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2013年02月05日
変なメールがキタ...(-"-)
どーゆーヒドイ内容かと言うと、
「ツイッターでアカウントを15つくって、アフィリエイトをすぐ始めて下さい!」
はぁ???
何、考えているんでしょうね。 このメールの送信者。
すぐに、その人からのメールをぜんぶ削除しました。
しばらく、忘れていたら、
そしたら、「あなたは、資格を失いました!」ってメールがまた、来た。
変な人だぁぁぁ〜!
信じられない!
ツイッターで楽々もうかるって話は、こういうことなの?
アカウントを15も作って、自動投稿で24時間、投稿させるって、
スパムみたいじゃない。
ネット社会は、お互い、気持ちよく生きていくためのツールだと思う。
ツイッターでアカウント15も作らせて自動投稿って、人の迷惑かえりみず、
営業電話をかけまくるのと同じ。
子どものいない家に家庭教師の派遣は必要ないか?って
毎週、電話してくる学生もいるけど…。
子どもがいない家を全然、覚えていないのかしら?
電話番号みただけで、 「あ〜、また、家庭教師の営業電話だぁ〜。」ってわかる。
電話をかけるノルマがあって、やっているのかしらね?
電話をかけないと怒られるから、子どものいない家に毎週、家庭教師の営業電話。
組織的にやっているみたいだから、電話はバイトの学生みたい。
世の中の人に嫌われるようなコトをするビジネスは長つづきしないと思う!
押し売りはよくないよね。(*'ω'*)......
今は、生活に必要なモノを自分でネットで探す時代になっていると思う。
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はぁ???
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変な人だぁぁぁ〜!
信じられない!
ツイッターで楽々もうかるって話は、こういうことなの?
アカウントを15も作って、自動投稿で24時間、投稿させるって、
スパムみたいじゃない。
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営業電話をかけまくるのと同じ。
子どものいない家に家庭教師の派遣は必要ないか?って
毎週、電話してくる学生もいるけど…。
子どもがいない家を全然、覚えていないのかしら?
電話番号みただけで、 「あ〜、また、家庭教師の営業電話だぁ〜。」ってわかる。
電話をかけるノルマがあって、やっているのかしらね?
電話をかけないと怒られるから、子どものいない家に毎週、家庭教師の営業電話。
組織的にやっているみたいだから、電話はバイトの学生みたい。
世の中の人に嫌われるようなコトをするビジネスは長つづきしないと思う!
押し売りはよくないよね。(*'ω'*)......
今は、生活に必要なモノを自分でネットで探す時代になっていると思う。
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■社長がいなくても成長する会社を創る方法
『 あなたは、ビジネスが破綻する大半の原因をご存知ですか? 』
その原因を世界No.1スモールビジネスアドバイザー
マイケルEガーバー氏は、このように言います。
------------------------------------------------------------------------------
『ビジネスを始める人の大半が、真の意味での「起業家」ではなく、
起業したい、という熱に浮かれた「職人」として働いているに過ぎない。』
by マイケルEガーバー
------------------------------------------------------------------------------
破綻するビジネスの原因は、この事実にあります。
「職人」によって運営されているビジネスは、ビジネスが働くのではなく、
彼ら自身が毎日働くことによって、成り立っています。
彼らは毎日、自分がやり方を知っている仕事を一生懸命にこなしていますが、
「起業家」としての視点が無いために、成長に限界が生まれます。
そして、生計を立てるために、彼ら自身がずっと働き続けないとならないのです。
====================================
大半の起業家が陥る、この悲劇的な状況に気が付いた
マイケルE.ガーバー氏は、1977年、世界初のビジネスコーチング会社、
E-Myth World Wide社を設立しました。
その後、30年以上に渡り、効果が実証されたプログラムを使って、
世界7万社以上の「職人」によって運営されるビジネスを、世界クラスの
「起業家」によって運営される成功したビジネスへと変革させてきました。
マイケルE.ガーバー氏の思想によって、「職人型」ビジネスから
真の「起業家」によって運営されるビジネスに変革した企業は、
「E-Mythed Business(E-Myth化されたビジネス)」などとも言われています。
残念ながらこれまで、日本ではマイケルE.ガーバー氏の
思想を学べる機会がありませんでした。
しかし、2011年、日本において、マイケルE.ガーバー氏の
思想を受け継ぐ認定ファシリテーターが誕生しました。
そして、日本で初めて世界No.1スモールビジネスアドバイザー
マイケルE.ガーバー氏のエッセンスを学ぶことの出来る講座を
発見しました。
その名も・・・。
▼「社長がいなくても成長する会社を創る方法」【起業家の神話】2時間集中講義
http://123direct.info/tracking/af/814082/ykdOuPle/
と、言う非常に興味深いタイトルです。
この講座は、これから起業したいと考えている方、既にビジネスを始めているが、
「職人型」ビジネスから抜け出せない方、 または自分が「職人型」ビジネスに
なってしまっているのか知りたい方を対象としているそうです。
開催概要は以下のとおりです。
■講義内容
ーーーーーーーー
【はじめに】
・マイケルE.ガーバーの教えとは?
・ワールドクラスの企業経営を目指そう!
【第一部】
◆ なぜ大半のスモールビジネスが失敗に終わるのか?
・狂人のために働く経営者
・「起業家」と「職人」の違いとは?
・あなたの人生の目的とは何なのか?
・起業家熱にうなされた「職人」が作った会社は失敗する。
【第二部】
◆ 起業家はストーリーを語る
・ストーリーテラーが世界を回している。
・途方も無いことを成し遂げるためのシステム。
・非凡な人材を集めることに間違いがある。
・ルーティンワークの暴君から逃げろ。
【第三部】
◆ あなたのために働く会社をつくる出発点
・成長企業から学ぶ共通点
・起業家は「理想的な現実主義者」であれ。
・平凡な人が非凡な結果を生み出すシステム。
・起業家精神に火をつけろ!
(※講義内容は変更の可能性があります。)
ーーーーーーーーーーー
■【セミナー受講対象者】
ーーーーーーーーーーー
◆【起業準備中の方】
これから第一歩目を踏み出そうとしている方。
多くの起業家が犯す間違いをする前に、 その間違いを知り、 それに備えることが出来るでしょう。
◆【個人事業主の方】
デザイナー、プログラマー、士業、翻訳家、マーケター、コピーライター、コンサルタント、コーチなどなど
個人事業主、フリーランサーといわれる方々は、 まさにガーバーが「職人」と呼ぶタイプに陥りやすい方々だと思います。
講座では、 「あなたではなく、あなたの創り上げたビジネスを働かせる」 ためには、何をしたら良いのかを理解できます。
◆【中小企業経営者・経営陣の方】
CRMのシステムを提供する、Infusionsoft社は、 全経営陣がガーバーの講座に参加し、 業界No.1に躍り出ました。
事業の柱を増やしたい、組織化/システム化を進め、効率を高めたい、 経営理念を固め、より意義ある事業にしたい、
価格競争から脱却したい、 このような考えをお持ちの経営陣の方も対象にしています。
ーーーーーーーーーーー
いかがですか?
非常に興味深い内容ですよね?
この内容を知ってると知らないとでは
今後あなたが一生働き続けなくてはならない「職人」で終わるのか?
それともマイケルEガーバー氏が言う「新の起業家」へと成長していくのか?
それだけ大きな違いが出てくると思います。
しかも・・・。
世界No.1スモールビジネスアドバイザーの
これだけの充実した内容を学べるにも関わらず
ありえない価格になっていました。
詳細は、ご自身で確認してみてください。
http://123direct.info/tracking/af/814082/ykdOuPle/
@Petit_Soleil17 からのツイート
その原因を世界No.1スモールビジネスアドバイザー
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「起業家」によって運営される成功したビジネスへと変革させてきました。
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無料の講座【起業の神】をプレゼント
「世界中で【起業の神】と言われる1人の人物を、知っていますか?」
アメリカのビジネス紙「ウォールストリート・ジャーナル」で
歴史上ビジネスについて書かれた5つの本のうちの
No.1の一つとして選出され
「INC」誌で成長企業500社の経営者向けに行ったアンケートにおいて
「7つの習慣」「ビジョナリーカンパニー」などの歴史的名著を抑え
ナンバーワンのビジネス書に選ばれている著者
世界No.1スモールビジネスアドバイザーからの贈りものです。
どうぞ受け取ってください。
http://123direct.info/tracking/af/814082/IUAJRoB8/
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
■【 マイケルEガーバー 】プロフィール
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
マイケル E. ガーバー氏は1977年、スモールビジネス向けの
トレーニングを行う会社、E-Myth World Wide社を設立。
以来、145カ国、6万5000社のビジネスを成長させる手助けをしてきた。
また、世界の118の大学では、彼の著書がテキストとして用いられている。
E-Mtyhで紹介されている起業家、中小企業オーナー向けのフレームワークは、
いたるところで引用され、世界中に広がっている。
彼の代表的な著作「E-Myth Revisited(邦題:はじめの一歩を踏み出そう)」は
起業家、中小企業経営者のバイブルとしてベストセラーになり、米INC誌は
彼のことを“世界ナンバーワンのスモールビジネスの権威”と名づけた。
また、この本は、INC500企業の経営者向けに行ったアンケートにおいて、
「7つの習慣」「ビジョナリーカンパニー」などの名著を抑え、ナンバーワンの
ビジネス書に選ばれている。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
Marcheぷちそれいゆ
アメリカのビジネス紙「ウォールストリート・ジャーナル」で
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■【 マイケルEガーバー 】プロフィール
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マイケル E. ガーバー氏は1977年、スモールビジネス向けの
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以来、145カ国、6万5000社のビジネスを成長させる手助けをしてきた。
また、世界の118の大学では、彼の著書がテキストとして用いられている。
E-Mtyhで紹介されている起業家、中小企業オーナー向けのフレームワークは、
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彼の代表的な著作「E-Myth Revisited(邦題:はじめの一歩を踏み出そう)」は
起業家、中小企業経営者のバイブルとしてベストセラーになり、米INC誌は
彼のことを“世界ナンバーワンのスモールビジネスの権威”と名づけた。
また、この本は、INC500企業の経営者向けに行ったアンケートにおいて、
「7つの習慣」「ビジョナリーカンパニー」などの名著を抑え、ナンバーワンの
ビジネス書に選ばれている。
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Marcheぷちそれいゆ
2013年02月04日
我々は嘘のない「真実の歴史」が知りたい (2)
zeraniumのブログ より転載
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我々は嘘のない「真実の歴史」が知りたい
http://8729-13.cocolog-nifty.com/blog/2012/05/index.html#entry-79408611
ようやく戦後に不敬罪が解除されると、今日に至るまでの「明治天皇替え玉説」の研究者が数々の著作を発表するようになった。
その中で取り上げたい一冊がある。それが2007年刊行の『日本の一番醜い日』である。
ノンフィクション作家の鬼塚英昭氏は、日本の確かな未来を築くべく、膨大な資料の調査と取材を重ね、タブーとされる天皇の正体に挑んだ。
そこには、明治天皇が長州藩の創作によるものだとする、長州藩士一族の末裔の証言がある。
以下、引用する。
『終末から』(1974年8月号)に掲載された益田勝美の「天皇史の一面」を見てみよう。
益田勝美は長州の国家老・益田弾正の一族である。
彼の話は、山口県熊毛郡田布施町麻郷に生まれて孝明天皇の長子睦仁(むつひと)の替え玉になり、後に明治天皇となる「てんのうはん」について書いている。
「天皇様をお作り申したのは我々だとは、明治以前に生まれた長州の老人たちによく聞かされたことであった。
近代天皇制以前には、京都に天皇家はあったものの天皇の国家はなかった。
尊皇派が考えていた天皇の国家という考えは、思想として獲得されたものであり、現実に京都にいる天皇という実在の人物に合わせて作られたものではなかった。
だから彼らが求めている天皇と現実の天皇がいくらか融和できるうちはよいが、その矛盾が激化すると、天皇を取り替えてしまうほかなくなる。
我が家に空襲で焼けるまであった孝明天皇の皿は、おそらくまだ長州と天皇の間がうまくいっていた蜜月時代にもたらされた物だろう。
騎兵隊挙兵の翌年、1866年(慶応二)の暮れに、孝明天皇は謀殺されてしまった。
もちろん仕組んだのは江戸幕府ではない。
それは志士側で、天皇が倒幕の障害になり始めたからである。
今日ではもうそのことは、公然の秘密となっている。」
こうして日本の権力の頂点に立った明治天皇と伊藤博文ら長州の人間たちが、ロスチャイルド一族の支配する欧米諸国との密接な協力のもとに、日本を近代化していくのである。
それが議会政治や貨幣制度、重工業の促進や義務教育制度、身分制の廃止、そして廃刀令や徴兵制などである。
政府と天皇家、そして欧米の国際銀行家(イルミナティ)の結びつきが最大限に発揮されるのは、昭和天皇に代が変わった太平洋戦争のときである。
このときの様子を再び、『日本の一番醜い日』から引用する。
「太平洋戦争中、アメリカは公式には自国から日本への石油輸出を禁止した。
しかしそれはアメリカ国籍の船と日本国籍の船によるものが禁止されただけで、実際には国際赤十字の印をつけた船の秘密のルートで、石油やタングステン、四塩化エチルなど重要な原料が日本へ輸出された。
これが戦争の本当の姿である。
昭和天皇はこのことを知っていたが、近衛首相や木戸幸一内大臣には秘密にしていた。
あの国際赤十字のシステムは、戦傷者を救うために作られたものではない。
これは国際銀行家(イルミナティ)が、自分たちの商売である戦争をスムーズにより長期にわたって続けるために作られたのである。
太平洋の諸島で密かに、石油や重要物資が日本の赤十字の船に移される。
赤十字の印をつけた船は攻撃できないという国際条約ができているので、日本は安心して物資を輸入することができた。
ではあの大戦中、その支払いはどうしたのだろうか。
その代金の主なものは、アジア支配を進める途中で略奪した、金や銀などの貴金属が使われた。
その一部は赤十字の船で日本に送られ、マルフクという金貨に鋳造された。
これが再び現地に送られ、それが必要物資の購入に充てられた。
残りの金塊や貴金属類は、スイスの国際決済銀行(BIS・ロスチャイルド一族主導の機関)に送られた。
そこで貴金属類はドルやスイスフランに変えられ、支払いに充てられた。
残ったお金は国際決済銀行や同じ系列のスイス国立銀行へ預けられる。
このようにして戦争が長引けば長引くほど、天皇一族と秘密裡に天皇一族を支えた財閥の資産は天文学的に増えていった。
近衛文麿首相はいく度も天皇に戦争の中止を訴えた。
天皇一族は、日清戦争や日露戦争を通じて多額の賠償金を手にしており、その一部はスイス銀行に預けられた。
それは日本の天皇だけでなく、ルーズベルトやチャーチル、スターリンなどもそうであり、このような悪事を通じて彼らは国際銀行家(イルミナティ)に弱みを握られることになった。
フルシチョフ元首相の『フルシチョフ回顧録』にはそれらのことが克明に書かれており、明治、大正と続く皇室のスキャンダルを彼らはすべて記録していた。
スイスの秘密口座はスキャンダルの種になり得るものであった。
そしてここに、近衛首相の忠告を無視して、再び太平洋戦争に突入しなければならなかった日本の悲劇の源があるのだ。
戦争は、国家間の利害や憎悪の衝突から起きるものではなく、それは巨大なマネーゲームでもある。
天皇が仕掛けた南進策、つまり東南アジアやオセアニア侵略は、巨大マネーゲームの創造であった。
この面を考察することなくして、我々の日本史の嘘を見抜くことはできない。
天皇とその一族は三井、三菱、住友らの財閥と組んで、戦争によるマネーゲームをしていたのだ。
戦争が一番儲かるゲームであることを、天皇ヒロヒトほど知り尽くした人物は日本にはいなかったし、これからも登場しないであろう。」
ここからさらに話は、天皇と吉田茂や白州次郎などロックフェラー一族と通じた面々が、天皇制を終戦後にも維持するためにアメリカと裏取引をした可能性に言及している。
その取引とは、(アメリカが)天皇の責任追及をしない代わりに、日本側がアメリカ軍による国内の都市部への原爆投下を受け入れることであった。
ドイツのヒトラーやイタリアのムッソリーニとは違い、天皇は何の戦争責任も取らされることなく、戦後も生き延びて天寿を全うした。
この昭和天皇の不思議な人生に、このような裏事情があったとしても何ら驚くには当らない。
むしろ納得のいく説明ではないだろうか。
『日本の一番醜い日』の最後に、著者はこう結ぶ。
「結論はただ一つ。一人一人が真実を追究すべく立ち上がる時である。
私の結論について反論する人は、私に立ち向かうべきである。」
私は鬼塚氏の結論は真実だろうと推測する。
しかしその理由は、単に彼の著書を読んで納得したからではない。
以前友人から聞いたある公務員の話と不思議な一致をそこに見るからである。
友人は当時通産省に勤めており、ふだん我々が取り寄せる戸籍謄本には記載されていない「印」のことを聞いた。
それは役所内の戸籍書類には被差別地域出身者を表す印がいまだに付けられており、その印のない者は、あるポスト以上には昇進できないようになっていることを上司から知らされたという。
おそらくこれが、現在でも続いている日本の社会なのだろう。
明治維新により、それまで下級武士や下級貴族であった人間が、皇族、華族、貴族という特別な身分に就き、えた、ひにんなど被差別地域の人々が「解放令」により平民となったことは、中学校の社会科でも習う。
しかしそれがどのように行なわれたのか、それに関する具体的なことは一切伝えられない。
明治維新で、長州や薩摩の下級武士と被差別地域出身者が、旧幕府の人材と総入れ替えで、日本の皇族や政治家、官僚を初めとする公務員になった可能性について言及されることはない。
この学説を否定する人は、田布施陰謀論などと呼ぶらしいが、これは陰謀論の領域の話ではない。
天皇家が戦争責任を取らずに現在も継続していることは誰の目にも明らかな事実である。
そして天皇の戦争責任についてはさまざまな議論があるが、政府は、それについて我々国民の納得のいく公式説明をいまだに持ち合わせていない。
この観点から現在の社会を見渡してみると、今日本が抱える問題の本質が見えてくる。
政治家、官僚、財界、大企業の癒着や世襲に腐敗がある。
各種構造改革や軍備増強、原発推進など、いずれも外国勢の利益を優先する国家政策がある。
そこには国際銀行家(イルミナティ)の援助で権力の座に就き、その正体やスキャンダルを弱みとして握られ、彼らの要求を拒否できない天皇や国家の上層部がある。
つまり、問題の本質はここにあるのだ。
しかし誤解のないように言っておきたいが、天皇や政治家の一部が朝鮮人集落の出身である可能性を云々しているのではない。
私の友人にも在日韓国人(朝鮮人)はいるし、何の差別も存在しない。
それに我々のほとんどは純粋なアイヌでもない限り、いつの頃かに大陸からやってきた渡来人の子孫であることは間違いない。
渡来した時期が違うだけの同じ人種間で、差別することに意味はない。
問題は隠されてきた歴史の内容である。当時、明治の元勲たちが、近代国家を築くためにそうしたこととはいえ、時代が経った現在、我々国民はこの国の真の歴史を知る必要があるのではないだろうか。
それらが白日の下にさらされ、我々が史実に基づいて認識を改めることは非常に有益で、必要なことだと考える。
うわべの嘘の歴史からは、真実の未来は見えては来ない。
嘘の歴史を伝えたところで、子どもたちにどんな可能性を見せることができるのか。
本物の未来を作るためには、真実を知り、それを伝えていくことが必要だ。
このような情報が書籍やインターネットで手に入るようになっている現在、今の我々にしかできないことが何かあるはずなのだ。
彼らの化けの皮をはがして、糾弾し、革命を起こせと言っているわけではない。
それよりも国民が、彼らが思うよりもずっと賢く、かつ寛大であることを彼らに示すなら、国家権力にも多少の良心と正直さが芽生えるかもしれない。
彼らに期待できることがあるとすれば、それは(弱みを握る)国際銀行家(イルミナティ)の脅迫に従い続けることをやめて、日本国民の寛大さを信頼することだと思う。
『日本の一番醜い日』 鬼塚英昭著 成甲書房
『原爆の秘密(国内編)昭和天皇は知っていた』 鬼塚英昭著 成甲書房
「マスコミとお金は人の幸せをこうして食べている」 THINKER著
5次元文庫徳間書店
抜粋
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洋書・オーディオブック<ダイレクト出版>
@Petit_Soleil17 からのツイート
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我々は嘘のない「真実の歴史」が知りたい
http://8729-13.cocolog-nifty.com/blog/2012/05/index.html#entry-79408611
ようやく戦後に不敬罪が解除されると、今日に至るまでの「明治天皇替え玉説」の研究者が数々の著作を発表するようになった。
その中で取り上げたい一冊がある。それが2007年刊行の『日本の一番醜い日』である。
ノンフィクション作家の鬼塚英昭氏は、日本の確かな未来を築くべく、膨大な資料の調査と取材を重ね、タブーとされる天皇の正体に挑んだ。
そこには、明治天皇が長州藩の創作によるものだとする、長州藩士一族の末裔の証言がある。
以下、引用する。
『終末から』(1974年8月号)に掲載された益田勝美の「天皇史の一面」を見てみよう。
益田勝美は長州の国家老・益田弾正の一族である。
彼の話は、山口県熊毛郡田布施町麻郷に生まれて孝明天皇の長子睦仁(むつひと)の替え玉になり、後に明治天皇となる「てんのうはん」について書いている。
「天皇様をお作り申したのは我々だとは、明治以前に生まれた長州の老人たちによく聞かされたことであった。
近代天皇制以前には、京都に天皇家はあったものの天皇の国家はなかった。
尊皇派が考えていた天皇の国家という考えは、思想として獲得されたものであり、現実に京都にいる天皇という実在の人物に合わせて作られたものではなかった。
だから彼らが求めている天皇と現実の天皇がいくらか融和できるうちはよいが、その矛盾が激化すると、天皇を取り替えてしまうほかなくなる。
我が家に空襲で焼けるまであった孝明天皇の皿は、おそらくまだ長州と天皇の間がうまくいっていた蜜月時代にもたらされた物だろう。
騎兵隊挙兵の翌年、1866年(慶応二)の暮れに、孝明天皇は謀殺されてしまった。
もちろん仕組んだのは江戸幕府ではない。
それは志士側で、天皇が倒幕の障害になり始めたからである。
今日ではもうそのことは、公然の秘密となっている。」
こうして日本の権力の頂点に立った明治天皇と伊藤博文ら長州の人間たちが、ロスチャイルド一族の支配する欧米諸国との密接な協力のもとに、日本を近代化していくのである。
それが議会政治や貨幣制度、重工業の促進や義務教育制度、身分制の廃止、そして廃刀令や徴兵制などである。
政府と天皇家、そして欧米の国際銀行家(イルミナティ)の結びつきが最大限に発揮されるのは、昭和天皇に代が変わった太平洋戦争のときである。
このときの様子を再び、『日本の一番醜い日』から引用する。
「太平洋戦争中、アメリカは公式には自国から日本への石油輸出を禁止した。
しかしそれはアメリカ国籍の船と日本国籍の船によるものが禁止されただけで、実際には国際赤十字の印をつけた船の秘密のルートで、石油やタングステン、四塩化エチルなど重要な原料が日本へ輸出された。
これが戦争の本当の姿である。
昭和天皇はこのことを知っていたが、近衛首相や木戸幸一内大臣には秘密にしていた。
あの国際赤十字のシステムは、戦傷者を救うために作られたものではない。
これは国際銀行家(イルミナティ)が、自分たちの商売である戦争をスムーズにより長期にわたって続けるために作られたのである。
太平洋の諸島で密かに、石油や重要物資が日本の赤十字の船に移される。
赤十字の印をつけた船は攻撃できないという国際条約ができているので、日本は安心して物資を輸入することができた。
ではあの大戦中、その支払いはどうしたのだろうか。
その代金の主なものは、アジア支配を進める途中で略奪した、金や銀などの貴金属が使われた。
その一部は赤十字の船で日本に送られ、マルフクという金貨に鋳造された。
これが再び現地に送られ、それが必要物資の購入に充てられた。
残りの金塊や貴金属類は、スイスの国際決済銀行(BIS・ロスチャイルド一族主導の機関)に送られた。
そこで貴金属類はドルやスイスフランに変えられ、支払いに充てられた。
残ったお金は国際決済銀行や同じ系列のスイス国立銀行へ預けられる。
このようにして戦争が長引けば長引くほど、天皇一族と秘密裡に天皇一族を支えた財閥の資産は天文学的に増えていった。
近衛文麿首相はいく度も天皇に戦争の中止を訴えた。
天皇一族は、日清戦争や日露戦争を通じて多額の賠償金を手にしており、その一部はスイス銀行に預けられた。
それは日本の天皇だけでなく、ルーズベルトやチャーチル、スターリンなどもそうであり、このような悪事を通じて彼らは国際銀行家(イルミナティ)に弱みを握られることになった。
フルシチョフ元首相の『フルシチョフ回顧録』にはそれらのことが克明に書かれており、明治、大正と続く皇室のスキャンダルを彼らはすべて記録していた。
スイスの秘密口座はスキャンダルの種になり得るものであった。
そしてここに、近衛首相の忠告を無視して、再び太平洋戦争に突入しなければならなかった日本の悲劇の源があるのだ。
戦争は、国家間の利害や憎悪の衝突から起きるものではなく、それは巨大なマネーゲームでもある。
天皇が仕掛けた南進策、つまり東南アジアやオセアニア侵略は、巨大マネーゲームの創造であった。
この面を考察することなくして、我々の日本史の嘘を見抜くことはできない。
天皇とその一族は三井、三菱、住友らの財閥と組んで、戦争によるマネーゲームをしていたのだ。
戦争が一番儲かるゲームであることを、天皇ヒロヒトほど知り尽くした人物は日本にはいなかったし、これからも登場しないであろう。」
ここからさらに話は、天皇と吉田茂や白州次郎などロックフェラー一族と通じた面々が、天皇制を終戦後にも維持するためにアメリカと裏取引をした可能性に言及している。
その取引とは、(アメリカが)天皇の責任追及をしない代わりに、日本側がアメリカ軍による国内の都市部への原爆投下を受け入れることであった。
ドイツのヒトラーやイタリアのムッソリーニとは違い、天皇は何の戦争責任も取らされることなく、戦後も生き延びて天寿を全うした。
この昭和天皇の不思議な人生に、このような裏事情があったとしても何ら驚くには当らない。
むしろ納得のいく説明ではないだろうか。
『日本の一番醜い日』の最後に、著者はこう結ぶ。
「結論はただ一つ。一人一人が真実を追究すべく立ち上がる時である。
私の結論について反論する人は、私に立ち向かうべきである。」
私は鬼塚氏の結論は真実だろうと推測する。
しかしその理由は、単に彼の著書を読んで納得したからではない。
以前友人から聞いたある公務員の話と不思議な一致をそこに見るからである。
友人は当時通産省に勤めており、ふだん我々が取り寄せる戸籍謄本には記載されていない「印」のことを聞いた。
それは役所内の戸籍書類には被差別地域出身者を表す印がいまだに付けられており、その印のない者は、あるポスト以上には昇進できないようになっていることを上司から知らされたという。
おそらくこれが、現在でも続いている日本の社会なのだろう。
明治維新により、それまで下級武士や下級貴族であった人間が、皇族、華族、貴族という特別な身分に就き、えた、ひにんなど被差別地域の人々が「解放令」により平民となったことは、中学校の社会科でも習う。
しかしそれがどのように行なわれたのか、それに関する具体的なことは一切伝えられない。
明治維新で、長州や薩摩の下級武士と被差別地域出身者が、旧幕府の人材と総入れ替えで、日本の皇族や政治家、官僚を初めとする公務員になった可能性について言及されることはない。
この学説を否定する人は、田布施陰謀論などと呼ぶらしいが、これは陰謀論の領域の話ではない。
天皇家が戦争責任を取らずに現在も継続していることは誰の目にも明らかな事実である。
そして天皇の戦争責任についてはさまざまな議論があるが、政府は、それについて我々国民の納得のいく公式説明をいまだに持ち合わせていない。
この観点から現在の社会を見渡してみると、今日本が抱える問題の本質が見えてくる。
政治家、官僚、財界、大企業の癒着や世襲に腐敗がある。
各種構造改革や軍備増強、原発推進など、いずれも外国勢の利益を優先する国家政策がある。
そこには国際銀行家(イルミナティ)の援助で権力の座に就き、その正体やスキャンダルを弱みとして握られ、彼らの要求を拒否できない天皇や国家の上層部がある。
つまり、問題の本質はここにあるのだ。
しかし誤解のないように言っておきたいが、天皇や政治家の一部が朝鮮人集落の出身である可能性を云々しているのではない。
私の友人にも在日韓国人(朝鮮人)はいるし、何の差別も存在しない。
それに我々のほとんどは純粋なアイヌでもない限り、いつの頃かに大陸からやってきた渡来人の子孫であることは間違いない。
渡来した時期が違うだけの同じ人種間で、差別することに意味はない。
問題は隠されてきた歴史の内容である。当時、明治の元勲たちが、近代国家を築くためにそうしたこととはいえ、時代が経った現在、我々国民はこの国の真の歴史を知る必要があるのではないだろうか。
それらが白日の下にさらされ、我々が史実に基づいて認識を改めることは非常に有益で、必要なことだと考える。
うわべの嘘の歴史からは、真実の未来は見えては来ない。
嘘の歴史を伝えたところで、子どもたちにどんな可能性を見せることができるのか。
本物の未来を作るためには、真実を知り、それを伝えていくことが必要だ。
このような情報が書籍やインターネットで手に入るようになっている現在、今の我々にしかできないことが何かあるはずなのだ。
彼らの化けの皮をはがして、糾弾し、革命を起こせと言っているわけではない。
それよりも国民が、彼らが思うよりもずっと賢く、かつ寛大であることを彼らに示すなら、国家権力にも多少の良心と正直さが芽生えるかもしれない。
彼らに期待できることがあるとすれば、それは(弱みを握る)国際銀行家(イルミナティ)の脅迫に従い続けることをやめて、日本国民の寛大さを信頼することだと思う。
『日本の一番醜い日』 鬼塚英昭著 成甲書房
『原爆の秘密(国内編)昭和天皇は知っていた』 鬼塚英昭著 成甲書房
「マスコミとお金は人の幸せをこうして食べている」 THINKER著
5次元文庫徳間書店
抜粋
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洋書・オーディオブック<ダイレクト出版>
@Petit_Soleil17 からのツイート
我々は嘘のない「真実の歴史」が知りたい(1)
zeraniumのブログ より転載
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http://8729-13.cocolog-nifty.com/blog/2012/05/index.html#entry-79408611
日本の政治の中心といえば、誰もが東京だと思うだろう。
国会を初め、あらゆる官公庁も東京都内にある。しかしその鍵を握っているのは「山口県」だと言ったら驚かれるだろうか。
山口県といえば、本州最西端の人口150万人足らずの県である。それにもかかわらず、歴史上最多の9人の首相を輩出している。
ちなみに2位の東京でもその半分に満たない4人である。
首相ばかりでなく日本の政財界は、明治以来山口県出身者の人脈が権力の中心に位置してきた。
代表的な人物を挙げてみると、首相経験者では伊藤博文、山縣有朋、桂太郎、寺内正毅、田中義一、岸信介・佐藤栄作兄弟、安倍晋三、菅直人、戦後の閣僚では林義郎(元大蔵大臣)、高村正彦(元外務大臣)、田中龍夫(元通産大臣)、佐藤信二(元運輸大臣)など、その他にも野坂参三(元共産党議長)、宮元顕治(元共産党議長)など、党派を超えて広がるこれらの有力者はその一部である。
日本の社会の在り方を左右する政治の本質を掴むには、「山口県」というキーワードはかかせないのである。
なぜ山口県が、これほどまで数多くの政治家を生み出すようになったのだろうか。
それは現代の民主政治の始まりである明治維新を主導したのが、長州藩(山口県)と薩摩藩(鹿児島県)であったからだ。
そのために明治維新新政府の重要なポストは、長州藩士と薩摩藩士で占められた。
しかも当時薩摩藩は西南戦争で多くの人材を失っていたために、長州勢が一番の力を持つことになった。この政治的人脈は長州閥と呼ばれ、現在にも受け継がれている。
その長州閥の元祖とも言える存在は、初代首相の伊藤博文である。
伊藤が権力の座に就いた背後には、ロスチャイルド一族とその支配下にあったイギリスの武器商人、トーマス・グラバーの存在があったことはすでに述べた。
ここでは彼らがどのようにして、日本の西端から江戸幕府を切り崩し、政治家や天皇とのつながりを深めていったのかを見ていきたい。
ロスチャイルド一族を始めとする資本家は、イギリスを始め欧米諸国を巨大な資本で裏から牛耳り、主に西回りからアフリカ、インド、中国、東南アジア諸国を武力で侵略し、次々と支配下に置いてきた。
そしてついに江戸後期には日本の西端へ到達する。
そして入り口として注目したのが、長崎、薩摩、そして長州であった。
当時、鎖国していた日本を何とかこじ開けようとして長崎で武器を売りつける一方で、西端の薩摩藩や長州藩と衝突して侵略のきっかけを作った。
それが、1863年に起きた薩英戦争や下関戦争などであった。
イギリスなど欧米諸国と一戦を交えた薩摩藩と長州藩は、この後一変して彼らと親密な関係になり、幕府を倒すべく協力するようになるのだ。つまり、倒幕運動が始まったのである。
薩摩長州を味方につけたイギリスは、彼らを日本の権力の座に就けるべく、大量の武器と資金を提供して江戸幕府を圧倒していった。
その一方で、長州藩と薩摩藩の下級武士をイギリスに密航させ、近代的な欧米文化を見せることで、鎖国の無意味さを日本の若者に悟らせたのだ。
この若者たちとは、後の明治新政府で要職に就く伊藤博文を初めとする5人の長州藩士である。
後に伊藤博文は初代の内閣総理大臣、井上馨は初代外務大臣、遠藤謹助は大阪造幣局長、井上勝は日本鉄道の父、山尾庸三は日本工学の父となって日本の近代化に務めた。
彼らは開国主義に乗り換える前は、攘夷(じょうい)派として、イギリス公使館を焼き討ちしたり、国学者を暗殺したりするなど過激な活動をしていたのだ。
イギリス側にしてみれば、地方の若い下級武士の暴力性も、頑固な幕府を倒すためには必要な使える要素に見えたことだろう。
当時、伊藤博文らと親密にしていたイギリス外交官のアーネスト・サトウは、当時の日本攻略についての考えを、後年日記にして残している。
「日本の下級階層は支配されることを大いに好み、権力を持って対する者には相手が誰であろうと容易に服従する。
ことにその背後に武力がありそうに思われる場合にそれが著(いちじる)しい。
伊藤(博文)には英語が話せるという大きな利点があった。
これは当時の日本人で、特に政治運動に関わる人間の場合には、稀にしか見られなかった教養であった。
もし両刀階級(武士)たちをこの日本から追い払うことができたら、この国の人々には服従の習慣があるのだから、外国人でも日本の統治はそれほど困難ではなかっただろう。」
さらにサトウは上司であったイギリス公使ハリー・パークスの指令で、幕末当時の鹿児島県の朝鮮人集落を訪れ、幕府の藩による支配下で受ける惨状を伝えている。
このことからイギリス側が江戸幕府を攻略するための人材として、下級武士だけでなく幕府に虐(しいた)げられていた被差別民にも注目していたことがうかがえる。
この観点から明治以降の政財界の有力者を見てみると、これまでになかった近代国家の素顔が見えてくるのである。
有力者の出身をたどると、山口県や鹿児島県の朝鮮人集落から、政府内の重要なポストに就いている政治家が以外と多いことに気づく。
例を挙げると、安倍晋三の祖父で首相のほか数々の要職を務めた岸信介とその弟で三期首相を務めた佐藤栄作は、山口県の田布施村という朝鮮人集落の出身である。
また小泉純一郎の父であり、防衛庁長官を務めた小泉純也は鹿児島県の田布施村という、同名の朝鮮人集落の出身である。
しかし何といっても山口県田布施村出身で注目すべき最重要人物は、明治天皇である。
本名は大室寅之祐。通説では、明治天皇は幕末に若くして病死した京都の孝明天皇の第二皇子とされているが、これには多くの疑惑がある。
実際には孝明天皇は息子ともども長州藩に謀殺され、田布施村出身の若者、大室寅之祐が明治天皇になりすましたという説がある。
この学説は「明治天皇替え玉説」というもので、歴史から葬り去られた日本の闇である。
倒幕運動を進めていたイギリスと長州藩士は、明治新政府の国家元首として天皇を祭り上げる画策をしていた。
その理由は、一介の地方の若手下級武士の集まりが、全国の藩主を従わせて新しく近代国家を作り上げることは、不可能なことであったからだ。
そのためには彼らの言いなりになる「天皇」が必要で、天皇を頭に置いて、長州藩士が政府の舵取りをすればよいからである。
しかしこの計画には大きな問題があった。
それは時の天皇であった孝明天皇が、大の外国人嫌いであったことである。
そこで孝明天皇の暗殺が計画された。
暗殺については、産婦人科医兼医史学者の佐伯理一郎などが主張した「下級公家の岩倉具視が皇室の女官を務めていた妹の堀河紀子を操って実行した」とされる毒殺説や、人斬りの名手であった伊藤博文による刺殺説などがある。
後者の説については竒剞ャ(キジュンソン)著『天皇は朝鮮から来た!?』に詳しい。
いずれにしてもその後の歴史的史実では、イギリスと長州藩の思惑通り、孝明天皇が急逝したのであり、その直後に、明治天皇は新政府で国家元首の地位に就いたのである。
その後「不敬罪」という法律が公布され、天皇は神聖なものであるとして、孝明天皇の死因や明治天皇の出自を調査する者には懲役を含む刑罰が科せられることになった。
こうして、皇室に関する疑惑の追及は長い間封印されたのである。
『日本の一番醜い日』 鬼塚英昭著 成甲書房
『原爆の秘密(国内編)昭和天皇は知っていた』 鬼塚英昭著 成甲書房
「マスコミとお金は人の幸せをこうして食べている」 THINKER著
5次元文庫徳間書店
抜粋
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日本の政治の中心といえば、誰もが東京だと思うだろう。
国会を初め、あらゆる官公庁も東京都内にある。しかしその鍵を握っているのは「山口県」だと言ったら驚かれるだろうか。
山口県といえば、本州最西端の人口150万人足らずの県である。それにもかかわらず、歴史上最多の9人の首相を輩出している。
ちなみに2位の東京でもその半分に満たない4人である。
首相ばかりでなく日本の政財界は、明治以来山口県出身者の人脈が権力の中心に位置してきた。
代表的な人物を挙げてみると、首相経験者では伊藤博文、山縣有朋、桂太郎、寺内正毅、田中義一、岸信介・佐藤栄作兄弟、安倍晋三、菅直人、戦後の閣僚では林義郎(元大蔵大臣)、高村正彦(元外務大臣)、田中龍夫(元通産大臣)、佐藤信二(元運輸大臣)など、その他にも野坂参三(元共産党議長)、宮元顕治(元共産党議長)など、党派を超えて広がるこれらの有力者はその一部である。
日本の社会の在り方を左右する政治の本質を掴むには、「山口県」というキーワードはかかせないのである。
なぜ山口県が、これほどまで数多くの政治家を生み出すようになったのだろうか。
それは現代の民主政治の始まりである明治維新を主導したのが、長州藩(山口県)と薩摩藩(鹿児島県)であったからだ。
そのために明治維新新政府の重要なポストは、長州藩士と薩摩藩士で占められた。
しかも当時薩摩藩は西南戦争で多くの人材を失っていたために、長州勢が一番の力を持つことになった。この政治的人脈は長州閥と呼ばれ、現在にも受け継がれている。
その長州閥の元祖とも言える存在は、初代首相の伊藤博文である。
伊藤が権力の座に就いた背後には、ロスチャイルド一族とその支配下にあったイギリスの武器商人、トーマス・グラバーの存在があったことはすでに述べた。
ここでは彼らがどのようにして、日本の西端から江戸幕府を切り崩し、政治家や天皇とのつながりを深めていったのかを見ていきたい。
ロスチャイルド一族を始めとする資本家は、イギリスを始め欧米諸国を巨大な資本で裏から牛耳り、主に西回りからアフリカ、インド、中国、東南アジア諸国を武力で侵略し、次々と支配下に置いてきた。
そしてついに江戸後期には日本の西端へ到達する。
そして入り口として注目したのが、長崎、薩摩、そして長州であった。
当時、鎖国していた日本を何とかこじ開けようとして長崎で武器を売りつける一方で、西端の薩摩藩や長州藩と衝突して侵略のきっかけを作った。
それが、1863年に起きた薩英戦争や下関戦争などであった。
イギリスなど欧米諸国と一戦を交えた薩摩藩と長州藩は、この後一変して彼らと親密な関係になり、幕府を倒すべく協力するようになるのだ。つまり、倒幕運動が始まったのである。
薩摩長州を味方につけたイギリスは、彼らを日本の権力の座に就けるべく、大量の武器と資金を提供して江戸幕府を圧倒していった。
その一方で、長州藩と薩摩藩の下級武士をイギリスに密航させ、近代的な欧米文化を見せることで、鎖国の無意味さを日本の若者に悟らせたのだ。
この若者たちとは、後の明治新政府で要職に就く伊藤博文を初めとする5人の長州藩士である。
後に伊藤博文は初代の内閣総理大臣、井上馨は初代外務大臣、遠藤謹助は大阪造幣局長、井上勝は日本鉄道の父、山尾庸三は日本工学の父となって日本の近代化に務めた。
彼らは開国主義に乗り換える前は、攘夷(じょうい)派として、イギリス公使館を焼き討ちしたり、国学者を暗殺したりするなど過激な活動をしていたのだ。
イギリス側にしてみれば、地方の若い下級武士の暴力性も、頑固な幕府を倒すためには必要な使える要素に見えたことだろう。
当時、伊藤博文らと親密にしていたイギリス外交官のアーネスト・サトウは、当時の日本攻略についての考えを、後年日記にして残している。
「日本の下級階層は支配されることを大いに好み、権力を持って対する者には相手が誰であろうと容易に服従する。
ことにその背後に武力がありそうに思われる場合にそれが著(いちじる)しい。
伊藤(博文)には英語が話せるという大きな利点があった。
これは当時の日本人で、特に政治運動に関わる人間の場合には、稀にしか見られなかった教養であった。
もし両刀階級(武士)たちをこの日本から追い払うことができたら、この国の人々には服従の習慣があるのだから、外国人でも日本の統治はそれほど困難ではなかっただろう。」
さらにサトウは上司であったイギリス公使ハリー・パークスの指令で、幕末当時の鹿児島県の朝鮮人集落を訪れ、幕府の藩による支配下で受ける惨状を伝えている。
このことからイギリス側が江戸幕府を攻略するための人材として、下級武士だけでなく幕府に虐(しいた)げられていた被差別民にも注目していたことがうかがえる。
この観点から明治以降の政財界の有力者を見てみると、これまでになかった近代国家の素顔が見えてくるのである。
有力者の出身をたどると、山口県や鹿児島県の朝鮮人集落から、政府内の重要なポストに就いている政治家が以外と多いことに気づく。
例を挙げると、安倍晋三の祖父で首相のほか数々の要職を務めた岸信介とその弟で三期首相を務めた佐藤栄作は、山口県の田布施村という朝鮮人集落の出身である。
また小泉純一郎の父であり、防衛庁長官を務めた小泉純也は鹿児島県の田布施村という、同名の朝鮮人集落の出身である。
しかし何といっても山口県田布施村出身で注目すべき最重要人物は、明治天皇である。
本名は大室寅之祐。通説では、明治天皇は幕末に若くして病死した京都の孝明天皇の第二皇子とされているが、これには多くの疑惑がある。
実際には孝明天皇は息子ともども長州藩に謀殺され、田布施村出身の若者、大室寅之祐が明治天皇になりすましたという説がある。
この学説は「明治天皇替え玉説」というもので、歴史から葬り去られた日本の闇である。
倒幕運動を進めていたイギリスと長州藩士は、明治新政府の国家元首として天皇を祭り上げる画策をしていた。
その理由は、一介の地方の若手下級武士の集まりが、全国の藩主を従わせて新しく近代国家を作り上げることは、不可能なことであったからだ。
そのためには彼らの言いなりになる「天皇」が必要で、天皇を頭に置いて、長州藩士が政府の舵取りをすればよいからである。
しかしこの計画には大きな問題があった。
それは時の天皇であった孝明天皇が、大の外国人嫌いであったことである。
そこで孝明天皇の暗殺が計画された。
暗殺については、産婦人科医兼医史学者の佐伯理一郎などが主張した「下級公家の岩倉具視が皇室の女官を務めていた妹の堀河紀子を操って実行した」とされる毒殺説や、人斬りの名手であった伊藤博文による刺殺説などがある。
後者の説については竒剞ャ(キジュンソン)著『天皇は朝鮮から来た!?』に詳しい。
いずれにしてもその後の歴史的史実では、イギリスと長州藩の思惑通り、孝明天皇が急逝したのであり、その直後に、明治天皇は新政府で国家元首の地位に就いたのである。
その後「不敬罪」という法律が公布され、天皇は神聖なものであるとして、孝明天皇の死因や明治天皇の出自を調査する者には懲役を含む刑罰が科せられることになった。
こうして、皇室に関する疑惑の追及は長い間封印されたのである。
『日本の一番醜い日』 鬼塚英昭著 成甲書房
『原爆の秘密(国内編)昭和天皇は知っていた』 鬼塚英昭著 成甲書房
「マスコミとお金は人の幸せをこうして食べている」 THINKER著
5次元文庫徳間書店
抜粋
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2013年02月03日
人と違っていい、やりたいことを何でも始めよう
zeraniumのブログ より転載
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人と違っていい、やりたいことを何でも始めよう
http://8729-13.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/index.html#entry-84003787
日本人とは「日本方言を話す人」のことである
日本人のルーツの少なくとも一つが、朝鮮半島にあることは否定できません。
特に天皇家のルーツは、間違いなく朝鮮半島にあるでしょう。
天皇家の古い墳墓がその学術的価値にもかかわらず、未だにほとんど公開されていないのは、公開すれば皇室のルーツが明らかになってしまうからだと言われています。
まあ、そこまで踏み込んだ議論をしなくても、日本古来の文化とされるものの多くが、大陸からの渡来人がもたらしたものに起源を発することは、歴史の授業でもふつうに教えられていることです。
ついでに言うと、人種的に「日本人」を定義するのは論外です。
いくら念入りに遺伝子を調べても、日本人はモンゴル人とまったく変らないし、もちろん韓国人や中国人ともそれほど変りはないでしょう。
人種に注目した瞬間に、日本人というカテゴリーは存在しないことになってしまいます。そこで注目すべきなのが、言語なのです。
第1章で述べたように、ちょっとした地理的障壁があるだけで方言は生まれます。
日本列島の中にも、数え切れないほどの方言が存在しています。
そして島国である日本は、海によって他国と隔てられていますが、そのことは、日本列島内にある山河や小さな海峡といった障害とは比べものにならないほど大きいものです。
したがって、日本列島で話されている方言=日本語こそが、日本人を定義づけるためのもっとも明確な指標となるのです。
日本人は、まず何よりも「日本方言を話す人と定義づけられるべきなのです。
日本人とは「日本で義務教育を受けた人」のことである
日本人を定義づけるもう一つの指標は、教育です。
私の知人のラスベガス生まれのアメリカ人は、両親はどちらもアメリカ人ですが、幼いころから日本で育ち、日本の義務教育を受けました。
その彼女のものの考え方は、「日本人の普通の女の子」そのものです。
英語はネイティブに話しますが、「アメリカ人っぽい」と感じさせられる要素は容姿を除けばあまりありません。
先に述べましたが、義務教育は愛国心の洗脳のために使われていると説明しました。
まだ小さい子どもの脳に与えられる義務教育は、愛国心だけでなく、共同体の価値感を非常に効率的に刷り込むことが可能です。
それだけでなく日本の義務教育を受けた子どもは、さらに日本のマスメディアにも幼少期から接しているはずです。
ですから義務教育とメディアという、「国民」意識を育てる二つのシステムに囲まれて育っているのです。
たとえ日本国民という概念が幻想だとしても、幼い頃から一定の刷り込みを受けて育った人々は、共通の精神構造を持つようになります。
つまり日本の義務教育を受けた人々は、一つのカテゴリーとしてほかとは区別してもいいでしょう。
日本人を意義づける第二の要素は、「日本で義務教育を受けた人」ということになります。
したがってもしも「日本人をつくっているのは誰か」と問うならば、答えは「学習指導要領など、義務教育のカリキュラムをつくっている人」となるでしょう。
つまりは文部科学省の役人です。
それと日本のマスメディアで、とくにテレビの番組編成を考えているテレビ局幹部も加わっています。
しかしながら彼らにはその意識はないでしょう。
そしてその背後には、彼らをコントロールしている大手広告代理店もいます。
本書の冒頭で述べたように、大震災でライフラインが寸断されても、暴動はおろかスーパーの棚からパンを取ってくることさえ出来ない日本人をつくっているのも、文科省が考案したカリキュラムというわけです。
そう考えると、近年、授業中に子どもたちが教師の言うことを聞かず、勝手な行動をとる傾向を、「授業崩壊」などといって大げさに問題にして騒ぎ立てているのもうなずけます。
つまり、自分だけの意思で勝手に動かない、上の人の指示には必ず従う、周囲に迷惑をかけない・・・といった、大人しい日本人の育成にこれまでずっと成功してきた実績からすると、勝手に動き回る子どもが多数派になってしまうのは、管理する側にとっては一大事のはずです。
それはおそらく、彼らが作り上げた義務教育の根幹を揺るがす事態なはずです。
それでも「日本」にこだわりますか?
つまり「日本人」とは、@日本方言を話す人、A日本で義務教育を受けた人、ということで、極限すればこの二つにすぎません。
これを読んでいるあなたは、高確率で「日本人」でしょう。
ではこの定義の上に立って、ほかの日本人に対してどれほど連帯感がわくでしょうか?
同じ方言を話し、同じ教育を受けているわけですから、要するに同郷の同窓の友人のようなものです。
たしかに親しみは湧くにしても、それだけのことではないでしょうか。
それをいまどき、出身地や出身校に大人になってまでこだわるのはナンセンスです。
以上を踏まえた上で、改めて考えてみてほしいのですが、それでもあなたは「日本」あるいは「日本人」という枠組みにこだわりますか?
海外で事故が起きると、日本のニュースでは必ず真っ先に「日本人の安否」を伝えます。
これは言外に「日本人意外の命はどうでもいい」と言っているも同然です。
私に言わせれば、差別以外の何ものでもありません。
2011年の8月にアメリカで、ハリケーン「アイリーン」が東海岸を襲い、甚大な被害をもたらしました。
ところが日本ではほとんど報道されなかった。
報道しても視聴率が取れないからでしょう。
つい数ヶ月前に大震災に見舞われた日本人であるのに、なぜ同じく自然災害に見舞われている他国の状況に目を向けなかったのでしょうか。
国民国家に成りたての明治時代なら、「日本」にこだわることに意味はあったでしょう。
それはナショナリズム的な意味においてです。
ですから列強国に金銀を持ち去られないように、日本国内に資本を蓄積するのは、日本人が豊かになるためには必要なことであったと思います。
また敗戦後の焼け跡から立ち上がるために、「日本人」として団結することにも意味はあったでしょう。
だからこそ吉田茂首相は、「日本は独立を取り戻した」と解釈できる「優しいウソ」をあえてついたのだとも考えられます。
しかしとうの昔に日本は、世界でももっとも豊かな国の一つになっています。
にもかかわらず、相変わらず、「日本」という枠の中で利害を考えているのは、あまりにも視野が狭すぎるのではないでしょうか。
ネット右翼の若者たちのように、無力感を埋め合わせるために、「愛国」という杖にすがる人々がいるのは仕方がないことでしょう。
人は誰しも、心が弱くなることがあるからです。
しかし大人になっても、こうした幼稚な遊びに夢中になっているのは、やはりまずいと思うのです。
とにかく「やりたいことをやる」覚悟
それより何よりも、「日本」あるいは「日本人」という枠組みは、日本人のためにならないのです。
つまり日本らしく、日本人らしくあることは、結局、これまでの儒教的なものの上に築かれた心理的支配構造を受け入れることであり、自分の可能性を狭めることであることは、本書において繰り返し見てきたとおりです。
では、日本人はどう変ればいいのでしょうか?
どうやって「日本」や「日本人」といった枠組みから飛び出せばいいのでしょうか?
具体的な方策については後に提案したいと思いますが、まずは、「とにかくやりたいことをやれ」のひと言に尽きます。
日本の社会はあまりにも強い儒教洗脳と、よくできたパノプティコン(全体監視システム)社会であり、それがこれまで徹底的に個人の行動を縛り付けてきたと同時に、ピラミッド型の社会構造は、個人の可能性を阻害してきました。
言ってみれば、日本人はずっと手足を縛られたまま生きてきたようなものなのです。
それでもなお、日本は世界有数の富裕国になったのですから、もしも日本人が自由に動けるようになれば、さらなる飛躍が可能になるはずなのです。
だからまずは、「とにかくやりたいことをやれ」、そう呼びかけたいのです。
「やりたいことをやれ」と言ったところで、元が大人しい日本人のこと、社会が無法状態になる心配はないでしょう。
これまで窮屈な社会秩序を維持してきた日本人は、その分、集団で統率の利いた行動をとることができた。
明治の殖産興業にしても、戦後の「傾斜生産方式」にしても、政府が音頭をとり、各業界が強調して動くことによって成功したのです。
しかしすでに、この方法は行き詰っています。
なぜなら日本人は経済力は健在でありながら、すっかり活力を失ってしまっているではありませんか。
豊かになった日本人は、もはや奴隷のまま喜んで働くことはできません。
個人の可能性を潰され続けることにも、もう耐えられなくなっています。
それならば私たちは、一人ひとりがやりたいことをやる社会に一歩を踏み出すしかないのです。
「日本」を捨てよ 苫米地英人著 PHP新書
抜粋
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@Petit_Soleil17 からのツイート
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人と違っていい、やりたいことを何でも始めよう
http://8729-13.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/index.html#entry-84003787
日本人とは「日本方言を話す人」のことである
日本人のルーツの少なくとも一つが、朝鮮半島にあることは否定できません。
特に天皇家のルーツは、間違いなく朝鮮半島にあるでしょう。
天皇家の古い墳墓がその学術的価値にもかかわらず、未だにほとんど公開されていないのは、公開すれば皇室のルーツが明らかになってしまうからだと言われています。
まあ、そこまで踏み込んだ議論をしなくても、日本古来の文化とされるものの多くが、大陸からの渡来人がもたらしたものに起源を発することは、歴史の授業でもふつうに教えられていることです。
ついでに言うと、人種的に「日本人」を定義するのは論外です。
いくら念入りに遺伝子を調べても、日本人はモンゴル人とまったく変らないし、もちろん韓国人や中国人ともそれほど変りはないでしょう。
人種に注目した瞬間に、日本人というカテゴリーは存在しないことになってしまいます。そこで注目すべきなのが、言語なのです。
第1章で述べたように、ちょっとした地理的障壁があるだけで方言は生まれます。
日本列島の中にも、数え切れないほどの方言が存在しています。
そして島国である日本は、海によって他国と隔てられていますが、そのことは、日本列島内にある山河や小さな海峡といった障害とは比べものにならないほど大きいものです。
したがって、日本列島で話されている方言=日本語こそが、日本人を定義づけるためのもっとも明確な指標となるのです。
日本人は、まず何よりも「日本方言を話す人と定義づけられるべきなのです。
日本人とは「日本で義務教育を受けた人」のことである
日本人を定義づけるもう一つの指標は、教育です。
私の知人のラスベガス生まれのアメリカ人は、両親はどちらもアメリカ人ですが、幼いころから日本で育ち、日本の義務教育を受けました。
その彼女のものの考え方は、「日本人の普通の女の子」そのものです。
英語はネイティブに話しますが、「アメリカ人っぽい」と感じさせられる要素は容姿を除けばあまりありません。
先に述べましたが、義務教育は愛国心の洗脳のために使われていると説明しました。
まだ小さい子どもの脳に与えられる義務教育は、愛国心だけでなく、共同体の価値感を非常に効率的に刷り込むことが可能です。
それだけでなく日本の義務教育を受けた子どもは、さらに日本のマスメディアにも幼少期から接しているはずです。
ですから義務教育とメディアという、「国民」意識を育てる二つのシステムに囲まれて育っているのです。
たとえ日本国民という概念が幻想だとしても、幼い頃から一定の刷り込みを受けて育った人々は、共通の精神構造を持つようになります。
つまり日本の義務教育を受けた人々は、一つのカテゴリーとしてほかとは区別してもいいでしょう。
日本人を意義づける第二の要素は、「日本で義務教育を受けた人」ということになります。
したがってもしも「日本人をつくっているのは誰か」と問うならば、答えは「学習指導要領など、義務教育のカリキュラムをつくっている人」となるでしょう。
つまりは文部科学省の役人です。
それと日本のマスメディアで、とくにテレビの番組編成を考えているテレビ局幹部も加わっています。
しかしながら彼らにはその意識はないでしょう。
そしてその背後には、彼らをコントロールしている大手広告代理店もいます。
本書の冒頭で述べたように、大震災でライフラインが寸断されても、暴動はおろかスーパーの棚からパンを取ってくることさえ出来ない日本人をつくっているのも、文科省が考案したカリキュラムというわけです。
そう考えると、近年、授業中に子どもたちが教師の言うことを聞かず、勝手な行動をとる傾向を、「授業崩壊」などといって大げさに問題にして騒ぎ立てているのもうなずけます。
つまり、自分だけの意思で勝手に動かない、上の人の指示には必ず従う、周囲に迷惑をかけない・・・といった、大人しい日本人の育成にこれまでずっと成功してきた実績からすると、勝手に動き回る子どもが多数派になってしまうのは、管理する側にとっては一大事のはずです。
それはおそらく、彼らが作り上げた義務教育の根幹を揺るがす事態なはずです。
それでも「日本」にこだわりますか?
つまり「日本人」とは、@日本方言を話す人、A日本で義務教育を受けた人、ということで、極限すればこの二つにすぎません。
これを読んでいるあなたは、高確率で「日本人」でしょう。
ではこの定義の上に立って、ほかの日本人に対してどれほど連帯感がわくでしょうか?
同じ方言を話し、同じ教育を受けているわけですから、要するに同郷の同窓の友人のようなものです。
たしかに親しみは湧くにしても、それだけのことではないでしょうか。
それをいまどき、出身地や出身校に大人になってまでこだわるのはナンセンスです。
以上を踏まえた上で、改めて考えてみてほしいのですが、それでもあなたは「日本」あるいは「日本人」という枠組みにこだわりますか?
海外で事故が起きると、日本のニュースでは必ず真っ先に「日本人の安否」を伝えます。
これは言外に「日本人意外の命はどうでもいい」と言っているも同然です。
私に言わせれば、差別以外の何ものでもありません。
2011年の8月にアメリカで、ハリケーン「アイリーン」が東海岸を襲い、甚大な被害をもたらしました。
ところが日本ではほとんど報道されなかった。
報道しても視聴率が取れないからでしょう。
つい数ヶ月前に大震災に見舞われた日本人であるのに、なぜ同じく自然災害に見舞われている他国の状況に目を向けなかったのでしょうか。
国民国家に成りたての明治時代なら、「日本」にこだわることに意味はあったでしょう。
それはナショナリズム的な意味においてです。
ですから列強国に金銀を持ち去られないように、日本国内に資本を蓄積するのは、日本人が豊かになるためには必要なことであったと思います。
また敗戦後の焼け跡から立ち上がるために、「日本人」として団結することにも意味はあったでしょう。
だからこそ吉田茂首相は、「日本は独立を取り戻した」と解釈できる「優しいウソ」をあえてついたのだとも考えられます。
しかしとうの昔に日本は、世界でももっとも豊かな国の一つになっています。
にもかかわらず、相変わらず、「日本」という枠の中で利害を考えているのは、あまりにも視野が狭すぎるのではないでしょうか。
ネット右翼の若者たちのように、無力感を埋め合わせるために、「愛国」という杖にすがる人々がいるのは仕方がないことでしょう。
人は誰しも、心が弱くなることがあるからです。
しかし大人になっても、こうした幼稚な遊びに夢中になっているのは、やはりまずいと思うのです。
とにかく「やりたいことをやる」覚悟
それより何よりも、「日本」あるいは「日本人」という枠組みは、日本人のためにならないのです。
つまり日本らしく、日本人らしくあることは、結局、これまでの儒教的なものの上に築かれた心理的支配構造を受け入れることであり、自分の可能性を狭めることであることは、本書において繰り返し見てきたとおりです。
では、日本人はどう変ればいいのでしょうか?
どうやって「日本」や「日本人」といった枠組みから飛び出せばいいのでしょうか?
具体的な方策については後に提案したいと思いますが、まずは、「とにかくやりたいことをやれ」のひと言に尽きます。
日本の社会はあまりにも強い儒教洗脳と、よくできたパノプティコン(全体監視システム)社会であり、それがこれまで徹底的に個人の行動を縛り付けてきたと同時に、ピラミッド型の社会構造は、個人の可能性を阻害してきました。
言ってみれば、日本人はずっと手足を縛られたまま生きてきたようなものなのです。
それでもなお、日本は世界有数の富裕国になったのですから、もしも日本人が自由に動けるようになれば、さらなる飛躍が可能になるはずなのです。
だからまずは、「とにかくやりたいことをやれ」、そう呼びかけたいのです。
「やりたいことをやれ」と言ったところで、元が大人しい日本人のこと、社会が無法状態になる心配はないでしょう。
これまで窮屈な社会秩序を維持してきた日本人は、その分、集団で統率の利いた行動をとることができた。
明治の殖産興業にしても、戦後の「傾斜生産方式」にしても、政府が音頭をとり、各業界が強調して動くことによって成功したのです。
しかしすでに、この方法は行き詰っています。
なぜなら日本人は経済力は健在でありながら、すっかり活力を失ってしまっているではありませんか。
豊かになった日本人は、もはや奴隷のまま喜んで働くことはできません。
個人の可能性を潰され続けることにも、もう耐えられなくなっています。
それならば私たちは、一人ひとりがやりたいことをやる社会に一歩を踏み出すしかないのです。
「日本」を捨てよ 苫米地英人著 PHP新書
抜粋
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@Petit_Soleil17 からのツイート
日本は米国から独立した国家ではなく「日本自治区」
zeraniumのブログ より転載
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日本は米国から独立した国家ではなく「日本自治区」 A
http://8729-13.cocolog-nifty.com/blog/2012/11/index.html#entry-83934351
では当のアメリカ自身は「愛国洗脳」に、どの程度力を注いでいるのかというと、日本よりさらに強烈です。
2011年5月2日に、パキスタンでウサマ・ビン・ラーディンが米軍に急襲され、殺害されました。
そのとき三大ネットワークをはじめ、CNN、FOXなどアメリカのメディアはこぞって、彼の死を喜ぶアメリカ市民、特に学生の姿を放映しました。
しかし現地の大学に多くの友人がいる私が独自に得た情報では、放送で見られたような大騒ぎが、実際に現地で行なわれていた事実はほとんどありませんでした。
そもそもいくらテロの首謀者とはいえ、人が殺されたというニュースを聞いて大喜びで祝杯を上げるような連中が、そうそうたくさんいるはずがありません。
それは少し冷静になって考えればわかることです。
つまり、放映されたあの盛り上がりは、ほとんど演出だったのです。
おそらくごく一部での騒ぎを、さも全米で起きたことのように報道したのでしょう。
これがメディアをフル活用したアメリカの愛国洗脳の実例です。
そうやってほぼ全ての主要メディアで、「ビン・ラーディンの死を喜ぶべきだ」というメッセージを流して、徹底的に洗脳を行なっていたのです。
さかのぼって考えれば、イラク戦争の時もそうで、戦闘に参加している兵士たちを英雄視するメッセージを、アメリカのネットワークは流し続けました。これも愛国洗脳と考えるべきものです。
しかしある程度の教育を受けた人なら、そこまでみえみえの洗脳工作には違和感を覚えるはずで、かえって反発を強めるかもしれません。
しかしアメリカの怖いところは、まともな教育を受けていない人が多いということです。
そうした層には信じがたいほどストレートに洗脳が通じてしまいます。
つまり、アメリカの放送ネットワークや映画産業は、愛国洗脳のために存在すると言っても過言ではありません。
それだけ洗脳が効果的で有効な国であり、そこに絡む利権も日本とは比べものにならないのです。
日本人の愛国心が、実はアメリカの支配者のさじ加減でコントロールされている、他律的なものである歴史を明らかにしましたが、ここではさらに一歩進んで、私は次のような疑問を提示します。
それは、そもそも日本という国は、さらに日本国民は、本当に存在するのだろうか、ということです。
これはすでに私の著書の中で何度か指摘したことですが、戦後の日本国の出発点となったサンフランシスコ講和条約(1951年)の原文を検討する限り、日本国の独立は認められてはいません。
したがって、日本国民の存在も認められてはいない、と結論づけるしかないのです。
いきなり何を言い出すのかと思われるでしょうが、簡単に説明します。
連合国が日本の独立を認めたとされる講和条約の第1条(b)を見てみると、その原文はこうなっています。
The Allied Powers recognize the full sovereignty of the Japanese people over
Japan and its territorial waters.
日本語訳では、「連合国は、日本国及びその領水に対する日本国民の完全な主権を承認する」となっているので、当然ながら「日本国」や「日本国民」の存在を前提にして書かれていると思うはずです。しかし原文を注意深く読んでください。
「Japanese people 」のところで、「people」を小文字で表記してあるのがわかりますか。
英語では、国民を表す場合には「People」と大文字で記して始まるはずですが、そうはなっていません。
この箇所の本来の意味は単なる「日本の人々」であり、「日本国」や「日本国民」の意味ではないのです。ですから日本語訳もそのように訳されるべきだったのです。
また「完全な主権」という翻訳も曲者(くせもの)です。
なぜなら条約の第2条以降に、日本の対外主権、つまり国としての独立性を制限する規定が幾つもあるからです。
たとえば国際紛争解決の手段として、武力を用いることを禁じた第5条(a)がそれです。
ふつうならば独立国であれば当然、認められるべき権利のはずが、実際には制約されていることを考え合わせると、「full sovereignty」の「sovereignty」(主権)とは、対外主権のことではないと解釈しなければ矛盾が生じます。
つまりここでは、「日本の統治権は軍部でもなければ天皇でもなく、日本の人々、人民が100%持っているのだ」という意味で、「full sovereignty 」と言っているわけです。
この「sovereignty」という言葉は、アメリカでは、国ではなく各州の自治権を表す言葉としても使われているので、それに近い意味に捉えるのが妥当でしょう。
したがって、先ほどの第1条(b)を正確に和訳すると、こうなります。
「連合国は、日本の人民による日本と、その領海の十分なる自治を認める」
いかがでしょうか。
日本国の独立も、日本国民の主権もどこかに行ってしまいました。
これは現在も有効な国際条約ですから、私たちは日本国民ではありません。
私たちは「日本自治区」で生活する日本人なのです。
サンフランシスコ講和条約に署名した吉田茂主席全権大使をはじめとする、日本の代表たちが、条約の本来の意味に気づいていなかったはずがありません。
会議には宮澤喜一氏など、英語の達人も随行していたのですから。
そして実際に、吉田茂首相は条約署名後のスピーチでこう語っています。
It will restore the Japanese people to full sovereignty, equality, and freedom, and
reinstate us as a free and equal member in the community of nations.
「これにより日本の人々が主権を十分に取り戻し、平等と平和を回復するものであり、私たちを世界の民族のコミュニティに自由で平等な一員としてふたたび参加させるものである」
これは明らかに、日本の人民が軍部から主権を取り戻したという趣旨です。
条約の本来の意味をよく理解したうえでのスピーチであることは明白です。
にもかかわらず、日本国民に伝えられたのは、先ほどの「誤訳」でした。
このようにして、連合国の占領から日本国が独立を取り戻したのだ、という「優しいウソ」を、日本人は吹き込まれたのです。
「日本」を捨てよ 苫米地英人著 PHP新書
抜粋したもの
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日本は米国から独立した国家ではなく「日本自治区」 A
http://8729-13.cocolog-nifty.com/blog/2012/11/index.html#entry-83934351
では当のアメリカ自身は「愛国洗脳」に、どの程度力を注いでいるのかというと、日本よりさらに強烈です。
2011年5月2日に、パキスタンでウサマ・ビン・ラーディンが米軍に急襲され、殺害されました。
そのとき三大ネットワークをはじめ、CNN、FOXなどアメリカのメディアはこぞって、彼の死を喜ぶアメリカ市民、特に学生の姿を放映しました。
しかし現地の大学に多くの友人がいる私が独自に得た情報では、放送で見られたような大騒ぎが、実際に現地で行なわれていた事実はほとんどありませんでした。
そもそもいくらテロの首謀者とはいえ、人が殺されたというニュースを聞いて大喜びで祝杯を上げるような連中が、そうそうたくさんいるはずがありません。
それは少し冷静になって考えればわかることです。
つまり、放映されたあの盛り上がりは、ほとんど演出だったのです。
おそらくごく一部での騒ぎを、さも全米で起きたことのように報道したのでしょう。
これがメディアをフル活用したアメリカの愛国洗脳の実例です。
そうやってほぼ全ての主要メディアで、「ビン・ラーディンの死を喜ぶべきだ」というメッセージを流して、徹底的に洗脳を行なっていたのです。
さかのぼって考えれば、イラク戦争の時もそうで、戦闘に参加している兵士たちを英雄視するメッセージを、アメリカのネットワークは流し続けました。これも愛国洗脳と考えるべきものです。
しかしある程度の教育を受けた人なら、そこまでみえみえの洗脳工作には違和感を覚えるはずで、かえって反発を強めるかもしれません。
しかしアメリカの怖いところは、まともな教育を受けていない人が多いということです。
そうした層には信じがたいほどストレートに洗脳が通じてしまいます。
つまり、アメリカの放送ネットワークや映画産業は、愛国洗脳のために存在すると言っても過言ではありません。
それだけ洗脳が効果的で有効な国であり、そこに絡む利権も日本とは比べものにならないのです。
日本人の愛国心が、実はアメリカの支配者のさじ加減でコントロールされている、他律的なものである歴史を明らかにしましたが、ここではさらに一歩進んで、私は次のような疑問を提示します。
それは、そもそも日本という国は、さらに日本国民は、本当に存在するのだろうか、ということです。
これはすでに私の著書の中で何度か指摘したことですが、戦後の日本国の出発点となったサンフランシスコ講和条約(1951年)の原文を検討する限り、日本国の独立は認められてはいません。
したがって、日本国民の存在も認められてはいない、と結論づけるしかないのです。
いきなり何を言い出すのかと思われるでしょうが、簡単に説明します。
連合国が日本の独立を認めたとされる講和条約の第1条(b)を見てみると、その原文はこうなっています。
The Allied Powers recognize the full sovereignty of the Japanese people over
Japan and its territorial waters.
日本語訳では、「連合国は、日本国及びその領水に対する日本国民の完全な主権を承認する」となっているので、当然ながら「日本国」や「日本国民」の存在を前提にして書かれていると思うはずです。しかし原文を注意深く読んでください。
「Japanese people 」のところで、「people」を小文字で表記してあるのがわかりますか。
英語では、国民を表す場合には「People」と大文字で記して始まるはずですが、そうはなっていません。
この箇所の本来の意味は単なる「日本の人々」であり、「日本国」や「日本国民」の意味ではないのです。ですから日本語訳もそのように訳されるべきだったのです。
また「完全な主権」という翻訳も曲者(くせもの)です。
なぜなら条約の第2条以降に、日本の対外主権、つまり国としての独立性を制限する規定が幾つもあるからです。
たとえば国際紛争解決の手段として、武力を用いることを禁じた第5条(a)がそれです。
ふつうならば独立国であれば当然、認められるべき権利のはずが、実際には制約されていることを考え合わせると、「full sovereignty」の「sovereignty」(主権)とは、対外主権のことではないと解釈しなければ矛盾が生じます。
つまりここでは、「日本の統治権は軍部でもなければ天皇でもなく、日本の人々、人民が100%持っているのだ」という意味で、「full sovereignty 」と言っているわけです。
この「sovereignty」という言葉は、アメリカでは、国ではなく各州の自治権を表す言葉としても使われているので、それに近い意味に捉えるのが妥当でしょう。
したがって、先ほどの第1条(b)を正確に和訳すると、こうなります。
「連合国は、日本の人民による日本と、その領海の十分なる自治を認める」
いかがでしょうか。
日本国の独立も、日本国民の主権もどこかに行ってしまいました。
これは現在も有効な国際条約ですから、私たちは日本国民ではありません。
私たちは「日本自治区」で生活する日本人なのです。
サンフランシスコ講和条約に署名した吉田茂主席全権大使をはじめとする、日本の代表たちが、条約の本来の意味に気づいていなかったはずがありません。
会議には宮澤喜一氏など、英語の達人も随行していたのですから。
そして実際に、吉田茂首相は条約署名後のスピーチでこう語っています。
It will restore the Japanese people to full sovereignty, equality, and freedom, and
reinstate us as a free and equal member in the community of nations.
「これにより日本の人々が主権を十分に取り戻し、平等と平和を回復するものであり、私たちを世界の民族のコミュニティに自由で平等な一員としてふたたび参加させるものである」
これは明らかに、日本の人民が軍部から主権を取り戻したという趣旨です。
条約の本来の意味をよく理解したうえでのスピーチであることは明白です。
にもかかわらず、日本国民に伝えられたのは、先ほどの「誤訳」でした。
このようにして、連合国の占領から日本国が独立を取り戻したのだ、という「優しいウソ」を、日本人は吹き込まれたのです。
「日本」を捨てよ 苫米地英人著 PHP新書
抜粋したもの
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魔女狩りを始動させた『魔女に与える鉄槌』はエロ本だった(2)
zeraniumのブログ より転載
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魔女狩りを始動させた『魔女に与える鉄槌』はエロ本だった E
http://8729-13.cocolog-nifty.com/blog/2012/11/index.html#entry-83670623
魔女狩りは、異端審問の法廷に魔女が引きずり出されることによって始まりました。
魔女の烙印を押された人々の中には男性もいましたが、その大多数が女性であったことがわかっています。(ラテン語で魔女を表す Maleficarum は男性にも女性にも使われる単語です)
後には子どもにまで魔女狩りが大流行するのですが、それ以前は、そこにある魔女像を見てとることができます。
魔女とされた彼女たちのほとんどは、暮らしの慎ましい一人暮らしの老女だったのです。
そこには異教徒として咎められるような、異端思想を持っていたという事実は見当たりません。
彼女たちが魔女として訴えられた理由は、魔女という概念を作り上げる上で非常に重要なポイントです。
彼女たちの多くは、占いや民間療法に通じた人々であったことが、断片的な記録に残っています。
(魔女狩りが行なわれた理由の主なものでは、彼女たちは古代から伝わるヒーリングの継承者であり、ハーブといわれる薬草や鉱物、また祈りを用いて、病気を治す薬の作り方や、体や心を癒したり回復させたりすることのできるヒーラーでした。
彼女たちには霊感やサイキック能力を備えた人々が少なくなく、心を病み、生活に疲れた人々の良き相談相手でもあったのです。
彼女たちの用いる方法は、現代でいうホメオパシーと呼ばれる代替療法であり、主に薬草を用いた治療法でした。
このホメオパシーは現代では西洋医学から排斥されており、医療行為として認められてはいません。
現在のようなオール化学薬品の台頭のためには、このような代替療法の分野は潰しておく必要があったのです。
本来、霊能力といわれるサイキック能力は遺伝によって伝えられることがわかっており、多くの場合、それを受け継ぐのは女性です。
支配者である権力者にとって一番都合の悪いのが、彼女たちのような別の世界と繋がることができて、そこから情報を得たり、現実の真相を見抜く能力を持った人々でした。
支配者が、このような彼女たちが受け継ぐ遺伝的系譜を断ち切る必要を感じていたことは、不思議なことではありません。
またサイキック能力を持つ人々の行為を抑圧するために、「占いや口寄せ、死者と交信してはならない」という一文が、旧約聖書に入れてあるのです。zeranium)
『魔女に与える鉄槌』が、魔女狩りを流行させる装置として大きな役割を果たしたことはすでに述べました。
私はラテン語の原典と英語訳の現代版を手に入れましたが、かなり分厚い本で、原著のページ数で620あまりのページ数があったとされています。
この本は3部構成になっており、
第1部は、「妖術に必要な三要素、悪魔、魔女、および全能の神の許可について」
2部は、「魔女が妖術を行なう方法、及びその方法を無効にさせる方法について」
3部は、「魔女及びすべての異端者に対する教会ならびに世俗双方の法廷での裁判について」
というように設問形式で、魔女の定義とその裁判方法が詳細に記述されています。
『魔女に与える鉄槌」で定義された魔女像は、ヨーロッパ全土に広がっていく魔女の雛形(ひながた)でした。
この本を書いた一人であるドミニコ会士のハインリヒ・クラマーは、手回しよく、教皇インノケンティウス8世からお墨付きの回勅を求め、それをこの本の序文に転用しました。
その一部分を紹介してみましょう。
「近年、北ドイツとライン諸地域で、多くの男女がカトリック信仰から逸脱し、男色魔、女色魔に身をゆだね、あるいはさまざまな妖術によって作物や果実を枯らせ、また胎児や家畜を殺し、人畜に苦痛と病気を与え、夫を性的不能、妻を不妊にし、多数の人々の災厄の原因となっていることを、我々は激しい悲しみと苦しみ持って聞いている。
我らの愛する息子ら、すなわちドミニコ会士、神学の教授、ハインリッヒ・クラマーとヤーコプ・シュプレンガーとが法王書簡に従って同地方の異端審問官として派遣されている。
そこで我々は、彼らの審問が自由に、あらゆる方法をもって、なんびとをも矯正し、投獄し、処罰する権限を持つことを命じる。」
(『魔女に与える鉄槌』に収録されたインノケンティウス8世の回勅より)
いかに堕落した教会とはいえ、当時の人々にとって法王の言葉は特別なものであり、また異端審問官にとっては、「錦の御旗」ともなる、強力な後ろ盾であったはずです。
洗脳の基本は、情報を権威づけし、あたかもそれが唯一絶対のものであるかのように見せかけることが第一歩です。
いつの時代にも、人間は権威づけによって自分を大きく見せようとするものですが、クラマーという男はむしろ、情報を操ることに長けた人物であり、かつてのナチスドイツのゲッペルス宣伝相の出現を連想させます。
そしてこれらの権威付けとともに印刷本となった『魔女に与える鉄槌』によって、人々はその実在を信じ込んでいくのです。
『魔女に与える鉄槌』は性的刺激
今日、私たちが魔女という言葉に抱くイメージは、火にかけられて熱した大きな鍋をかき混ぜる老婆といったところでしょう。
しかし『魔女に与える鉄槌』を読む限りそうではなく、その中から受けるものは、男性を性的に誘惑する女性という強烈なイメージです。
つまり、セックスアピールの強い魅惑的な女性を連想させる記述にあふれているのです。
当時、裸婦を描いた絵画があったとしても、性的な春画の版画が出回ることはなかったはずで、版画の技術はあっても大衆化されてはいませんでした。
そうした社会の中で、『魔女に与える鉄槌』は、読み手の性的興奮を大いに刺激したことは容易に想像できます。
私は書き手の側も十分それを意識していたと思います。
そしてそれが、この本の爆発的な普及を可能にしたと考えられます。おそらく『魔女に与える鉄槌』を購入した人は、本棚や人の目に触れるところには置かなかったと思います。
青少年の目には、あまりに刺激が強過ぎるからです。
グーテンベルク聖書は公然と飾っても、『魔女に与える鉄槌』は隠していたことでしょう。
魔女裁判を描いた映画を見ると、魔女を演じる主人公はたいてい若くて美しい女性です。
そうでなければ作品として成り立たず、美人がはりつけにされるので、お客はお金を払って映画を見るのです。
現代に見られるこうした作用がすでにこのとき、中世の魔女裁判において生み出されていたのです。
『魔女に与える鉄槌』は、魔女裁判につきもののSM 的な刺激を読者に伝え、人々を現実の魔女狩りへと誘ったのです。たとえば次のような記述がそれです。
「ドイツでは秘部の毛を剃ることは作法に反するこことみなされるだろうが、他の国では全身の毛が剃られる」
実際の魔女裁判では必ずしも、美人が拷問にかけられたわけでも、はりつけにされたわけでもありません。
しかしその効果は、罪人の公開処刑とはまったく異なっていたはずです。
『魔女に与える鉄槌』によって、魅惑的な女性が悪魔と性行為を行なったというストーリーが与えられ、それによって形成されたきわめて残虐かつ甘美な、「共同の幻想」が魔女裁判を支えたのです。
そして、「我々は現在、ほとんどの魔女を処刑し終わったので、いまや若い女性に手を伸ばしている」とドイツの異端審問官が記しているように、『魔女に与える鉄槌』が示すイメージどおりの方向へ、現実が動いていきました。
私が先に、グーテンベルク聖書が表の世界だとすれば、『魔女に与える鉄槌』は裏の世界だったと指摘した理由はこれです。
強烈な力で流行が起こされるとき、それを引き起こす力の裏表は常に一体なのです。
どちらか一方が欠けても、魔女狩りの大流行は成立しなかったはずです。
そして表はともかく、隠れた裏の世界について、批判的な検証が行なわれることはありませんでした。
どこか他人の目に触れないところに置かれた『魔女に与える鉄槌』について、内容がおかしいという議論を誰も提起しなかったのです。
だからこそ、宗教改革のリーダーたちも、教会の腐敗を指弾することはできても、魔女裁判の愚かさを批判する力にはなり得なかったのでした。
裏の世界は多数の目に晒されることなく存在し、公然とした議論の対象にならないという点で、常に強力なのです。
魔女裁判はこのようにして、ヨーロッパ大陸に吹き荒れる嵐となって広がっていきました。
とくにドイツ、フランス、あるいはイタリアといった北西ヨーロッパで凄まじい勢いを見せました。
頻繁に行なわれる魔女裁判のために、村民がほとんどいなくなるというケースもありました。
「現代版 魔女の鉄槌」 苫米地英人著 フォレスト出版
抜粋したもの
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なるほど。 インターネットという情報を共有できる道具が発明された一方で、ネットのアダルト映像は、「美魔女」などと、持ち上げて年増の女性をも商品化することに成功している。
ネット業界もエロ・ビジネスでもっている。
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魔女狩りを始動させた『魔女に与える鉄槌』はエロ本だった E
http://8729-13.cocolog-nifty.com/blog/2012/11/index.html#entry-83670623
魔女狩りは、異端審問の法廷に魔女が引きずり出されることによって始まりました。
魔女の烙印を押された人々の中には男性もいましたが、その大多数が女性であったことがわかっています。(ラテン語で魔女を表す Maleficarum は男性にも女性にも使われる単語です)
後には子どもにまで魔女狩りが大流行するのですが、それ以前は、そこにある魔女像を見てとることができます。
魔女とされた彼女たちのほとんどは、暮らしの慎ましい一人暮らしの老女だったのです。
そこには異教徒として咎められるような、異端思想を持っていたという事実は見当たりません。
彼女たちが魔女として訴えられた理由は、魔女という概念を作り上げる上で非常に重要なポイントです。
彼女たちの多くは、占いや民間療法に通じた人々であったことが、断片的な記録に残っています。
(魔女狩りが行なわれた理由の主なものでは、彼女たちは古代から伝わるヒーリングの継承者であり、ハーブといわれる薬草や鉱物、また祈りを用いて、病気を治す薬の作り方や、体や心を癒したり回復させたりすることのできるヒーラーでした。
彼女たちには霊感やサイキック能力を備えた人々が少なくなく、心を病み、生活に疲れた人々の良き相談相手でもあったのです。
彼女たちの用いる方法は、現代でいうホメオパシーと呼ばれる代替療法であり、主に薬草を用いた治療法でした。
このホメオパシーは現代では西洋医学から排斥されており、医療行為として認められてはいません。
現在のようなオール化学薬品の台頭のためには、このような代替療法の分野は潰しておく必要があったのです。
本来、霊能力といわれるサイキック能力は遺伝によって伝えられることがわかっており、多くの場合、それを受け継ぐのは女性です。
支配者である権力者にとって一番都合の悪いのが、彼女たちのような別の世界と繋がることができて、そこから情報を得たり、現実の真相を見抜く能力を持った人々でした。
支配者が、このような彼女たちが受け継ぐ遺伝的系譜を断ち切る必要を感じていたことは、不思議なことではありません。
またサイキック能力を持つ人々の行為を抑圧するために、「占いや口寄せ、死者と交信してはならない」という一文が、旧約聖書に入れてあるのです。zeranium)
『魔女に与える鉄槌』が、魔女狩りを流行させる装置として大きな役割を果たしたことはすでに述べました。
私はラテン語の原典と英語訳の現代版を手に入れましたが、かなり分厚い本で、原著のページ数で620あまりのページ数があったとされています。
この本は3部構成になっており、
第1部は、「妖術に必要な三要素、悪魔、魔女、および全能の神の許可について」
2部は、「魔女が妖術を行なう方法、及びその方法を無効にさせる方法について」
3部は、「魔女及びすべての異端者に対する教会ならびに世俗双方の法廷での裁判について」
というように設問形式で、魔女の定義とその裁判方法が詳細に記述されています。
『魔女に与える鉄槌」で定義された魔女像は、ヨーロッパ全土に広がっていく魔女の雛形(ひながた)でした。
この本を書いた一人であるドミニコ会士のハインリヒ・クラマーは、手回しよく、教皇インノケンティウス8世からお墨付きの回勅を求め、それをこの本の序文に転用しました。
その一部分を紹介してみましょう。
「近年、北ドイツとライン諸地域で、多くの男女がカトリック信仰から逸脱し、男色魔、女色魔に身をゆだね、あるいはさまざまな妖術によって作物や果実を枯らせ、また胎児や家畜を殺し、人畜に苦痛と病気を与え、夫を性的不能、妻を不妊にし、多数の人々の災厄の原因となっていることを、我々は激しい悲しみと苦しみ持って聞いている。
我らの愛する息子ら、すなわちドミニコ会士、神学の教授、ハインリッヒ・クラマーとヤーコプ・シュプレンガーとが法王書簡に従って同地方の異端審問官として派遣されている。
そこで我々は、彼らの審問が自由に、あらゆる方法をもって、なんびとをも矯正し、投獄し、処罰する権限を持つことを命じる。」
(『魔女に与える鉄槌』に収録されたインノケンティウス8世の回勅より)
いかに堕落した教会とはいえ、当時の人々にとって法王の言葉は特別なものであり、また異端審問官にとっては、「錦の御旗」ともなる、強力な後ろ盾であったはずです。
洗脳の基本は、情報を権威づけし、あたかもそれが唯一絶対のものであるかのように見せかけることが第一歩です。
いつの時代にも、人間は権威づけによって自分を大きく見せようとするものですが、クラマーという男はむしろ、情報を操ることに長けた人物であり、かつてのナチスドイツのゲッペルス宣伝相の出現を連想させます。
そしてこれらの権威付けとともに印刷本となった『魔女に与える鉄槌』によって、人々はその実在を信じ込んでいくのです。
『魔女に与える鉄槌』は性的刺激
今日、私たちが魔女という言葉に抱くイメージは、火にかけられて熱した大きな鍋をかき混ぜる老婆といったところでしょう。
しかし『魔女に与える鉄槌』を読む限りそうではなく、その中から受けるものは、男性を性的に誘惑する女性という強烈なイメージです。
つまり、セックスアピールの強い魅惑的な女性を連想させる記述にあふれているのです。
当時、裸婦を描いた絵画があったとしても、性的な春画の版画が出回ることはなかったはずで、版画の技術はあっても大衆化されてはいませんでした。
そうした社会の中で、『魔女に与える鉄槌』は、読み手の性的興奮を大いに刺激したことは容易に想像できます。
私は書き手の側も十分それを意識していたと思います。
そしてそれが、この本の爆発的な普及を可能にしたと考えられます。おそらく『魔女に与える鉄槌』を購入した人は、本棚や人の目に触れるところには置かなかったと思います。
青少年の目には、あまりに刺激が強過ぎるからです。
グーテンベルク聖書は公然と飾っても、『魔女に与える鉄槌』は隠していたことでしょう。
魔女裁判を描いた映画を見ると、魔女を演じる主人公はたいてい若くて美しい女性です。
そうでなければ作品として成り立たず、美人がはりつけにされるので、お客はお金を払って映画を見るのです。
現代に見られるこうした作用がすでにこのとき、中世の魔女裁判において生み出されていたのです。
『魔女に与える鉄槌』は、魔女裁判につきもののSM 的な刺激を読者に伝え、人々を現実の魔女狩りへと誘ったのです。たとえば次のような記述がそれです。
「ドイツでは秘部の毛を剃ることは作法に反するこことみなされるだろうが、他の国では全身の毛が剃られる」
実際の魔女裁判では必ずしも、美人が拷問にかけられたわけでも、はりつけにされたわけでもありません。
しかしその効果は、罪人の公開処刑とはまったく異なっていたはずです。
『魔女に与える鉄槌』によって、魅惑的な女性が悪魔と性行為を行なったというストーリーが与えられ、それによって形成されたきわめて残虐かつ甘美な、「共同の幻想」が魔女裁判を支えたのです。
そして、「我々は現在、ほとんどの魔女を処刑し終わったので、いまや若い女性に手を伸ばしている」とドイツの異端審問官が記しているように、『魔女に与える鉄槌』が示すイメージどおりの方向へ、現実が動いていきました。
私が先に、グーテンベルク聖書が表の世界だとすれば、『魔女に与える鉄槌』は裏の世界だったと指摘した理由はこれです。
強烈な力で流行が起こされるとき、それを引き起こす力の裏表は常に一体なのです。
どちらか一方が欠けても、魔女狩りの大流行は成立しなかったはずです。
そして表はともかく、隠れた裏の世界について、批判的な検証が行なわれることはありませんでした。
どこか他人の目に触れないところに置かれた『魔女に与える鉄槌』について、内容がおかしいという議論を誰も提起しなかったのです。
だからこそ、宗教改革のリーダーたちも、教会の腐敗を指弾することはできても、魔女裁判の愚かさを批判する力にはなり得なかったのでした。
裏の世界は多数の目に晒されることなく存在し、公然とした議論の対象にならないという点で、常に強力なのです。
魔女裁判はこのようにして、ヨーロッパ大陸に吹き荒れる嵐となって広がっていきました。
とくにドイツ、フランス、あるいはイタリアといった北西ヨーロッパで凄まじい勢いを見せました。
頻繁に行なわれる魔女裁判のために、村民がほとんどいなくなるというケースもありました。
「現代版 魔女の鉄槌」 苫米地英人著 フォレスト出版
抜粋したもの
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なるほど。 インターネットという情報を共有できる道具が発明された一方で、ネットのアダルト映像は、「美魔女」などと、持ち上げて年増の女性をも商品化することに成功している。
ネット業界もエロ・ビジネスでもっている。
魔女狩りを始動させた『魔女に与える鉄槌』はエロ本だった(1)
zeraniumのブログ より転載
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魔女狩りを始動させた『魔女に与える鉄槌』はエロ本だった E
http://8729-13.cocolog-nifty.com/blog/2012/11/index.html#entry-83670623
1198年にインノケンティウス3世がローマ法王の位につくと、カタリ派への弾圧を決め、1209年、ついに南フランスに討伐軍を送ることを決定しました。
彼は討伐軍を組織するにあたり、ローマ市民のなかに異端に対する怒りを巧みに煽りたて、一方で討伐軍には異端者の領地と財産を与えることを約束したのです。
何と老獪(ろうかい)な政治家でしょうか。つまり軍人一人ひとりに最も精力的に異端狩りを行なわせる方法は、彼らの欲に火をつけることだと心得ていたのです。
法王の命によって送られたこの軍隊は、アルビ十字軍と呼ばれました。
それははじめから南フランスのカタリ派という、キリスト教徒の討伐を目的として組織された最初の十字軍でした。
そして異端討伐は、その後20年間に渡って繰り広げられたのです。
アルビ十字軍が各地で行なったのは、住民の大虐殺でした。
そこではカタリ派かそうでないかということは、もはや関係がありませんでした。
なぜなら、そもそも略奪することが目的になっていたので、殺戮に迷いの入り込む余地はなく、彼らはむしろそれを愉しんでいました。
たとえば娘を井戸に落とし、その上から次々と大きな石を投げ込むという蛮行が行なわれたのがその典型でしょう。
いつの時代の十字軍も、その目的は領土と財産の収奪でした。
彼らが掲げた異教徒を滅ぼすという大義名分が、いかに都合のいい理由であったかを、アルビ十字軍は雄弁に物語っています。
なぜなら、同じキリスト教徒に対しても、明らかに異端ではなかった人々に対しても、変わりなく卑劣な蛮行が行なわれたからです。
先に述べたように、「キル」と「マーダー」は違うと発言した現代の宗教指導者の話を紹介しましたが、アルビ十字軍においてはいったいどこが違うというのでしょうか。
ですから「ちょっと待て!、頭は大丈夫か?」と、私が激しく突っ込みを入れたくなったのは、このような歴史的史実を知っていたからです。
13世紀の南フランスで行なわれた虐殺の膨大なエピソードがありますが、ここでその話に分け入ることはやめておきましょう。
そして、1229年の戦争終結までに、南フランスのあらゆる都市はすべて陥落したのです。
戦争終結の年、カタリ派に対する異端審問が始まりました。
しかし果たして、審問の法廷に引きずり出された人々が、本当に生き残ったカタリ派だったのか、ただの市民だったのかは今となってはわかりません。
拷問に次ぐ拷問によって、「私は神の教えに背きました」という異端の自白が強制されました。
なかには自ら無実を訴え続ける不屈の人もいましたが、そういう人は酷い拷問によって絶命しました。自白してもしなくても、とにかく死が待っていたのです。
これが残虐な拷問と処刑が繰り返される、中世の暗黒裁判の始まりを告げる号砲であったということができます。
そしてカタリ派への異端審問をきっかけとして、異端審問制という制度が生まれることになったのです。
この制度の特徴は、「恒久的」「専門組織」「全権委任」という点です。
つまり異端審問制というのは、最初から、「すべての権限を持ち、永遠に異端を取り締まる」というものでした。
異端審問官が果たす権能は裁判官だけではなく、現代の司法制度でいえば、彼らは検察であり、警察であり、処刑吏であり、白を黒と言いくるめて人を殺すための、人類史上最大の思想警察ともいうべき存在でした。
教皇グレゴリウス9世は、この組織が猛威を振るうための「秘薬」を、そっと注入することも忘れませんでした。
それは異端審問官の活動を支える収入源の中に、審問によって処刑される異端者の没収財産を含めたのです。
それはかつての教皇インノケンティウス3世がアルビ十字軍に用いた方法でしたが、しかし教皇グレゴリウス9世は、それが恒久的に働くように制度の中に埋め込んだのです。
「現代版 魔女の鉄槌」 苫米地英人著 フォレスト出版
抜粋したもの
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魔女狩りを始動させた『魔女に与える鉄槌』はエロ本だった E
http://8729-13.cocolog-nifty.com/blog/2012/11/index.html#entry-83670623
1198年にインノケンティウス3世がローマ法王の位につくと、カタリ派への弾圧を決め、1209年、ついに南フランスに討伐軍を送ることを決定しました。
彼は討伐軍を組織するにあたり、ローマ市民のなかに異端に対する怒りを巧みに煽りたて、一方で討伐軍には異端者の領地と財産を与えることを約束したのです。
何と老獪(ろうかい)な政治家でしょうか。つまり軍人一人ひとりに最も精力的に異端狩りを行なわせる方法は、彼らの欲に火をつけることだと心得ていたのです。
法王の命によって送られたこの軍隊は、アルビ十字軍と呼ばれました。
それははじめから南フランスのカタリ派という、キリスト教徒の討伐を目的として組織された最初の十字軍でした。
そして異端討伐は、その後20年間に渡って繰り広げられたのです。
アルビ十字軍が各地で行なったのは、住民の大虐殺でした。
そこではカタリ派かそうでないかということは、もはや関係がありませんでした。
なぜなら、そもそも略奪することが目的になっていたので、殺戮に迷いの入り込む余地はなく、彼らはむしろそれを愉しんでいました。
たとえば娘を井戸に落とし、その上から次々と大きな石を投げ込むという蛮行が行なわれたのがその典型でしょう。
いつの時代の十字軍も、その目的は領土と財産の収奪でした。
彼らが掲げた異教徒を滅ぼすという大義名分が、いかに都合のいい理由であったかを、アルビ十字軍は雄弁に物語っています。
なぜなら、同じキリスト教徒に対しても、明らかに異端ではなかった人々に対しても、変わりなく卑劣な蛮行が行なわれたからです。
先に述べたように、「キル」と「マーダー」は違うと発言した現代の宗教指導者の話を紹介しましたが、アルビ十字軍においてはいったいどこが違うというのでしょうか。
ですから「ちょっと待て!、頭は大丈夫か?」と、私が激しく突っ込みを入れたくなったのは、このような歴史的史実を知っていたからです。
13世紀の南フランスで行なわれた虐殺の膨大なエピソードがありますが、ここでその話に分け入ることはやめておきましょう。
そして、1229年の戦争終結までに、南フランスのあらゆる都市はすべて陥落したのです。
戦争終結の年、カタリ派に対する異端審問が始まりました。
しかし果たして、審問の法廷に引きずり出された人々が、本当に生き残ったカタリ派だったのか、ただの市民だったのかは今となってはわかりません。
拷問に次ぐ拷問によって、「私は神の教えに背きました」という異端の自白が強制されました。
なかには自ら無実を訴え続ける不屈の人もいましたが、そういう人は酷い拷問によって絶命しました。自白してもしなくても、とにかく死が待っていたのです。
これが残虐な拷問と処刑が繰り返される、中世の暗黒裁判の始まりを告げる号砲であったということができます。
そしてカタリ派への異端審問をきっかけとして、異端審問制という制度が生まれることになったのです。
この制度の特徴は、「恒久的」「専門組織」「全権委任」という点です。
つまり異端審問制というのは、最初から、「すべての権限を持ち、永遠に異端を取り締まる」というものでした。
異端審問官が果たす権能は裁判官だけではなく、現代の司法制度でいえば、彼らは検察であり、警察であり、処刑吏であり、白を黒と言いくるめて人を殺すための、人類史上最大の思想警察ともいうべき存在でした。
教皇グレゴリウス9世は、この組織が猛威を振るうための「秘薬」を、そっと注入することも忘れませんでした。
それは異端審問官の活動を支える収入源の中に、審問によって処刑される異端者の没収財産を含めたのです。
それはかつての教皇インノケンティウス3世がアルビ十字軍に用いた方法でしたが、しかし教皇グレゴリウス9世は、それが恒久的に働くように制度の中に埋め込んだのです。
「現代版 魔女の鉄槌」 苫米地英人著 フォレスト出版
抜粋したもの
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2013年02月02日
13世紀南フランスの大虐殺 異端討伐前夜
zeraniumのブログ より転載
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13世紀南フランスの大虐殺 異端討伐前夜 D
http://8729-13.cocolog-nifty.com/blog/2012/11/index.html#entry-83656962
ヨーロッパ中世の魔女裁判の前には、異端審問という暗黒裁判の前史があります。
異端とは、正統から外れているという意味ですが、球界の異端児や異端の科学者などの用いられ方をする現代では、「異端」とはそれほど悪いイメージではありません。
しかし宗教で異端という場合、それは重大な意味を持っており、とくにヨーロッパ中世ではそれは生命にかかわる問題であったのです。
異端という言葉がいつ生まれたのか定かではありませんが、キリスト教初期のころにすでに異端論争が行なわれていたことは聖書からも窺うことができます。
すでに紹介したように、コンスタンティヌス大帝の時代にアリウス派が異端とされたことはその典型です。
つまり教義に多様な考え方や解釈があることを許容せず、正統とするもの以外を撲滅しようとすることです。
もちろんそこで、何が正統であるかに決着をつけるのは、常に信仰ではなく政治力です。
コンスタンティヌス大帝が、三位一体を唱えるアタナシウス派を擁護したのもそうです。
それは三位一体の教義から、聖霊の位格が神と同じということになれば、聖霊の宿ったパウロの言葉も、公会議の議決も、神の言葉と見なすことができるので政治的に非常に利用しやすかったといえます。
コンスタンティヌス大帝の目的は、当時4つに分割されていたローマ帝国をまとめ、そこで唯一の皇帝として専制君主制を確立することでした。
そのために当時、人気の上昇していたキリスト教を利用したのです。
その意味でコンスタンティヌス大帝がキリスト教に求めたのは、自らへの忠誠と求心力であったはずです。
三位一体論議で異端とされたアリウス派が、その後どのような扱いを受けたかはわずかしか記録には残されていませんが、それによると、領土内において激しい迫害を受け、家を壊され、暴力を振るわれ、殺されたりし、ローマ帝国を追われていきました。
ちなみに当時、コンスタンティヌス大帝に対する東の正帝であったリキニウスは、このコンスタンティヌスの動きに激しく反発しました。
しかし圧倒的な不人気の中で、戦いに敗れたリキニウスは、コンスタンティヌスによって324年に処刑されました。
これによりローマ帝国は統一され、325年にニケア公会議がコンスタンティヌス大帝主宰で開かれ、キリスト教がローマで確立しました。
このように宗教と権力が結びつき、それが国教化されるということは、すなわち宗教が権力者の権力闘争の道具として採用されることを意味します。
ローマカトリック教会の歴史を振り返ると、12世紀頃までは、彼らには異端撲滅を行なう特別な事情が生じなかったように見えます。
しかし政治的には爛熟期の後の堕落、退廃期が訪れていました。
王侯たちは市民や領民の生活を顧みることなく、統治力は著しく失われていました。
しかし一方で宗教の面から見ると、この時期は教会の権威がかつてなく高まった時代であり、一般に、法王権の全盛時代と言われる時代が始まっていました。
そしてもちろん教会もまた、ひどい堕落と退廃の中にありました。
聖職の売買や聖職者が情婦を囲うことは日常茶飯事であり、教会の小部屋は尼僧と女性信徒との情事の場と化し、聖職者は私服を肥やすことばかりに熱心でした。
ダンテは13世紀に、『神曲地獄編』で逆さまに吊るされた教皇ニコラウス3世(在位1277−1280)を描き、ダンテと同時代の教皇ボニファティウス8世が彼と同じ運命をたどるだろうと予言しました。
つまりダンテはその一節に、教会の権力への告発状を表したのです。
ダンテの「神曲地獄編」は、民衆が当時の教会に対して抱いていた怒りの強さを、現代に伝えています。
聖書の物語を題材にとったルネッサンスの絵画は、神に救いを求める人間の激しい苦悩を描いたものが数多く見られます。
なぜこうも同じようなテーマで、しかもおどろおどろしいタッチの絵ばかりが描かれたのか、不思議に思ってきた人も多いでしょう。
その理由も、ルネッサンス絵画の作者たちが、内心にダンテと同じような怒りを抱え、それを創作動機に昇華して絵筆を握っていたからです。
そのような状態で人々が立ち上がり、宗教改革運動が起きるのは当然の流れと言わねばなりません。
実は異端審問と宗教改革は、切っても切れない関係にあります。
教会がなぜ異端審問を行なうのかといえば、その目的は教会の権威を守り、組織を防衛することです。
それは教会に不満を抱える異端者とされる信徒たちが、教会の足元を崩すようなことを主張していたからでした。
教会がもっとも金と権力を握った中世は、同時に教会がもっとも保身に注意しなければならない時代でもありました。
残酷な拷問と凄まじい虐殺の行なわれた中世の異端審問は、12世紀の南フランスで始まりました。
当時の南フランスでは、領主や市民はローマ法王の権威からは距離を置き、自ら自由な文化を育んでいました。
その地で人々の間に浸透していたのが、カタリ派といわれるキリスト教の一派でした。
カタリ派の「カタリ」とは、ギリシャ語で「清浄なるもの」を意味します。
地域によってはアルビ派ともバタリニ派とも呼ばれていました。
カタリ派そのものが消滅してしまったので、彼らの思想の詳細はわかりませんが、教会を否定し、どこで祈っても信仰に変わりはないとする信条を持っていました。
ローマカトリック教会では、祈りは教会で行なうものと定めていました。
つまり儀式は典礼に則り、それらは宗教指導者によって執り行われるものと決められていたのです。
それが教会の高い権威を象徴しており、信者への支配を強化する手段でもありました。
その結果、神への信仰のはずがいつの間にか教会に対する隷従へと変質し、同時に、信仰の場であるはずの教会が形式ばかりの信仰と金儲け、あるいは政治の場へと堕してしまいました。
カタリ派をはじめとする宗教改革派は、こうした教会のあり方が信仰を歪めるという問題の本質に、早くから気づいていました。
西洋の歴史ノンフィクションなどでは、宗教改革運動を「教会を否定する運動」というように、ただの1行で片づける記述が多いために当時の状況がわからず、真相が理解されてはいないようです。
つまり宗教改革は、信仰を守ることと、教会という場で祈ることとの矛盾に気づいた人々による、信仰の原点回帰が出発点になっていたのです。
信仰の本質について考えれば、祈る場所は関係ないはずです。
そしてその行き着く先は、そもそも教会は必要ないという終点なのです。これが、「宗教改革運動が教会を否定した」といわれている要因なのです。
ローマカトリック教会にとって、こうした宗教改革者たちの論理は、非常に都合の悪いものでした。
祈りの場としての教会を疑う信者が増えると、教会の権威は崩れてしまいます。
信仰を持つことと教会は何の関係もないということになると、これまで営々と執り行ってきた儀式は何のためかということになり、信仰の邪魔をしているのは教会のほうではないかという極論も成り立ちます。
かりにこの論理の元に民衆蜂起が起これば、キリスト教を国教とする政治権力の権威も崩れてしまいます。
政治と宗教は協力し合い、民衆を治め、国家を統治してきました。
それがコンスタンティヌス大帝以来続けられてきた統治システムでした。
しかし教会の腐敗と縛りが強化されるなかで、信仰の原点に立ち返るという論理が生まれ、それが精緻に作り上げられていた教会のシステムの壁に亀裂を入れたのです。
信仰の本質を究めれば究めるほど教会が否定されるわけですから、この論理が持つ破壊力は実に強力です。
性急に言えば、それを許すと、政治と宗教による統治システムが崩壊するのです。
それを、権力者が黙って見ているはずはありません。
「現代版 魔女の鉄槌」 苫米地英人著 フォレスト出版
抜粋したもの
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@Petit_Soleil17 からのツイート
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13世紀南フランスの大虐殺 異端討伐前夜 D
http://8729-13.cocolog-nifty.com/blog/2012/11/index.html#entry-83656962
ヨーロッパ中世の魔女裁判の前には、異端審問という暗黒裁判の前史があります。
異端とは、正統から外れているという意味ですが、球界の異端児や異端の科学者などの用いられ方をする現代では、「異端」とはそれほど悪いイメージではありません。
しかし宗教で異端という場合、それは重大な意味を持っており、とくにヨーロッパ中世ではそれは生命にかかわる問題であったのです。
異端という言葉がいつ生まれたのか定かではありませんが、キリスト教初期のころにすでに異端論争が行なわれていたことは聖書からも窺うことができます。
すでに紹介したように、コンスタンティヌス大帝の時代にアリウス派が異端とされたことはその典型です。
つまり教義に多様な考え方や解釈があることを許容せず、正統とするもの以外を撲滅しようとすることです。
もちろんそこで、何が正統であるかに決着をつけるのは、常に信仰ではなく政治力です。
コンスタンティヌス大帝が、三位一体を唱えるアタナシウス派を擁護したのもそうです。
それは三位一体の教義から、聖霊の位格が神と同じということになれば、聖霊の宿ったパウロの言葉も、公会議の議決も、神の言葉と見なすことができるので政治的に非常に利用しやすかったといえます。
コンスタンティヌス大帝の目的は、当時4つに分割されていたローマ帝国をまとめ、そこで唯一の皇帝として専制君主制を確立することでした。
そのために当時、人気の上昇していたキリスト教を利用したのです。
その意味でコンスタンティヌス大帝がキリスト教に求めたのは、自らへの忠誠と求心力であったはずです。
三位一体論議で異端とされたアリウス派が、その後どのような扱いを受けたかはわずかしか記録には残されていませんが、それによると、領土内において激しい迫害を受け、家を壊され、暴力を振るわれ、殺されたりし、ローマ帝国を追われていきました。
ちなみに当時、コンスタンティヌス大帝に対する東の正帝であったリキニウスは、このコンスタンティヌスの動きに激しく反発しました。
しかし圧倒的な不人気の中で、戦いに敗れたリキニウスは、コンスタンティヌスによって324年に処刑されました。
これによりローマ帝国は統一され、325年にニケア公会議がコンスタンティヌス大帝主宰で開かれ、キリスト教がローマで確立しました。
このように宗教と権力が結びつき、それが国教化されるということは、すなわち宗教が権力者の権力闘争の道具として採用されることを意味します。
ローマカトリック教会の歴史を振り返ると、12世紀頃までは、彼らには異端撲滅を行なう特別な事情が生じなかったように見えます。
しかし政治的には爛熟期の後の堕落、退廃期が訪れていました。
王侯たちは市民や領民の生活を顧みることなく、統治力は著しく失われていました。
しかし一方で宗教の面から見ると、この時期は教会の権威がかつてなく高まった時代であり、一般に、法王権の全盛時代と言われる時代が始まっていました。
そしてもちろん教会もまた、ひどい堕落と退廃の中にありました。
聖職の売買や聖職者が情婦を囲うことは日常茶飯事であり、教会の小部屋は尼僧と女性信徒との情事の場と化し、聖職者は私服を肥やすことばかりに熱心でした。
ダンテは13世紀に、『神曲地獄編』で逆さまに吊るされた教皇ニコラウス3世(在位1277−1280)を描き、ダンテと同時代の教皇ボニファティウス8世が彼と同じ運命をたどるだろうと予言しました。
つまりダンテはその一節に、教会の権力への告発状を表したのです。
ダンテの「神曲地獄編」は、民衆が当時の教会に対して抱いていた怒りの強さを、現代に伝えています。
聖書の物語を題材にとったルネッサンスの絵画は、神に救いを求める人間の激しい苦悩を描いたものが数多く見られます。
なぜこうも同じようなテーマで、しかもおどろおどろしいタッチの絵ばかりが描かれたのか、不思議に思ってきた人も多いでしょう。
その理由も、ルネッサンス絵画の作者たちが、内心にダンテと同じような怒りを抱え、それを創作動機に昇華して絵筆を握っていたからです。
そのような状態で人々が立ち上がり、宗教改革運動が起きるのは当然の流れと言わねばなりません。
実は異端審問と宗教改革は、切っても切れない関係にあります。
教会がなぜ異端審問を行なうのかといえば、その目的は教会の権威を守り、組織を防衛することです。
それは教会に不満を抱える異端者とされる信徒たちが、教会の足元を崩すようなことを主張していたからでした。
教会がもっとも金と権力を握った中世は、同時に教会がもっとも保身に注意しなければならない時代でもありました。
残酷な拷問と凄まじい虐殺の行なわれた中世の異端審問は、12世紀の南フランスで始まりました。
当時の南フランスでは、領主や市民はローマ法王の権威からは距離を置き、自ら自由な文化を育んでいました。
その地で人々の間に浸透していたのが、カタリ派といわれるキリスト教の一派でした。
カタリ派の「カタリ」とは、ギリシャ語で「清浄なるもの」を意味します。
地域によってはアルビ派ともバタリニ派とも呼ばれていました。
カタリ派そのものが消滅してしまったので、彼らの思想の詳細はわかりませんが、教会を否定し、どこで祈っても信仰に変わりはないとする信条を持っていました。
ローマカトリック教会では、祈りは教会で行なうものと定めていました。
つまり儀式は典礼に則り、それらは宗教指導者によって執り行われるものと決められていたのです。
それが教会の高い権威を象徴しており、信者への支配を強化する手段でもありました。
その結果、神への信仰のはずがいつの間にか教会に対する隷従へと変質し、同時に、信仰の場であるはずの教会が形式ばかりの信仰と金儲け、あるいは政治の場へと堕してしまいました。
カタリ派をはじめとする宗教改革派は、こうした教会のあり方が信仰を歪めるという問題の本質に、早くから気づいていました。
西洋の歴史ノンフィクションなどでは、宗教改革運動を「教会を否定する運動」というように、ただの1行で片づける記述が多いために当時の状況がわからず、真相が理解されてはいないようです。
つまり宗教改革は、信仰を守ることと、教会という場で祈ることとの矛盾に気づいた人々による、信仰の原点回帰が出発点になっていたのです。
信仰の本質について考えれば、祈る場所は関係ないはずです。
そしてその行き着く先は、そもそも教会は必要ないという終点なのです。これが、「宗教改革運動が教会を否定した」といわれている要因なのです。
ローマカトリック教会にとって、こうした宗教改革者たちの論理は、非常に都合の悪いものでした。
祈りの場としての教会を疑う信者が増えると、教会の権威は崩れてしまいます。
信仰を持つことと教会は何の関係もないということになると、これまで営々と執り行ってきた儀式は何のためかということになり、信仰の邪魔をしているのは教会のほうではないかという極論も成り立ちます。
かりにこの論理の元に民衆蜂起が起これば、キリスト教を国教とする政治権力の権威も崩れてしまいます。
政治と宗教は協力し合い、民衆を治め、国家を統治してきました。
それがコンスタンティヌス大帝以来続けられてきた統治システムでした。
しかし教会の腐敗と縛りが強化されるなかで、信仰の原点に立ち返るという論理が生まれ、それが精緻に作り上げられていた教会のシステムの壁に亀裂を入れたのです。
信仰の本質を究めれば究めるほど教会が否定されるわけですから、この論理が持つ破壊力は実に強力です。
性急に言えば、それを許すと、政治と宗教による統治システムが崩壊するのです。
それを、権力者が黙って見ているはずはありません。
「現代版 魔女の鉄槌」 苫米地英人著 フォレスト出版
抜粋したもの
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