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2018年09月18日
拓馬篇−終章* ★
拍手が巻きおこった。この拍手は白いシャツを着たスーツ姿の男性に向けられたもの。彼も復職する教師だ。姓を八巻という。彼は去年に重傷を負った影響で長期間のいとまをとっていた。一部の生徒はこの場ではじめての顔あわせとなる。漏れのない紹介を一度にすませるために式典の場で挨拶することになった。
病み上がりの教師が壇を下りた。彼に引き続き、銀髪の男が壇へのぼる。可動式の低い階段をあがった先に演台があり、その後ろに立つ。眼下にたたずむ子どもたちに一礼した。
マイクの角度はまえの使用者が調整したままでちょうどよい。男は演台に両手をつき、演説を始める。
「Hello, everyone!」
表情はきわめてにこやかであるよう心掛けた。その態度は初授業時のものと変わりない。
「My name is Sage Ivan Dale. 私とは一学期にお会いできた方もいらっしゃいますね」
男もまた部分的に生徒と関わった教師だ。この場を借りて自己紹介をする。
「私はもう一度、才穎高校の教師になることができました。このかけがえのない幸運に、皆さんにも天におわす神さまにもお礼を申しあげたい気分です」
こうは言うが、男に神への信仰心があるわけではない。彼は天命──生まれた時から定まった運命──という概念をみとめている。その物の考えを植えつけたのは、この国のすこし昔の時代を生きた女性。その人物の主義主張が男の道徳観にも影響していた。男が主命に疑問を感じるようになったのも、彼女の教えが仁と義をおもんじたことに端を発している。
「楽しい英語の指導ができるよう心を砕いていきますので、どうかお付き合いください」
最低限の話をやりおえた。これで幕引きしてもよかったが、めずらしく魔がさして、私情をまじえた自己紹介もする。
「それと、私には愛称があります。S・I・Dでシド。そう呼んでください。Please call me Sid! OK?」
オッケー、という声が部分的に聞こえた。それは一学期に親しくしていた、義侠心あふれる子たちの声だ。その応答がなによりうれしく、男は自然と笑んだ。
男は自身の呼びかけに反応を示したであろう子どもたちを見た。そのうちのひとりの男子生徒に着目する。その男子は贋物の壇上に立った時に対峙した相手。あまり感情を表に出さない男子に、ささやかな笑みが口元に生まれている。彼の警戒心はすでにない。かつてのおびえた表情は、ニセの学校内だけの悪夢でおわるのだ。
男は演説を終え、会釈をする。会場中に拍手が一斉に起きた。この拍手は男を彼らの同胞として受け入れる合図である。その歓迎は本来不当なもの。男が彼らにちかい見てくれを繕っている成果だ。化けの皮がいつはがれるとも知れないが、いまは装いつづけることを優先する。その行為が、確定された未来へつながると考えた。
壇を下りる男の脳裏にはこの世界にとっての未来人がうかぶ。その者が、男の未来の呼び名を口にしていた。それは男にとっての過去の出来事である。不可思議なことだが、そういうねじれた時間軸の存在はもはや男の驚愕に値しない。むしろ自身の行ないはあらかじめさだまったものだという肯定の指標にさえなっている。
自己決定とは無関係なさだめにあらがう意志はなかった。世界の理にさからいつづけることでまねく結果に興味がないわけでもないが、それ以上に天命が順当に履行されていくのか見届けたい気持ちがまさった。まるで答案の答え合わせをしていくかのような気分だ。こんな気楽な感覚は、この学校へきた当初にはありえなかったことだ。
自身が名乗るべき名を知るときまで、男には即自的な任務遂行がかなわぬことへの背徳心があった。その思いが陰に隠れ、晴れ晴れしい気持ちで歓迎の音を耳にすることができている。
男の胸に、執拗に絡みつく重いしこりはもうない。しかし完全な楽観もしがたい。案内の乏しい行き先に、幸が訪れるか不幸に転落するか。結末の見通しはつかないのだ。不確定だからこそ、その道筋に憂苦は感じなかった。己と同胞、そして主の道が繋がる望みがある。望みが叶えば、多大な恩情をかけてくれた師に報いることもできる。それはきっと、何物にもかえがたい誇りになる。
かつての異界で一度投げられた名を、自身を示す旗として掲げ、シドは歩みはじめた。
病み上がりの教師が壇を下りた。彼に引き続き、銀髪の男が壇へのぼる。可動式の低い階段をあがった先に演台があり、その後ろに立つ。眼下にたたずむ子どもたちに一礼した。
マイクの角度はまえの使用者が調整したままでちょうどよい。男は演台に両手をつき、演説を始める。
「Hello, everyone!」
表情はきわめてにこやかであるよう心掛けた。その態度は初授業時のものと変わりない。
「My name is Sage Ivan Dale. 私とは一学期にお会いできた方もいらっしゃいますね」
男もまた部分的に生徒と関わった教師だ。この場を借りて自己紹介をする。
「私はもう一度、才穎高校の教師になることができました。このかけがえのない幸運に、皆さんにも天におわす神さまにもお礼を申しあげたい気分です」
こうは言うが、男に神への信仰心があるわけではない。彼は天命──生まれた時から定まった運命──という概念をみとめている。その物の考えを植えつけたのは、この国のすこし昔の時代を生きた女性。その人物の主義主張が男の道徳観にも影響していた。男が主命に疑問を感じるようになったのも、彼女の教えが仁と義をおもんじたことに端を発している。
「楽しい英語の指導ができるよう心を砕いていきますので、どうかお付き合いください」
最低限の話をやりおえた。これで幕引きしてもよかったが、めずらしく魔がさして、私情をまじえた自己紹介もする。
「それと、私には愛称があります。S・I・Dでシド。そう呼んでください。Please call me Sid! OK?」
オッケー、という声が部分的に聞こえた。それは一学期に親しくしていた、義侠心あふれる子たちの声だ。その応答がなによりうれしく、男は自然と笑んだ。
男は自身の呼びかけに反応を示したであろう子どもたちを見た。そのうちのひとりの男子生徒に着目する。その男子は贋物の壇上に立った時に対峙した相手。あまり感情を表に出さない男子に、ささやかな笑みが口元に生まれている。彼の警戒心はすでにない。かつてのおびえた表情は、ニセの学校内だけの悪夢でおわるのだ。
男は演説を終え、会釈をする。会場中に拍手が一斉に起きた。この拍手は男を彼らの同胞として受け入れる合図である。その歓迎は本来不当なもの。男が彼らにちかい見てくれを繕っている成果だ。化けの皮がいつはがれるとも知れないが、いまは装いつづけることを優先する。その行為が、確定された未来へつながると考えた。
壇を下りる男の脳裏にはこの世界にとっての未来人がうかぶ。その者が、男の未来の呼び名を口にしていた。それは男にとっての過去の出来事である。不可思議なことだが、そういうねじれた時間軸の存在はもはや男の驚愕に値しない。むしろ自身の行ないはあらかじめさだまったものだという肯定の指標にさえなっている。
自己決定とは無関係なさだめにあらがう意志はなかった。世界の理にさからいつづけることでまねく結果に興味がないわけでもないが、それ以上に天命が順当に履行されていくのか見届けたい気持ちがまさった。まるで答案の答え合わせをしていくかのような気分だ。こんな気楽な感覚は、この学校へきた当初にはありえなかったことだ。
自身が名乗るべき名を知るときまで、男には即自的な任務遂行がかなわぬことへの背徳心があった。その思いが陰に隠れ、晴れ晴れしい気持ちで歓迎の音を耳にすることができている。
男の胸に、執拗に絡みつく重いしこりはもうない。しかし完全な楽観もしがたい。案内の乏しい行き先に、幸が訪れるか不幸に転落するか。結末の見通しはつかないのだ。不確定だからこそ、その道筋に憂苦は感じなかった。己と同胞、そして主の道が繋がる望みがある。望みが叶えば、多大な恩情をかけてくれた師に報いることもできる。それはきっと、何物にもかえがたい誇りになる。
かつての異界で一度投げられた名を、自身を示す旗として掲げ、シドは歩みはじめた。
タグ:拓馬
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2018年09月14日
拓馬篇−終章7 ★
大男に変身した化け猫はエリーの隣りへ座る。エリーはニセモノの仲間をじっと見た。視線に気づいた大男は不敵に笑いかける。
「どうじゃ、そっくりか?」
「みためは、そう。かんじは、ちがう」
「須坂があらわれればまじめにやる。無口で無表情をつらぬけばよいと、おぬしの仲間に言われておる」
シドと大男の両方の実在を知らしめるための変装だ。内面の真似はしないつもりらしい。完璧な身代わりをこなすだけの準備時間がなかったので、妥当な落としどころだった。
ヤマダが大男の隣りへ移る。大柄な男性がソファにいるせいで、彼女が座れる場所はせまい。ヤマダはソファから落ちまいとして大男にぴったりくっつく。
「ほんとに猫ちゃん? この服も変身の一部?」
「いや、服は借りた。そのほうがわしもラクじゃからして」
「体だけ化けるのと服ごと化けるの、ちがうんだね」
「この衣装はさほど見慣れておらぬゆえ、再現がちとめんどうでな」
ヤマダは老猫の変化術に関心を寄せている。拓馬はべつのことが引っ掛かり、もどかしくなる。
「なぁ、先生と須坂はいつくるんだ?」
「そうあわてるな。ちゃんとくる」
「なんであんただけさきにきた?」
「女性の部屋にいかつい男二人が押しかけてみい。犯罪臭がしよるぞ」
額面のまま解釈すると「世間体がわるい」という意味だ。しかし、須坂の観点においても恐怖心をあおる訪問にちがいない。シドはともかく、大男が純然な味方であるという確信は須坂が持てないはずだ。
「こやつ、敵か味方かわからんまま通してきたんじゃろ。人の多い場で会うなら、まだ須坂が安心できよう」
「そうか、気をつかってくれてるんだな」
会話中、ヤマダは大男の腕に抱きついて「腕ふといねー」とはしゃいだ。長袖の上着の下には筋骨隆々な肉体が再現されているのだろう。
もとが猫である大男はヤマダの慣れなれしさを放置し、エリーに話しかける。
「今後もあの教師とこの大男の姿を同時にあらわすべき時がくるやもしれん。その日まで、おぬしがこの姿に化けられるようにそなえておけ」
「うん、れんしゅうする」
エリーは現在、ヤマダの想像した女性形態ですごしている。彼女が自在に変身できるようになれば融通がきくだろう。しかし変身とはどう特訓して会得するものだろうか。それを熟知する老猫が直接教えたらよいのではないか、と拓馬は疑問に感じる。
「あんたは変身の専門家なんだろ?」
「そうとも」
「独学でやるの、たいへんじゃないのか?」
「おぬしらがシドとよぶやつは基本を理解しておる。あやつの指導で不足はなかろ」
シドの教導があてにされている。そのへんの力量は拓馬たちの理解がおよばないので、どうとも返答できなかった。
「このエリーとやらが苦戦するようならシズカに言うてみい。わしかわしの相方が手ほどきをしてやろう」
「相方……ああ、もう一体、化け猫がいるんだったな」
「あちらは女性寄りの個体ゆえ、この娘っこ向けかもしらん」
はじめに人型へ化けた性別が以後の変身にも左右されるかのような言い方だ。本人の意思とは無関係に少女になった者を、拓馬はじっと見た。エリーはジュースをしずかに飲んでいる。そのふるまいは正直どちら寄りともつかない。もともと無性な生き物のようなので、これからどの性別が合うかわかってくるのだろう。
エリーがストローから口をはなして「きたよ」と言った。その一言はシドらの到来を意味している。彼女の目は緑色のままであるため、シドとの連絡なしに彼の気配を察したらしかった。
店内の者に来客を知らせるインターホンが鳴る。二人の男女が店員の案内をことわり、拓馬たちのテーブルへ向かってきた。銀髪の男性がテーブルへ到着し、立った状態で後方の長髪の女子に振り向く。
「スザカさん、こちらの席へどうぞ」
彼がしめすのは拓馬の隣り。向かい側のソファは定員オーバーなせいだ。しかし須坂は首を横にふる。
「いいわ。これで帰る」
炎天下の足労を無にする言葉だ。一同がおどろく。
「もういいのですか?」
シドがたずね、須坂は「ええ」とごく当然のように言う。
「その男の人のことは道中で聞いたし、見た感じ、あぶなくないってこともわかった」
彼女の判断基準はヤマダだ。同年の女子が大男と親しげに接する様子を根拠としている。ヤマダは腕組みを解いて「ただの友だちだからね!」と自己弁護した。
「いつから友だちなの?」
「今日からだよ。わたしたちも、この男の人が先生の仲間だと最近知ったの」
「そう……じゃ、捜査ごっこしてるときはだれも知らなかったわけね」
須坂はシドを見上げ、皮肉まじりに笑む。
「あなたも人がわるいのね。必死にさがされてるの、わかってたでしょう?」
「事情を明かせぬ理由がありました。どうかご容赦を」
「気にしてない。みんな、あなたを許してるみたいだし、私から言うことはないでしょ」
須坂は大男の隣りの少女を一瞥した。奇異なものを見るような目つきになったが、エリーのことは話題にせず、テーブルを離れていく。
「暑い中を歩いてきたのです、飲みものを飲まれては?」
シドが須坂に飲食をすすめるものの、彼女は温和にこばむ。
「そんなきゅうくつな場所は遠慮するわ。あなたたちがたのしんでて」
須坂は店を出ていった。彼女が機嫌をそこねた様子はないので、拓馬たちは須坂の行為を受け入れた。
老猫が扮する大男も「着替えてくるでの」と言って、席をはなれる。その際にヤマダは拓馬の隣りへうつった。大男のいた位置にシドが座った。みなが話し合い当初の座席にもどる。いないのは離席した猫だけだ。
「えーっと、話、どうする?」
拓馬はヤマダにたずねた。シドとの質疑を継続するつもりは拓馬になく、あとはヤマダの心次第。彼女は首をひねって「なんかもうお腹いっぱいな感じ」と消極的だ。
「あとは耳から耳へぬけていきそう」
「同感。これで解散するか?」
この提起にはシドが難色を示す。
「もうじき昼食の時間です。ごはんを食べていかれてはどうです? お代は私持ちです」
「うーん、どうすっかな」
ヤマダに聞くも、彼女はメニュー表を拓馬の目の前へ展開する。
「食べてこうよ。いい思い出になるよ!」
満面の笑みに押し切られ、拓馬は承諾した。ヤマダがエリーにもメニューを見せるうちに老猫がもどってくる。拓馬たちがごく普通の食事と談話をしていくのを、猫はじっと窓辺で耳をかたむけていた。話中、シドの復職がまたヤマダの口から出る。このときにはもうシドがこばむ理由はなくなっており、彼は即座に校長へ連絡をとった。
シドたちとの会合をおえた夕方、拓馬は約束通りにシズカへ連絡をした。喫茶店での会話自体は猫を通じてシズカにも伝わっていて、『やっぱり先生と仲良いみたいだね』と開口一番に言われた。
「先生にはきらうとこがないですよ」
『使命だとかケンカとかがなかったらフツーにいい人だもんね』
「だから先生の上っ面だけ知ってる人たちにも評判がよくて、職場に簡単に復帰できるんです」
『ああ、そうだね。校長先生もよろこんでたみたいだし』
「シズカさんは、それでいいですか?」
『いいよ。きみたちが満足してる取り決めなんだ。おれが口をはさむ余地はない』
それはそうなのだが、拓馬はシズカが本心でどう感じているのか知りたくなる。
「でも心配になりませんか? 先生がいつ心変わりするか……」
『完全にないとは言えないね』
鷹揚にかまえるシズカとて、人外を拓馬たちのそばに置く危険性は心得ている。けっして楽観しているのではないのだと、拓馬は気を引き締めた。
『だけど当分は平気だ。先生はきみたちが「赤毛」とよんでるやつを警戒してる。先生がアルジさんに寝返るとしても、きみたちを赤毛にうばわれないようにがんばるはずだ』
獲物の取り合いをする獣のような根拠だ。現実的な指摘であるぶん、気休めではないと思えるが、人情味には欠ける。
「そんな『敵の敵は味方』みたいな……」
『イヤな言い方をすればそうなる。でも先生は本心できみたちを守りたいと思ってるよ。そこは信じてあげてほしい』
「はい、俺だってもう先生がだまそうとしてないことは、わかります」
『ああ、そうとも。だからおれは先生の好きなようにさせたい』
「あぶないとしたら、赤毛のほうですか?」
『え? ああ、そうだねー』
上の空な返答だった。シズカも赤毛を危険視しているはずなのだが。
「あいつのこと、シズカさんも注意してるんじゃないんですか」
『見つけたら追い払うようにはしてる。でもあんまり警戒しっぱなしにしなくていいと思う』
「わるいやつなんじゃ?」
『たしかに、悪事をはたらこうと思えばとことんやりかねない相手だ。だからこそ適度に接したい』
「適度?」
『強くうたがうほど、むこうも意地になる。かえってよくない結果を引き寄せてしまいそうだからね』
「そうですか……」
『もしも拓馬くんが危険だと感じたら、おれに知らせてくれ。そのときはちゃんと対策する。「いたいけな子どもがこわがってる」と言えば、おれがきつく当たってもうらみはしないだろう』
「そんなに、子どもにあまい性格してるんですか?」
『うん、まえにいたご主人がやさしかった影響なんだろうな』
シズカがなつかしそうに言った。その言葉からは、彼自身も赤毛の主人を好意的に思っていることが伝わる。シズカはさまざまな事情をくんでうえで様子観察をするつもりだ。それが適切だと思った拓馬は通信を終了した。
(これで、やることはぜんぶおわったかな)
あとはなるようになるしかない。これから夏休み。人間に扮する異形たちが人間とともに生きていくのを、見守っていく。それが己にできることだ。
「どうじゃ、そっくりか?」
「みためは、そう。かんじは、ちがう」
「須坂があらわれればまじめにやる。無口で無表情をつらぬけばよいと、おぬしの仲間に言われておる」
シドと大男の両方の実在を知らしめるための変装だ。内面の真似はしないつもりらしい。完璧な身代わりをこなすだけの準備時間がなかったので、妥当な落としどころだった。
ヤマダが大男の隣りへ移る。大柄な男性がソファにいるせいで、彼女が座れる場所はせまい。ヤマダはソファから落ちまいとして大男にぴったりくっつく。
「ほんとに猫ちゃん? この服も変身の一部?」
「いや、服は借りた。そのほうがわしもラクじゃからして」
「体だけ化けるのと服ごと化けるの、ちがうんだね」
「この衣装はさほど見慣れておらぬゆえ、再現がちとめんどうでな」
ヤマダは老猫の変化術に関心を寄せている。拓馬はべつのことが引っ掛かり、もどかしくなる。
「なぁ、先生と須坂はいつくるんだ?」
「そうあわてるな。ちゃんとくる」
「なんであんただけさきにきた?」
「女性の部屋にいかつい男二人が押しかけてみい。犯罪臭がしよるぞ」
額面のまま解釈すると「世間体がわるい」という意味だ。しかし、須坂の観点においても恐怖心をあおる訪問にちがいない。シドはともかく、大男が純然な味方であるという確信は須坂が持てないはずだ。
「こやつ、敵か味方かわからんまま通してきたんじゃろ。人の多い場で会うなら、まだ須坂が安心できよう」
「そうか、気をつかってくれてるんだな」
会話中、ヤマダは大男の腕に抱きついて「腕ふといねー」とはしゃいだ。長袖の上着の下には筋骨隆々な肉体が再現されているのだろう。
もとが猫である大男はヤマダの慣れなれしさを放置し、エリーに話しかける。
「今後もあの教師とこの大男の姿を同時にあらわすべき時がくるやもしれん。その日まで、おぬしがこの姿に化けられるようにそなえておけ」
「うん、れんしゅうする」
エリーは現在、ヤマダの想像した女性形態ですごしている。彼女が自在に変身できるようになれば融通がきくだろう。しかし変身とはどう特訓して会得するものだろうか。それを熟知する老猫が直接教えたらよいのではないか、と拓馬は疑問に感じる。
「あんたは変身の専門家なんだろ?」
「そうとも」
「独学でやるの、たいへんじゃないのか?」
「おぬしらがシドとよぶやつは基本を理解しておる。あやつの指導で不足はなかろ」
シドの教導があてにされている。そのへんの力量は拓馬たちの理解がおよばないので、どうとも返答できなかった。
「このエリーとやらが苦戦するようならシズカに言うてみい。わしかわしの相方が手ほどきをしてやろう」
「相方……ああ、もう一体、化け猫がいるんだったな」
「あちらは女性寄りの個体ゆえ、この娘っこ向けかもしらん」
はじめに人型へ化けた性別が以後の変身にも左右されるかのような言い方だ。本人の意思とは無関係に少女になった者を、拓馬はじっと見た。エリーはジュースをしずかに飲んでいる。そのふるまいは正直どちら寄りともつかない。もともと無性な生き物のようなので、これからどの性別が合うかわかってくるのだろう。
エリーがストローから口をはなして「きたよ」と言った。その一言はシドらの到来を意味している。彼女の目は緑色のままであるため、シドとの連絡なしに彼の気配を察したらしかった。
店内の者に来客を知らせるインターホンが鳴る。二人の男女が店員の案内をことわり、拓馬たちのテーブルへ向かってきた。銀髪の男性がテーブルへ到着し、立った状態で後方の長髪の女子に振り向く。
「スザカさん、こちらの席へどうぞ」
彼がしめすのは拓馬の隣り。向かい側のソファは定員オーバーなせいだ。しかし須坂は首を横にふる。
「いいわ。これで帰る」
炎天下の足労を無にする言葉だ。一同がおどろく。
「もういいのですか?」
シドがたずね、須坂は「ええ」とごく当然のように言う。
「その男の人のことは道中で聞いたし、見た感じ、あぶなくないってこともわかった」
彼女の判断基準はヤマダだ。同年の女子が大男と親しげに接する様子を根拠としている。ヤマダは腕組みを解いて「ただの友だちだからね!」と自己弁護した。
「いつから友だちなの?」
「今日からだよ。わたしたちも、この男の人が先生の仲間だと最近知ったの」
「そう……じゃ、捜査ごっこしてるときはだれも知らなかったわけね」
須坂はシドを見上げ、皮肉まじりに笑む。
「あなたも人がわるいのね。必死にさがされてるの、わかってたでしょう?」
「事情を明かせぬ理由がありました。どうかご容赦を」
「気にしてない。みんな、あなたを許してるみたいだし、私から言うことはないでしょ」
須坂は大男の隣りの少女を一瞥した。奇異なものを見るような目つきになったが、エリーのことは話題にせず、テーブルを離れていく。
「暑い中を歩いてきたのです、飲みものを飲まれては?」
シドが須坂に飲食をすすめるものの、彼女は温和にこばむ。
「そんなきゅうくつな場所は遠慮するわ。あなたたちがたのしんでて」
須坂は店を出ていった。彼女が機嫌をそこねた様子はないので、拓馬たちは須坂の行為を受け入れた。
老猫が扮する大男も「着替えてくるでの」と言って、席をはなれる。その際にヤマダは拓馬の隣りへうつった。大男のいた位置にシドが座った。みなが話し合い当初の座席にもどる。いないのは離席した猫だけだ。
「えーっと、話、どうする?」
拓馬はヤマダにたずねた。シドとの質疑を継続するつもりは拓馬になく、あとはヤマダの心次第。彼女は首をひねって「なんかもうお腹いっぱいな感じ」と消極的だ。
「あとは耳から耳へぬけていきそう」
「同感。これで解散するか?」
この提起にはシドが難色を示す。
「もうじき昼食の時間です。ごはんを食べていかれてはどうです? お代は私持ちです」
「うーん、どうすっかな」
ヤマダに聞くも、彼女はメニュー表を拓馬の目の前へ展開する。
「食べてこうよ。いい思い出になるよ!」
満面の笑みに押し切られ、拓馬は承諾した。ヤマダがエリーにもメニューを見せるうちに老猫がもどってくる。拓馬たちがごく普通の食事と談話をしていくのを、猫はじっと窓辺で耳をかたむけていた。話中、シドの復職がまたヤマダの口から出る。このときにはもうシドがこばむ理由はなくなっており、彼は即座に校長へ連絡をとった。
シドたちとの会合をおえた夕方、拓馬は約束通りにシズカへ連絡をした。喫茶店での会話自体は猫を通じてシズカにも伝わっていて、『やっぱり先生と仲良いみたいだね』と開口一番に言われた。
「先生にはきらうとこがないですよ」
『使命だとかケンカとかがなかったらフツーにいい人だもんね』
「だから先生の上っ面だけ知ってる人たちにも評判がよくて、職場に簡単に復帰できるんです」
『ああ、そうだね。校長先生もよろこんでたみたいだし』
「シズカさんは、それでいいですか?」
『いいよ。きみたちが満足してる取り決めなんだ。おれが口をはさむ余地はない』
それはそうなのだが、拓馬はシズカが本心でどう感じているのか知りたくなる。
「でも心配になりませんか? 先生がいつ心変わりするか……」
『完全にないとは言えないね』
鷹揚にかまえるシズカとて、人外を拓馬たちのそばに置く危険性は心得ている。けっして楽観しているのではないのだと、拓馬は気を引き締めた。
『だけど当分は平気だ。先生はきみたちが「赤毛」とよんでるやつを警戒してる。先生がアルジさんに寝返るとしても、きみたちを赤毛にうばわれないようにがんばるはずだ』
獲物の取り合いをする獣のような根拠だ。現実的な指摘であるぶん、気休めではないと思えるが、人情味には欠ける。
「そんな『敵の敵は味方』みたいな……」
『イヤな言い方をすればそうなる。でも先生は本心できみたちを守りたいと思ってるよ。そこは信じてあげてほしい』
「はい、俺だってもう先生がだまそうとしてないことは、わかります」
『ああ、そうとも。だからおれは先生の好きなようにさせたい』
「あぶないとしたら、赤毛のほうですか?」
『え? ああ、そうだねー』
上の空な返答だった。シズカも赤毛を危険視しているはずなのだが。
「あいつのこと、シズカさんも注意してるんじゃないんですか」
『見つけたら追い払うようにはしてる。でもあんまり警戒しっぱなしにしなくていいと思う』
「わるいやつなんじゃ?」
『たしかに、悪事をはたらこうと思えばとことんやりかねない相手だ。だからこそ適度に接したい』
「適度?」
『強くうたがうほど、むこうも意地になる。かえってよくない結果を引き寄せてしまいそうだからね』
「そうですか……」
『もしも拓馬くんが危険だと感じたら、おれに知らせてくれ。そのときはちゃんと対策する。「いたいけな子どもがこわがってる」と言えば、おれがきつく当たってもうらみはしないだろう』
「そんなに、子どもにあまい性格してるんですか?」
『うん、まえにいたご主人がやさしかった影響なんだろうな』
シズカがなつかしそうに言った。その言葉からは、彼自身も赤毛の主人を好意的に思っていることが伝わる。シズカはさまざまな事情をくんでうえで様子観察をするつもりだ。それが適切だと思った拓馬は通信を終了した。
(これで、やることはぜんぶおわったかな)
あとはなるようになるしかない。これから夏休み。人間に扮する異形たちが人間とともに生きていくのを、見守っていく。それが己にできることだ。
タグ:拓馬