新規記事の投稿を行うことで、非表示にすることが可能です。
2018年09月12日
拓馬篇−終章6 ★
話がまとまってきた。拓馬はほかに聞くことが思いつかなくなり、隣りの女子に会話の主導権を視線でゆずる。ヤマダは彼女に見えないはずの猫に視線をやっている。
「あとは……美弥ちゃんのことだね」
「須坂のこと? 先生が尾行してた理由は聞いたろ」
「わたしたちは納得したけど、美弥ちゃんはそうじゃないでしょ?」
ヤマダ拓馬と目線を合わせる。
「自分を守ってた人が先生だと知らないままじゃ、モヤモヤがのこると思う」
言われればそうだと拓馬は共感する。須坂は大男の素性を知りたがっていたのに、わからずじまいでいる。知れるものなら知っておきたいと、本人は思うはずだ。ただし、ありのままに話しても理解されない。
「でも、あいつに変身や化け物のことを話しても……」
「信じないだろうね、きっと」
せっかく拓馬たちとの信頼をきずきつつある女子に、非現実的な真実を教えても彼女の混乱を招いてしまう──そのような考えから拓馬はヤマダに賛同できないでいた。
「だったら全部がぜんぶ、ホントのことを言わなくてもいいと思う」
「どういうウソをまぜるんだ?」
「先生と大男は別人ってことにする」
拓馬はさっきまでヤマダが見ていた窓辺を見る。ゆったりくつろぐ白黒の猫。これが彼女の発案に関係する存在だと察する。
「先生以外の変身できるやつが、大男に変装する?」
「うん、シズカさんの友だちに変身の得意な子がいるって、言ってたよね」
「ああ、いまここに猫がいる。そいつに化けてもらうか」
「それができるか、聞いてもらえる?」
ヤマダは拓馬とシドの顔色をうかがった。彼女は精神体の猫とは意志疎通がとれない。ヤマダの声は猫にとどくだろうが、猫の声は彼女に聞こえないのだ。
シドが「そのまえに決めたいことがあります」とさえぎる。
「いつ、スザカさんと会合するか、です」
「いま化け猫がいるんだ、ここですませたほうがいい」
「スザカさんにも都合があります。それに、我々の話し合いはいかがします?」
「俺はもうじゅうぶん聞けたと思うけど……お前は?」
ヤマダはメモ用紙をたたんで「今日はいいかな」と答える。
「いま必要なことはわかったから、ほかは時間があるときに聞く」
「あとは、だれがどう須坂にこの話を持ちかけるかだが……」
拓馬はヤマダの顔を見た。彼女なら須坂の連絡先を知っているかもしれないという期待がもてる。しかしヤマダははにかんで「いますぐはムリ」と言う。
「電話番号を教えてもらってないんだ」
「そうか……じゃ、だれかが直接言いに行くしかないか」
「わたしが行ってこようか? 美弥ちゃんの部屋は先生が知ってる──」
ヤマダが須坂の居室をたずねようとした。シドは「私が行きます」と提案する。
「私ならすぐに訪問できます。結果はエリーを介して貴女たちに伝えましょう」
「先生は足速いもんね。わかった、猫ちゃんの了解をとれたら、そうしよう」
拓馬は窓辺の猫を見た。老猫のまるい目が開く。
『シズカの同意は得た。わしがひと肌ぬごう』
老猫はすでにシズカに報告した。どういう方法で意志疎通をとったのか拓馬は知らないが、そこは無用な追究なので、話題にしない。
「急なこと言ってわるいな。だけどぶっつけ本番で大男に化けられるのか?」
『ちょいと見本を見せてもらいたい』
白黒の猫が言うとシドは「私の部屋ですこし練習しましょう」と返答し、席を立つ。彼が店を出ると猫は窓をすり抜けて、どこかへ消えた。猫が不在では拓馬らの会話は他者に聞かれてしまうおそれがある。拓馬は人に聞かれてもごまかしが利く会話を心がけようと思った。
テーブルには三人の少年少女がのこる。ヤマダはカップの茶を飲み干し、飲料をとりに行った。拓馬も冷茶を飲むが、替えを入れるほどの空きができなかったので座ったままでいる。会話にほとんど参加しなかった銀髪の少女を見てみると、彼女はにんじんジュースらしき橙色の飲料をストローでちびちび飲んでいた。人間には健康によい飲みものの一種だが、彼女らではその感覚が通用しない。
(飲み食いじゃ元気が出ないんだっけか)
その説明は彼女たちとは異なるタイプの異形が言っていた。存在の保持に用の為さないものをなぜ飲んでいるのか。疑問を感じた拓馬は単純な質問から攻める。
「なぁ、それって飲んでてうまいか?」
「たぶん、うまい。おみずでもいいけど」
「飲みものでも元気を補給できるのか?」
「ものによる。あわがでるもの、おもったよりよくなかった」
この店にある、泡が出る飲料──それは子どもに人気な炭酸飲料だと拓馬は思いつく。
「炭酸ジュースか……俺らが飲むと甘くてうまいんだけどな」
「ミカク、なんとなくわかる。でもゲンキがでるもののほうが、うまくかんじる」
「どういうものが先生たちの栄養になるんだろうな……」
「シズカ、そういうものつくってる」
エリーが指示語で述べているものは黒い丸薬だ。実際に服薬するのを拓馬はまぢかで見ている。
「あ、そういやシズカさんが先生とたたかうまえに薬のんでたっけ……あれでいいのか」
「うん。でも、いきものからホキュウするのがラク」
「逐一ねむらされるんじゃ、ちょっとしんどいんだけど……」
口下手な少女と話すうちにヤマダがもどってくる。彼女は温かい飲みもの用の陶器と冷たい飲みもの用のコップの二つを卓上に置いた。両方とも飲料が入っている。
「エリーとなに話してたの?」
「飲みものを飲んでも元気がでるのか聞いてた」
「先生が言うには、気休めくらいの効果だってさ。あんまりあてにできないみたい」
ヤマダの知識量が拓馬にまさっている。シドが人外であることは同時に知ったはずなのに、どのタイミングで聞きだしたのか。
「いつ聞いたんだ?」
「わたしたちがはやく店にきてたでしょ。そのとき」
「俺がくるまえ、か」
「ドリンクの注文をしたついでに、気になってたことを聞いたの。先生はよく学校でコーヒー飲んでるから」
シドは食事をしないが、コーヒーだけは飲む。普通のコーヒーが彼の活動源になるとは思えないのだが。
「コーヒーも気休めか?」
「うん、あとは人らしく見せる偽装もかねてるって」
「そういうもんか……やっぱお前がちょくちょく睡眠過多になるっきゃないか」
「そこんとこはまかせて。先生とエリーを餓死させないようにかんばる」
健康体なヤマダの睡眠時間を増やしても、彼女にはなんのメリットもない。そのことを拓馬は気兼ねする。
「どうせなら不眠症な人にやってくれりゃ、いいことだらけなんだが」
「ねむれてない人をみきわめるの、むずかしそうだね」
拓馬とヤマダが話しだすとやはり銀髪の少女はだまった。こちらから話題をふらぬかぎり、傍聴に徹するつもりらしい。その双眸は緑であったはずだが、片方が青に変色している。
「スザカがこっちにくるんだって」
聞き役にまわっていた少女が告げた。拓馬たちに伝えるよう、シドに指示されたとおぼしい。
「え……先生がそう言ってる?」
「うん」
両者は通信機器なく連絡をとれている。おそらく老猫がシズカと即時通話していたのと同じような手段だ。拓馬は周囲の注目がないことを確認したのち、その特殊能力について話す。
「便利な力だな。だれとでもできるのか?」
「なかま、みんなとだいたいできる」
「目の色が変わるのは、先生と話すのと関係ある?」
「これ、シドとれんらくすると、そうなる」
話者の片割れの姿に変化があるのなら、その片割れもまた同じ変化が起きるのでは──その可能性はひとつの謎を解決できる。
「先生も、そんな体質か?」
「そう」
「だからサングラスをかけるのか?」
「それもある」
エリーの片目が緑にもどる。これが電話でいう受話器を置いた状態だろう。彼らの特性を知ったヤマダが「なるほど」と得心する。
「『青い目はめずらしがられるから』って理由だけじゃないと思ってたよ。黄色いサングラスのほうがよっぽど目立つもん」
「だいたい、人目につくのがイヤなら髪を無難な色に変えるだろうしな……」
「なんで銀髪のままでいたの?」
拓馬と気持ちを同じくしたヤマダがエリーにたずねた。銀髪の少女は拓馬たちが取り沙汰しなかった褐色の手の甲を見る。
「みため、あんまりかえたくなかった」
「あるじさんが想像した姿を、大切にしてるの?」
「うん、でもそのままだとこわがられるから、もっとセンセイらしいかっこうにした」
「その参考元って、もしかしてうちの高校の教師?」
ヤマダは唐突な推測を打ち出した。拓馬は彼女の予想に該当する人物がまったく思い出せない。だがエリーは「よくしってるね」と肯定する。
「たまたま、おなじ学校のひとだったんだって」
「へー、そうなの」
女子二人は共通の人物を想定しているが、拓馬はさっぱりわからない。
「だれのこと言ってんだ?」
「あ、タッちゃんは知らない? 去年の一学期は学校にいた人なんだけど」
「本当に先生みたいな外見の人、いたか?」
「体格と顔は似てるよ。八巻(やまき)っていうんだけどね」
「ぜんぜんおぼえてないな……」
「上級生の授業を担当してたから、一年生だと会う機会があまりなかったね。そのうち学校にもどってくるらしいよ。そのときに教える」
「そもそもなんで学校を休んでるんだ?」
「大ケガしちゃって、休職したんだって。その人がぬけた穴をヤス先生が埋めてる……てのもちょっとちがうか。休んでる教師の代わりをほかの先生がやるから、その先生がやってたことをヤス先生にまかせてある」
去年の二学期から拓馬たちの社会科の担当が変更されていた。もともとの担当は以後上級生の授業を受け持つようになり、不在となった下級生向けに新人の教師が就任した。
「じゃ、社会科の先生か。一年ちかくも休むって、どれだけヒドいケガしたんだ?」
「それが今年、病院でまた大ケガしちゃったせいで治療が長引いたんだって。ツイてないよね」
「病院で、どうケガするんだ……?」
「なんか院内の古い銅像がたおれて、その下敷きになって、足を骨折したとか」
「そら不運だな……」
その経緯をヤマダがなぜ知ったのか気になるところだが、拓馬の疑問は直後にかき消された。三人がいる卓上に、大きな手がどんと乗る。だれがきたのかと見上げてみると、闇夜で出会った男に似た人物がいた。
つばの広い帽子を被った男が拓馬たちを見下ろした。かつて目元を隠していたサングラスはなく、顔がよく見える。それは拓馬が老猫の見せた幻影で登場した、無名の男にとても似ている。
「あんた、あの猫の……」
「ちゃんと化けておろう?」
声自体は老猫のものだ。二十歳程度の若い顔つきには似合わぬ口調でいる。その落差がはげしいようでいて、肩にかかる銀色の長髪とは無性に合う雰囲気もあった。
「あとは……美弥ちゃんのことだね」
「須坂のこと? 先生が尾行してた理由は聞いたろ」
「わたしたちは納得したけど、美弥ちゃんはそうじゃないでしょ?」
ヤマダ拓馬と目線を合わせる。
「自分を守ってた人が先生だと知らないままじゃ、モヤモヤがのこると思う」
言われればそうだと拓馬は共感する。須坂は大男の素性を知りたがっていたのに、わからずじまいでいる。知れるものなら知っておきたいと、本人は思うはずだ。ただし、ありのままに話しても理解されない。
「でも、あいつに変身や化け物のことを話しても……」
「信じないだろうね、きっと」
せっかく拓馬たちとの信頼をきずきつつある女子に、非現実的な真実を教えても彼女の混乱を招いてしまう──そのような考えから拓馬はヤマダに賛同できないでいた。
「だったら全部がぜんぶ、ホントのことを言わなくてもいいと思う」
「どういうウソをまぜるんだ?」
「先生と大男は別人ってことにする」
拓馬はさっきまでヤマダが見ていた窓辺を見る。ゆったりくつろぐ白黒の猫。これが彼女の発案に関係する存在だと察する。
「先生以外の変身できるやつが、大男に変装する?」
「うん、シズカさんの友だちに変身の得意な子がいるって、言ってたよね」
「ああ、いまここに猫がいる。そいつに化けてもらうか」
「それができるか、聞いてもらえる?」
ヤマダは拓馬とシドの顔色をうかがった。彼女は精神体の猫とは意志疎通がとれない。ヤマダの声は猫にとどくだろうが、猫の声は彼女に聞こえないのだ。
シドが「そのまえに決めたいことがあります」とさえぎる。
「いつ、スザカさんと会合するか、です」
「いま化け猫がいるんだ、ここですませたほうがいい」
「スザカさんにも都合があります。それに、我々の話し合いはいかがします?」
「俺はもうじゅうぶん聞けたと思うけど……お前は?」
ヤマダはメモ用紙をたたんで「今日はいいかな」と答える。
「いま必要なことはわかったから、ほかは時間があるときに聞く」
「あとは、だれがどう須坂にこの話を持ちかけるかだが……」
拓馬はヤマダの顔を見た。彼女なら須坂の連絡先を知っているかもしれないという期待がもてる。しかしヤマダははにかんで「いますぐはムリ」と言う。
「電話番号を教えてもらってないんだ」
「そうか……じゃ、だれかが直接言いに行くしかないか」
「わたしが行ってこようか? 美弥ちゃんの部屋は先生が知ってる──」
ヤマダが須坂の居室をたずねようとした。シドは「私が行きます」と提案する。
「私ならすぐに訪問できます。結果はエリーを介して貴女たちに伝えましょう」
「先生は足速いもんね。わかった、猫ちゃんの了解をとれたら、そうしよう」
拓馬は窓辺の猫を見た。老猫のまるい目が開く。
『シズカの同意は得た。わしがひと肌ぬごう』
老猫はすでにシズカに報告した。どういう方法で意志疎通をとったのか拓馬は知らないが、そこは無用な追究なので、話題にしない。
「急なこと言ってわるいな。だけどぶっつけ本番で大男に化けられるのか?」
『ちょいと見本を見せてもらいたい』
白黒の猫が言うとシドは「私の部屋ですこし練習しましょう」と返答し、席を立つ。彼が店を出ると猫は窓をすり抜けて、どこかへ消えた。猫が不在では拓馬らの会話は他者に聞かれてしまうおそれがある。拓馬は人に聞かれてもごまかしが利く会話を心がけようと思った。
テーブルには三人の少年少女がのこる。ヤマダはカップの茶を飲み干し、飲料をとりに行った。拓馬も冷茶を飲むが、替えを入れるほどの空きができなかったので座ったままでいる。会話にほとんど参加しなかった銀髪の少女を見てみると、彼女はにんじんジュースらしき橙色の飲料をストローでちびちび飲んでいた。人間には健康によい飲みものの一種だが、彼女らではその感覚が通用しない。
(飲み食いじゃ元気が出ないんだっけか)
その説明は彼女たちとは異なるタイプの異形が言っていた。存在の保持に用の為さないものをなぜ飲んでいるのか。疑問を感じた拓馬は単純な質問から攻める。
「なぁ、それって飲んでてうまいか?」
「たぶん、うまい。おみずでもいいけど」
「飲みものでも元気を補給できるのか?」
「ものによる。あわがでるもの、おもったよりよくなかった」
この店にある、泡が出る飲料──それは子どもに人気な炭酸飲料だと拓馬は思いつく。
「炭酸ジュースか……俺らが飲むと甘くてうまいんだけどな」
「ミカク、なんとなくわかる。でもゲンキがでるもののほうが、うまくかんじる」
「どういうものが先生たちの栄養になるんだろうな……」
「シズカ、そういうものつくってる」
エリーが指示語で述べているものは黒い丸薬だ。実際に服薬するのを拓馬はまぢかで見ている。
「あ、そういやシズカさんが先生とたたかうまえに薬のんでたっけ……あれでいいのか」
「うん。でも、いきものからホキュウするのがラク」
「逐一ねむらされるんじゃ、ちょっとしんどいんだけど……」
口下手な少女と話すうちにヤマダがもどってくる。彼女は温かい飲みもの用の陶器と冷たい飲みもの用のコップの二つを卓上に置いた。両方とも飲料が入っている。
「エリーとなに話してたの?」
「飲みものを飲んでも元気がでるのか聞いてた」
「先生が言うには、気休めくらいの効果だってさ。あんまりあてにできないみたい」
ヤマダの知識量が拓馬にまさっている。シドが人外であることは同時に知ったはずなのに、どのタイミングで聞きだしたのか。
「いつ聞いたんだ?」
「わたしたちがはやく店にきてたでしょ。そのとき」
「俺がくるまえ、か」
「ドリンクの注文をしたついでに、気になってたことを聞いたの。先生はよく学校でコーヒー飲んでるから」
シドは食事をしないが、コーヒーだけは飲む。普通のコーヒーが彼の活動源になるとは思えないのだが。
「コーヒーも気休めか?」
「うん、あとは人らしく見せる偽装もかねてるって」
「そういうもんか……やっぱお前がちょくちょく睡眠過多になるっきゃないか」
「そこんとこはまかせて。先生とエリーを餓死させないようにかんばる」
健康体なヤマダの睡眠時間を増やしても、彼女にはなんのメリットもない。そのことを拓馬は気兼ねする。
「どうせなら不眠症な人にやってくれりゃ、いいことだらけなんだが」
「ねむれてない人をみきわめるの、むずかしそうだね」
拓馬とヤマダが話しだすとやはり銀髪の少女はだまった。こちらから話題をふらぬかぎり、傍聴に徹するつもりらしい。その双眸は緑であったはずだが、片方が青に変色している。
「スザカがこっちにくるんだって」
聞き役にまわっていた少女が告げた。拓馬たちに伝えるよう、シドに指示されたとおぼしい。
「え……先生がそう言ってる?」
「うん」
両者は通信機器なく連絡をとれている。おそらく老猫がシズカと即時通話していたのと同じような手段だ。拓馬は周囲の注目がないことを確認したのち、その特殊能力について話す。
「便利な力だな。だれとでもできるのか?」
「なかま、みんなとだいたいできる」
「目の色が変わるのは、先生と話すのと関係ある?」
「これ、シドとれんらくすると、そうなる」
話者の片割れの姿に変化があるのなら、その片割れもまた同じ変化が起きるのでは──その可能性はひとつの謎を解決できる。
「先生も、そんな体質か?」
「そう」
「だからサングラスをかけるのか?」
「それもある」
エリーの片目が緑にもどる。これが電話でいう受話器を置いた状態だろう。彼らの特性を知ったヤマダが「なるほど」と得心する。
「『青い目はめずらしがられるから』って理由だけじゃないと思ってたよ。黄色いサングラスのほうがよっぽど目立つもん」
「だいたい、人目につくのがイヤなら髪を無難な色に変えるだろうしな……」
「なんで銀髪のままでいたの?」
拓馬と気持ちを同じくしたヤマダがエリーにたずねた。銀髪の少女は拓馬たちが取り沙汰しなかった褐色の手の甲を見る。
「みため、あんまりかえたくなかった」
「あるじさんが想像した姿を、大切にしてるの?」
「うん、でもそのままだとこわがられるから、もっとセンセイらしいかっこうにした」
「その参考元って、もしかしてうちの高校の教師?」
ヤマダは唐突な推測を打ち出した。拓馬は彼女の予想に該当する人物がまったく思い出せない。だがエリーは「よくしってるね」と肯定する。
「たまたま、おなじ学校のひとだったんだって」
「へー、そうなの」
女子二人は共通の人物を想定しているが、拓馬はさっぱりわからない。
「だれのこと言ってんだ?」
「あ、タッちゃんは知らない? 去年の一学期は学校にいた人なんだけど」
「本当に先生みたいな外見の人、いたか?」
「体格と顔は似てるよ。八巻(やまき)っていうんだけどね」
「ぜんぜんおぼえてないな……」
「上級生の授業を担当してたから、一年生だと会う機会があまりなかったね。そのうち学校にもどってくるらしいよ。そのときに教える」
「そもそもなんで学校を休んでるんだ?」
「大ケガしちゃって、休職したんだって。その人がぬけた穴をヤス先生が埋めてる……てのもちょっとちがうか。休んでる教師の代わりをほかの先生がやるから、その先生がやってたことをヤス先生にまかせてある」
去年の二学期から拓馬たちの社会科の担当が変更されていた。もともとの担当は以後上級生の授業を受け持つようになり、不在となった下級生向けに新人の教師が就任した。
「じゃ、社会科の先生か。一年ちかくも休むって、どれだけヒドいケガしたんだ?」
「それが今年、病院でまた大ケガしちゃったせいで治療が長引いたんだって。ツイてないよね」
「病院で、どうケガするんだ……?」
「なんか院内の古い銅像がたおれて、その下敷きになって、足を骨折したとか」
「そら不運だな……」
その経緯をヤマダがなぜ知ったのか気になるところだが、拓馬の疑問は直後にかき消された。三人がいる卓上に、大きな手がどんと乗る。だれがきたのかと見上げてみると、闇夜で出会った男に似た人物がいた。
つばの広い帽子を被った男が拓馬たちを見下ろした。かつて目元を隠していたサングラスはなく、顔がよく見える。それは拓馬が老猫の見せた幻影で登場した、無名の男にとても似ている。
「あんた、あの猫の……」
「ちゃんと化けておろう?」
声自体は老猫のものだ。二十歳程度の若い顔つきには似合わぬ口調でいる。その落差がはげしいようでいて、肩にかかる銀色の長髪とは無性に合う雰囲気もあった。
タグ:拓馬
【このカテゴリーの最新記事】
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
2018年09月06日
拓馬篇−終章5 ★
「先生が大男の格好で須坂の周りをうろついてたワケはなんだ?」
拓馬は考え中らしき教師に問う。
「俺はてっきり、須坂がねらわれてるもんだと思ってた。俺らが最初に異変に気付いたのも、須坂絡みの事件だったろ」
まだ相手は顔をこちらに向けてくれないので、自分の考えをさきに述べる。
「あれはなんのために起こしてた騒ぎなんだ? さんざん騒がせておいて、ねらいが俺らじゃないと油断させるブラフだったのか?」
目くらましのために余計な事件を起こしていた、とあっては完全なる被害者な須坂に申し訳が立たない。その思考のもと、拓馬はシドをにらみつけた。シドがようやく拓馬を見る。
「……特別な意味はありません。私はスザカさんと同じ、校長が管理するアパートに住んでいます。もともと彼女の見守りを校長から依頼されていたので、暗い時分に彼女が外出する際、こっそり後を追いました。万一、スザカさんに私が尾行していると知られれば学校生活に支障があるかと思いまして、大男の形態に変身していたのです」
騒動の大きさのわりに動機は至極まともだ。その落差に拓馬は拍子抜けした。
「え……校長の指示を守ってただけ?」
「はい、貴方たちに注目されるつもりはありませんでした」
「成石をたおしたのも、須坂を守るためか?」
「私の早合点でした。故意に彼女に接近する少年が同じ学校の生徒だと思わず、不良とばかり」
須坂の周辺で起きた事件はシドの予定にない事態だった。教師の職務を果たそうとするあまりの出来事だと知り、拓馬はこの真面目が過ぎる教師にあきれる。
「んな就業時間外のことを熱心にやらなくたって……」
「校長の機嫌はとっておきたかったですし、私個人としてもスザカさんたちには同情の余地があったので」
「須坂のお姉さんのことも、聞いてたのか?」
「はい、校長からひそかに教えていただきました」
これで辻褄はいろいろと合った。しかし謎はまだある。
「須坂の護衛をしてたせいで、シズカさんに身元がバレたんだ。やめようとは思わなかったのか?」
「はじめはまずいと思いました。オヤマダさんの近辺にシズカさんの見張りがつくと、私の活動を継続する補給源が絶たれましたし……」
「補給源って、やっぱりヤマダから夜な夜な力をうばってたわけか」
「そうです。一言断っておきますと、嫁に行けなくなるようなことはしていません。安心してください」
エリーが「なでなでしたりぎゅーっとしたり」とシドの腰に両腕を回した。ヤマダが顔を赤くする。彼女は自身の指を突き合わせて、しゃべらない。恥ずかしがっている彼女に代わり、拓馬がシズカから知りえた疑問を投げる。
「力を補給するには、異界にもどるのがいいんだってシズカさんは言ってたぞ。どうして帰らなかったんだ?」
「双方の世界では時間の流れが異なります。たった数分あちらで過ごしてもこちらでは数日経つかもしれず、教師になった以後はその回復手段を乱用できませんでした」
「じゃあ先生が向こうに行ってる間に、こっちで無断欠勤するかもしれねえってわけか」
「そうです。抜け道はありますがね」
「どんな?」
「こちらの生き物を異界へ連れてもどるときは時間が経過しないようです。これは十回以上の試行がどれも該当したのでまちがいないかと」
試行──つまり異界へ連れて行かれた者がいるということだ。
「え、なにを連れてったんだ?」
「直近の事例ですと、オダギリさんが該当します。それ以前にも私がこの土地へ移るまえにいた地区で同じ犯行を繰り返しました。そのときにシズカさんに目をつけられまして、活動場所を変えたのです」
「えっと、その金髪以外にもこっちの被害者がいるってこと?」
「はい、そちらはすでにシズカさんが復帰させたそうです。被害者がトラウマになりうる記憶は封じたそうですし、今後私が被害者たちに接触しなければ、とどこおりなく生活をつづけられるかと思います」
「そっちの被害は、警察としちゃ罪に問えないのか?」
「証拠がなにもないので、どうしようもないそうです。なにか詫びる方法があればよいのですが、被害者が私と関わると悲惨な記憶がもどりかねないため、そっとしておくべきだとシズカさんに忠告されました」
「そうか……ほっとくのがいちばんいいんだな」
すでに日常を取りもどした人々にいらぬ節介は出せない。拓馬はこれで質問をおえた。
気を持ちなおしたヤマダが「えーと」と声を出す。
「先生がわたしをねらったきっかけはなに?」
その問いは拓馬たちがあらゆる騒動に巻きこまれた原点にあたる。それが話し合いのはじめに出なかったのは、自分たちのこと以上に気がかりな事情が山積みになっていたせいだ。
「わざわざ危険を冒して、高校に赴任するめんどうな手続きもやって、長い時間を教師でいて……それだけの価値がある力なんだろうけど、どうしてわたしがその力をもってるとわかったの?」
「この時計を使いました」
シドが懐中時計を出した。それは拓馬が偽の体育館内で見かけたものだ。その場ではヤマダが見ていなかったはずだが、ヤマダは「あ、それ……」と反応した。拓馬の知らない経緯が二人にはある。
「ためしに一度、ネギシさんが時計の蓋を開けてみてください」
「ああ、いいよ」
拓馬は懐中時計の側面のでっぱりを指で押した。部品はびくともしない。指先が白っぽくなるほど力をこめてみたが、なにも変わらなかった。これは異空間内にあった、開かない机の引き出しやクイズの木箱と同じ現象だ。
「開かないね……」
とつぶやくヤマダに、拓馬は手中の時計を渡した。一般人ではこうなる、という手本を見せる役目はおわったのだ。
「この時計の蓋を、また開けてもらえますか」
「うん……」
ヤマダは拓馬と同じ手順をふみ、簡単に蓋を開けた。あらわれた盤面の針は現在時刻でない時を指し示している。それを見たヤマダは懐かしそうに、ややさびしそうに眉を下げた。シドは不可思議な現象を解説する。
「私の試験は単純明快。術のかかった道具に試験者がさわり、術効果をなくせば合格でした」
「普通の人は、開けられないわけね」
「はい。この試験に合格した者の多くは……私が対象との接触に手間取ったり、満足な術をかけていなかったりして、術効果がきれた状態でふれた人ばかりでした」
「それ、わかっててやってたの?」
冷静沈着な男性が微量のうろたえを見せた。言外から想像しうる指摘におどろいている。
「……試験に意味がない、ということですか?」
「うん、先生の話を聞いてるとね、そうやってたまたま運がわるかった人をえらんでた、って感じがした」
ヤマダがうつむき、うっすら口角をあげる。
「先生は……やっぱり気がすすまなかったみたいだね」
彼女は時計のふちをなで、その盤面を見つめる。
「試験なんてせずに、手当たり次第連れていっちゃえばいいのに……なにか理由をつけて、すこしでも被害者をへらそうとしてた……学校の教師になったのも、牛歩戦術みたいな結果の引き伸ばし目当てだったんじゃないかな?」
「そう、ですね……私は主命にさからえもせず、順調に使命をまっとうしようともしませんでした」
「あるじさんはよく文句を言わなかったね」
「信頼を、されていました。おそらく、同胞の中で一番に……」
シドは左手にはめた指輪を外し、卓上の中央に置く。
「この指輪は模倣でつくったものですが……もとの世界では、主が私に大男の姿を与えたのと同時にお渡しになったものです。あの方が多量の力を分け、このような装飾品を贈った亡人は、私だけだと思います。うぬぼれかもしれませんが、私はあの方にとても目をかけられていたようです」
「いちばん、愛されてたんだ?」
ヤマダがくだけた表現をすると、語り手はやさしい顔つきになる。
「私は、そう思っています。だから、主の思いに、応えようとしていました」
自分が慕う者から期待されている──その自信が、彼の心にそぐわぬ行為を推進させていったらしい。
(けなげ、だな……)
つくづく、仕える主人が穏当な性格であればこんなことにならなかった、という残念さが拓馬の胸にこみあげてくる。
「それで、そのあるじってやつの命令は無視していても、先生は平気なのか?」
相手が答えにくいことだと承知のうえで、拓馬はたずねた。主人への反意をいだく者は意外にも快活な笑みを見せる。
「心苦しくはあります。ですが、主命を遂行することにも同等の苦しみを感じます。でしたら、ちがう試みをしていってもよいと思うのです」
「事がバレて、あるじに怒られても、先生は傷つかないか?」
「わかりません。ただ……貴方たち人間が傷つくこととくらべたら、微々たる損害です」
「ずいぶん人間びいきな考えだな……」
「この世界に長く滞在した影響ですね。主や同胞と距離をへだてた活動をして……価値観が変わってきました。私のすべてだと思っていた仲間たちがいなくとも、私は私として成り立っている、と……」
卓上の指輪が持ち主の指へもどる。その指輪は彼と主を精神的につなぐものだ。それがあるかぎり、シドは同胞と完全に縁を切るつもりはないのだと知れる。
「自分は自分、と思ってても、指輪をなくそうとは思わないんだな」
「はい。私は主を見捨てるつもりはありません。ともに納得のいく生き方をさぐりたいと考えています」
「それって、先生があるじと正直に話し合うってことか?」
「そのつもりです」
おそらく成否を一度で決めねばならぬ議論だ。相手は人間の死に無頓着な者。その感覚は仲間であっても共通する危険がある。忠実な手下が自身の欲求を果たさなくなったと知った時、切り捨てにかかるかもしれない。その未来を感じ取った拓馬は遠回しに会話を継続する。
「……いつごろの話になる?」
「オダギリさんの件が落ち着いたあと、としか、いまは言えません」
「そっか……まあそうだよな」
「私が主と会うときは貴方たちにも伝えましょうか?」
「そうしてほしい。そうすりゃ、先生に万一のことがあって、こっちにもどれなくなっても……あきらめはつくから」
これまでまともな意志疎通をはかってこなかった二人のことゆえに、話し合いが穏便にいくとは拓馬には思えなかった。その不安がシドにも伝わったらしく、彼は神妙に自身の指輪を見つめる。
「私の告白によって、主は心をゆさぶられるでしょう。その後の展開は、予想がつきません。逆上して、私の抹殺を同胞に命じるか……悲嘆して、主がご自身や同胞の存在を消滅しようとするか……そのとき、私は、こちらの世界にこなくなるかもしれません」
「ああ……そうならない、って保証がないからな……」
「なるべく早くに主を説得しようかと思っていましたが、慎重にそなえたほうがよさそうですね」
早期に暴挙を止める必要があるのもたしかだ。いらぬ心配をあおったかもしれない、と拓馬は若干の悔いを感じた。
「大事なことを気付かせてくれて、ありがとうございます」
「あ、でも、あんまりのんびりしてるのもな……」
「はい、こうしている間にも、私以外の同胞が人をおそうかもしれませんからね。それは念頭に置いておきます」
「いまは金髪の復帰が優先、だな」
「そうです。私が罪滅ぼしをさせてもらえる、数少ない被害者ですから。貴方たちにも報いる方法があればよいのですが……なにか希望はありますか?」
ようやく拓馬たちへの謝罪の念がはっきりと話題にのぼった。拓馬は満を持して「とくにない」と言い放つ。
「先生がやろうとしてることを、きっちりやってくれればいいよ」
「欲がないですね……オヤマダさんはどうです?」
「わたしは……先生の用事がないときでいいんだけど、稽古をつけてほしい」
ヤマダは大真面目だ。あらゆる武術をたしなむという男性は「武術の、ですか?」と確認した。ヤマダがこっくりうなずく。
「うん、やっぱね、わたしよわっちいもん。もうちょっと先生相手にねばれるようになりたい」
「最終目標は私に勝つことですか?」
「それはムリだね。だって寿命がたりないじゃない」
ヤマダは笑顔で答えた。対するシドは「そんなことはありません」と真顔で言う。
「貴女も異界で鍛錬すればよいのです。あちらにいる間はこちらの時間がすすまないはずですから」
「えー、わたしがあっちに?」
「イヤですか」
「イヤじゃないよ。先生といっしょならどこでも行ける。でもわたしはあぶない力をもってるのに、行っていいの?」
「いますぐ、は不安ですね。もうすこし、自衛の手段を体得したあとにしましょう」
予想外にヤマダの異界行きが決まった。拓馬は大丈夫かと案じるかたわら、精神体の異界の生き物が見えない彼女にはちょうどよい体験だとも思う。
(そのついでにシズカさんの猫みたいな仲間ができりゃ、安泰だな)
ヤマダは人外が見えないのに人外に好かれる体質だ。こちらの世界にとどまるかぎり、本当の意味での自衛は不可能。拓馬は二人の決定をだまって了承した。
拓馬は考え中らしき教師に問う。
「俺はてっきり、須坂がねらわれてるもんだと思ってた。俺らが最初に異変に気付いたのも、須坂絡みの事件だったろ」
まだ相手は顔をこちらに向けてくれないので、自分の考えをさきに述べる。
「あれはなんのために起こしてた騒ぎなんだ? さんざん騒がせておいて、ねらいが俺らじゃないと油断させるブラフだったのか?」
目くらましのために余計な事件を起こしていた、とあっては完全なる被害者な須坂に申し訳が立たない。その思考のもと、拓馬はシドをにらみつけた。シドがようやく拓馬を見る。
「……特別な意味はありません。私はスザカさんと同じ、校長が管理するアパートに住んでいます。もともと彼女の見守りを校長から依頼されていたので、暗い時分に彼女が外出する際、こっそり後を追いました。万一、スザカさんに私が尾行していると知られれば学校生活に支障があるかと思いまして、大男の形態に変身していたのです」
騒動の大きさのわりに動機は至極まともだ。その落差に拓馬は拍子抜けした。
「え……校長の指示を守ってただけ?」
「はい、貴方たちに注目されるつもりはありませんでした」
「成石をたおしたのも、須坂を守るためか?」
「私の早合点でした。故意に彼女に接近する少年が同じ学校の生徒だと思わず、不良とばかり」
須坂の周辺で起きた事件はシドの予定にない事態だった。教師の職務を果たそうとするあまりの出来事だと知り、拓馬はこの真面目が過ぎる教師にあきれる。
「んな就業時間外のことを熱心にやらなくたって……」
「校長の機嫌はとっておきたかったですし、私個人としてもスザカさんたちには同情の余地があったので」
「須坂のお姉さんのことも、聞いてたのか?」
「はい、校長からひそかに教えていただきました」
これで辻褄はいろいろと合った。しかし謎はまだある。
「須坂の護衛をしてたせいで、シズカさんに身元がバレたんだ。やめようとは思わなかったのか?」
「はじめはまずいと思いました。オヤマダさんの近辺にシズカさんの見張りがつくと、私の活動を継続する補給源が絶たれましたし……」
「補給源って、やっぱりヤマダから夜な夜な力をうばってたわけか」
「そうです。一言断っておきますと、嫁に行けなくなるようなことはしていません。安心してください」
エリーが「なでなでしたりぎゅーっとしたり」とシドの腰に両腕を回した。ヤマダが顔を赤くする。彼女は自身の指を突き合わせて、しゃべらない。恥ずかしがっている彼女に代わり、拓馬がシズカから知りえた疑問を投げる。
「力を補給するには、異界にもどるのがいいんだってシズカさんは言ってたぞ。どうして帰らなかったんだ?」
「双方の世界では時間の流れが異なります。たった数分あちらで過ごしてもこちらでは数日経つかもしれず、教師になった以後はその回復手段を乱用できませんでした」
「じゃあ先生が向こうに行ってる間に、こっちで無断欠勤するかもしれねえってわけか」
「そうです。抜け道はありますがね」
「どんな?」
「こちらの生き物を異界へ連れてもどるときは時間が経過しないようです。これは十回以上の試行がどれも該当したのでまちがいないかと」
試行──つまり異界へ連れて行かれた者がいるということだ。
「え、なにを連れてったんだ?」
「直近の事例ですと、オダギリさんが該当します。それ以前にも私がこの土地へ移るまえにいた地区で同じ犯行を繰り返しました。そのときにシズカさんに目をつけられまして、活動場所を変えたのです」
「えっと、その金髪以外にもこっちの被害者がいるってこと?」
「はい、そちらはすでにシズカさんが復帰させたそうです。被害者がトラウマになりうる記憶は封じたそうですし、今後私が被害者たちに接触しなければ、とどこおりなく生活をつづけられるかと思います」
「そっちの被害は、警察としちゃ罪に問えないのか?」
「証拠がなにもないので、どうしようもないそうです。なにか詫びる方法があればよいのですが、被害者が私と関わると悲惨な記憶がもどりかねないため、そっとしておくべきだとシズカさんに忠告されました」
「そうか……ほっとくのがいちばんいいんだな」
すでに日常を取りもどした人々にいらぬ節介は出せない。拓馬はこれで質問をおえた。
気を持ちなおしたヤマダが「えーと」と声を出す。
「先生がわたしをねらったきっかけはなに?」
その問いは拓馬たちがあらゆる騒動に巻きこまれた原点にあたる。それが話し合いのはじめに出なかったのは、自分たちのこと以上に気がかりな事情が山積みになっていたせいだ。
「わざわざ危険を冒して、高校に赴任するめんどうな手続きもやって、長い時間を教師でいて……それだけの価値がある力なんだろうけど、どうしてわたしがその力をもってるとわかったの?」
「この時計を使いました」
シドが懐中時計を出した。それは拓馬が偽の体育館内で見かけたものだ。その場ではヤマダが見ていなかったはずだが、ヤマダは「あ、それ……」と反応した。拓馬の知らない経緯が二人にはある。
「ためしに一度、ネギシさんが時計の蓋を開けてみてください」
「ああ、いいよ」
拓馬は懐中時計の側面のでっぱりを指で押した。部品はびくともしない。指先が白っぽくなるほど力をこめてみたが、なにも変わらなかった。これは異空間内にあった、開かない机の引き出しやクイズの木箱と同じ現象だ。
「開かないね……」
とつぶやくヤマダに、拓馬は手中の時計を渡した。一般人ではこうなる、という手本を見せる役目はおわったのだ。
「この時計の蓋を、また開けてもらえますか」
「うん……」
ヤマダは拓馬と同じ手順をふみ、簡単に蓋を開けた。あらわれた盤面の針は現在時刻でない時を指し示している。それを見たヤマダは懐かしそうに、ややさびしそうに眉を下げた。シドは不可思議な現象を解説する。
「私の試験は単純明快。術のかかった道具に試験者がさわり、術効果をなくせば合格でした」
「普通の人は、開けられないわけね」
「はい。この試験に合格した者の多くは……私が対象との接触に手間取ったり、満足な術をかけていなかったりして、術効果がきれた状態でふれた人ばかりでした」
「それ、わかっててやってたの?」
冷静沈着な男性が微量のうろたえを見せた。言外から想像しうる指摘におどろいている。
「……試験に意味がない、ということですか?」
「うん、先生の話を聞いてるとね、そうやってたまたま運がわるかった人をえらんでた、って感じがした」
ヤマダがうつむき、うっすら口角をあげる。
「先生は……やっぱり気がすすまなかったみたいだね」
彼女は時計のふちをなで、その盤面を見つめる。
「試験なんてせずに、手当たり次第連れていっちゃえばいいのに……なにか理由をつけて、すこしでも被害者をへらそうとしてた……学校の教師になったのも、牛歩戦術みたいな結果の引き伸ばし目当てだったんじゃないかな?」
「そう、ですね……私は主命にさからえもせず、順調に使命をまっとうしようともしませんでした」
「あるじさんはよく文句を言わなかったね」
「信頼を、されていました。おそらく、同胞の中で一番に……」
シドは左手にはめた指輪を外し、卓上の中央に置く。
「この指輪は模倣でつくったものですが……もとの世界では、主が私に大男の姿を与えたのと同時にお渡しになったものです。あの方が多量の力を分け、このような装飾品を贈った亡人は、私だけだと思います。うぬぼれかもしれませんが、私はあの方にとても目をかけられていたようです」
「いちばん、愛されてたんだ?」
ヤマダがくだけた表現をすると、語り手はやさしい顔つきになる。
「私は、そう思っています。だから、主の思いに、応えようとしていました」
自分が慕う者から期待されている──その自信が、彼の心にそぐわぬ行為を推進させていったらしい。
(けなげ、だな……)
つくづく、仕える主人が穏当な性格であればこんなことにならなかった、という残念さが拓馬の胸にこみあげてくる。
「それで、そのあるじってやつの命令は無視していても、先生は平気なのか?」
相手が答えにくいことだと承知のうえで、拓馬はたずねた。主人への反意をいだく者は意外にも快活な笑みを見せる。
「心苦しくはあります。ですが、主命を遂行することにも同等の苦しみを感じます。でしたら、ちがう試みをしていってもよいと思うのです」
「事がバレて、あるじに怒られても、先生は傷つかないか?」
「わかりません。ただ……貴方たち人間が傷つくこととくらべたら、微々たる損害です」
「ずいぶん人間びいきな考えだな……」
「この世界に長く滞在した影響ですね。主や同胞と距離をへだてた活動をして……価値観が変わってきました。私のすべてだと思っていた仲間たちがいなくとも、私は私として成り立っている、と……」
卓上の指輪が持ち主の指へもどる。その指輪は彼と主を精神的につなぐものだ。それがあるかぎり、シドは同胞と完全に縁を切るつもりはないのだと知れる。
「自分は自分、と思ってても、指輪をなくそうとは思わないんだな」
「はい。私は主を見捨てるつもりはありません。ともに納得のいく生き方をさぐりたいと考えています」
「それって、先生があるじと正直に話し合うってことか?」
「そのつもりです」
おそらく成否を一度で決めねばならぬ議論だ。相手は人間の死に無頓着な者。その感覚は仲間であっても共通する危険がある。忠実な手下が自身の欲求を果たさなくなったと知った時、切り捨てにかかるかもしれない。その未来を感じ取った拓馬は遠回しに会話を継続する。
「……いつごろの話になる?」
「オダギリさんの件が落ち着いたあと、としか、いまは言えません」
「そっか……まあそうだよな」
「私が主と会うときは貴方たちにも伝えましょうか?」
「そうしてほしい。そうすりゃ、先生に万一のことがあって、こっちにもどれなくなっても……あきらめはつくから」
これまでまともな意志疎通をはかってこなかった二人のことゆえに、話し合いが穏便にいくとは拓馬には思えなかった。その不安がシドにも伝わったらしく、彼は神妙に自身の指輪を見つめる。
「私の告白によって、主は心をゆさぶられるでしょう。その後の展開は、予想がつきません。逆上して、私の抹殺を同胞に命じるか……悲嘆して、主がご自身や同胞の存在を消滅しようとするか……そのとき、私は、こちらの世界にこなくなるかもしれません」
「ああ……そうならない、って保証がないからな……」
「なるべく早くに主を説得しようかと思っていましたが、慎重にそなえたほうがよさそうですね」
早期に暴挙を止める必要があるのもたしかだ。いらぬ心配をあおったかもしれない、と拓馬は若干の悔いを感じた。
「大事なことを気付かせてくれて、ありがとうございます」
「あ、でも、あんまりのんびりしてるのもな……」
「はい、こうしている間にも、私以外の同胞が人をおそうかもしれませんからね。それは念頭に置いておきます」
「いまは金髪の復帰が優先、だな」
「そうです。私が罪滅ぼしをさせてもらえる、数少ない被害者ですから。貴方たちにも報いる方法があればよいのですが……なにか希望はありますか?」
ようやく拓馬たちへの謝罪の念がはっきりと話題にのぼった。拓馬は満を持して「とくにない」と言い放つ。
「先生がやろうとしてることを、きっちりやってくれればいいよ」
「欲がないですね……オヤマダさんはどうです?」
「わたしは……先生の用事がないときでいいんだけど、稽古をつけてほしい」
ヤマダは大真面目だ。あらゆる武術をたしなむという男性は「武術の、ですか?」と確認した。ヤマダがこっくりうなずく。
「うん、やっぱね、わたしよわっちいもん。もうちょっと先生相手にねばれるようになりたい」
「最終目標は私に勝つことですか?」
「それはムリだね。だって寿命がたりないじゃない」
ヤマダは笑顔で答えた。対するシドは「そんなことはありません」と真顔で言う。
「貴女も異界で鍛錬すればよいのです。あちらにいる間はこちらの時間がすすまないはずですから」
「えー、わたしがあっちに?」
「イヤですか」
「イヤじゃないよ。先生といっしょならどこでも行ける。でもわたしはあぶない力をもってるのに、行っていいの?」
「いますぐ、は不安ですね。もうすこし、自衛の手段を体得したあとにしましょう」
予想外にヤマダの異界行きが決まった。拓馬は大丈夫かと案じるかたわら、精神体の異界の生き物が見えない彼女にはちょうどよい体験だとも思う。
(そのついでにシズカさんの猫みたいな仲間ができりゃ、安泰だな)
ヤマダは人外が見えないのに人外に好かれる体質だ。こちらの世界にとどまるかぎり、本当の意味での自衛は不可能。拓馬は二人の決定をだまって了承した。
タグ:拓馬