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2013年02月02日

13世紀南フランスの大虐殺 異端討伐前夜

zeraniumのブログ より転載

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13世紀南フランスの大虐殺 異端討伐前夜 D
http://8729-13.cocolog-nifty.com/blog/2012/11/index.html#entry-83656962


   ヨーロッパ中世の魔女裁判の前には、異端審問という暗黒裁判の前史があります。 

   異端とは、正統から外れているという意味ですが、球界の異端児や異端の科学者などの用いられ方をする現代では、「異端」とはそれほど悪いイメージではありません。

しかし宗教で異端という場合、それは重大な意味を持っており、とくにヨーロッパ中世ではそれは生命にかかわる問題であったのです。

   異端という言葉がいつ生まれたのか定かではありませんが、キリスト教初期のころにすでに異端論争が行なわれていたことは聖書からも窺うことができます。

すでに紹介したように、コンスタンティヌス大帝の時代にアリウス派が異端とされたことはその典型です。

つまり教義に多様な考え方や解釈があることを許容せず、正統とするもの以外を撲滅しようとすることです。

もちろんそこで、何が正統であるかに決着をつけるのは、常に信仰ではなく政治力です。

   コンスタンティヌス大帝が、三位一体を唱えるアタナシウス派を擁護したのもそうです。

   それは三位一体の教義から、聖霊の位格が神と同じということになれば、聖霊の宿ったパウロの言葉も、公会議の議決も、神の言葉と見なすことができるので政治的に非常に利用しやすかったといえます。

   コンスタンティヌス大帝の目的は、当時4つに分割されていたローマ帝国をまとめ、そこで唯一の皇帝として専制君主制を確立することでした。

そのために当時、人気の上昇していたキリスト教を利用したのです。

その意味でコンスタンティヌス大帝がキリスト教に求めたのは、自らへの忠誠と求心力であったはずです。

三位一体論議で異端とされたアリウス派が、その後どのような扱いを受けたかはわずかしか記録には残されていませんが、それによると、領土内において激しい迫害を受け、家を壊され、暴力を振るわれ、殺されたりし、ローマ帝国を追われていきました。

   ちなみに当時、コンスタンティヌス大帝に対する東の正帝であったリキニウスは、このコンスタンティヌスの動きに激しく反発しました。

しかし圧倒的な不人気の中で、戦いに敗れたリキニウスは、コンスタンティヌスによって324年に処刑されました。

これによりローマ帝国は統一され、325年にニケア公会議がコンスタンティヌス大帝主宰で開かれ、キリスト教がローマで確立しました。

このように宗教と権力が結びつき、それが国教化されるということは、すなわち宗教が権力者の権力闘争の道具として採用されることを意味します。

   ローマカトリック教会の歴史を振り返ると、12世紀頃までは、彼らには異端撲滅を行なう特別な事情が生じなかったように見えます。

しかし政治的には爛熟期の後の堕落、退廃期が訪れていました。

王侯たちは市民や領民の生活を顧みることなく、統治力は著しく失われていました。

しかし一方で宗教の面から見ると、この時期は教会の権威がかつてなく高まった時代であり、一般に、法王権の全盛時代と言われる時代が始まっていました。

   そしてもちろん教会もまた、ひどい堕落と退廃の中にありました

   聖職の売買や聖職者が情婦を囲うことは日常茶飯事であり、教会の小部屋は尼僧と女性信徒との情事の場と化し、聖職者は私服を肥やすことばかりに熱心でした。

ダンテは13世紀に、『神曲地獄編』で逆さまに吊るされた教皇ニコラウス3世(在位1277−1280)を描き、ダンテと同時代の教皇ボニファティウス8世が彼と同じ運命をたどるだろうと予言しました。

つまりダンテはその一節に、教会の権力への告発状を表したのです。
ダンテの「神曲地獄編」は、民衆が当時の教会に対して抱いていた怒りの強さを、現代に伝えています。

   聖書の物語を題材にとったルネッサンスの絵画は、神に救いを求める人間の激しい苦悩を描いたものが数多く見られます。

なぜこうも同じようなテーマで、しかもおどろおどろしいタッチの絵ばかりが描かれたのか、不思議に思ってきた人も多いでしょう。

その理由も、ルネッサンス絵画の作者たちが、内心にダンテと同じような怒りを抱え、それを創作動機に昇華して絵筆を握っていたからです。

   そのような状態で人々が立ち上がり、宗教改革運動が起きるのは当然の流れと言わねばなりません。

実は異端審問と宗教改革は、切っても切れない関係にあります。

教会がなぜ異端審問を行なうのかといえば、その目的は教会の権威を守り、組織を防衛することです。

それは教会に不満を抱える異端者とされる信徒たちが、教会の足元を崩すようなことを主張していたからでした。

教会がもっとも金と権力を握った中世は、同時に教会がもっとも保身に注意しなければならない時代でもありました。

   残酷な拷問と凄まじい虐殺の行なわれた中世の異端審問は、12世紀の南フランスで始まりました。

当時の南フランスでは、領主や市民はローマ法王の権威からは距離を置き、自ら自由な文化を育んでいました。
その地で人々の間に浸透していたのが、カタリ派といわれるキリスト教の一派でした。

カタリ派の「カタリ」とは、ギリシャ語で「清浄なるもの」を意味します。

地域によってはアルビ派ともバタリニ派とも呼ばれていました。

カタリ派そのものが消滅してしまったので、彼らの思想の詳細はわかりませんが、教会を否定し、どこで祈っても信仰に変わりはないとする信条を持っていました。

   ローマカトリック教会では、祈りは教会で行なうものと定めていました。

   つまり儀式は典礼に則り、それらは宗教指導者によって執り行われるものと決められていたのです。

それが教会の高い権威を象徴しており、信者への支配を強化する手段でもありました。

その結果、神への信仰のはずがいつの間にか教会に対する隷従へと変質し、同時に、信仰の場であるはずの教会が形式ばかりの信仰と金儲け、あるいは政治の場へと堕してしまいました。

   カタリ派をはじめとする宗教改革派は、こうした教会のあり方が信仰を歪めるという問題の本質に、早くから気づいていました。

西洋の歴史ノンフィクションなどでは、宗教改革運動を「教会を否定する運動」というように、ただの1行で片づける記述が多いために当時の状況がわからず、真相が理解されてはいないようです。

つまり宗教改革は、信仰を守ることと、教会という場で祈ることとの矛盾に気づいた人々による、信仰の原点回帰が出発点になっていたのです。

信仰の本質について考えれば、祈る場所は関係ないはずです。

そしてその行き着く先は、そもそも教会は必要ないという終点なのです。これが、「宗教改革運動が教会を否定した」といわれている要因なのです。

   ローマカトリック教会にとって、こうした宗教改革者たちの論理は、非常に都合の悪いものでした。

祈りの場としての教会を疑う信者が増えると、教会の権威は崩れてしまいます。
信仰を持つことと教会は何の関係もないということになると、これまで営々と執り行ってきた儀式は何のためかということになり、信仰の邪魔をしているのは教会のほうではないかという極論も成り立ちます。

かりにこの論理の元に民衆蜂起が起これば、キリスト教を国教とする政治権力の権威も崩れてしまいます。

   政治と宗教は協力し合い、民衆を治め、国家を統治してきました。

   それがコンスタンティヌス大帝以来続けられてきた統治システムでした。

しかし教会の腐敗と縛りが強化されるなかで、信仰の原点に立ち返るという論理が生まれ、それが精緻に作り上げられていた教会のシステムの壁に亀裂を入れたのです。

信仰の本質を究めれば究めるほど教会が否定されるわけですから、この論理が持つ破壊力は実に強力です。
性急に言えば、れを許すと、政治と宗教による統治システムが崩壊するのです。

それを、権力者が黙って見ているはずはありません。


           「現代版 魔女の鉄槌」 苫米地英人著 フォレスト出版

                        抜粋したもの

   
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posted by ぷちそれいゆ at 13:20| History
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