そしてアタナシウスが選んだとされる27編は、397年の第3回カルタゴ公会議において、『新約聖書正典』として認められました。
以後、ローマカトリック教会はこの正典を一字一句いじらずに、現代に伝えているわけです。
そうだとすればキリスト教の開祖は、イエス・キリストでもなく、パウロでもなく、コンスタンティヌス大帝である、としなくてはなりません。
コンスタンティヌス大帝が主導し、その意向を働かせて27編を選ばせたという歴史的事実を見れば、キリスト教の開祖は彼しかいないのです。
また、もともとわからなかったイエスの生誕日を12月25日としたのも、当時ローマ帝国でキリスト教より流行していた、ミトラ教の教祖の生誕日が12月25日であったのを取り入れたものであり、聖母伝説を取り入れたりすることで、ミトラ教徒の取り込みまで行なわれていました。
ミトラという言葉は、サンスクリット語のマイトレーヤ(弥勒菩薩)と同語源です。
キリスト教が大乗仏教と似ていると言われるのは、時代的にもミトラ教を取り込んだためかもしれません。
「現代版 魔女の鉄槌」 苫米地英人著 フォレスト出版
抜粋したもの
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キリスト教の開祖はコンスタンティヌス大帝 A
http://8729-13.cocolog-nifty.com/blog/2012/11/index.html#entry-83605331
聖書をしのぐ大ベストセラー『魔女に与える鉄槌』
15世紀から17世紀という二百数十年の間に魔女裁判で処刑された人は、数百万人とも推計されています。
戦争に明け暮れたヨーロッパでは裁判記録は消失しており、残っているのはごくわずかのものです。
そのために実際にどれほどの人が処刑されたのか、正確なことは誰にもわかりません。
断片的な記録から、中世ヨーロッパの世界で魔女狩りが大変な猛威を振るったことがわかっているのですが、興味深いことに、その流行はある時期を境に急速に終息しています。
何かきっかけが存在するはずなのですが、探してもこれといった出来事は見つかりません。
たとえれば昨日まで重病に苦しんでいた人が、朝目を覚ますとケロッとして起き上がってきたという感じで、これは実に不思議なことだといわなくてはなりません。
ほとんど指摘されてはいないことですが、私の考えでは、魔女狩りの流行はヨハネス・グーテンベルクによる印刷機の発明ときわめて深く関係しています。
1445年にグーテンベルクは、葡萄の圧搾機にヒントを得て活版印刷術を発明しました。
これが、私たちが世界三大発明と呼ぶほどの強烈なインパクトを、その後の社会にもたらすことになります。
それから10年後に、彼は後にグーテンベルク聖書と呼ばれる『ウルガタ』(ラテン語訳聖書)を底本とした印刷聖書を世界で初めて作りました。
グーテンベルク聖書の初版部数は現代の感覚では「わずか」ともいえるほどで、ほんの180部に過ぎませんでした。
その値段を知るすべはありませんが、おそらく現代に置き換えれば、聖書1冊でフェラーリが1台買えるほど高価なものであったと思われます。
しかしその陰に、聖書を遥かにしのぐ大ベストセラーが存在したことはほとんど知られていません。
それが、1487年にドイツで出版された『魔女に与える鉄槌(てっつい)』という書物です。
この本は異端審問官であったドミニコ会修道士ハインリッヒ・クラマーとケルン大学神学部長であったヤーコプ・シュプレンガーによって書かれたもので、いわば魔女狩りのための初めてのマニュアル本です。
1487年から1520年の間に13版の増刷がされ、1547年から1669年までの間にさらに33版が増刷されています。
一節には3万部程度刷られたといわれていますが、当時としては驚異的な部数です。
しかし伝えられている版数はあくまで公式の記録にすぎず、出版の本質がコピー文化であることを考えると、そのほかにたくさんの海賊版が作られていたのは確かです。
いずれにしても『魔女に与える鉄槌』が、当時としては驚異的な版数を重ねたことは、何よりもその需要の大きさを物語るものです。
この本は、想像以上に速いスピードで、全ヨーロッパに広がったと思われます。
その理由はこの書物が、いわば「裏モノ」というべき性格を持っていたからです。いつの時代においても「裏モノ」の伝播と増殖のスピードは「表モノ」よりも圧倒的に速いものです。
この書物は魔女狩りのマニュアルという以上に、人々の心を捉える何かを内包していました。
そして、中世の暗黒時代を象徴する魔女狩りは、『魔女に与える鉄槌』というこの上ないエンジンを手に入れたかのように、ヨーロッパの隅々にまで広がっていったのです。
この書物の記述は微に入り細に入り、神学的な出典がこれでもかと示されています。
そのために努力を傾注した著者たちの、息遣いさえ聞こえてきそうなほどです。
しかしもちろん、これを魔女狩りの推進エンジンとして始動させるためには、それ相当の仕掛けが必要であったのも確かです。
『魔女に与える鉄槌』が魔女狩りのエンジンになった理由を述べるためには、まずキリスト教とは何かという点を明らかにしていかなければなりません。
最初にひと言だけ述べておくと、その理由は「それが印刷された言葉」だからです。
私たちはどういうわけか、書かれているものや、印刷されたものに深い意味を見出そうとする生き物であり、それに非常に囚われてしまうものです。
実はキリスト教の成り立ちにはこの点が大きく関係しています。
(略)キリスト教の本当の開祖は、歴史的に見れば、それがコンスタンティヌス大帝(コンスタンティヌス1世)であることは一目瞭然です。
特筆すべきことは、325年に行なわれた第1回ニケア公会議です。
ローマカトリック教会には、公会議という最高会議があり、全世界の教会の司教が出席し、教義や典礼、教会法などについて審議、決定を行なう最高意思決定機関です。
この教会史上初の第1回ニケア公会議を開催し主導したのが、コンスタンティヌス大帝でした。
当時キリスト教は、キリスト論や三位一体論の解釈をめぐり対立していました。
なかでも信徒からなるアリウス派は三位一体を否定し、唯一神を主張したので、三位一体を唱えるアタナシウス派と激しく対立しました。
一方、コンスタンティヌス大帝はローマ帝国の再統一を果たす野望を抱いており、そのためにキリスト教という宗教の力を利用するつもりだったので、アリウス派を排除する側につき、結局アリウス派はアタナシウス派に破れて異端とされてしまったのです。
コンスタンティヌス大帝はその勢いで、正典の編纂に取り掛かりました。
現在伝えられる『新約聖書27編』は、アリウス派を異端として退けたアタナシウスその人が選んだものです。
もちろんその選択にコンスタンティヌス大帝の意思が大いに関わったのは確実です。
なぜなら為政者が自らの権力統治に、都合の悪い内容を国教と認めるはずがないからです。
またキリスト教の開祖はパウロだという根拠も、イエスと1度も会っていないパウロによってイエス像が描かれており、イエスが話していたアラム語ではなく、ヘブライ語やギリシャ語で最近書かれた書簡の多くが新約聖書に選択され、教義の中心とされていることにあります。
ただしこのパウロ書簡を採択させた張本人は、コンスタンティヌス大帝です。
しかしながらトマスの福音書やユダの福音書、マグダラのマリアの福音書など、支配統治に都合の悪そうな福音書はしっかり退けられています。
英語の「Virgin」に置き換えられたもともとのヘブライ語は「若い女性」という意味であり、イエスの処女懐胎が教義とされたのは、325年ニケア公会議においてです。
もともとはヘブライ語で”almah”という単語が使われており、これは結婚適齢期の女性、もしくは新婚の女性を表す一般名詞です。
これがギリシア語に訳される過程で、若い女性と処女の両方を意味する”παρѲνο(parthenos)”と訳されました。
つまりニケア公会議ではヘブライ語の元の言葉を無視して、ギリシア語の派生的意味合いの「処女」をわざわざ選んだのです。
思うに、2000年前の世界ではどの地域においても、性習俗は緩(ゆる)いものであったと考えられます。
現代のように、国家が家族を統治の単位と考えて規制していたわけではなく、女性が男性の経済力を頼って生きる時代でもなかったのです。
したがってキリストが処女から生まれなければならない特別な理由もはじめからなかったのです。
それをわざわざ「処女」と訳したのは、キリストの死後300年の時が経ってからであり、そうでなければならない理由が別に生じたからと考えられます。
正典に加えられず、焚書(ふんしょ・焼却された文書)はいったいどのくらいの量に上ったことでしょうか。
たとえば20世紀に発見された死海文書は、およそ850巻にのぼっており、洞窟の中から膨大な文書が見つかったことで世界中が驚いたのですが、それでも当時、焚書された量に比べれば、ほんのわずかにすぎないと考えられています。
それは死海文書の100倍という規模で、焚書が行なわれたとしても驚くにはあたらないのです。
こうした文書が『新約聖書』27編に集約されたわけです。
キリスト教はこのときに整理され、はじめて現在に伝わるキリスト教の姿になりました。
そしてアタナシウスが選んだとされる27編は、397年の第3回カルタゴ公会議において、『新約聖書正典』として認められました。
以後、ローマカトリック教会はこの正典を一字一句いじらずに、現代に伝えているわけです。
そうだとすればキリスト教の開祖は、イエス・キリストでもなく、パウロでもなく、コンスタンティヌス大帝である、としなくてはなりません。
コンスタンティヌス大帝が主導し、その意向を働かせて27編を選ばせたという歴史的事実を見れば、キリスト教の開祖は彼しかいないのです。
また、もともとわからなかったイエスの生誕日を12月25日としたのも、当時ローマ帝国でキリスト教より流行していた、ミトラ教の教祖の生誕日が12月25日であったのを取り入れたものであり、聖母伝説を取り入れたりすることで、ミトラ教徒の取り込みまで行なわれていました。
ミトラという言葉は、サンスクリット語のマイトレーヤ(弥勒菩薩)と同語源です。
キリスト教が大乗仏教と似ていると言われるのは、時代的にもミトラ教を取り込んだためかもしれません。
「現代版 魔女の鉄槌」 苫米地英人著 フォレスト出版
抜粋したもの
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