2017年11月11日
拓馬篇前記−八巻4
八巻は走行禁止の病棟内を急いで移動した。八巻が「妖精さん」と命名した謎の女性は行方が知れない。それでも諦めがつかなかった。妖精さんのことで頭がいっぱいになり、彼女が向かったであろうロビーを目指す。
待合所の長椅子がずらりと並ぶ区域が近づいてきた。ここがロビーだ。平日なら大多数の人が出入りする一画だが、今日は休日。がらんとしていた。
ロビーと廊下との間に大きな女神像が立っている。翼の生えた金属製のモニュメントだ。銅像の足元には一メートルほどの高さの台があった。その台の前に松葉杖をつく男性がいる。
彼は八巻の同室者。下の名前を隆之介といった。片足にギプスをはめた彼が「堅苦しいのは無しで」と呼び捨てを奨励し、八巻はその希望に応じている。
隆之介は片手に松葉杖、片手に折りたたみ式の携帯電話を持っている。もう一方の松葉杖は女神像のお立ち台に立てかけてあった。なにやら話しこんでいるらしい。そうとわかっていても八巻は声をかける。
「隆之介、スーツ姿の女性を見なかったか? 青い目の人だ!」
通話中の怪我人はびっくりした顔で、首を小刻みに横に振る。そして八巻から視線を逸らす。電話口の相手へ「なんでもない、こっちの話」と説明した。
「本当に見てないか?」
八巻が食い下がる。隆之介は電話のマイク部分を手で覆い、「見てないって」と素っ気なく答えた。八巻は落胆する。通話に夢中な隆之介が見逃した可能性はあるので、自力で周囲を確認することに決めた。
「あー、ちょっと待った!」
八巻が隆之介に背を向けたところを呼び止められた。なにか思い出したか、と八巻は期待しつつ振り返る。
「どうした?」
「その目の青い女の人、髪はどんな色だ?」
「それはわからない。帽子を被っててな」
「そっか。そりゃ残念だ」
女性の髪の色がなんだというのか。八巻は訝しがる。
「なぜそんなことを聞く?」
「電話相手が『聞いてくれ』って言うもんでさ」
隆之介は相手の名を明かさないが、八巻は質問者の想像がついた。除去手術目的の入院中、隆之介へ見舞いにきた者を八巻は二人知っている。一人は彼の伴侶、一人は彼の友人。その友人は自称公務員。なにか隠し事をしているような、不思議な男性だった。おそらくは彼が第三の会話者だ。隆之介の妻はごく一般的な人物であり、突拍子ない質問が出てくるようには思えない。
「何色だったらいい──」
八巻が尋ねかけた瞬間、女神像が揺れた。身の丈成人男性なみの巨像が前後にぐらつく。そして八巻たちのいる側へ重心を傾けてきた。像の近くにいる隆之介は足が不自由だ。その状態では彼が銅像に押し潰されてしまう。
「危ない!」
八巻は隆之介に飛びかかった。全体重をかけて彼を突き飛ばす。隆之介は銅像の進行方向から外れた場所へ、尻もちをつく。
(よし!)
怪我人の救助に成功した八巻も離脱を試みる。だがなぜか足が鉛のように重い。足首が、なにかに引っ掛かっているようだ。
「なんで──」
もがくと謎の重りはたちまち消えた。しかし自由を得た時には遅かった。重量級の銅像は八巻もろとも地に突っ伏そうとする。八巻は足の裏に力をこめ、数センチでも銅像から離れようと跳んだ。
八巻の跳躍は上からの圧力により潰された。逃げ遅れた左ふくらはぎに、金属の塊がのしかかる。硬い床と銅像に挟まれた肉体が嫌なきしみを立てた。
空洞の像が床面に砕け散った。その音と同時に、激しい痛覚が八巻を襲う。痛む箇所はつい数日前、手術した部分。最後の除去手術だった。半年もの間、丹念に治療してきたのに。
(また、折れたか……?)
八巻はうつ伏せになったまま、固まった。これ以上の痛みを感じるのが怖くて、体を動かせない。
(うぅ、災難だ……)
怪我の完治のために入院した病院で、負傷するとは。
(いやしかし、隆之介が無事なら──)
この犠牲が報われる。彼の安否を知らねば。八巻は歯を食いしばり、顔を持ち上げた。
隆之介は銅像の落下被害をまぬがれていた。だのに彼は大の字になって倒れている。そのかたわらには、しゃがむスーツ姿の女性がある。
「よ、妖精さん……!」
女性は隆之介の携帯電話をいじっていた。それを隆之介の体の上へ放り投げる。彼女は立ち上がり、八巻のもとへ歩いてきた。八巻は喜色満面になる。
「妖精さん! きみは、ケガを治せるんだろう?」
女性は両膝をつき、八巻の頬に手をのばした。
「そうだ、やってみてくれないか」
八巻は彼女の治癒能力が間近で見れると思い、心が弾んだ。女性がほほえむ。その笑顔がいっそう八巻のハートを掴んだ。
「お休みなさい」
視界いっぱいに黒い霧がたちこめる。なにが起きた、と戸惑ううちに八巻の意識は遠のいていった。
待合所の長椅子がずらりと並ぶ区域が近づいてきた。ここがロビーだ。平日なら大多数の人が出入りする一画だが、今日は休日。がらんとしていた。
ロビーと廊下との間に大きな女神像が立っている。翼の生えた金属製のモニュメントだ。銅像の足元には一メートルほどの高さの台があった。その台の前に松葉杖をつく男性がいる。
彼は八巻の同室者。下の名前を隆之介といった。片足にギプスをはめた彼が「堅苦しいのは無しで」と呼び捨てを奨励し、八巻はその希望に応じている。
隆之介は片手に松葉杖、片手に折りたたみ式の携帯電話を持っている。もう一方の松葉杖は女神像のお立ち台に立てかけてあった。なにやら話しこんでいるらしい。そうとわかっていても八巻は声をかける。
「隆之介、スーツ姿の女性を見なかったか? 青い目の人だ!」
通話中の怪我人はびっくりした顔で、首を小刻みに横に振る。そして八巻から視線を逸らす。電話口の相手へ「なんでもない、こっちの話」と説明した。
「本当に見てないか?」
八巻が食い下がる。隆之介は電話のマイク部分を手で覆い、「見てないって」と素っ気なく答えた。八巻は落胆する。通話に夢中な隆之介が見逃した可能性はあるので、自力で周囲を確認することに決めた。
「あー、ちょっと待った!」
八巻が隆之介に背を向けたところを呼び止められた。なにか思い出したか、と八巻は期待しつつ振り返る。
「どうした?」
「その目の青い女の人、髪はどんな色だ?」
「それはわからない。帽子を被っててな」
「そっか。そりゃ残念だ」
女性の髪の色がなんだというのか。八巻は訝しがる。
「なぜそんなことを聞く?」
「電話相手が『聞いてくれ』って言うもんでさ」
隆之介は相手の名を明かさないが、八巻は質問者の想像がついた。除去手術目的の入院中、隆之介へ見舞いにきた者を八巻は二人知っている。一人は彼の伴侶、一人は彼の友人。その友人は自称公務員。なにか隠し事をしているような、不思議な男性だった。おそらくは彼が第三の会話者だ。隆之介の妻はごく一般的な人物であり、突拍子ない質問が出てくるようには思えない。
「何色だったらいい──」
八巻が尋ねかけた瞬間、女神像が揺れた。身の丈成人男性なみの巨像が前後にぐらつく。そして八巻たちのいる側へ重心を傾けてきた。像の近くにいる隆之介は足が不自由だ。その状態では彼が銅像に押し潰されてしまう。
「危ない!」
八巻は隆之介に飛びかかった。全体重をかけて彼を突き飛ばす。隆之介は銅像の進行方向から外れた場所へ、尻もちをつく。
(よし!)
怪我人の救助に成功した八巻も離脱を試みる。だがなぜか足が鉛のように重い。足首が、なにかに引っ掛かっているようだ。
「なんで──」
もがくと謎の重りはたちまち消えた。しかし自由を得た時には遅かった。重量級の銅像は八巻もろとも地に突っ伏そうとする。八巻は足の裏に力をこめ、数センチでも銅像から離れようと跳んだ。
八巻の跳躍は上からの圧力により潰された。逃げ遅れた左ふくらはぎに、金属の塊がのしかかる。硬い床と銅像に挟まれた肉体が嫌なきしみを立てた。
空洞の像が床面に砕け散った。その音と同時に、激しい痛覚が八巻を襲う。痛む箇所はつい数日前、手術した部分。最後の除去手術だった。半年もの間、丹念に治療してきたのに。
(また、折れたか……?)
八巻はうつ伏せになったまま、固まった。これ以上の痛みを感じるのが怖くて、体を動かせない。
(うぅ、災難だ……)
怪我の完治のために入院した病院で、負傷するとは。
(いやしかし、隆之介が無事なら──)
この犠牲が報われる。彼の安否を知らねば。八巻は歯を食いしばり、顔を持ち上げた。
隆之介は銅像の落下被害をまぬがれていた。だのに彼は大の字になって倒れている。そのかたわらには、しゃがむスーツ姿の女性がある。
「よ、妖精さん……!」
女性は隆之介の携帯電話をいじっていた。それを隆之介の体の上へ放り投げる。彼女は立ち上がり、八巻のもとへ歩いてきた。八巻は喜色満面になる。
「妖精さん! きみは、ケガを治せるんだろう?」
女性は両膝をつき、八巻の頬に手をのばした。
「そうだ、やってみてくれないか」
八巻は彼女の治癒能力が間近で見れると思い、心が弾んだ。女性がほほえむ。その笑顔がいっそう八巻のハートを掴んだ。
「お休みなさい」
視界いっぱいに黒い霧がたちこめる。なにが起きた、と戸惑ううちに八巻の意識は遠のいていった。
タグ:八巻
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