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2018年08月18日

拓馬篇−終章◇

「──ほんとうに、それでいいんですね?」
 鞄を肩から提げた異人が、寝台にいる老爺にたずねた。寝台上の座椅子の背もたれによりかかる老爺は「はい……」と諦観の面持ちで返答する。
「この老いぼれの怨みを一瞬晴らせたとて、それがなんになりましょう」
 白髪の老爺は枕元に立つ異人を見つめた。二人は、この場にいる銀髪の男の処遇について話し合っている。
「孤独に生きた六十有余年……その苦しみが、彼の死によって帳消しになるとは思えません。そのような無為なことのために……これからの子どもの笑顔を、うばいたくないのです」
 その会話を傍聴する者は三人。老爺の世話係の女性と、銀髪の男と、男の仲間の少女。
 主題たる銀髪の男は二種類の男性形態があり、現在は教師として潜伏した際の姿──老爺の家族をさらった時とは異なる姿──でいた。服装はこの世界に合わせて、変えている。灰色の外衣に身を包んだ様子は、犯行当時のものとあまり差がなかった。
「その言葉は本心なのですか?」
 無表情な銀髪の男が老爺にはじめて話しかけた。会話はすべて異人まかせにすすめていたためか、老爺は心底おどろいた様子で目を大きくする。その視線は天井と壁の境にある。そこは座椅子によって上体をななめにたもつ老爺の正面にあたる。彼は一向に銀髪の男と目を合わせようとしない。
 異人もまた、銀髪の男の急な発言にびっくりしている。
「先生、どこにうたがう余地があるんだい? この方は孤児の支援をしてきた慈善家だって、知ってるだろう。だから先生には子どもの教育を続けてほしいとおっしゃって──」
「その点は承知しました。しかし腑に落ちないところがあるのです」
「どんなところ?」
「私の正体を明かした時の反応が、とても落ち着いていらっしゃった。それは貴方が事前に私のことを伝えていたせいではありませんか」
 異人は頬をぽりぽりと指でかく。
「んー、そんなことでおれをうたがう?」
「はい。貴方には『私を死なせない』という意志があるようですから、口裏を合わせてもおかしくないと思います」
「まえもって話をしにきてたことはみとめるよ。先生が向こうでどんなにいい教師をやれてたかってことも伝えた。けど『口裏を合わせる』ってのは心外だな。おれが無理やり言わせたみたいじゃないか」
 異人はにこやかに男の指摘を否定した。老爺がひかえめにうなずく。
「自分の心にないことを言ったつもりはありません……この身はすでに老いさらばえ、他人をたすけるどころか自分がたすけられているありさまです。かような立場でいて、他人を救済できる人材を減らすのは愚行でしょう」
 老爺はついに銀髪の男に目を向けた。いささかの緊張はしていたが、皮肉めいた笑みをうかべる。
「それに、他人を教えみちびくことは並大抵の職務でない。長くつづけていけば、そのうち……学ぶ意義を見いだせず反発する者や、だれも信用しようとしない者などと出会う機会があるはずです。そういったかたくなな人も、あなたが根気強く接してください。かれらが納得のいく生き方を見つけるまで、手抜かりなく……これはやりがいのある役目ですが、ときに苦行にもなりうることです。その奉仕が、あなたへの罰──」
 話の途中、老爺が咳きこんだ。のどに痰がからんだらしい。咳がおさまると、老爺は天井をあおぐ。その顔は晴れやかだ。
「この役目を不老のあなたにお任せできるなら、これから救われる子は大勢おりましょうな。なにせ、二つの世界を行き来なさるのですから。あなたの救いを待つ者はきっと、どちらの世界にもいるでしょう」
 老爺は「長話でのどがかわきました」と言い、異人と反対側の枕元に立つ女性に手のひらを向ける。女性はそばの棚に置いていた吸い飲みを持つ。ちいさなジョウロのような形状で、ねながらでも水が飲める道具を、老爺は体を横向きにしてから口をつけた。
 給水中で老爺が話せない間、異人が「わかったかい?」と銀髪の男にたずねる。
「おれが先生の了解なしで一報を入れた理由は、先生の処罰が激しいものにならないか心配したからだ。そこんとこの先生の予想は合ってる。もし被害者が興奮した感情に振り回されて、あなたを『殺してくれ』とたのんできたら……おれは即決する自信がなかった。『もっとよく考えてほしい』と、言ったと思う。じっくり考えたうえでの希望なら、しかたないと思えた」
「被害者が私の処罰を適切に決めるために、貴方が先回りしたのですね?」
「そういうこと。でも、取り越し苦労だったよ」
「貴方が最初に訪問した時も、彼は私の消滅をのぞまなかったのですか」
「そう。いまと同じことをおっしゃってくれたよ。もっとも、先生の近況を知ったその時は、とてもびっくりしておいでで、こんなに流暢にしゃべってもらえなかったけどね」
「私のせいで容体を悪化させてしまったのでしょうか」
「たしかに体に障ったかもしれない。けどクラさんがついてたから大丈夫。ちょっと診たら、かえって元気になったくらいだよ」
 水分補給を終えた老爺が居住まいをもとにもどす。
「はい、高名な魔人に診てもらえて、光栄です。しかし意外でしたな。ここ数十年、めっきり人里にあらわれなくなっていたそうですから、もう人間への関心を失ったものとばかり……」
「外回りは息子くんがやってるのでね。代替わりしたってとこですよ。まあ、本人の周りがちょっとゴタついてたせいもあるんですけど……」
 異人は「ほかに伝えておきたいことはあるかな」と銀髪の男に問う。
「あんまり頻繁にはこれないからさ、いまがチャンスだよ」
「では最後に」
 銀髪の男が老爺に対して、深々とこうべを垂れる。
「私はあらゆる人々を連れ去り、その肉体を亡人に喰わせました。貴方の御家族も、だれひとりとして生き残っていません。彼らに無念の死を遂げさせたことと、貴方につらい幼少期をすごさせたことは、とても許される所業ではありません。いかなる贖罪も、その非道を打ち消す効力はないと存じます」
 老爺は「もういいのです」と謝罪をさえぎる。
「幾万の誠意ある言葉よりも、たった一回の善意ある行動に価値があります」
「無礼を承知で申しあげます。そのような綺麗事だけを述べていて、まことに貴方の心は満たされるのですか?」
 銀髪の男が顔を上げないまま言った。場が凍りつく意見だった。きれいにまとまりそうな談話を、銀髪の男がわざと掻き乱している。
「私はこれから向こうの世界へもどります。二つの世界は時間の流れが決まっておらず、数年、数十年が簡単に過ぎてしまうことがあります。貴方と私がふたたび会うことはもう無いかもしれません。私に言いたいことがあれば、いまのうちにおっしゃってください」
 老爺は男の発言が挑発ではなく気遣いから出た言葉だと察し、こわばった表情をやわらげる。
「……あなたへの憎しみがないと言えばウソになります。なぜわが一族が落ちぶれねばならなかったのかと、嘆きたい気持ちもあります。ですが、そういった感情を爆発させるにしても、歳をとりすぎたのです。言うことがあるとすれば……『あのときなぜ見逃してくれたのか』と聞くくらいでしょうか」
 男は頭を上げる。真顔だった表情に苦渋がにじむ。
「『見逃した』……」
「あなたが屋敷を襲撃したときのことです。わたしの親や叔母が黒い魔物に捕まるなか、わたしは窓掛けで身を隠していました。それは家屋に侵入した者の目をくらませても、外からでは窓越しに見つかってしまうお粗末な隠れ方です。あなたはたしかにわたしを見つけていたのに、捕えようとせず、去っていった」
「その時はすでに撤収の指示を同胞に出していました。子どもひとり程度、いてもいなくとも同じだと思ったのです」
 老爺は落胆した様子で「そうですか……」と力なく答える。
「幼子をあわれんだ、というわけではないと……」
「わかりません。その頃の私は、自分自身の感情に気付けなかったのです」
「そう、でしょうな……あのとき、あなたがいまの自我を持っていたなら、あの悲劇は起こりえなかった」
 老爺の目じりに涙がたまり、耳元へながれていく。
「あぁ、どうして……わたしの家族が犠牲にならなくてはいけなかったのか……」
 それきり老爺は嗚咽をもらすばかりで、言葉らしい言葉が出なかった。世話係の女性が涙ぐんで「今日はこれでお帰りを」と客たちの退室をもとめた。三人の客人は女性が開ける扉をくぐった。最後尾の銀髪の男が室内を振り返る。
「貴方の御意志、しかと受け止めました。その気持ちにそぐうよう、努めてまいります」
 その宣言を老爺はどう思ったのか、確認することなく扉は閉まった。
 三人は一時外へ向かう。その道中、異人は男の背中をたたく。
「ちょーっとご老人には刺激的な言葉があったかな」
「失言をしてしまいましたか」
「いや、いいんだ。腹を割って話したかったのは、お互いさまだろうからね」
 次もその調子でいい、と異人は男に助言した。異人はもう彼自身の世界にいる子らへの謝罪会見を見据えている。男は「気が早いですね」と異人の言葉に難色を示す。
「私はまだ、被害者の願いを具体的にどう着手していけばよいのかつかめずにいます。それが形になったあとで、あの子たちに今後のことも合わせて話したいと思います」
「ああ、ごめん。もっとじっくり飲みこんでていいんだよ」
「すいません、私の思案や決断には時間がかかるもので」
「それはあやまるようなことじゃない。なやんだり迷ったりするのが、正常な人間だ」
 のんびり考えられる場所へ行こう、と異人は暗にこの世界での滞在をほのめかす。
「おれと一緒に行き帰りするぶんには、向こうの時間経過は数分程度ですむからね。よーく考えてよ」
「はい」
 三人は山中に建設された療養場を出た。家屋のない野山へ行き、自然の中を散策する。無言の少女のかたわらで、男性二人は今後の方針を語る。
「うーんと、これは拓馬くんたちとの申し開きがおわってから、先生に言おうと思ってたんだけど……」
「なんでしょう?」
「向こうで先生が最後におそった子、まだ入院しているんだ。もちろんおれが帰ったらその子を復帰させるつもりだよ」
「はい、お願いします」
「ただ、そのあとが大変なんだ。調べてみたら彼、家の事情が複雑でね。先生の手でなんとかできないかな?」
「家庭内の問題は私では対処しかねます。専門家に相談すべきではないかと──」
「なにも家族の問題をまるっと解決しろってことじゃない。子どものほうを、更生させてほしいんだ。先生とは接点がある子だし、どうにか関われるはず。その子をたすけることが、さっき要求された罪滅ぼしになると思わない?」
 男は立ち止まり、しばし考えた。異人と少女は男の動向を見守る。
「ひとりで全部やろうとしなくていい。おれがサポートするし、たのめば拓馬くんたちだって手を貸してくれると思う」
「そうですね……貴方のつてがあれば、懸念がひとつ解消できます」
「お、どんな?」
「被害に遭った子の記憶を一部、封じてもらいたいのです。記憶を保持したままでは、私への憎しみが先立って、更生をほどこすことは不可能だと思います」
「ああ、わかったよ。クラさんにそう言っとく」
 およその計画は決まったが、散策は続く。異人はこまごまとした被害者の少年情報を話しはじめた。

タグ:拓馬
posted by 三利実巳 at 23:23 | Comment(0) | 長編拓馬 

2018年08月13日

拓馬篇−10章◆

 シズカは学校内を歩いた。同伴者は常人には見えない姿でいる異界の生き物の二人。ひとりはさきほどまで敵対した者の一味である少女。もうひとりはシズカとは古い友人にあたる男性。彼は少女の仲間と顔見知りだ。再会したおりに友人が発した言葉はいつになく辛辣だった。
(なんだか、非行に走った子どもに会う親みたいだったね)
『……』
 シズカが仲間を呼ぶ時や呼んでいる最中は、互いの気持ちを筒抜けにすることができる。友人はシズカの心の声を聞いているはずだが、反応はない。
(もしかして、責任を感じてる?)
『感じるとも。混乱の種をいたずらにばらまいてしまった』
(でもさ、クラさんが教えなくたって先生はこの世界に渡ってきたんだと思うよ)
『やつがいろんな異人に関わるから、か』
(そう。彼がここにこなかったら、あっちの世界の歴史がゆがんでしまうかもしれない)
『やつが関わる異人とやらも、しょせんやつがいなくとも予定通りに成長するんじゃないか?』
(そのへんはたしかに。そうとも言える)
 つまり、だれも確実なことはわからないのだ。どうするのが異界──正式名称はメディニ──の平和維持につながるのか、正解は存在しえず、よいと思った手段をめいめいにやっていくほかない。
(おれは今回、後手にまわっちゃったけど……これでよかったと思ってるよ。先生の本音が、わかったから)
『どう言っていた?』
(彼の犯行はどれもご主人さまの命令だ。彼自身がのぞんだことじゃない。そして、彼は自分のやってきたことに罪を感じている)
『他者に従順だとは思っていたが、悪事も考えなしにこなす愚か者だったというわけか』
(そうキツくあたらないでよ。いまの彼は、ちゃんと自力で物を考えてる。だからおれに殺されようとしてきたんだ)
 シズカはその自己懲罰の意識を目の当たりにした時、憐憫の情が湧きあがっていた。もとより死なせるつもりはなかったのだが、彼の意志の強さを感じたとたん、その思いを無下にはできないと思った。それが、「被害者の希望の罰を受けにいく」という提案に走った理由だ。この思いつきには善後策を講じねばならないが、いまは友人との話し合いに集中する。
(……先生は、仕えるご主人がまちがってた。相手は同じ種族なんだろうが、そんなの無視して、ひとりで勝手に生きていけばよかったんだ)
 それを実行できた同種の者がいる。そちらは不可抗力で仲間とはぐれ、以後は人間と共存してきた。その暮らしぶりは自由きままだった。
『お前の主張はもっともだ。しかしそうするには個体差が関係するように思う。ウォリーは享楽的な性分ゆえ、同胞をかえりみずとも平気でいられた。そこが銀とは、やつとはちがう』
(先生が仲間思いなのは、おれも感じた)
 こたび捕えた罪人は死を覚悟した時、仲間の少女の身を案じていた。遠回しに、少女をシズカが保護するよう頼んでいたふうにも聞こえた。彼の性格が利他的であることは、付き合いの長くないシズカでも腑に落ちる。
(……先生はマジメすぎたんだ。それをいいことに、先生をあそこまで追いつめたアルジってやつは……ゆるせない)
 シズカが義侠心を昂ぶらせた。罰を受けるべき者はほかに存在するのだ。
『「ゆるせない」、か』
(なんか変?)
『いや……お前がそう心に決めていても、きっと、ゆるすのだろうと思った』
(えー、そんなにおれって気の抜けた男に見える?)
『そう思ってもいい』
(『も』ってなんだい。あ、説明すんのがめんどくさくなったんだろー?)
『長居してはお前の負担になる。もう帰るぞ』
 友人は本当に帰郷してしまった。シズカのうしろには銀髪の少女がのこっている。実体化していない彼女との会話は人目をはばかる。常人からすれば、独り言をぶつくさ言う変人に見られかねないのだ。それゆえ、シズカは無言で来客用の玄関へ向かった。
(出るまえに事務の人に声かけとこうか)
 それが社会人の礼儀だ。しかし玄関には事務員以上の役職にある人物が待ちかまえていた。
「おお、露木さん! いまお帰りになるのですかな」
 校長がシズカを発見するなり話しかけてきた。どうやら露木を出待ちしていたらしい。シズカは校長との会話をどう穏便にすませたらよいか、不安が走る。自分をまっとうな人間として印象付けるには、巧妙なウソを吐かねばならぬ。校長との会話はしたくないと思いながらも、外履きを玄関にのこしてきたため、その障害を避けることはできなかった。
 シズカは内心の焦りや心配を表に出さないよう、営業スマイルを心がける。
「はい、おれはこれで帰ります。校長は、おれになにか用がおありですか?」
「いやなに、冷静になってみると、やっぱりシド先生のことが気になってねえ」
「追試はこれからやると言ってましたよ。とくに問題ないんじゃないですか」
「なにをおっしゃる! 私は追試がおくれた理由とその間の出来事について言っているのだよ」
「ははぁ、あいにく校長が期待するようなことは起きてないみたいですよ」
 校長はあてが外れて、不機嫌そうに眉をしかめる。
「では先生たちはなにをしていたというのだね?」
「ちょっとしたレクリエーションをやってた、ってとこでしょうか」
「試験のまえに、レクを?」
「はい、英語のクイズを解いたり運動したり……そうやって生徒の緊張をほぐそうとしたんですかね」
 平和的な解釈をすればそう表現できる、という部分を突いた説明をシズカがつらねた。我ながらペテン師の素質がある、と若干の罪悪感が生じた。
「だったらそう言えばいいだろうに、なぜ『試験を放棄した』などと──」
「あのとき、試験を受ける子がたおれちゃってたんですよ。その状態じゃ試験はできないから『放棄』なんて強い言葉を使ったんでしょう」
「む、小山田くんがたおれていたとな?」
「そうですよ。先生のうしろで、拓馬くんが彼女を背負ってたはずですけど」
 校長がはにかんで「うっかりしてましたな」と言う。
「いやぁ、シド先生しか目に入ってなかったもので……もしや、露木さんもそばにいらっしゃった?」
「はい、校長のお声はバッチリ聞こえてましたよ。『先生と小山田くんは身持ちが堅い』とかなんとか」
 校長は「お恥ずかしい!」と両手で顔を覆う。
「内輪の話だと思って、好き勝手なことを言ってしまったのです。どうかわすれてください」
 シドひとりの状況であってもあの言動はどうかと思う、という気持ちをシズカはおくびにも出さない。
「はい、ここだけの話にしておきますから、安心してください。校長も、この件はもう蒸し返さないほうがよろしいと思いますよ」
 シズカは自分のでまかせがのちのちバレぬよう、釘を刺した。拓馬たちと口裏を合わせることもできるが、校長の好奇心を抑えるほうが手っ取り早いと思った。
 校長の質問はとだえた。シズカは持参した内履きをぬぐ。学校備え付けのスリッパでは対シドとのやり取りに不備があると思っての装備だ。肩掛け鞄から内履きを包む袋を出した。
 シズカは帰り支度の最中も、校長はまだ玄関にいる。客人の帰りを見送るためだろうか。両手は頬に当てたままだ。校長の中では「恥ずかしい」とさけんだ前後のことが引っ掛かっているようだ。
(もうちょっと明るい気分で別れたほうが、いいかな)
 今後またこの学校に用事ができるともしれない。その際スムーズに事が運べるよう、校長の好印象は得ておきたいとシズカは考えた。
(どうせなら、なにか意味のあることを──)
 校長に言っておきたいことをふっと思いつく。
「あ、シド先生のことなんですけどね」
「な、なんです。蒸し返さないと言ったばかりでは?」
「別件です。彼、今月でこの学校を退職する予定でしたよね?」
 校長は乙女のような恥じらいぶりから一転、ベテランな職員の顔つきにもどる。
「そうです。名残惜しいですが、かねてからの先生の希望なので……」
「もしかすると、まだこちらに残れるかもしれません」
「おお、事情が変わったのですか?」
「ええ、まだ確定じゃないんですけど……もし先生自身が復職のお願いをしてきたら、聞いていただきたいと思いまして」
「それはもう! 断る理由がありませんな!」
 校長が満面の笑みで断言する。学校の長がそう言うのであれば安心だ。シズカは「これもここだけの話にしてください」と念押しして、玄関を出た。
 真夏の外は暑い。どこか人目につかないところへ行って、移動用の友を呼ぼうかとシズカは思った。
「ねえ、わたしたち、ここにのこっていいの?」
 無言でいた少女が質問してきた。彼女はシズカと校長との会話を聞けても、友人との会話を聞けていない。それゆえシズカがどうしてシドが復職すると思いいたったのか、知らないのだ。
 シズカは返答のまえに、校内の手近な木陰へ入った。周囲に人がいないのを確認し、白い烏を呼び出した。実体のない獣を手中に抱く。獣の質量を手に感じると、スーッと暑さがやわらいでいった。これが生身の人間を疑似的な精神体へ変化させる技だ。この姿であれば普通の人には気づかれずに少女と会話できる。
「そうだよ。きっと、きみらはこっちの世界にいられる」
「仲間、消すかもしれないって……」
「ありえないわけじゃない。おれが余計なことを思いついちゃったからね」
「ヨケイ?」
「先生が自分の被害者に会って、罰を受けるということ。正直、あの場に立つまでそんなことを言うつもりはなかった。おれとしちゃ、先生にはこっそり教師業をつづけてほしかったんだが……」
「どうして?」
 少女がもっともな質問をしてきた。シズカは彼女らに一抹の罪悪感をかかえており、この問いにはきちんと答えるべきだと判断する。
「この話は先生には内緒にしてほしいんだ、できる?」
「うん」
「彼はこれから、いろんな人を育てていく。メディニの伝承につたわる女武芸者や、おれも今後どうなるか知らない罪人……果ては、過去の先生の犯行をはばんだ勇者まで」
「かこの……? いみ、わかんない」
「うん、おれも頭がこんがらがるよ。そういうところがこちらとメディニの特徴なんだ。個体それぞれに異なる時間軸を持ってるんだよ」
「やっぱり、わかんない」
「わからなくていい。そのほうが、気楽に活動できると思う」
 シズカは少女の無垢さをうらやましく感じた。いろんな情報にがんじがらめになっている身では、常に行動に迷いが出る。その悩ましさがないほうが楽だと思った。
「カンタンに言うと、おれは先生の未来の一部を知ってるってことだ。他人の話を聞いただけだがね」
「ミライ……」
「先生も、とある教え子の未来の一部を知っているはずだよ。こっちは先生自身が見聞きしてる。もう会ってるかな? なんて──」
 シズカは両者が対面済みだとは思っていなかった。この近辺はシズカの化け猫らが何度か探索している。これは該当の異人捜しのための派遣ではなく、主要目的は別にあったが、その際にそれらしい異人を見たとの報告は聞いていない。似た人はいても、伝え聞く壮健さはまるでない人物を発見するのが関の山だ。
 しかし少女は「そうかも」と意外な同調を見せる。
「仲間、はじめてヤマダに『シド』ってよばれたとき、とってもおどろいたんだって。メディニで、そのなまえをきかれたことがあって……」
 それはシズカがいま想定している人物でなくとも、起こりうることだ。これにはシズカが冷静に少女の説明を補足する。
「むかしは意味不明だった言葉が、未来の自分を指す名前だったと先生は知ったんだね」
「うん。ゆびわだって、ずっとくびからさげてたのに、『そのゆびわを左手にはめてた』っていってた」
 指輪について言及をした異人──シズカが知るかぎり、それは過去のシドの犯行を阻止した男性に当てはまる。なぜ少女がそのことを口にするのだろう、とシズカは確認しにかかる。
「えっと、そのメディニで先生を『シド』とよんだり指輪のことを言ったりした人……もう先生と会ってる?」
「うん」
 シズカは突然、血の気が引く思いがした。互いの過去と未来に関わる存在同士、すでに会っていたとは。
「先生は……その子をどう思ってる?」
「どうって?」
「殺そうと思わなかった? だって、その子は先生のジャマをした人なんだ。いなくなれば、当時の失敗をなかったことにできる……そうは考えないかい?」
 自身ののぞまぬ過去を変える──その空想はだれしも思いえがいたことがあるだろう。ああすればよかった、こうしたらよかったと、後悔することは多々起きる。過去の改変に挑戦できる環境に置かれて、その誘惑に心をゆさぶられない者がいるだろうか。
 少女は首をかしげて「おもってないとおもう」とこともなげに言う。
「その異人は、仲間をすくったから」
「仲間……先生のことを?」
「うん、とめてくれた」
「先生は、拉致に失敗してよかったと思ってる?」
「うん……あるじさまにしられたら、よくないけど」
 少女は主人に気兼ねして、しょぼくれた調子で仲間の反意を吐露した。彼女にとっては心苦しい本音なのだろう。しかしシズカはだいぶ気持ちがあかるくなる。
「そうか。そう思っているんだったら、いい」
「どこがいいの?」
「先生がご主人さまの命令を本気でイヤがってるってことさ。その気持ちはまだご主人さまに伝えてないんだろ?」
「いえない。ウラギリになっちゃう」
「言えばご主人さまを裏切る……とは決まっちゃいない。ご主人さまも、きみたちの気持ちを知ったら変われるかもしれないよ」
「ほんとに?」
「ああ、ご主人さまがきみたちを大切に思っているんなら、仲間みんなが気分よくいられるようにがんばってくれるはずだよ」
「それって、ミライできまってる?」
 少女がなかなか鋭い質問をしてきた。シズカは苦笑いする。
「ごめん、これはおれがテキトーに言ってることだ。なんの根拠もないよ」
「そう……」
「でも、努力はするよ。みんなが納得のいく未来になるように」
 クサイセリフを吐いたシズカは急に恥ずかしくなった。木陰をはなれ、道路を出る。目的地はシドに集合場所として告げた喫茶店である。もともと、少女と談義する予定は考えていなかった。
「えっと、おれの話……先生には内緒にしてね。いや、先生を止めてくれた異人と、ご主人さまのことは言っても問題ないんだけど……」
「なにをいっちゃだめ?」
「うーん、そのほかの未来の教え子のことかな」
「どんな子だっけ……」
「あ、うん……思い出さなくていいよ。わすれててくれ」
 少女の記憶力は存外普通だとわかり、シズカは気が楽になった。
(ま、この子がバラしても先生の性格なら平気そうだな)
 シドはあるべき運命にあらがわない気質のように見えた。そのきっかけは彼がシズカのことを「天意を有する者」だと見做したことにある。
(お天道さまの意志、ねえ……)
 かつてはあったのかもしれない。シズカが現在通うメディニでは、自分の事跡が伝説と化している。その伝説を人々が当たり前のごとく後世に伝えていく様子からは、自分の行動はそうあるべくして起きたことのように思えた。
(ま、おれの好きなようにやってくだけさ)
 その自由意思はいまも過去も変わらない。ちがいは、行動が周囲に可視化されているかいないか程度の差だ。天意の有無も、他者が評価するしないによって変わる程度の、うつろうものではないかとシズカは思った。

タグ:拓馬
posted by 三利実巳 at 02:50 | Comment(0) | 長編拓馬 
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