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2018年08月05日
拓馬篇−10章4 ★
「It's so great!」
壇上より、拍手とともに称賛の声があがった。壇上の演台の奥には笑みをたたえた銀髪の教師が立っている。いつもの黒シャツに黄色のサングラスを身に着けた格好だ。異形の少女の話では大男が待ち受けるはずだが、拓馬はおどろかなかった。これは想定しえた一場面だ。
(やっぱりか……)
みずから正体をあきらかにしていても、教師は人の良さそうな演技を継続している。その対応が殊更彼の空恐ろしさを助長させた。
不気味な人物がいる演台の側面に、ヤマダが座っていた。演台にもたれかかっている。例のごとく元気を吸われて、ねむっているのだろう。
(しばらく起きなさそうか)
無事だと知れただけ、一安心できた。彼女を拉致した者が拍手をとめる。
「皆さん、よくたどり着きました」
偽りの教師は気さくな調子を維持する。
「ツユキさん、貴方にもお越しいただけて感激しています」
シズカも対抗してか温厚な顔をする。
「お招きありがとう。えーと、あなたのことはなんて呼んだらいいかな。『シド』さん、『ジルベル』さん、それとも『スタール』さんか」
拓馬には聞きおぼえのない名前が出た。それは銀髪の教師が教師に扮する以前に使っていた名前におぼしい。
「どれでも結構です。すべて、私の名ではありません」
「そうかい。じゃあシドさん、あなたに聞こう。今年の一月から発生した高校生が昏睡する事件と、先月に同じ症状になった小田切くんの件、すべてあなたがしたことか?」
オダギリ、という名も拓馬は初耳だった。しかしその名に心当たりはある。
(『オダ』ってよぱれてた金髪の本名かな?)
あの不良少年が現在どうしているか、知らない。病院に搬送された以後、シズカがその居場所を突きとめたはずだが、そこがどこかはまだ教えてもらっていなかった。
私服警官に問われた教師から笑顔が消える。
「聞いてどうします。私が『はい』と答えて、逮捕できる証拠はありますか?」
「ないね。でもおれは警官だからここにきたんじゃない」
「ではどんな動機です?」
「異人の代表として、あなたを止める」
その立ち位置こそが、シズカを警官の職に向かわせた理由だ。
「私を制するおつもりなら、屈服させてください。手段は問いません」
「決闘をしようってことかい?」
「はい」
「ご指名がおれ一人だけじゃないなら受けよう」
「もとよりそのつもりです。どうぞ、だれを呼ぶか選んでください。三分待ちましょう」
シドが懐中時計を手にする。彼が時計をいじる光景を、拓馬ははじめて見た。
「拓馬くん、おりいって頼みがある!」
シズカは拓馬の両肩をつかむ。
「おれは猿の友だちを呼ぶ。でもこの子じゃ彼はたおせない。あくまで足止め係だ」
「足止め?」
「そうとも。先生をたおすには、ほかの子の助けがいるんだ」
「どうして最初から強いやつを呼ばないんですか?」
「ここへくるまでに力を使いすぎた。回復薬を飲んでも、その子を呼ぶにはすこーし力が足りない」
「じゃ、どうやって力を回復するんです?」
「ヤマダさんから借りる。見たところだいぶ弱ってるが、それでも充分だ」
拓馬は壇上のヤマダを見ようとした。が、シズカの両手が拓馬の両頬をおさえたせいで、視線をずらせなかった。
「おれがヤマダさんに近づければ勝てる。でも先生はきっとおれのジャマをしてくるはず。だから、だれかが先生の注意を引く必要がある」
「それが、猿の友だち?」
「そう。それと、きみもだよ」
シズカは無理難題を要求してきた。拓馬はその期待が現実的でないことを、あわてて伝える。
「ムチャ言わないでください! あの人、拳法の達人をあっさり負かしてるんですよ」
「勝たなくていい。負けなきゃいいんだ」
「どっちにしても無理です」
「大丈夫、おれがきみの体を強化しておくよ。この札の力で」
シズカは肩掛け鞄から札を二枚出した。漢字らしき模様が墨で書かれた札だ。一枚はさきほど見た模様だが、もう一枚は別物のようだ。
「さっき廊下で使ったのと同じ種類もある。効果は期待できるだろ?」
拓馬は脚力が増幅された体験により、札があれば俊敏性においてシドに遅れをとらない希望が見えてくる。
「はい、まあ……もうひとつのはなんですか?」
「こっちは防御力を高めるんだけど、先生相手だと注意事項が──」
シズカが話しおわらない間に「三分が経ちます」と無情なタイムアップ宣告がくだる。
「準備はよろしいですか?」
シドは自身の提示した約束事を守ろうとしている。シズカは拓馬との相談と戦闘支度が完了していない。にもかかわらず、一歩まえへ出る。
「ああ、いいよ。あなたの相手はこの子だ」
シズカが立つ前方に、こげ茶色の猿が現れる。大きさは一般的なニホンザルと同程度の、人の背の半分。その身に赤い法被を着て、顔にお面を被っている。
シドが奇異な外見の獣を一瞥した。あまり興味がなさそうに目をつむると、サングラスを外し、それを演台に置く。
「結構。その小さな体でどれほど持つか、試してみましょう」
シズカが「バレてるかな?」と猿が本命の対戦相手ではないことをつぶやいた。だが前言撤回するかのように声を張り上げる。
「おれたちが勝ったらもとの世界に帰してもらおう。でも、あなたが勝ったらどうするつもりだ?」
「私と同行を願います。我が主《あるじ》がお待ちです」
「そのアルジさんの目的はなんだ? 世界平和のため、というわけじゃなさそうだが」
「答えられません。質問は以上でよろしいですか」
演台から離れた手には銀色に光るなにかがあった。なんらかの取っ手部分のような、金属製のもの。それを見たシズカがまた別の質問をする。
「そのナックル、おれの知人があなたに造ってあげた物かい?」
「そうです。術が不得意な私に合わせていただいた武器です」
「それは悪事の手助けをするために造った道具じゃない。自分と他者を守るために与えられたはずだ」
「御託を聞くつもりはありません」
壇上よりシドが飛びおりた。彼がシズカめがけて駆ける。もう話し合いは無しのようだ。その唐突な戦闘開始ぶりに拓馬はとまどう。
(うわ、まだシズカさんの援護をもらってないのに……)
襲来する者と対峙する者、二人の間に猿が入る。猿は両手の爪を急激に長くのばした。生やした爪で襲来者を威嚇する。シズカは「いまのうちに」と札を二枚広げた。札が二枚、同時に塵となる。
「速さと耐久力を高めておいた。これで戦いやすくなるはずだ。でも注意点がある。あの先生のナックルは食らわないようにしてくれ」
早口でシズカは説明をすませると、壇上に向かって走りだした。
壇上より、拍手とともに称賛の声があがった。壇上の演台の奥には笑みをたたえた銀髪の教師が立っている。いつもの黒シャツに黄色のサングラスを身に着けた格好だ。異形の少女の話では大男が待ち受けるはずだが、拓馬はおどろかなかった。これは想定しえた一場面だ。
(やっぱりか……)
みずから正体をあきらかにしていても、教師は人の良さそうな演技を継続している。その対応が殊更彼の空恐ろしさを助長させた。
不気味な人物がいる演台の側面に、ヤマダが座っていた。演台にもたれかかっている。例のごとく元気を吸われて、ねむっているのだろう。
(しばらく起きなさそうか)
無事だと知れただけ、一安心できた。彼女を拉致した者が拍手をとめる。
「皆さん、よくたどり着きました」
偽りの教師は気さくな調子を維持する。
「ツユキさん、貴方にもお越しいただけて感激しています」
シズカも対抗してか温厚な顔をする。
「お招きありがとう。えーと、あなたのことはなんて呼んだらいいかな。『シド』さん、『ジルベル』さん、それとも『スタール』さんか」
拓馬には聞きおぼえのない名前が出た。それは銀髪の教師が教師に扮する以前に使っていた名前におぼしい。
「どれでも結構です。すべて、私の名ではありません」
「そうかい。じゃあシドさん、あなたに聞こう。今年の一月から発生した高校生が昏睡する事件と、先月に同じ症状になった小田切くんの件、すべてあなたがしたことか?」
オダギリ、という名も拓馬は初耳だった。しかしその名に心当たりはある。
(『オダ』ってよぱれてた金髪の本名かな?)
あの不良少年が現在どうしているか、知らない。病院に搬送された以後、シズカがその居場所を突きとめたはずだが、そこがどこかはまだ教えてもらっていなかった。
私服警官に問われた教師から笑顔が消える。
「聞いてどうします。私が『はい』と答えて、逮捕できる証拠はありますか?」
「ないね。でもおれは警官だからここにきたんじゃない」
「ではどんな動機です?」
「異人の代表として、あなたを止める」
その立ち位置こそが、シズカを警官の職に向かわせた理由だ。
「私を制するおつもりなら、屈服させてください。手段は問いません」
「決闘をしようってことかい?」
「はい」
「ご指名がおれ一人だけじゃないなら受けよう」
「もとよりそのつもりです。どうぞ、だれを呼ぶか選んでください。三分待ちましょう」
シドが懐中時計を手にする。彼が時計をいじる光景を、拓馬ははじめて見た。
「拓馬くん、おりいって頼みがある!」
シズカは拓馬の両肩をつかむ。
「おれは猿の友だちを呼ぶ。でもこの子じゃ彼はたおせない。あくまで足止め係だ」
「足止め?」
「そうとも。先生をたおすには、ほかの子の助けがいるんだ」
「どうして最初から強いやつを呼ばないんですか?」
「ここへくるまでに力を使いすぎた。回復薬を飲んでも、その子を呼ぶにはすこーし力が足りない」
「じゃ、どうやって力を回復するんです?」
「ヤマダさんから借りる。見たところだいぶ弱ってるが、それでも充分だ」
拓馬は壇上のヤマダを見ようとした。が、シズカの両手が拓馬の両頬をおさえたせいで、視線をずらせなかった。
「おれがヤマダさんに近づければ勝てる。でも先生はきっとおれのジャマをしてくるはず。だから、だれかが先生の注意を引く必要がある」
「それが、猿の友だち?」
「そう。それと、きみもだよ」
シズカは無理難題を要求してきた。拓馬はその期待が現実的でないことを、あわてて伝える。
「ムチャ言わないでください! あの人、拳法の達人をあっさり負かしてるんですよ」
「勝たなくていい。負けなきゃいいんだ」
「どっちにしても無理です」
「大丈夫、おれがきみの体を強化しておくよ。この札の力で」
シズカは肩掛け鞄から札を二枚出した。漢字らしき模様が墨で書かれた札だ。一枚はさきほど見た模様だが、もう一枚は別物のようだ。
「さっき廊下で使ったのと同じ種類もある。効果は期待できるだろ?」
拓馬は脚力が増幅された体験により、札があれば俊敏性においてシドに遅れをとらない希望が見えてくる。
「はい、まあ……もうひとつのはなんですか?」
「こっちは防御力を高めるんだけど、先生相手だと注意事項が──」
シズカが話しおわらない間に「三分が経ちます」と無情なタイムアップ宣告がくだる。
「準備はよろしいですか?」
シドは自身の提示した約束事を守ろうとしている。シズカは拓馬との相談と戦闘支度が完了していない。にもかかわらず、一歩まえへ出る。
「ああ、いいよ。あなたの相手はこの子だ」
シズカが立つ前方に、こげ茶色の猿が現れる。大きさは一般的なニホンザルと同程度の、人の背の半分。その身に赤い法被を着て、顔にお面を被っている。
シドが奇異な外見の獣を一瞥した。あまり興味がなさそうに目をつむると、サングラスを外し、それを演台に置く。
「結構。その小さな体でどれほど持つか、試してみましょう」
シズカが「バレてるかな?」と猿が本命の対戦相手ではないことをつぶやいた。だが前言撤回するかのように声を張り上げる。
「おれたちが勝ったらもとの世界に帰してもらおう。でも、あなたが勝ったらどうするつもりだ?」
「私と同行を願います。我が主《あるじ》がお待ちです」
「そのアルジさんの目的はなんだ? 世界平和のため、というわけじゃなさそうだが」
「答えられません。質問は以上でよろしいですか」
演台から離れた手には銀色に光るなにかがあった。なんらかの取っ手部分のような、金属製のもの。それを見たシズカがまた別の質問をする。
「そのナックル、おれの知人があなたに造ってあげた物かい?」
「そうです。術が不得意な私に合わせていただいた武器です」
「それは悪事の手助けをするために造った道具じゃない。自分と他者を守るために与えられたはずだ」
「御託を聞くつもりはありません」
壇上よりシドが飛びおりた。彼がシズカめがけて駆ける。もう話し合いは無しのようだ。その唐突な戦闘開始ぶりに拓馬はとまどう。
(うわ、まだシズカさんの援護をもらってないのに……)
襲来する者と対峙する者、二人の間に猿が入る。猿は両手の爪を急激に長くのばした。生やした爪で襲来者を威嚇する。シズカは「いまのうちに」と札を二枚広げた。札が二枚、同時に塵となる。
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2018年08月04日
拓馬篇−10章3 ★
拓馬は狐を抱え、職員室前を通り過ぎた。ヤマダを置いてきた空き教室へもどる道中、またも化け物連中が出現する。ただし一体二体がちらほら通せんぼする程度だ。その脇を危なげなくすりぬけて行った。
(なんでさっきだけ、かたまってたんだ?)
最短ルートは通行止めをくらった。五、六体の異形がその体を盾にしてきたのだ。この現象は単なる偶然ではないように思えてくる。
(俺のジャマをする意味……時間稼ぎか?)
拓馬が二階の空き教室へ帰還するのを遅らせたかった。そんないやがらせか、もしくは拓馬を疲弊させるつもりだろうか。
(セコいことしてくるんだな)
持ってまわった仕掛けにめんどくささを感じた。
(まあいいや、いまはシズカさんと合流する!)
拓馬は空き教室に到着する。戸の窓をのぞくと人影が見えた。毛先が外に跳ねた短髪、学生のような白い半袖シャツ、肩から提げた肩掛け鞄──それらの特徴を持つ人物と拓馬は直接会う機会はすくないが、見間違えることはない。これが拓馬たちの守り手だ。
「シズカさん!」
拓馬は力いっぱいに戸を引いた。室内にいた若い男性は物柔らかな笑みで入室者を見る。
「拓馬くん、大変だったね。ケガはしてないかい?」
「大丈夫ですっ」
拓馬は安堵と歓喜を押しとどめながら即答した。拓馬がシズカを観察したところ、彼は手に持った紙切れを見ていたようだった。ヤマダの無地のメモ用紙ではなく、罫線が印字された紙だ。拓馬はその紙がなんなのか気になったものの、先にもうひとりの仲間の姿をさがした。
教室を見渡すとヤマダの荷物が机上に置かれている。しかし持ち主はいなくなっていた。
「あれ? あいつ、どこに……」
「おれはさっき着いたばかりだけど、この教室にはだれもいなかったよ」
「え……ヤマダがいたはずなんです」
どこかに行ったのだろうか、と拓馬は心配になる。
(俺のメモ書き、気付かなかったのか?)
拓馬直筆のメモが落ちてないかと思い、ヤマダが横になっていた付近の床を見る。白い紙は見当たらない。
「彼が連れていったらしい」
シズカは持っていた紙切れを拓馬に見せる。罫線が引かれた紙には「体育館にて待つ」の一言が書きのこしてあった。その字は、シドのものと似ている。
「俺がヤマダを置いていったせいで……」
拓馬は自身の選択が誤っていたのだとくやんだ。この教室に寄りつかないのは、下っぱの化け物のみ。連中を指揮する男には無関係なのだと、いまになって気付いた。
(ずっと体育館で待ってるんじゃないのか……)
赤毛が校内をめぐっても大男または英語教師に遭遇しなかったという。なので、拓馬は勝手に、相手はラスボスらしく最深部に閉じこもっているのだと思っていた。
「その子を捜してくれたんだろ? きみはわるくないさ」
シズカは拓馬の腕に抱かれた白い狐を受け取る。
「それに、彼はおれにも用事があるんだ。おれが行くまではヤマダさんに危害を加えないと思うよ」
シズカが狐をなでながら言う。するとぴくりともしなかった狐が目を開ける。そして霧のごとく消えた。
「あ、キツネが……」
「ツキちゃんには一足先に帰ってもらった。いまは弱ってて、一緒に戦えなさそうだ」
「ほんとに生きてたんだ……」
「ああ、この子なら……大男さんにつかまっても殺されはしないと思ってたからね」
「?」
「彼、動物が好きなんだよ。とくにキツネは彼の故郷にいたんで、愛着があるらしい」
「動物好き、か……」
シドも拓馬の飼い犬相手に愛情をもって接していた。いよいよもって同一人物の確信ができあがっていく。
「やっぱ先生なのか……」
「それを確かめるためにも、体育館に行こう」
シズカは肩掛け鞄から細長い紙を出した。変な字形の漢字が書いてある。
「それ、おフダですか?」
「そう。異界限定で使える道具だ。この世界にもどってから自作してみたけど、なにも効果が出なかった」
「ここなら使える……と?」
「ああ、異界に近い空間みたいだからね」
シズカは目を閉じて深呼吸する。これから使用する札はどういう性能なのか拓馬は知らされていないが、彼のすることならきっと意味のあることだと信じた。
拓馬は移動の準備のため、ヤマダの荷物を持った。さきほど拓馬がヤマダを置いていった際に拓馬が散らかした文具類はリュックサックに収納されてある。七つのピースの置き場も、拓馬が取り出すまえの位置にもどっていた。おそらくヤマダが片付けたのだ。言い換えれば、ヤマダは意識のある状態でシドに連れ去られたことになりうる。
(こわかっただろうに、そばにいてやれなかったな)
拓馬が教室にいたとしても、あの教師にかなう見込みはゼロ。そうと頭でわかっていながら、自分が友人を守るために善処しなかったことをくやんだ。
気落ちする拓馬の周りに、もくもくと煙が出てきた。シズカを見ると、彼の持つ札が焼け焦げている。札の上部から徐々に黒くなり、塵と化していた。その塵から色のうすい煙がやおら出て、二人をつつむ。
「この煙はなんです?」
「足が速くなる効果がある。ちゃんと効いてるか、ためしてみよう」
シズカが廊下に出る。数メートル先に異形が、複数うごめいていた。
「おっと、こんなに歓迎してくれるんだね」
「あいつらニブいんで、逃げきれますよ」
「よし、それじゃ体育館までダッシュで案内してくれるかい」
拓馬は快諾した。リュックサックを背負い、走り出す。床を蹴る感触がさほど強くないにも関わらず、一歩一歩の進む距離が長かった。野生動物のように軽やかに走れている。拓馬の後ろを追うシズカが「ちゃんと効いてるね」と満足げに言った。
二人は階段を駆け下りる。階段にも黒い連中はいたが、それらを跳びこさんばかりに駆け抜けた。
「こんなに亡人がいるなんて、びっくりだな」
「もうじん?」
「この黒い生き物のことだよ。異界では亡人が人を襲う事件がたびたびあったんだ」
「凶暴なんですか?」
「それがどうとも言えない。おれには亡人の知り合いがいるんだが、そいつはやさしくて気のいいやつだよ」
「個体差があるってことですか?」
「そうかもね。だから、一概にわるい生き物だとは言えないんだ」
シズカは異形に理解があるようだ。それを聞いた拓馬がひそかに安心する。
(やっぱり、あの子がビビるような人じゃない)
銀髪の少女は、過剰な自己防衛に走ったのだ。おそらくそれが司令塔の命令なのだろう。
(それはいいとして……解答、どうしよう)
シズカの的確な補助の影響で、二人はすぐに体育館前に到着した。扉にはなお問題文の書かれた札がある。シズカが札の文字を指でなぞった。
「これは……向こうの文字か。こういう並びは見たことがないけど……」
「それ、スペルは英語なんです。問題は訳してあります」
拓馬はリュックサック内にあるヤマダのメモ帳をさがした。メモ帳を見つけると、いま必要なページを開く。それをシズカに渡そうとした。そのときの彼は黒い丸薬を飲む最中で、両手がふさがっていた。
「なんの薬ですか?」
シズカがペットボトルの水で丸薬を押し流した。口の中が空になった彼は「回復薬だよ」と言う。
「友だちをよぶときに使う元気を、はやく取りもどすためのものなんだ。おれにとっての常備薬だね」
シズカは拓馬が広げたメモをじっと見た。しばらくして彼がうなずく。それが「メモの内容を理解した」という合図だと拓馬は察する。
「あつめた七つのピースを問題の板にはめて、正しく答えられたら扉が開くみたいです」
シズカは「なるほど」と納得しながらも、鉄扉を開けようとした。扉はびくともしない。
「おれがくればフリーパスになるかと期待したんだがね」
ビップ待遇はしてくれないか、と冗談半分でシズカは残念がった。拓馬もその意見には同意である。相手方が必要とする役者はすでにそろった。いつまでも面会の場を封鎖する意味があるだろうか。
シズカはそれきり問題を解く方向へ事を進めた。拓馬は文字の変換表を提示する。
「これの、丸のついた文字とアルファベットが、解答に使う文字で──」
説明のさなか、拓馬は表の余白に注目する。ヤマダの字で書いた英単語があるのだ。その語句は表中に丸をつけた字で構成されている。しかしそれは六文字までの記述だった。拓馬はシズカと顔を見合わせる。
「あいつ、答えがわかったんじゃ……?」
「その答えをあてはめてみよう。解答に使うものは……」
拓馬はピースを収納したリュックサックのポケットを開く。シズカは拓馬が開けたポケットに手を入れた。そこからピースを片手でつかめるだけつかむ。拓馬は作業効率を上げるため、のこるピースをすべて自身の手のひらに乗せた。
解答をこころみるシズカの手際は良かった。拓馬ではいまだに文字の向きが熟知できていないのに、シズカは表を見なくても正しい向きに直せた。異界の文字が頭にインプットされているらしい。
シズカが最後のピースに手をかけたとき、彼はそのピースの文字をしげしげと見る。
「のこり一個……入れてみようか」
シズカはアルファベットの「A」にあたる文字の板をはめる。カチっと音が鳴った。鉄扉にかかった札は透明になって、消える。
「あー、答えが消えちゃったね」
シズカが淡い落胆の声をあげた。
「なんて答えたんですか?」
「フォルトゥナという女神さまだよ。英語のフォーチュンの語源になってたと思う」
拓馬はシズカが発声した英単語を最近見聞きしたおぼえがある。
「フォーチュン……?」
「『幸運』とか『運命』って意味だよ」
「あ、『グッドフォーチュン』!」
追試会場の黒板に書かれていた激励の言葉だ。ヤマダが書きのこした六文字を見てみるに、それらはフォーチュンと綴りが同じである。そのことを知ったいま、拓馬は徒労を感じてしまう。
「黒板に書いてあった英文に、この答えをまぜてたのか……」
「最後のアルファベットだけ、スペルがちがうけどね。でもちがう文字がひとつだけならきみたちがチャレンジしてくれる、と彼は思ったんだろう」
かぎりなく答えに近いヒントが、拓馬たちの目につく場所に用意してあった。その親切心が、拓馬にはすこし憎らしく映る。
「手のこんだヒントだな……フツーにはげましのフレーズだと思った」
「おなじみのセリフに偽装しやすい言葉を、答えにえらんだのかもね」
シズカが「それで、だ」と真面目な表情になる。
「これでやっと体育館に入れる。……心の準備はいいかい?」
拓馬はぎこちなく首を縦にうごかした。緊張するが、もたもたしてはいられない。先へ進まねば、もといた世界にはもどれないのだ。
シズカはにっこり笑ってみせ、鉄扉を開けた。パッと見たところの館内は無人だ。運動器具もない。人気のない体育館に二人が入る。すると乾いた拍手が鳴りだした。音の出所は壇上だった。
(なんでさっきだけ、かたまってたんだ?)
最短ルートは通行止めをくらった。五、六体の異形がその体を盾にしてきたのだ。この現象は単なる偶然ではないように思えてくる。
(俺のジャマをする意味……時間稼ぎか?)
拓馬が二階の空き教室へ帰還するのを遅らせたかった。そんないやがらせか、もしくは拓馬を疲弊させるつもりだろうか。
(セコいことしてくるんだな)
持ってまわった仕掛けにめんどくささを感じた。
(まあいいや、いまはシズカさんと合流する!)
拓馬は空き教室に到着する。戸の窓をのぞくと人影が見えた。毛先が外に跳ねた短髪、学生のような白い半袖シャツ、肩から提げた肩掛け鞄──それらの特徴を持つ人物と拓馬は直接会う機会はすくないが、見間違えることはない。これが拓馬たちの守り手だ。
「シズカさん!」
拓馬は力いっぱいに戸を引いた。室内にいた若い男性は物柔らかな笑みで入室者を見る。
「拓馬くん、大変だったね。ケガはしてないかい?」
「大丈夫ですっ」
拓馬は安堵と歓喜を押しとどめながら即答した。拓馬がシズカを観察したところ、彼は手に持った紙切れを見ていたようだった。ヤマダの無地のメモ用紙ではなく、罫線が印字された紙だ。拓馬はその紙がなんなのか気になったものの、先にもうひとりの仲間の姿をさがした。
教室を見渡すとヤマダの荷物が机上に置かれている。しかし持ち主はいなくなっていた。
「あれ? あいつ、どこに……」
「おれはさっき着いたばかりだけど、この教室にはだれもいなかったよ」
「え……ヤマダがいたはずなんです」
どこかに行ったのだろうか、と拓馬は心配になる。
(俺のメモ書き、気付かなかったのか?)
拓馬直筆のメモが落ちてないかと思い、ヤマダが横になっていた付近の床を見る。白い紙は見当たらない。
「彼が連れていったらしい」
シズカは持っていた紙切れを拓馬に見せる。罫線が引かれた紙には「体育館にて待つ」の一言が書きのこしてあった。その字は、シドのものと似ている。
「俺がヤマダを置いていったせいで……」
拓馬は自身の選択が誤っていたのだとくやんだ。この教室に寄りつかないのは、下っぱの化け物のみ。連中を指揮する男には無関係なのだと、いまになって気付いた。
(ずっと体育館で待ってるんじゃないのか……)
赤毛が校内をめぐっても大男または英語教師に遭遇しなかったという。なので、拓馬は勝手に、相手はラスボスらしく最深部に閉じこもっているのだと思っていた。
「その子を捜してくれたんだろ? きみはわるくないさ」
シズカは拓馬の腕に抱かれた白い狐を受け取る。
「それに、彼はおれにも用事があるんだ。おれが行くまではヤマダさんに危害を加えないと思うよ」
シズカが狐をなでながら言う。するとぴくりともしなかった狐が目を開ける。そして霧のごとく消えた。
「あ、キツネが……」
「ツキちゃんには一足先に帰ってもらった。いまは弱ってて、一緒に戦えなさそうだ」
「ほんとに生きてたんだ……」
「ああ、この子なら……大男さんにつかまっても殺されはしないと思ってたからね」
「?」
「彼、動物が好きなんだよ。とくにキツネは彼の故郷にいたんで、愛着があるらしい」
「動物好き、か……」
シドも拓馬の飼い犬相手に愛情をもって接していた。いよいよもって同一人物の確信ができあがっていく。
「やっぱ先生なのか……」
「それを確かめるためにも、体育館に行こう」
シズカは肩掛け鞄から細長い紙を出した。変な字形の漢字が書いてある。
「それ、おフダですか?」
「そう。異界限定で使える道具だ。この世界にもどってから自作してみたけど、なにも効果が出なかった」
「ここなら使える……と?」
「ああ、異界に近い空間みたいだからね」
シズカは目を閉じて深呼吸する。これから使用する札はどういう性能なのか拓馬は知らされていないが、彼のすることならきっと意味のあることだと信じた。
拓馬は移動の準備のため、ヤマダの荷物を持った。さきほど拓馬がヤマダを置いていった際に拓馬が散らかした文具類はリュックサックに収納されてある。七つのピースの置き場も、拓馬が取り出すまえの位置にもどっていた。おそらくヤマダが片付けたのだ。言い換えれば、ヤマダは意識のある状態でシドに連れ去られたことになりうる。
(こわかっただろうに、そばにいてやれなかったな)
拓馬が教室にいたとしても、あの教師にかなう見込みはゼロ。そうと頭でわかっていながら、自分が友人を守るために善処しなかったことをくやんだ。
気落ちする拓馬の周りに、もくもくと煙が出てきた。シズカを見ると、彼の持つ札が焼け焦げている。札の上部から徐々に黒くなり、塵と化していた。その塵から色のうすい煙がやおら出て、二人をつつむ。
「この煙はなんです?」
「足が速くなる効果がある。ちゃんと効いてるか、ためしてみよう」
シズカが廊下に出る。数メートル先に異形が、複数うごめいていた。
「おっと、こんなに歓迎してくれるんだね」
「あいつらニブいんで、逃げきれますよ」
「よし、それじゃ体育館までダッシュで案内してくれるかい」
拓馬は快諾した。リュックサックを背負い、走り出す。床を蹴る感触がさほど強くないにも関わらず、一歩一歩の進む距離が長かった。野生動物のように軽やかに走れている。拓馬の後ろを追うシズカが「ちゃんと効いてるね」と満足げに言った。
二人は階段を駆け下りる。階段にも黒い連中はいたが、それらを跳びこさんばかりに駆け抜けた。
「こんなに亡人がいるなんて、びっくりだな」
「もうじん?」
「この黒い生き物のことだよ。異界では亡人が人を襲う事件がたびたびあったんだ」
「凶暴なんですか?」
「それがどうとも言えない。おれには亡人の知り合いがいるんだが、そいつはやさしくて気のいいやつだよ」
「個体差があるってことですか?」
「そうかもね。だから、一概にわるい生き物だとは言えないんだ」
シズカは異形に理解があるようだ。それを聞いた拓馬がひそかに安心する。
(やっぱり、あの子がビビるような人じゃない)
銀髪の少女は、過剰な自己防衛に走ったのだ。おそらくそれが司令塔の命令なのだろう。
(それはいいとして……解答、どうしよう)
シズカの的確な補助の影響で、二人はすぐに体育館前に到着した。扉にはなお問題文の書かれた札がある。シズカが札の文字を指でなぞった。
「これは……向こうの文字か。こういう並びは見たことがないけど……」
「それ、スペルは英語なんです。問題は訳してあります」
拓馬はリュックサック内にあるヤマダのメモ帳をさがした。メモ帳を見つけると、いま必要なページを開く。それをシズカに渡そうとした。そのときの彼は黒い丸薬を飲む最中で、両手がふさがっていた。
「なんの薬ですか?」
シズカがペットボトルの水で丸薬を押し流した。口の中が空になった彼は「回復薬だよ」と言う。
「友だちをよぶときに使う元気を、はやく取りもどすためのものなんだ。おれにとっての常備薬だね」
シズカは拓馬が広げたメモをじっと見た。しばらくして彼がうなずく。それが「メモの内容を理解した」という合図だと拓馬は察する。
「あつめた七つのピースを問題の板にはめて、正しく答えられたら扉が開くみたいです」
シズカは「なるほど」と納得しながらも、鉄扉を開けようとした。扉はびくともしない。
「おれがくればフリーパスになるかと期待したんだがね」
ビップ待遇はしてくれないか、と冗談半分でシズカは残念がった。拓馬もその意見には同意である。相手方が必要とする役者はすでにそろった。いつまでも面会の場を封鎖する意味があるだろうか。
シズカはそれきり問題を解く方向へ事を進めた。拓馬は文字の変換表を提示する。
「これの、丸のついた文字とアルファベットが、解答に使う文字で──」
説明のさなか、拓馬は表の余白に注目する。ヤマダの字で書いた英単語があるのだ。その語句は表中に丸をつけた字で構成されている。しかしそれは六文字までの記述だった。拓馬はシズカと顔を見合わせる。
「あいつ、答えがわかったんじゃ……?」
「その答えをあてはめてみよう。解答に使うものは……」
拓馬はピースを収納したリュックサックのポケットを開く。シズカは拓馬が開けたポケットに手を入れた。そこからピースを片手でつかめるだけつかむ。拓馬は作業効率を上げるため、のこるピースをすべて自身の手のひらに乗せた。
解答をこころみるシズカの手際は良かった。拓馬ではいまだに文字の向きが熟知できていないのに、シズカは表を見なくても正しい向きに直せた。異界の文字が頭にインプットされているらしい。
シズカが最後のピースに手をかけたとき、彼はそのピースの文字をしげしげと見る。
「のこり一個……入れてみようか」
シズカはアルファベットの「A」にあたる文字の板をはめる。カチっと音が鳴った。鉄扉にかかった札は透明になって、消える。
「あー、答えが消えちゃったね」
シズカが淡い落胆の声をあげた。
「なんて答えたんですか?」
「フォルトゥナという女神さまだよ。英語のフォーチュンの語源になってたと思う」
拓馬はシズカが発声した英単語を最近見聞きしたおぼえがある。
「フォーチュン……?」
「『幸運』とか『運命』って意味だよ」
「あ、『グッドフォーチュン』!」
追試会場の黒板に書かれていた激励の言葉だ。ヤマダが書きのこした六文字を見てみるに、それらはフォーチュンと綴りが同じである。そのことを知ったいま、拓馬は徒労を感じてしまう。
「黒板に書いてあった英文に、この答えをまぜてたのか……」
「最後のアルファベットだけ、スペルがちがうけどね。でもちがう文字がひとつだけならきみたちがチャレンジしてくれる、と彼は思ったんだろう」
かぎりなく答えに近いヒントが、拓馬たちの目につく場所に用意してあった。その親切心が、拓馬にはすこし憎らしく映る。
「手のこんだヒントだな……フツーにはげましのフレーズだと思った」
「おなじみのセリフに偽装しやすい言葉を、答えにえらんだのかもね」
シズカが「それで、だ」と真面目な表情になる。
「これでやっと体育館に入れる。……心の準備はいいかい?」
拓馬はぎこちなく首を縦にうごかした。緊張するが、もたもたしてはいられない。先へ進まねば、もといた世界にはもどれないのだ。
シズカはにっこり笑ってみせ、鉄扉を開けた。パッと見たところの館内は無人だ。運動器具もない。人気のない体育館に二人が入る。すると乾いた拍手が鳴りだした。音の出所は壇上だった。