2019年05月08日
クロア篇−10章1
他国にある館の魔人の住処に到着したクロアは飛竜から降りた。屋内は明るいため、何者かが館にいるとうかがい知れる。クロアは魔人がいるのではないかと思い、すぐに玄関へ突入する気にはなれなかった。タオが「楽にしていい」と忠告する。
「ヴラドがいる気配はない。この照明は同居人が点けたものだ」
館の主は不在だと知り、クロアは緊張がほぐれた。臨戦態勢は不要となれば両手を空けておく必要はない。それゆえ足元にいるベニトラを抱きあげる。
「ヴラド以外に、どういった方が住んでらっしゃるの?」
「普段ねむりつづけるヴラドに代わって屋敷を守る者だ。迷いこんだ旅人の世話もする」
タオが大きな両扉を開けた。開けた瞬間は暗かったが、足を踏み入れると壁に設置された灯りが点灯する。四尺ばかり前方に、もうひとつ扉が構えていた。
「ここは改築した玄関だ。入口と広間が直通していると落ち葉が入ってきて困る、と管理者に言われて直した」
「きれい好きな方ですのね」
「ああ、もとが掃除目的に造った生き物だ」
「『造った』……?」
タオはふたつめの扉を開けた。広間は明るく、暖炉や長椅子などの常人に入り用な設備、家具が最低限ある。魔人の住居とはいえ、人間の宿代わりになるという噂は本当らしい。
ぺたぺたという物音が近付く。クロアはつい杖に手を伸ばすが、現れた生き物を見て気が抜けた。薄茶色の毛に覆われた獣人で、兎に似た長い耳と大きな目が印象的だ。背は子どものように小さい。裳を履くさまは女性のようだ。
「お客さんなの?」
声は幼く、敵意がまるでない。クロアは獣人の無防備さに意識がいってしまい、上の空で「そんなところですわ」と答えた。タオが会話を引き継ぐ。
「ティッタ、ヴラドの部屋へ案内してくれ」
「うん、わかった」
クロアたちは兎の獣人に先導される。階段を上がり、扉が点々と続く廊下を進んだ。今度は灰色の毛皮の兎が手を振りながら走ってきた。獣人が「リロー」とタオに声かける。
「頼んでおいたハタキは?」
「すまない、まだ買っていない」
クロアは「リロー?」と新たな呼び名に反応した。タオが「私のあだ名だ」と言う。タオの名となんら共通点のない呼称だ。マキシのように長い名前を省略した愛称では確実にない。
「ティド、お前は館に不審な人物が入らないように見張ってくれるか」
「いつもやってるよ!」
灰色の兎は一階へ行った。クロアたちは最上階へ上がる。重厚な両扉の前へ着き、茶色の兎がたやすく扉を開けた。扉は見た目ほど重くはないらしい。
兎が部屋の灯りを点けた。室内には蓋の開いた棺桶が中央に置かれている。体格の良いタオ以上の者が収まりそうな巨大さだ。その棺桶が室内でもっとも目立った。棺桶を囲むようにして棚や箱が壁際に並ぶ。武具も装飾品のごとく陳列していた。タオはおもむろに棚の引き戸をあけ、中にあった写真を出す。色あせた写真には所狭しと人が写っている。その中にはリックらしき姿があった。
「これは大昔、私が生まれる前に撮ったものだそうだ。この男がヴラド」
タオが指でひとりの男を示した。残念ながら年代ものの写真に加え、被写体が後方にあって、顔がはっきり見えない。
「よくわかりませんわね……最近の写真はありませんの?」
「これは術で経年劣化を防いでいる。単に写真機の性能が悪いんだ」
タオは別の一枚を見せる。男性の横顔が写りきらないほどの接写だった。雰囲気は気の強そうな、眼力のある壮年に感じられた。
「撮り方は下手だがこれが一番、よく顔が見える」
「ヴラドの顔を知っても、肝心の女性さがしには役に立たないのではなくて?」
「意味は、ある」
タオがじっとクロアの顔色をうかがった。憐れみを帯びた目だ。クロアは自分になんら恥じ入る部分はないゆえ、反抗心を燃やす。
「なぜそんな目でわたしを見るの? わたしが捨てられた子犬にでも見える?」
「ああ、いずれそうなるかもしれないからな」
なかば冗談で言った例えが、否定されなかった。クロアは屈辱を覚える。
「どういうつもり?」
クロアは苛立った。タオが鞄からクロアの家族写真を出す。写真帳をめくり、兎に見せた。
「ティッタ、この中に見知った者がいるか?」
兎は大きな目をぐるぐるうごかしたのち、「うん」と答える。
「この女の人がヴラドの宝物」
兎が毛むくじゃらな手で写真を示した。一般動物の兎にはない指先を、クロアは注目する。幼いクロアを抱く赤髪の婦人。その上に獣の指があった。
「ヴラドがいる気配はない。この照明は同居人が点けたものだ」
館の主は不在だと知り、クロアは緊張がほぐれた。臨戦態勢は不要となれば両手を空けておく必要はない。それゆえ足元にいるベニトラを抱きあげる。
「ヴラド以外に、どういった方が住んでらっしゃるの?」
「普段ねむりつづけるヴラドに代わって屋敷を守る者だ。迷いこんだ旅人の世話もする」
タオが大きな両扉を開けた。開けた瞬間は暗かったが、足を踏み入れると壁に設置された灯りが点灯する。四尺ばかり前方に、もうひとつ扉が構えていた。
「ここは改築した玄関だ。入口と広間が直通していると落ち葉が入ってきて困る、と管理者に言われて直した」
「きれい好きな方ですのね」
「ああ、もとが掃除目的に造った生き物だ」
「『造った』……?」
タオはふたつめの扉を開けた。広間は明るく、暖炉や長椅子などの常人に入り用な設備、家具が最低限ある。魔人の住居とはいえ、人間の宿代わりになるという噂は本当らしい。
ぺたぺたという物音が近付く。クロアはつい杖に手を伸ばすが、現れた生き物を見て気が抜けた。薄茶色の毛に覆われた獣人で、兎に似た長い耳と大きな目が印象的だ。背は子どものように小さい。裳を履くさまは女性のようだ。
「お客さんなの?」
声は幼く、敵意がまるでない。クロアは獣人の無防備さに意識がいってしまい、上の空で「そんなところですわ」と答えた。タオが会話を引き継ぐ。
「ティッタ、ヴラドの部屋へ案内してくれ」
「うん、わかった」
クロアたちは兎の獣人に先導される。階段を上がり、扉が点々と続く廊下を進んだ。今度は灰色の毛皮の兎が手を振りながら走ってきた。獣人が「リロー」とタオに声かける。
「頼んでおいたハタキは?」
「すまない、まだ買っていない」
クロアは「リロー?」と新たな呼び名に反応した。タオが「私のあだ名だ」と言う。タオの名となんら共通点のない呼称だ。マキシのように長い名前を省略した愛称では確実にない。
「ティド、お前は館に不審な人物が入らないように見張ってくれるか」
「いつもやってるよ!」
灰色の兎は一階へ行った。クロアたちは最上階へ上がる。重厚な両扉の前へ着き、茶色の兎がたやすく扉を開けた。扉は見た目ほど重くはないらしい。
兎が部屋の灯りを点けた。室内には蓋の開いた棺桶が中央に置かれている。体格の良いタオ以上の者が収まりそうな巨大さだ。その棺桶が室内でもっとも目立った。棺桶を囲むようにして棚や箱が壁際に並ぶ。武具も装飾品のごとく陳列していた。タオはおもむろに棚の引き戸をあけ、中にあった写真を出す。色あせた写真には所狭しと人が写っている。その中にはリックらしき姿があった。
「これは大昔、私が生まれる前に撮ったものだそうだ。この男がヴラド」
タオが指でひとりの男を示した。残念ながら年代ものの写真に加え、被写体が後方にあって、顔がはっきり見えない。
「よくわかりませんわね……最近の写真はありませんの?」
「これは術で経年劣化を防いでいる。単に写真機の性能が悪いんだ」
タオは別の一枚を見せる。男性の横顔が写りきらないほどの接写だった。雰囲気は気の強そうな、眼力のある壮年に感じられた。
「撮り方は下手だがこれが一番、よく顔が見える」
「ヴラドの顔を知っても、肝心の女性さがしには役に立たないのではなくて?」
「意味は、ある」
タオがじっとクロアの顔色をうかがった。憐れみを帯びた目だ。クロアは自分になんら恥じ入る部分はないゆえ、反抗心を燃やす。
「なぜそんな目でわたしを見るの? わたしが捨てられた子犬にでも見える?」
「ああ、いずれそうなるかもしれないからな」
なかば冗談で言った例えが、否定されなかった。クロアは屈辱を覚える。
「どういうつもり?」
クロアは苛立った。タオが鞄からクロアの家族写真を出す。写真帳をめくり、兎に見せた。
「ティッタ、この中に見知った者がいるか?」
兎は大きな目をぐるぐるうごかしたのち、「うん」と答える。
「この女の人がヴラドの宝物」
兎が毛むくじゃらな手で写真を示した。一般動物の兎にはない指先を、クロアは注目する。幼いクロアを抱く赤髪の婦人。その上に獣の指があった。
タグ:クロア
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