2017年11月26日
拓馬篇前記−校長8
面接終了後、校長はデイルへ合格の一報を知らせるのと同時にアパートの見学日候補を伝えた。直近の土曜日はどうか、と言うと彼はすぐに「わかりました」と答える。
「その日から入居してもよろしいでしょうか」
校長は自分が先日そう提案した身でいながら、即答できなかった。すでに彼にはアパートに住んでもらう心積もりだったし、彼が乗り気ならそれは良いことだ。しかし実態を一つも見せずにいきなり部屋に住め、というのは常識はずれのような気がした。そんな言葉がポンと出てしまったのは、その場の勢いによるものだ。前言を撤回したほうがよいと思えた。
校長は礼儀として「内装を見てから決めていいのだよ」とは言ってみた。すると彼は「校長が勧めてくださる住居なら心配はありません」と気のいい返事をする。なかなか人心をくすぐる言い方がわかっているようだ。そもそも数ヶ月の仮住まいなのだから、そこまで慎重に選ばなくてもよさそうなものである。校長は当初の提案を変更せずにおいた。
二人の待ち合わせはアパートから徒歩圏内の最寄駅にした。そこで校長は隣県から来るデイルを迎える。彼は事前に告げた時間通りに現れた。片手には黒いビジネス鞄を、反対の手にはキャスターのついたトランクケースを引くスーツ姿だ。まるきり出張に訪れたビジネスマンに見える。ただし目元にある黄色のサングラスと、ジャケットからのぞく黒に近い灰色のシャツは、一般的な会社員の風体とは程遠かった。これが彼の理想とする校内での格好なのだろう。
「私服でもよかったのだがね」
校長は青年の服装を雑談の起点としつつ、町中を歩いた。目指すは私財を投じて建設した宿舎だ。
「これが私の普段着です。荷物が減りますし問題ないかと思います」
校長はもったいないと感じる。この若者はモデル並みに見栄えしそうなのだが。
「うむむ、オシャレには興味ないのかね?」
「はい。ファッションセンスというものには縁がないので」
「それは意外だなぁ……」
「学ぶ必要のない知識だと割り切っていますから」
「むう、そのぐらいストイックでないと文武両道ではいられないか」
すべての分野で平均以上を保ちつつ、最高の仕事をこなすことは非現実的だ。とある一流のエンジニアは毎日同じ柄のシャツとズボンを着て生活するらしい。自分に合う服の色、流行、服の組み合わせなどの思考時間を惜しむからそうするのだ。節約した時間をも活用することで、さらなる仕事の成果をあげられるのだろう。ある面で優秀な成績を残すには、どこかでリソースを減らさねばならぬという一例だ。
デイルは一流の武芸者だと大力会長が絶賛した。デイルはさらに一定の知識や人格を求められる教師をやろうとしている。彼は二十代の若さながらも充分すぎるほどに能力を拡張してきた。これはあらゆるものを犠牲にして成り立つ境地だろう。その代償となる一般的、常識的な部分は欠けていても仕方がないのだ。
「その様子だと、きみは時間があれば体を鍛えたり勉強したりしてきたのかね」
「はい」
「修行僧みたいだねえ。あまり遊んでこなかったようだが……仕事には関係しない、楽しいと思うものはあるのかね?」
「楽しい……」
デイルは静かに視線をあげた。電信柱の上に羽を休める鳶(とんび)を真顔で見ている。
「動物は好きです。これは楽しいもののうちに入るでしょうか?」
求道者的な若者は存外かわいい趣味持ちだ。校長はギャップを感じる一方で安心する。
「ああ、入るとも。愛らしい動物とふれあうおかげで、毎日元気に働ける人もいるからね」
「校長は私の活力のもとをおたずねになったのですか」
デイルはほほえみながら校長の顔色をうかがった。校長は自分の質問が適切でなかったとかえりみる。
「そうだね、生きがいと言ったほうがわかりやすかったかな。これがあれば元気が出る、といったものを持つ人は強い。教師はパワフルな生徒たちにぶつかっていく仕事だからね。どんなにへこたれても立ちなおれる方法があると頼もしいのだよ」
むろん「仕事が生きがい」という人もいるがね、と校長は年若い人からは同意を得にくい例も出した。デイルはさびしそうに笑う。
「私は『仕事がいきがい』だと言えそうにありませんね……」
「それは教師を長く続けられないからかね?」
「はい。一学期を終えて、この国を発ったら……むかしの稼業にもどるつもりです」
「どんな仕事なのか聞いてもいいかな?」
デイルは校長の見たことのない険しさをただよわせる。見る人によっては不機嫌とは捉えられない程度の変化だ。校長は彼の不興を買ってしまったのだと焦る。
「ムリに言わなくていい。国がちがえば説明しにくい仕事もあるだろう」
「はい……表現がむずかしいです。この仕事は私の身体能力をフルに活用する、とだけ言えます」
若者の機嫌が元通りになった。校長はほっとする。
(ふう、気まずいままでアパートの紹介はしづらいからねえ)
校長はデイルの詮索はやめた。まだ二回しか顔を合わせていない相手だ。つっこんだことを聞きすぎたのかもしれない。校長は方向性を変え、彼の拒む理由のないアパートについて紹介をはじめる。
「これから見せる住居はね、ロフト部屋があるのだよ。物を置くスペースは多いほどいいだろうと思って設計したんだ。長く教師をやればいろいろ入り用になるからね」
「才穎高校の教員のために建てたのですか?」
「ああ、社宅みたいなものだ。だけど生徒も希望すれば住める」
「自宅から通えない生徒が利用するのですね」
「そのとおり。来年度からも一人、生徒が入居する。この子は複雑な事情を持った女子生徒でね……」
「身内のパパラッチ被害のせいで転入する生徒、ですか?」
校長からは彼に伝えていない情報だ。校長の知らぬ間にデイルに知らせた人物がいるらしい。あまり口外できる内容ではないので、知っている教師はごく一部。彼と単独で接触した既知の者というと、教頭か。
「おや、もう知っていたのかね」
「はい、面接の日に教頭先生からそうお聞きしました。私が採用されれば、その生徒の面倒も看てほしいと。この指示は校長のお考えなのでしょうか?」
「いや、私は決定事項だとは考えていないよ。きみに看てくれたらうれしいとは思うが、いかんせん、男嫌いな女の子のようでね」
転入のいきさつを知れば無理もない拒絶だった。無辜の子どもとその姉妹が、心無い男性の飯の種になっているという。その男性には、女子生徒の父親も含んでいた。ただし父親は今回の事件と直接の関係はない。困っている娘への援助を一切しないという他人同然の人物らしい。
「教頭は女性だからなんとも感じなかったんだろうねえ。だけど私たち男の身ではどう接していいものか」
「その生徒と男性職員が関わることは避けたいのですね」
「そうなのだよ。よかれと思って接することも彼女の負担になってしまう。だから彼女の担任を女性にしようかと迷っているところだ」
「迷う? なぜですか」
デイルは「女性一択だ」と思っているようだ。校長もほかのクラス構成を考えなければ彼と同じ考えでいただろう。
「生徒同士の関わりを考慮すると、担任は男性だと決めたクラスに彼女を入れたいと思うのだよ」
「そのクラスの生徒は優しい子が多いと?」
「まあそういうことだ。ハートの熱い子が多くて……その中に、きみに監督してほしい子がいるんだが」
「わかりました。ではまとめて見守ることにします」
嫌な顔をせずにデイルは引き受けた。追加の依頼であっても気前よく承知してくれるのを、校長はすまなく思う。
「いろいろと難題を押しつけてしまってわるいね。就業時間外の行動が多くなってしまうだろうに、手当てを出してあげられないのが心苦しい」
「いえ、もとより一部の生徒の見守りは承知していますので」
「そこでだ、特別にきみの家賃はタダにしたい──」
「そういった配慮は生徒にしてあげてください。彼らは一人暮らしをするだけでも大変でしょうから」
校長は家賃の全額免除を断られるとは思っていなかった。おまけにその免除はより弱き者にせよ、と勧めるとは。無欲な生き仏を前にして、校長は頭の下がる思いがこみあげる。
(こんなに殊勝な若者がいるものだなぁ!)
ほんの数ヶ月しかいられないのを惜しく感じた。だが正直にそう言っては彼を苦しめるだけだ。校長は当たり障りのない、アパートの設備について話していく。そうして社宅兼学生寮のアパートに到着した。
「その日から入居してもよろしいでしょうか」
校長は自分が先日そう提案した身でいながら、即答できなかった。すでに彼にはアパートに住んでもらう心積もりだったし、彼が乗り気ならそれは良いことだ。しかし実態を一つも見せずにいきなり部屋に住め、というのは常識はずれのような気がした。そんな言葉がポンと出てしまったのは、その場の勢いによるものだ。前言を撤回したほうがよいと思えた。
校長は礼儀として「内装を見てから決めていいのだよ」とは言ってみた。すると彼は「校長が勧めてくださる住居なら心配はありません」と気のいい返事をする。なかなか人心をくすぐる言い方がわかっているようだ。そもそも数ヶ月の仮住まいなのだから、そこまで慎重に選ばなくてもよさそうなものである。校長は当初の提案を変更せずにおいた。
二人の待ち合わせはアパートから徒歩圏内の最寄駅にした。そこで校長は隣県から来るデイルを迎える。彼は事前に告げた時間通りに現れた。片手には黒いビジネス鞄を、反対の手にはキャスターのついたトランクケースを引くスーツ姿だ。まるきり出張に訪れたビジネスマンに見える。ただし目元にある黄色のサングラスと、ジャケットからのぞく黒に近い灰色のシャツは、一般的な会社員の風体とは程遠かった。これが彼の理想とする校内での格好なのだろう。
「私服でもよかったのだがね」
校長は青年の服装を雑談の起点としつつ、町中を歩いた。目指すは私財を投じて建設した宿舎だ。
「これが私の普段着です。荷物が減りますし問題ないかと思います」
校長はもったいないと感じる。この若者はモデル並みに見栄えしそうなのだが。
「うむむ、オシャレには興味ないのかね?」
「はい。ファッションセンスというものには縁がないので」
「それは意外だなぁ……」
「学ぶ必要のない知識だと割り切っていますから」
「むう、そのぐらいストイックでないと文武両道ではいられないか」
すべての分野で平均以上を保ちつつ、最高の仕事をこなすことは非現実的だ。とある一流のエンジニアは毎日同じ柄のシャツとズボンを着て生活するらしい。自分に合う服の色、流行、服の組み合わせなどの思考時間を惜しむからそうするのだ。節約した時間をも活用することで、さらなる仕事の成果をあげられるのだろう。ある面で優秀な成績を残すには、どこかでリソースを減らさねばならぬという一例だ。
デイルは一流の武芸者だと大力会長が絶賛した。デイルはさらに一定の知識や人格を求められる教師をやろうとしている。彼は二十代の若さながらも充分すぎるほどに能力を拡張してきた。これはあらゆるものを犠牲にして成り立つ境地だろう。その代償となる一般的、常識的な部分は欠けていても仕方がないのだ。
「その様子だと、きみは時間があれば体を鍛えたり勉強したりしてきたのかね」
「はい」
「修行僧みたいだねえ。あまり遊んでこなかったようだが……仕事には関係しない、楽しいと思うものはあるのかね?」
「楽しい……」
デイルは静かに視線をあげた。電信柱の上に羽を休める鳶(とんび)を真顔で見ている。
「動物は好きです。これは楽しいもののうちに入るでしょうか?」
求道者的な若者は存外かわいい趣味持ちだ。校長はギャップを感じる一方で安心する。
「ああ、入るとも。愛らしい動物とふれあうおかげで、毎日元気に働ける人もいるからね」
「校長は私の活力のもとをおたずねになったのですか」
デイルはほほえみながら校長の顔色をうかがった。校長は自分の質問が適切でなかったとかえりみる。
「そうだね、生きがいと言ったほうがわかりやすかったかな。これがあれば元気が出る、といったものを持つ人は強い。教師はパワフルな生徒たちにぶつかっていく仕事だからね。どんなにへこたれても立ちなおれる方法があると頼もしいのだよ」
むろん「仕事が生きがい」という人もいるがね、と校長は年若い人からは同意を得にくい例も出した。デイルはさびしそうに笑う。
「私は『仕事がいきがい』だと言えそうにありませんね……」
「それは教師を長く続けられないからかね?」
「はい。一学期を終えて、この国を発ったら……むかしの稼業にもどるつもりです」
「どんな仕事なのか聞いてもいいかな?」
デイルは校長の見たことのない険しさをただよわせる。見る人によっては不機嫌とは捉えられない程度の変化だ。校長は彼の不興を買ってしまったのだと焦る。
「ムリに言わなくていい。国がちがえば説明しにくい仕事もあるだろう」
「はい……表現がむずかしいです。この仕事は私の身体能力をフルに活用する、とだけ言えます」
若者の機嫌が元通りになった。校長はほっとする。
(ふう、気まずいままでアパートの紹介はしづらいからねえ)
校長はデイルの詮索はやめた。まだ二回しか顔を合わせていない相手だ。つっこんだことを聞きすぎたのかもしれない。校長は方向性を変え、彼の拒む理由のないアパートについて紹介をはじめる。
「これから見せる住居はね、ロフト部屋があるのだよ。物を置くスペースは多いほどいいだろうと思って設計したんだ。長く教師をやればいろいろ入り用になるからね」
「才穎高校の教員のために建てたのですか?」
「ああ、社宅みたいなものだ。だけど生徒も希望すれば住める」
「自宅から通えない生徒が利用するのですね」
「そのとおり。来年度からも一人、生徒が入居する。この子は複雑な事情を持った女子生徒でね……」
「身内のパパラッチ被害のせいで転入する生徒、ですか?」
校長からは彼に伝えていない情報だ。校長の知らぬ間にデイルに知らせた人物がいるらしい。あまり口外できる内容ではないので、知っている教師はごく一部。彼と単独で接触した既知の者というと、教頭か。
「おや、もう知っていたのかね」
「はい、面接の日に教頭先生からそうお聞きしました。私が採用されれば、その生徒の面倒も看てほしいと。この指示は校長のお考えなのでしょうか?」
「いや、私は決定事項だとは考えていないよ。きみに看てくれたらうれしいとは思うが、いかんせん、男嫌いな女の子のようでね」
転入のいきさつを知れば無理もない拒絶だった。無辜の子どもとその姉妹が、心無い男性の飯の種になっているという。その男性には、女子生徒の父親も含んでいた。ただし父親は今回の事件と直接の関係はない。困っている娘への援助を一切しないという他人同然の人物らしい。
「教頭は女性だからなんとも感じなかったんだろうねえ。だけど私たち男の身ではどう接していいものか」
「その生徒と男性職員が関わることは避けたいのですね」
「そうなのだよ。よかれと思って接することも彼女の負担になってしまう。だから彼女の担任を女性にしようかと迷っているところだ」
「迷う? なぜですか」
デイルは「女性一択だ」と思っているようだ。校長もほかのクラス構成を考えなければ彼と同じ考えでいただろう。
「生徒同士の関わりを考慮すると、担任は男性だと決めたクラスに彼女を入れたいと思うのだよ」
「そのクラスの生徒は優しい子が多いと?」
「まあそういうことだ。ハートの熱い子が多くて……その中に、きみに監督してほしい子がいるんだが」
「わかりました。ではまとめて見守ることにします」
嫌な顔をせずにデイルは引き受けた。追加の依頼であっても気前よく承知してくれるのを、校長はすまなく思う。
「いろいろと難題を押しつけてしまってわるいね。就業時間外の行動が多くなってしまうだろうに、手当てを出してあげられないのが心苦しい」
「いえ、もとより一部の生徒の見守りは承知していますので」
「そこでだ、特別にきみの家賃はタダにしたい──」
「そういった配慮は生徒にしてあげてください。彼らは一人暮らしをするだけでも大変でしょうから」
校長は家賃の全額免除を断られるとは思っていなかった。おまけにその免除はより弱き者にせよ、と勧めるとは。無欲な生き仏を前にして、校長は頭の下がる思いがこみあげる。
(こんなに殊勝な若者がいるものだなぁ!)
ほんの数ヶ月しかいられないのを惜しく感じた。だが正直にそう言っては彼を苦しめるだけだ。校長は当たり障りのない、アパートの設備について話していく。そうして社宅兼学生寮のアパートに到着した。
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