2017年10月27日
拓馬篇前記−実澄5
「ね、銀くんの親御さんはどんな人か、聞いていい?」
「私を生んだ親……はわからない」
孤児──この質問はまずかったかな、と実澄は後悔した。
「だが育ての親……のような方はいる」
青年はそれまでの会話と同じ調子で自己紹介している。己の出自に引け目を感じていないらしい。実澄は気を取りなおして会話を続ける。
「その人が『勉強してこい』と言ったの?」
「そうだ。その方は、人前に出られる姿じゃなかった。それで私を単独で人里に向かわせた」
人に見せられない姿──実澄は包帯でグルグル巻きにされた人間をイメージした。
(レイコちゃんに聞かせたらよくない話も出てきそう)
聞けば聞くほど複雑な経歴が掘り出される青年だ。この話には彼が言いにくそうにする素振りがないものの、膨らませるのは物騒かもしれない。実澄はもう少し自分が話しやすい話題を考える。
(親……子……あ、あれが使えそう)
実澄は自分の鞄の中をさぐった。ポケットティッシュにサンドされたガラスの小瓶を見つける。それをテーブルに置いた。小瓶には細長い紫色の水晶のかけらが詰まっている。レイコがスプーンを持ったまま「それなに?」と尋ねた。
「これはわたしが娘に贈ったお守りのかけら。はじめはもっと大きなアメジストだったんだけどね」
「ほうせき?」
「うん、宝石。でも壊れちゃった。これが娘を守ってくれたと思うと捨てるに捨てられなくて。こうして持ってる」
「ちっちゃくても、きれーだよ!」
「もっと見てみる? かけらは尖ってるから、瓶に入れたままにしてね」
レイコは食器を手放した。空いた手で小瓶をいろんな角度からながめる。
「これがどうしておまもりになるの?」
実澄が答えようとしたところ、「宝石には力がある」と青年が代弁する。
「昔からそのように言い伝えられてきた。ミスミ、この紫水晶にはどんな力がある?」
「紫水晶は魔除けの石なんだって。病気にも効くらしいの」
「ミスミの子は体が弱いのか?」
実澄は言葉につまる。想定した流れとは異なる質問を受けたせいだ。しかし、もともとは自分からこの会話に持っていこうとした。なのになぜ、迷いが生じるのか。
さらりと「そうなの」とすますか、心ゆくまで打ち明けるか。その対応の差は、相手への信頼の差でもある。自分が一方的に話すのなら、前者のフラットな言い方でよいと思ったのだ。それが青年から問われると後者でなくてはいけないように感じる。青年はすでに彼自身の繊細な事情をいくつも述べた。もはや表面上の交流を徹底しなくてもよい相手ではなかろうか。
「……わたしの子どもはみんな体が弱くって、産まれるまで元気が持たない子や、産まれても早く旅立ってしまう子が多かった」
レイコに配慮し、直接的な表現を避けた。実澄はその身に宿した命を振り返る。
「最初に生まれた子は男の子で、すくすく育ってたんだけれど、なにがいけなかったのか……急に神さまに連れていかれた。そこからね、ずっとわたしのそばに死神が張りつくようになったの」
子の夭逝、流産、死産。それらが続き、いつしか実澄は比喩でなく死神がいると思っていた。それゆえ効果の不確かな護符や天然石にすがった。
「今いる娘も、本当は二人のはずだったの。先に産まれてきた子は息をしてなくって、そのまま……」
産声がなかった時の落胆。また命の抜け殻を抱く恐怖。慣れたくはない出来事を思い出すと実澄の鼻腔がつんとした。
「でも、もう一人の子は元気に育ってくれた。元気すぎるくらい」
暗い死の過去を終わらせ、実澄は明るい生の現在を語る。
「よく、危ないことをしでかして、学校の先生に叱られるみたい」
それは最近聞いた話だ。危険ではあってもその行為に救われた人もいるというから、実澄は「先生を困らせないようにね」と軽く注意するだけにした。
「わたしだってあの子が大和撫子になるようにがんばったのよ? 生け花とかお裁縫とか女の子らしいことを学ばせて……ケガをしやすいことには関わらせなかった」
娘の幼馴染は武道を学んでいた。その影響で娘も同じ道場に行きたがった。夫は賛同したが、実澄はかたくなに拒否した。なにかの拍子に、娘を失うかもしれないと恐れたせいだ。事例は少ないとはいえ武道練習の最中に命を落とすことはあるのだ。
「でも、子どもは親の思い通りにならないものね」
娘は隠れて武術を習っていたのを実澄は知っていた。指導したのは娘の幼馴染と、夫の友人。彼らの厚意まで拒むのは行き過ぎだと自覚し、黙認している。
「あれがあの子の個性なんだから。生きていてくれるだけでありがたいの」
諦観とはちがう、新しい心境だ。その境地にいたるまでに何年かかったか、もはや覚えていない。実澄は自分の度量が一回り大きくなった実感が生じた。
「個性……か」
青年がつぶやく。実澄は「どうかした?」と尋ねたが、彼は首を横に振るだけだった。
実澄の話に聴き入っていた青年がおもむろに帽子を取る。なんだろう、と実澄はじっと観察した。彼は首にかけたチェーンを服の下から出す。隠れていた鎖の輪が、頭からくぐり抜けていく。彼の長めな銀色の襟足もつられて持ちあがった。その輪には白い宝石のついた指輪がぶら下がっている。
「……私の親にあたる方は、私にこれをくれた」
青年は装飾品をテーブルに置いた。指輪の宝石には矢印のような紋様が入っている。その紋様は石の中に刻まれたあった。
「変わった宝石ね、どうやって中に模様ができたのかしら?」
「わからない。私が生まれ出る前に造られたものだ」
青年は指輪をレイコの手元に寄せた。「触っていい」と彼が言うと、レイコは指輪と鎖をうれしそうにいじり始めた。女の子は光り物が好き、という傾向は普遍的なようだ。
「その模様は持つ者に勇気を奮い立たせ、白い石は生命力を与えると言われる」
勇気と生命力──効能こそちがうが、実澄は娘に贈った紫水晶と似ていると思った。「こうなってほしい」という親の願いがこもった贈り物だ。
「勇気を持った、丈夫な子……男の子にはピッタリね!」
青年は実澄の感想について意見しなかった。ただその表情には驚きと希望が見え隠れしたように実澄には感じられた。
「私を生んだ親……はわからない」
孤児──この質問はまずかったかな、と実澄は後悔した。
「だが育ての親……のような方はいる」
青年はそれまでの会話と同じ調子で自己紹介している。己の出自に引け目を感じていないらしい。実澄は気を取りなおして会話を続ける。
「その人が『勉強してこい』と言ったの?」
「そうだ。その方は、人前に出られる姿じゃなかった。それで私を単独で人里に向かわせた」
人に見せられない姿──実澄は包帯でグルグル巻きにされた人間をイメージした。
(レイコちゃんに聞かせたらよくない話も出てきそう)
聞けば聞くほど複雑な経歴が掘り出される青年だ。この話には彼が言いにくそうにする素振りがないものの、膨らませるのは物騒かもしれない。実澄はもう少し自分が話しやすい話題を考える。
(親……子……あ、あれが使えそう)
実澄は自分の鞄の中をさぐった。ポケットティッシュにサンドされたガラスの小瓶を見つける。それをテーブルに置いた。小瓶には細長い紫色の水晶のかけらが詰まっている。レイコがスプーンを持ったまま「それなに?」と尋ねた。
「これはわたしが娘に贈ったお守りのかけら。はじめはもっと大きなアメジストだったんだけどね」
「ほうせき?」
「うん、宝石。でも壊れちゃった。これが娘を守ってくれたと思うと捨てるに捨てられなくて。こうして持ってる」
「ちっちゃくても、きれーだよ!」
「もっと見てみる? かけらは尖ってるから、瓶に入れたままにしてね」
レイコは食器を手放した。空いた手で小瓶をいろんな角度からながめる。
「これがどうしておまもりになるの?」
実澄が答えようとしたところ、「宝石には力がある」と青年が代弁する。
「昔からそのように言い伝えられてきた。ミスミ、この紫水晶にはどんな力がある?」
「紫水晶は魔除けの石なんだって。病気にも効くらしいの」
「ミスミの子は体が弱いのか?」
実澄は言葉につまる。想定した流れとは異なる質問を受けたせいだ。しかし、もともとは自分からこの会話に持っていこうとした。なのになぜ、迷いが生じるのか。
さらりと「そうなの」とすますか、心ゆくまで打ち明けるか。その対応の差は、相手への信頼の差でもある。自分が一方的に話すのなら、前者のフラットな言い方でよいと思ったのだ。それが青年から問われると後者でなくてはいけないように感じる。青年はすでに彼自身の繊細な事情をいくつも述べた。もはや表面上の交流を徹底しなくてもよい相手ではなかろうか。
「……わたしの子どもはみんな体が弱くって、産まれるまで元気が持たない子や、産まれても早く旅立ってしまう子が多かった」
レイコに配慮し、直接的な表現を避けた。実澄はその身に宿した命を振り返る。
「最初に生まれた子は男の子で、すくすく育ってたんだけれど、なにがいけなかったのか……急に神さまに連れていかれた。そこからね、ずっとわたしのそばに死神が張りつくようになったの」
子の夭逝、流産、死産。それらが続き、いつしか実澄は比喩でなく死神がいると思っていた。それゆえ効果の不確かな護符や天然石にすがった。
「今いる娘も、本当は二人のはずだったの。先に産まれてきた子は息をしてなくって、そのまま……」
産声がなかった時の落胆。また命の抜け殻を抱く恐怖。慣れたくはない出来事を思い出すと実澄の鼻腔がつんとした。
「でも、もう一人の子は元気に育ってくれた。元気すぎるくらい」
暗い死の過去を終わらせ、実澄は明るい生の現在を語る。
「よく、危ないことをしでかして、学校の先生に叱られるみたい」
それは最近聞いた話だ。危険ではあってもその行為に救われた人もいるというから、実澄は「先生を困らせないようにね」と軽く注意するだけにした。
「わたしだってあの子が大和撫子になるようにがんばったのよ? 生け花とかお裁縫とか女の子らしいことを学ばせて……ケガをしやすいことには関わらせなかった」
娘の幼馴染は武道を学んでいた。その影響で娘も同じ道場に行きたがった。夫は賛同したが、実澄はかたくなに拒否した。なにかの拍子に、娘を失うかもしれないと恐れたせいだ。事例は少ないとはいえ武道練習の最中に命を落とすことはあるのだ。
「でも、子どもは親の思い通りにならないものね」
娘は隠れて武術を習っていたのを実澄は知っていた。指導したのは娘の幼馴染と、夫の友人。彼らの厚意まで拒むのは行き過ぎだと自覚し、黙認している。
「あれがあの子の個性なんだから。生きていてくれるだけでありがたいの」
諦観とはちがう、新しい心境だ。その境地にいたるまでに何年かかったか、もはや覚えていない。実澄は自分の度量が一回り大きくなった実感が生じた。
「個性……か」
青年がつぶやく。実澄は「どうかした?」と尋ねたが、彼は首を横に振るだけだった。
実澄の話に聴き入っていた青年がおもむろに帽子を取る。なんだろう、と実澄はじっと観察した。彼は首にかけたチェーンを服の下から出す。隠れていた鎖の輪が、頭からくぐり抜けていく。彼の長めな銀色の襟足もつられて持ちあがった。その輪には白い宝石のついた指輪がぶら下がっている。
「……私の親にあたる方は、私にこれをくれた」
青年は装飾品をテーブルに置いた。指輪の宝石には矢印のような紋様が入っている。その紋様は石の中に刻まれたあった。
「変わった宝石ね、どうやって中に模様ができたのかしら?」
「わからない。私が生まれ出る前に造られたものだ」
青年は指輪をレイコの手元に寄せた。「触っていい」と彼が言うと、レイコは指輪と鎖をうれしそうにいじり始めた。女の子は光り物が好き、という傾向は普遍的なようだ。
「その模様は持つ者に勇気を奮い立たせ、白い石は生命力を与えると言われる」
勇気と生命力──効能こそちがうが、実澄は娘に贈った紫水晶と似ていると思った。「こうなってほしい」という親の願いがこもった贈り物だ。
「勇気を持った、丈夫な子……男の子にはピッタリね!」
青年は実澄の感想について意見しなかった。ただその表情には驚きと希望が見え隠れしたように実澄には感じられた。
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