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2014年04月24日

物理と仏教4

よく
四苦八苦する
という言葉を使います。

この言葉はもともと仏教で言う
8個の思うようにらないことを指します。

五蘊もその内の一つです。

仏教の考え方では
善い執着と悪い執着があって
悪い執着が人を苦しめている原因だと
考えられています。

悪い執着を解き放てば
人は苦しみから抜け出せるということです。

断捨離もこの考え方の延長ですね。

この服はいつか着るかもしれない、
この袋はいつか使うかもしれない、
という具合に次々と溜め込むと
部屋はあっという間にゴチャゴチャになり
やがて暮らしにくい環境になってしまう。

それと同じように
いろんな事柄・出来事に執着し続けると
人は生きづらくなってしまう。

執着が強ければ
心のなかに占めるその事柄は
重いものになり、
執着が薄ければ
気にも留めない軽いものになりませんか?

その執着という概念を
ヒッグスに当てはめるとどうでしょう。

素粒子も
ヒッグス粒子がなければ
自由に、軽やかに飛び回ることができます。
ヒッグスの影響を受けない
光子と同じように。

ヒッグスの抵抗を強く受ければ
重い質量になりますし
抵抗が薄ければ
軽い質量の物質になります。

仏教ではものごとは常に移ろっており
一つのところに留まっているものではない。
それを留めているのが己の執着である。
それは自然の法に逆らっているから苦しいのだ
と説きます。

常に留まっていない素粒子を
質量を与えて留まらせているのが
ヒッグス粒子。

逆説的ではありますが
真理は同じ所にあるように感じます。

こんな事を2500年前にすでに考えていた
(般若経は釈迦の死後100年以上経ってから
まとめられたらしいので、
正確に彼の考えかどうかは分かりませんが、
それでもその精神は受け継がれていたはずですので
ここではこの様に記述いたします。)
ゴータマ・シッダールタという人は
やはり偉大なるブッダであり
偉大なる哲学者だと思うのです。

彼が現代にいたら
それこそ偉大なるサイエンティストになっていたことでしょう。

ちなみに
昨年のノーベル物理学賞の発表の時
当のヒッグス氏は電話連絡してもつながらず、
ヒッグス氏は路上で知人の女性に祝福されて
「何のニュースですか」と聞き返したとのこと。

その執着なさに
ますます仏教的なものを感じました。




タグ:物理と仏教
posted by 黒豚猫 at 15:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会
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