2017年10月28日
拓馬篇前記ー実澄6
実澄はレイコの興味から外れた小瓶を手に取る。
「どこの親も願掛けはするのかしら。銀くんがその指輪にこめた想いのままの子に育ってくれて、親御さんは喜んでるでしょうね」
「そう、ならいいが……私は、あの方の期待に応えていないと思う」
青年はまことにそう感じているようで、声色がすこし沈んだ。実澄は彼をそんなふうに落ち込ませる存在に反発心が湧く。
「そんなのゼータクな話よ! あなたは優しくて素直だし、努力家で──」
「ミスミがそう思っているだけだ」
「優しくない人が、ベランダから落ちる子どもを助ける? 素直じゃない人が、こうして悩みをさらけ出すと思う?」
青年は答えない。彼の認識にブレが生まれているのだろう。実澄は自己肯定感の低い相手に畳みかける。
「親御さんが指示したから、いろんなことを勉強したんでしょ?」
「……そうだ」
「それで、曲芸みたいな音の聞き分けだってできるようになったんでしょう?」
「……一応は戦闘技術の一環だ」
「なんでもいいわ、普通の人ができっこない技よ。その習得は簡単じゃなかったと思うけれど、どうだった?」
「ああ、難しかった。ほかにも『覚えが悪い』とよく叱られた」
「それでも、できるように努力したのよね」
青年が頭を上下にゆすった。実澄はそれを肯定と受け止める。
「あなたにはいいところがいっぱいあるじゃないの。ほかになにが足りないっていうの?」
「欠けた能力の特定は、難しい。それでも、あの方が満足していないことはわかる」
実澄は青年と年齢の近い別人を連想した。以前に自宅で面倒を看ていた若者だ。彼は親の過大な期待を受け続け、その重荷に耐えられずに家を出た。その人物は実澄からすれば、とても真面目で辛抱強い子であった。
「知り合いにいるわ、親が自分勝手な望みを押しつけてきたという人。親は『不出来な子だ』ときつく当たってたみたいだけど、それはちがう。二人のやりたいことや得意なことが合わなかっただけ……」
実澄はわが子に強制した習い事の数々を顧みる。茶道や華道を習わせて、娘は楽しんでいたか。娘の希望通りに武道の稽古に行かせたほうが充実できたのではないか。
「わたしも、子どもに自分のわがままを聞かせてしまったから、ちょっとはわかる。『あの子はあの時、本当はああしたかったんだろう』って」
娘はペットを飼いたいと言ったこともあった。幼馴染の家には犬がおり、娘はその家庭をうらやましく思ったからだ。実澄はペットが先に逝く悲哀を最大のデメリットとして挙げ、「悲しい思いはしたくないでしょ?」と娘を説き伏せた。しかし本当に娘を想っての決定だったか。愛する者が肉塊と化す瞬間を目の当たりにしたくなかったのは──ほかならぬ実澄だ。自分の意思をさも娘のためだと騙る。それがまことに娘に益をもたらすのか、娘自身が決めることなのに。
「子どもがやりたがったことを否定してきておいて、一つも悔やまない親なんて人でなしよ。『あなたのためだからこうしなさい』と言いくるめていても、それは自分のためでしかないんだから」
みずからが犯してきた詭弁だ。その罪に気付けない親が世の中にどれだけいることか。
「だからね、銀くんは……親御さんのことが大事なのはわかるし、その気持ちはすばらしいんだけど……自分がやりたいことをやれているの?」
「わからない。あの方の願いを叶える以外の、私のしたいことは……」
青年の視線がレイコの手中の指輪にいく。この場において、あの指輪が彼の育ての親を象徴するようだ。
「じゃあ、親御さんがよろこぶことをしている時は楽しい?」
「半々……だが今では……」
「楽しくないの?」
青年はうつむく。うなずいたようでもあるが、はっきりしない。彼はこれまでハキハキと答えてきた。言葉を濁すのはやはり、心にないことを強いられているからではないかと実澄は感じる。
「その調子じゃ、親と自分のどちらもダメになっちゃうかもしれない」
「あの方も、ダメになる?」
「そう。もし親御さんがあなたのやりたくないことを無理強いさせているんなら、断って。そのうち無理がたたって、あなたの心が弱ってしまう」
「心……?」
「心がくじけたら、親御さんの望みを叶えてあげられなくなる。それだと二人とも困るでしょう? だからお互いに『こうやりたい』と主張し合って、二人が納得のいく方法を見つけたほうがいい。わたしはそう思うの。でもわたしは銀くんの親御さんがどんな人だか知らないから、このアドバイスはまちがってるかもしれない」
実澄は紫水晶のかけらの入った小瓶を青年寄りにテーブルに置く。
「この小瓶は銀くんにあげる。これを見て、誰かがこんな説教をしてたと……思い出してくれればうれしい。わたしがどんなに熱っぽく喋ったって、決めるのは銀くんだからね」
青年が小瓶をそっと握った。大きな手に包まれると小瓶はいっそう小さく見える。
「……娘のお守りなんだろう?」
「いいの。娘はもう元気すぎるくらいだもの。無いほうが落ち着いてくれるかも」
実澄がにこやかに冗談を言うと、青年の表情もやわらぐ。
「……わかった。もらっておく」
青年は小瓶を上着のポケットに入れた。ふいに「いいなぁ」と甲高い声があがる。
「あたしも、ほしい」
レイコが鎖の通った指輪を小さな指に入れた状態で言った。彼女は宝石類をうらやましっているが、実澄の手持ちにはない。
「うーん、レイコちゃんの分はないの……あ、そうそう」
実澄はレイコたちと会う前に訪れた店を思い出した。一人で利用するのはどうかと思い、あきらめた体験サービスがある。
「アクセサリーを作れるお店があるの。図工は得意?」
「うん、トクイ! どんなものを作るの?」
「キーホルダーとか、ペンダントね。銀くんの首飾りでいえば指輪の部分を作るの」
「おにいちゃんの、ゆびわ?」
「やってみる?」
「うん!」
「それはよかった。銀くんもどう? 三人が会った記念に」
青年は「細かい作業は苦手だ」と渋る。
「同行するだけならかまわないが」
「ええ、それでおねがい。……ほら、こんな感じでイヤだと思うことは『イヤだ』って、親御さんに言うのよ?」
一瞬、青年がハッとしたように目を見開いた。そしてかすかに笑い、「わかった」と答えた。
「どこの親も願掛けはするのかしら。銀くんがその指輪にこめた想いのままの子に育ってくれて、親御さんは喜んでるでしょうね」
「そう、ならいいが……私は、あの方の期待に応えていないと思う」
青年はまことにそう感じているようで、声色がすこし沈んだ。実澄は彼をそんなふうに落ち込ませる存在に反発心が湧く。
「そんなのゼータクな話よ! あなたは優しくて素直だし、努力家で──」
「ミスミがそう思っているだけだ」
「優しくない人が、ベランダから落ちる子どもを助ける? 素直じゃない人が、こうして悩みをさらけ出すと思う?」
青年は答えない。彼の認識にブレが生まれているのだろう。実澄は自己肯定感の低い相手に畳みかける。
「親御さんが指示したから、いろんなことを勉強したんでしょ?」
「……そうだ」
「それで、曲芸みたいな音の聞き分けだってできるようになったんでしょう?」
「……一応は戦闘技術の一環だ」
「なんでもいいわ、普通の人ができっこない技よ。その習得は簡単じゃなかったと思うけれど、どうだった?」
「ああ、難しかった。ほかにも『覚えが悪い』とよく叱られた」
「それでも、できるように努力したのよね」
青年が頭を上下にゆすった。実澄はそれを肯定と受け止める。
「あなたにはいいところがいっぱいあるじゃないの。ほかになにが足りないっていうの?」
「欠けた能力の特定は、難しい。それでも、あの方が満足していないことはわかる」
実澄は青年と年齢の近い別人を連想した。以前に自宅で面倒を看ていた若者だ。彼は親の過大な期待を受け続け、その重荷に耐えられずに家を出た。その人物は実澄からすれば、とても真面目で辛抱強い子であった。
「知り合いにいるわ、親が自分勝手な望みを押しつけてきたという人。親は『不出来な子だ』ときつく当たってたみたいだけど、それはちがう。二人のやりたいことや得意なことが合わなかっただけ……」
実澄はわが子に強制した習い事の数々を顧みる。茶道や華道を習わせて、娘は楽しんでいたか。娘の希望通りに武道の稽古に行かせたほうが充実できたのではないか。
「わたしも、子どもに自分のわがままを聞かせてしまったから、ちょっとはわかる。『あの子はあの時、本当はああしたかったんだろう』って」
娘はペットを飼いたいと言ったこともあった。幼馴染の家には犬がおり、娘はその家庭をうらやましく思ったからだ。実澄はペットが先に逝く悲哀を最大のデメリットとして挙げ、「悲しい思いはしたくないでしょ?」と娘を説き伏せた。しかし本当に娘を想っての決定だったか。愛する者が肉塊と化す瞬間を目の当たりにしたくなかったのは──ほかならぬ実澄だ。自分の意思をさも娘のためだと騙る。それがまことに娘に益をもたらすのか、娘自身が決めることなのに。
「子どもがやりたがったことを否定してきておいて、一つも悔やまない親なんて人でなしよ。『あなたのためだからこうしなさい』と言いくるめていても、それは自分のためでしかないんだから」
みずからが犯してきた詭弁だ。その罪に気付けない親が世の中にどれだけいることか。
「だからね、銀くんは……親御さんのことが大事なのはわかるし、その気持ちはすばらしいんだけど……自分がやりたいことをやれているの?」
「わからない。あの方の願いを叶える以外の、私のしたいことは……」
青年の視線がレイコの手中の指輪にいく。この場において、あの指輪が彼の育ての親を象徴するようだ。
「じゃあ、親御さんがよろこぶことをしている時は楽しい?」
「半々……だが今では……」
「楽しくないの?」
青年はうつむく。うなずいたようでもあるが、はっきりしない。彼はこれまでハキハキと答えてきた。言葉を濁すのはやはり、心にないことを強いられているからではないかと実澄は感じる。
「その調子じゃ、親と自分のどちらもダメになっちゃうかもしれない」
「あの方も、ダメになる?」
「そう。もし親御さんがあなたのやりたくないことを無理強いさせているんなら、断って。そのうち無理がたたって、あなたの心が弱ってしまう」
「心……?」
「心がくじけたら、親御さんの望みを叶えてあげられなくなる。それだと二人とも困るでしょう? だからお互いに『こうやりたい』と主張し合って、二人が納得のいく方法を見つけたほうがいい。わたしはそう思うの。でもわたしは銀くんの親御さんがどんな人だか知らないから、このアドバイスはまちがってるかもしれない」
実澄は紫水晶のかけらの入った小瓶を青年寄りにテーブルに置く。
「この小瓶は銀くんにあげる。これを見て、誰かがこんな説教をしてたと……思い出してくれればうれしい。わたしがどんなに熱っぽく喋ったって、決めるのは銀くんだからね」
青年が小瓶をそっと握った。大きな手に包まれると小瓶はいっそう小さく見える。
「……娘のお守りなんだろう?」
「いいの。娘はもう元気すぎるくらいだもの。無いほうが落ち着いてくれるかも」
実澄がにこやかに冗談を言うと、青年の表情もやわらぐ。
「……わかった。もらっておく」
青年は小瓶を上着のポケットに入れた。ふいに「いいなぁ」と甲高い声があがる。
「あたしも、ほしい」
レイコが鎖の通った指輪を小さな指に入れた状態で言った。彼女は宝石類をうらやましっているが、実澄の手持ちにはない。
「うーん、レイコちゃんの分はないの……あ、そうそう」
実澄はレイコたちと会う前に訪れた店を思い出した。一人で利用するのはどうかと思い、あきらめた体験サービスがある。
「アクセサリーを作れるお店があるの。図工は得意?」
「うん、トクイ! どんなものを作るの?」
「キーホルダーとか、ペンダントね。銀くんの首飾りでいえば指輪の部分を作るの」
「おにいちゃんの、ゆびわ?」
「やってみる?」
「うん!」
「それはよかった。銀くんもどう? 三人が会った記念に」
青年は「細かい作業は苦手だ」と渋る。
「同行するだけならかまわないが」
「ええ、それでおねがい。……ほら、こんな感じでイヤだと思うことは『イヤだ』って、親御さんに言うのよ?」
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