2017年11月12日
拓馬篇前記−八巻5
「──と、いう次第です」
八巻はギプスで包まれた左足をクッションの上に投げ出しながら、自身の負傷の経緯を語り終えた。聞き手は校長。八巻が想定外の骨折をしてしまい、入院を継続するという連絡を受けて訪問した。先週見舞いに来た時と同じ病室のため、とくに迷うことなく来れたそうだ。
病室の丸椅子に座った校長は首をかしげながら「そうかね」と言う。
「その妖精さんは、助けてくれなかったわけだね」
「そうです。あのまま放置されて、従業員に発見してもらったんです」
第一発見者は八巻に院内での行動所作を注意した事務員だった。この人は銅像の倒壊理由を「走り回っててぶつかったんじゃ」などと八巻に責任を追及する予想立てたらしい。倒壊現場にいた隆之介が弁護したおかげで八巻の自己責任は問われなかった。
原因解明のため銅像の残骸を調査したところ、足元の金属部分がボロボロに崩れていたらしい。不思議とその部位だけ劣化が激しかったという。鋭利な物で切断した形跡も、高熱で溶けた痕跡もなかった。
結果、老朽化が原因で銅像が倒れたと診断され、その弁償は病院が負担することに決定した。同様に、八巻の負傷は病院側の不始末として受理された。
校長の関心は八巻の怪我の原因になく、もっぱら謎の女性に向かう。
「人を助けたりほったらかしにしたり、目的がよくわからん女性だね」
「ええ、まあ……命に別条がないとわかったから、何もしなかったのかもしれませんが」
こたびの骨折は足のすね部分だけ。骨がきれいに折れており、プレートやボルトを入れずにギプスで固定してある。
「医者に言わせれば『銅像一つでこうも骨が真っ二つに折れるものか』と疑っているそうですよ」
「ほう、それは責任逃れのためでなく?」
「どうなんでしょうね。あの像が骨折の原因じゃないなら、妖精さんが犯人になりそうですが」
「それは考えられないだろう。その女性は夜な夜なきみのケガを治しにきてくれたそうじゃないか。なぜ今になって、その努力をムダにする」
八巻は校長の言葉に大いにうなずいた。彼女が八巻を害する動機が見当たらない。
(まあ、ケガを治す理由もわからないんだが……)
八巻が瀕死の重体に陥った時に助けてくれたのは、良心による行動だと推測できる。普通の人間なら、死にゆく生き物の運命を変えたいと願うはずだ。よほど憎い相手以外は。
だが八巻の入院先を調べてまで治療を施す理由はなにか。それも良心で片付けてよいのだろうか。彼女は事故現場に居合わせただけの他人に尽くす、お人好しなのか。
(それとも、会ったことがあるんだろうか?)
八巻が気付かぬうちに妖精さんと会っており、その時に彼女の琴線に触れるなにかを八巻がした──と仮定すれば納得がいく。だが、あのような美人をちらりとでも見かけたならきれいサッパリ忘れそうにない。
(心当たりがないな……)
冷静になってみると、治癒能力を持つ存在自体が不可思議である。そして妖精さんを伝聞でしか知らぬ校長がなんの抵抗もなく八巻に話を合わせているのも奇妙だ。八巻は校長がこの若手教師を妄言家だと見てはいないか不安になる。
「あの、校長……なんだか自然とお話しされてますけど、妖精さんのこと……ほんとうに信じてらっしゃいます?」
八巻はおずおずと質問した。校長は目を細めてうなずく。
「もちろん。きみが惚れた人のことだ、疑う余地はないとも!」
「はぁ、そうですか……」
校長は恋話が第一優先事項であり、非科学的な事象の審議は二の次のようだ。校長の徹底されたポリシーは八巻に妙な安心感を与えた。
謎の女性が八巻にどう働きかけたのであれ、八巻が負傷した事実は変わらない。八巻は最短でも一ヶ月の入院を余儀なくされている。退院した後も何ヶ月と治療を続け、やっと人並みに動けるようになるのだ。
退院後、松葉杖をついた状態で授業を行なうことはできるだろう。しかし、校長の依頼は到底達成できない。外部の者と乱闘を起こす可能性のある生徒の監督という役目を。
「すみませんが、この怪我では、四月までに復帰は──」
八巻が申し訳なく言うと校長は「いいんだ」とさえぎる。
「人を助けようとして負ったケガなのだから、誇らしくしていなさい。きみはまちがったことをしていないよ」
「そう言っていただけると気持ちが楽になります。ですが、一年生はどうします?」
「仕方がないさ。ほかの先生たちと協力して、うまくやっていこう」
現状維持──それ以外にやりようもない。八巻は自分が役立つ絶好の機会を棒に振ったと感じる。
「どこかに、荒事の対処がうまい教師がいませんかね……」
「うーむ、知り合いに聞いてみるかな」
「ツテがあるんですか?」
「教師はどうか知らないが、武芸達者な人たちを抱える知人はいるよ。電話が繋がりにくいのが欠点でねえ──」
校長は大物な人名をあげた。大力会長という、大企業のトップと親交があるのだ。その人物は校長夫人の原作映画のスポンサーになったことがあり、そこから交流が始まったらしい。八巻はたかがいち高校に大それた人物を関わらせるのは非常識だと思う。
「お忙しい方なんじゃないですか? こんな子どものトラブルを相談するような相手じゃ──」
「なぁに、あの人は学校に興味がおありでね。話ぐらいは聞いてくれるさ」
校長はダメでもともとの精神でいる。その挑戦が相手方の負担にならないのなら八巻に異論はない。
「でしたら、校長の思うとおりにはからってください」
「わかった。きみは焦らずにじっくり体を治したまえ」
校長は自身の膝をぽんと叩き、別れの挨拶を交わした。話し疲れた八巻はベッドのリクライニングをリモコン操作で倒し、横になる。引き続き同室者になった隆之介が「なぁ」とカーテン越しにしゃべる。
「いい校長さんだな」
「……聞いてたのか」
「まーな。イヤだったか?」
「どうとも思わない。ほとんどがきみも知ってることだ」
この骨折を機に、妖精さんの話は隆之介にもしてあった。彼は実在の不確かな女性のことを信じたのかどうかはっきりしない。だが八巻をほら吹きのごとく馬鹿にすることは決してなかった。隆之介はなおも「そうそう」と話しかける。
「その妖精さん……に限ったことじゃねえんだけど、アドバイスな」
「なんだ、改まって」
「銀髪で色黒のやつには関わるなよ。それプラス青い目もアウトらしい」
隆之介の条件は髪以外、妖精さんに当てはまる。もしや、それがあの銅像の前で隆之介が質問してきた真意か。
「銀色の髪? それが、電話相手が言ってた人物の特徴か」
「そういうこった」
「どうして関わってはいけないんだ?」
「そのへんは仕事上、他言無用なんだとよ」
「きみの友人はどういう仕事をしてる人なんだ」
「どうとでも思っててくれ。しばらく待てばあいつがどーにかしてくれるさ」
隆之介は助言以上の情報を教える気はないらしい。八巻は念押しに質問する。
「そのアドバイス、校長にも伝えるべきか?」
「それはしなくていいんじゃねえかな。校長さんはその女性と会っちゃいないだろ?」
「まあ、そうか……」
学校の人々が八巻ほどの大事故に巻き込まれまい。妖精さんが現れる可能性は低そうだ。八巻は彼女への捨てきれぬ想いを胸に、別の質問をする。
「一つ聞くが……どれだけの間、待てばいい?」
「へ?」
「もし妖精さんが現れたとして、彼女に接触していい時期はいつだろうか?」
「あー……勝手にすりゃいい。命まではとらねえって話だから」
隆之介はめんどくさそうに答える。八巻の懲りない慕情に呆れているのだ。八巻は隆之介がくだす自分の評価はどうでもよかった。同室者の許しを得たことで気が大きくなる。
「そうか! 次は気絶しないように心掛けよう」
八巻は妖精さんに邂逅する時を期待して、慎重に寝返りをうった。
八巻はギプスで包まれた左足をクッションの上に投げ出しながら、自身の負傷の経緯を語り終えた。聞き手は校長。八巻が想定外の骨折をしてしまい、入院を継続するという連絡を受けて訪問した。先週見舞いに来た時と同じ病室のため、とくに迷うことなく来れたそうだ。
病室の丸椅子に座った校長は首をかしげながら「そうかね」と言う。
「その妖精さんは、助けてくれなかったわけだね」
「そうです。あのまま放置されて、従業員に発見してもらったんです」
第一発見者は八巻に院内での行動所作を注意した事務員だった。この人は銅像の倒壊理由を「走り回っててぶつかったんじゃ」などと八巻に責任を追及する予想立てたらしい。倒壊現場にいた隆之介が弁護したおかげで八巻の自己責任は問われなかった。
原因解明のため銅像の残骸を調査したところ、足元の金属部分がボロボロに崩れていたらしい。不思議とその部位だけ劣化が激しかったという。鋭利な物で切断した形跡も、高熱で溶けた痕跡もなかった。
結果、老朽化が原因で銅像が倒れたと診断され、その弁償は病院が負担することに決定した。同様に、八巻の負傷は病院側の不始末として受理された。
校長の関心は八巻の怪我の原因になく、もっぱら謎の女性に向かう。
「人を助けたりほったらかしにしたり、目的がよくわからん女性だね」
「ええ、まあ……命に別条がないとわかったから、何もしなかったのかもしれませんが」
こたびの骨折は足のすね部分だけ。骨がきれいに折れており、プレートやボルトを入れずにギプスで固定してある。
「医者に言わせれば『銅像一つでこうも骨が真っ二つに折れるものか』と疑っているそうですよ」
「ほう、それは責任逃れのためでなく?」
「どうなんでしょうね。あの像が骨折の原因じゃないなら、妖精さんが犯人になりそうですが」
「それは考えられないだろう。その女性は夜な夜なきみのケガを治しにきてくれたそうじゃないか。なぜ今になって、その努力をムダにする」
八巻は校長の言葉に大いにうなずいた。彼女が八巻を害する動機が見当たらない。
(まあ、ケガを治す理由もわからないんだが……)
八巻が瀕死の重体に陥った時に助けてくれたのは、良心による行動だと推測できる。普通の人間なら、死にゆく生き物の運命を変えたいと願うはずだ。よほど憎い相手以外は。
だが八巻の入院先を調べてまで治療を施す理由はなにか。それも良心で片付けてよいのだろうか。彼女は事故現場に居合わせただけの他人に尽くす、お人好しなのか。
(それとも、会ったことがあるんだろうか?)
八巻が気付かぬうちに妖精さんと会っており、その時に彼女の琴線に触れるなにかを八巻がした──と仮定すれば納得がいく。だが、あのような美人をちらりとでも見かけたならきれいサッパリ忘れそうにない。
(心当たりがないな……)
冷静になってみると、治癒能力を持つ存在自体が不可思議である。そして妖精さんを伝聞でしか知らぬ校長がなんの抵抗もなく八巻に話を合わせているのも奇妙だ。八巻は校長がこの若手教師を妄言家だと見てはいないか不安になる。
「あの、校長……なんだか自然とお話しされてますけど、妖精さんのこと……ほんとうに信じてらっしゃいます?」
八巻はおずおずと質問した。校長は目を細めてうなずく。
「もちろん。きみが惚れた人のことだ、疑う余地はないとも!」
「はぁ、そうですか……」
校長は恋話が第一優先事項であり、非科学的な事象の審議は二の次のようだ。校長の徹底されたポリシーは八巻に妙な安心感を与えた。
謎の女性が八巻にどう働きかけたのであれ、八巻が負傷した事実は変わらない。八巻は最短でも一ヶ月の入院を余儀なくされている。退院した後も何ヶ月と治療を続け、やっと人並みに動けるようになるのだ。
退院後、松葉杖をついた状態で授業を行なうことはできるだろう。しかし、校長の依頼は到底達成できない。外部の者と乱闘を起こす可能性のある生徒の監督という役目を。
「すみませんが、この怪我では、四月までに復帰は──」
八巻が申し訳なく言うと校長は「いいんだ」とさえぎる。
「人を助けようとして負ったケガなのだから、誇らしくしていなさい。きみはまちがったことをしていないよ」
「そう言っていただけると気持ちが楽になります。ですが、一年生はどうします?」
「仕方がないさ。ほかの先生たちと協力して、うまくやっていこう」
現状維持──それ以外にやりようもない。八巻は自分が役立つ絶好の機会を棒に振ったと感じる。
「どこかに、荒事の対処がうまい教師がいませんかね……」
「うーむ、知り合いに聞いてみるかな」
「ツテがあるんですか?」
「教師はどうか知らないが、武芸達者な人たちを抱える知人はいるよ。電話が繋がりにくいのが欠点でねえ──」
校長は大物な人名をあげた。大力会長という、大企業のトップと親交があるのだ。その人物は校長夫人の原作映画のスポンサーになったことがあり、そこから交流が始まったらしい。八巻はたかがいち高校に大それた人物を関わらせるのは非常識だと思う。
「お忙しい方なんじゃないですか? こんな子どものトラブルを相談するような相手じゃ──」
「なぁに、あの人は学校に興味がおありでね。話ぐらいは聞いてくれるさ」
校長はダメでもともとの精神でいる。その挑戦が相手方の負担にならないのなら八巻に異論はない。
「でしたら、校長の思うとおりにはからってください」
「わかった。きみは焦らずにじっくり体を治したまえ」
校長は自身の膝をぽんと叩き、別れの挨拶を交わした。話し疲れた八巻はベッドのリクライニングをリモコン操作で倒し、横になる。引き続き同室者になった隆之介が「なぁ」とカーテン越しにしゃべる。
「いい校長さんだな」
「……聞いてたのか」
「まーな。イヤだったか?」
「どうとも思わない。ほとんどがきみも知ってることだ」
この骨折を機に、妖精さんの話は隆之介にもしてあった。彼は実在の不確かな女性のことを信じたのかどうかはっきりしない。だが八巻をほら吹きのごとく馬鹿にすることは決してなかった。隆之介はなおも「そうそう」と話しかける。
「その妖精さん……に限ったことじゃねえんだけど、アドバイスな」
「なんだ、改まって」
「銀髪で色黒のやつには関わるなよ。それプラス青い目もアウトらしい」
隆之介の条件は髪以外、妖精さんに当てはまる。もしや、それがあの銅像の前で隆之介が質問してきた真意か。
「銀色の髪? それが、電話相手が言ってた人物の特徴か」
「そういうこった」
「どうして関わってはいけないんだ?」
「そのへんは仕事上、他言無用なんだとよ」
「きみの友人はどういう仕事をしてる人なんだ」
「どうとでも思っててくれ。しばらく待てばあいつがどーにかしてくれるさ」
隆之介は助言以上の情報を教える気はないらしい。八巻は念押しに質問する。
「そのアドバイス、校長にも伝えるべきか?」
「それはしなくていいんじゃねえかな。校長さんはその女性と会っちゃいないだろ?」
「まあ、そうか……」
学校の人々が八巻ほどの大事故に巻き込まれまい。妖精さんが現れる可能性は低そうだ。八巻は彼女への捨てきれぬ想いを胸に、別の質問をする。
「一つ聞くが……どれだけの間、待てばいい?」
「へ?」
「もし妖精さんが現れたとして、彼女に接触していい時期はいつだろうか?」
「あー……勝手にすりゃいい。命まではとらねえって話だから」
隆之介はめんどくさそうに答える。八巻の懲りない慕情に呆れているのだ。八巻は隆之介がくだす自分の評価はどうでもよかった。同室者の許しを得たことで気が大きくなる。
「そうか! 次は気絶しないように心掛けよう」
八巻は妖精さんに邂逅する時を期待して、慎重に寝返りをうった。
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