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2016年06月24日

生け贄レベル

雨やんでも油断しないで!また九州など大雨予報
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/ann?a=20160623-00000016-ann-soci


熊本の人、大変だなぁ。
大地震の次に大雨が来て、
それから梅雨が終われば暑さが厳しくなるんだから。
台風の心配もしなければいけないし。

昔だったらこれだけ災害が重なったら
人身御供として村の娘を生け贄に捧げてたりしたんだろうなぁ。

世界にはアステカ文明のように
生け贄になることが名誉と考えていたところもあるが、
日本においてはスサノオのヤマタノオロチ伝説ですでに
生け贄は仕方のないもの、悲しむべきこと、という意識だった。

現代においても自爆テロということで
形を変えて生け贄は存在している。
我々の考え方だと自ら爆弾を抱えて爆発するなど
正気の沙汰とは思えないのだが、
彼らにとっては神様のために殉じるわけだから
喜びに似た感情なのかもしれない。

太平洋戦争時の日本の特攻隊だって
敵国のアメリカ人にしてみればクレージーな攻撃なわけで、
死に対する考え方は変化していくものだ。

動物を見ていても分かるが、
本能として「死」というものは避けたくなるもののはずだ。
生への執着がなければ
生物として生まれた意味である種の継続ができないわけだから
死を恐れるのは当然のことのはずだ。

それでも名誉として生け贄になったり
聖戦と信じて神のために犠牲になったり、
友が待つ靖国へと旅立つのだから
思い込むという力は強い。

突然襲われて死に直面すれば
本能的に死にたくないと逃げたり抵抗したりするのだが、
一方では生きている方がツラいということで
自ら進んで死を選ぶ人もいる。

死というものがどのようなものなのか
今生きている人で経験した人はいないわけだし、
経験した人は教えてくれないのだから
未知のことだ。
未知なのに恐れたり望んだりするのだから
不思議なものである。

未知であるはずなのに
天国があるとか地獄があるとか
浄土であるとか生まれ変わるとか、
宗教というのは無責任なことを言うものである。

なんにせよ人身御供などという
理不尽な制度がなくなってくれたことは有り難いことだ。
あんなものは時の権力者の思いつきでしかない。

天変地異がないに越したことがないが、
宿命と諦める覚悟も必要なのかもしれない。




posted by 黒豚猫 at 04:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会
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