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2019年07月03日
短縮拓馬篇−3章◆拓馬視点★
体育祭は例年通りのにぎわいで、無事に終わった。その後の授業日の放課後、拓馬のもとに三郎がやってくる。
「これから空いているか?」
「やることはないけど……」
「ならば好都合! 折り入ってたのみたいことがある──」
三郎は成石を襲った犯人捜しを提案した。本摩との約束通り、体育祭を終えたいま行動を起こすつもりだ。手始めに最近、公園でたむろしだした少年らに話を聞きにいくらしい。彼らは夜にも公園に集まるというので、もしかしたら、彼らが成石を襲った連中かもしれない、との推測を三郎は立てた。そうでなくとも、近隣住民は不良少年らをこわがっている。それゆえ年たちにふたたび立ち退きをたのむのだとか。拓馬は嫌々ながらも、三郎が知り得た情報には耳を傾けつづける。
「相手は金髪が特徴的な首領を合わせて、四人だという。こちらはオレとジモンと拓馬の三人で、数的には不利だが……なにも喧嘩が目当てで行くつもりはない。話し合いですませるつもりだから、なんとかなるだろう」
「なんとかならなかったから反省文を書かされたんだぞ」
三郎は首を縦にふりながら「たしかに」と同調する。
「しかし行かねばなるまい。もし犯人がべつにいるのなら、あの男子たちも成石のような被害を受けかねない」
「言って聞いてくれる相手かなぁ……」
拓馬は反論するかたわら、三郎の博愛ぶりに感心した。彼は不良たちの身も心配している。罪を憎んで人を憎まずの精神だ。
「それで、拓馬はきてくれるか?」
拓馬が抜ければ三郎はジモンと二人で行くだろう。相手方との人数差が増えるほどに危険は大きくなり、拓馬は気が気でなくなる。いっそ彼らを見守ったほうが精神的にましだ。
「もう俺を勘定に入れてるんだろ?」
付き合ってやると拓馬は渋々言い、拓馬を懐柔できた三郎は大いによろこんだ。拓馬は協力する条件を付け足す。
「だけど話をするのは三郎に任せるぞ。俺は相手が手ぇ出してきたときに助けるだけだ」
「ああ、それで充分心強い。さっそく帰宅して、私服に着替えてきて──」
拓馬たちのもとに千智が詰め寄ってきた。なぜか怒り顔だ。
「まーたあたしを除け者にして、おもしろいことをやるのね!」
今度はそういかないわ、とまくし立てた。彼女の剣幕に押された三郎は後ずさりする。
「いや、お前が邪魔者なんじゃなくてだな。お前までわざわざ行かなくてもいいと……」
「ヤマちゃんは連れて行ってたじゃない! あたしとなにがちがうってのよ」
千智は教壇を踏みつけた。壇の底が抜けんばかりの大きい音が鳴る。
「いっとくけど、脚力ならあんたに負けてないからね!」
千智は陸上部で学校の記録を塗り替えることもあるスポーツウーマンだ。三郎も運動神経が良いものの、瞬発力においては千智に軍配があがるようだった。
「ヤマダ……は拓馬の協力要請要員だ。前回はヤマダが乗り気だったし、ヤマダの行くところに拓馬もついて行くからな」
「金魚のフンみたいに言うなよ」
拓馬は不本意な評価に難癖をつけた。結果的には三郎の言う通りになったとはいえ、心から望んだ行動ではなかった。
三郎の弁明を聞いた千智はまだ不満げだ。
「ふーん、そう。あたしはなんにも役に立たないから、連れて行かないってわけね」
千智は空手の構えに似た姿勢をとる。
「そこに立ってなさい。あたしの蹴りを味わって、まだ立っていられたら諦めてあげる」
「待て待て! そんなに思いつめることはないだろう」
「じゃあ一緒に行っていいの?」
「あー、拓馬と固まっていてくれれば、な」
要望が通った千智は「ぃよしっ!」と拳を握りしめた。蹴撃の制裁を回避した三郎は深く息を吐いて、安堵した。
三郎が目先の痛手を避けるがために、拓馬の役割は増えてしまった。守る対象が増えること自体はかまわない。だが物見遊山で危険に首をつっこむ者を連れていくことに不安を感じる。
「大丈夫なのか、これで」
と先行きを案じた。そのつぶやきを、気に留める者はいなかった。
機嫌を直した千智はヤマダを誘いだした。まるで祭りにでも行くかのような気楽さだ。ヤマダが誘いを承諾したので、拓馬は女子二人のお守りを担当することとなる。
(めんどーなことにならなきゃいいが……)
拓馬が前途を憂《うれ》う反面、女子たちはたのしげだった。
「これから空いているか?」
「やることはないけど……」
「ならば好都合! 折り入ってたのみたいことがある──」
三郎は成石を襲った犯人捜しを提案した。本摩との約束通り、体育祭を終えたいま行動を起こすつもりだ。手始めに最近、公園でたむろしだした少年らに話を聞きにいくらしい。彼らは夜にも公園に集まるというので、もしかしたら、彼らが成石を襲った連中かもしれない、との推測を三郎は立てた。そうでなくとも、近隣住民は不良少年らをこわがっている。それゆえ年たちにふたたび立ち退きをたのむのだとか。拓馬は嫌々ながらも、三郎が知り得た情報には耳を傾けつづける。
「相手は金髪が特徴的な首領を合わせて、四人だという。こちらはオレとジモンと拓馬の三人で、数的には不利だが……なにも喧嘩が目当てで行くつもりはない。話し合いですませるつもりだから、なんとかなるだろう」
「なんとかならなかったから反省文を書かされたんだぞ」
三郎は首を縦にふりながら「たしかに」と同調する。
「しかし行かねばなるまい。もし犯人がべつにいるのなら、あの男子たちも成石のような被害を受けかねない」
「言って聞いてくれる相手かなぁ……」
拓馬は反論するかたわら、三郎の博愛ぶりに感心した。彼は不良たちの身も心配している。罪を憎んで人を憎まずの精神だ。
「それで、拓馬はきてくれるか?」
拓馬が抜ければ三郎はジモンと二人で行くだろう。相手方との人数差が増えるほどに危険は大きくなり、拓馬は気が気でなくなる。いっそ彼らを見守ったほうが精神的にましだ。
「もう俺を勘定に入れてるんだろ?」
付き合ってやると拓馬は渋々言い、拓馬を懐柔できた三郎は大いによろこんだ。拓馬は協力する条件を付け足す。
「だけど話をするのは三郎に任せるぞ。俺は相手が手ぇ出してきたときに助けるだけだ」
「ああ、それで充分心強い。さっそく帰宅して、私服に着替えてきて──」
拓馬たちのもとに千智が詰め寄ってきた。なぜか怒り顔だ。
「まーたあたしを除け者にして、おもしろいことをやるのね!」
今度はそういかないわ、とまくし立てた。彼女の剣幕に押された三郎は後ずさりする。
「いや、お前が邪魔者なんじゃなくてだな。お前までわざわざ行かなくてもいいと……」
「ヤマちゃんは連れて行ってたじゃない! あたしとなにがちがうってのよ」
千智は教壇を踏みつけた。壇の底が抜けんばかりの大きい音が鳴る。
「いっとくけど、脚力ならあんたに負けてないからね!」
千智は陸上部で学校の記録を塗り替えることもあるスポーツウーマンだ。三郎も運動神経が良いものの、瞬発力においては千智に軍配があがるようだった。
「ヤマダ……は拓馬の協力要請要員だ。前回はヤマダが乗り気だったし、ヤマダの行くところに拓馬もついて行くからな」
「金魚のフンみたいに言うなよ」
拓馬は不本意な評価に難癖をつけた。結果的には三郎の言う通りになったとはいえ、心から望んだ行動ではなかった。
三郎の弁明を聞いた千智はまだ不満げだ。
「ふーん、そう。あたしはなんにも役に立たないから、連れて行かないってわけね」
千智は空手の構えに似た姿勢をとる。
「そこに立ってなさい。あたしの蹴りを味わって、まだ立っていられたら諦めてあげる」
「待て待て! そんなに思いつめることはないだろう」
「じゃあ一緒に行っていいの?」
「あー、拓馬と固まっていてくれれば、な」
要望が通った千智は「ぃよしっ!」と拳を握りしめた。蹴撃の制裁を回避した三郎は深く息を吐いて、安堵した。
三郎が目先の痛手を避けるがために、拓馬の役割は増えてしまった。守る対象が増えること自体はかまわない。だが物見遊山で危険に首をつっこむ者を連れていくことに不安を感じる。
「大丈夫なのか、これで」
と先行きを案じた。そのつぶやきを、気に留める者はいなかった。
機嫌を直した千智はヤマダを誘いだした。まるで祭りにでも行くかのような気楽さだ。ヤマダが誘いを承諾したので、拓馬は女子二人のお守りを担当することとなる。
(めんどーなことにならなきゃいいが……)
拓馬が前途を憂《うれ》う反面、女子たちはたのしげだった。
タグ:短縮版拓馬
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2019年07月02日
短縮拓馬篇−3章2 ★
シズカの狐は幽霊と似た存在だ。それを見える者はシズカと、拓馬の父と、そして拓馬。普通の人には見えず、狐がなつく対象であるヤマダは狐を見れない。それゆえ拓馬は彼女に狐のことを伝えておいた。動物好きなヤマダは不可視の動物を気味悪がることなく、むしろどんな愛らしい姿なのか気になっていた。
狐が派遣されて半月ほど経ったころ。拓馬は連休明けの中間テストの真っ只中にいた。いまの時限の試験監督者は銀髪の英語教師である。彼は今学期から赴任した新人だ。新人といってもその年頃は三十歳ちかい、垢抜けた大人である。
新人教師のあだ名をシドという。これはヤマダの命名だ。由来はミドルネームをふくめた、教師の名の頭文字である。このあだ名を使っていいか、ヤマダが申し出たときの彼は、奇妙なほどに戸惑っていた。だがすぐに快諾し、以後多くの生徒は彼をシド先生と呼ぶようになった。
シドは諸事情により一学期のみの就任をするという。以前は警備員を務めたと自称する、経歴の異色な男性である。一般的でない髪色もさることなから、色黒で、黒いシャツを着て、黄色いサングラスをかける風貌もまた稀有だ。風変わりな姿とは裏腹に、その人柄は温厚で愛想がいい。それゆえ生徒からは高い支持を得た。なお彼は身の丈一八〇センチを超えた偉丈夫なせいか、女子の人気が特にあるようだ。
拓馬もこの偉丈夫には好感をもっている。拓馬はさきの連休中、飼い犬の散歩の際にシドと出会っていた。彼は拓馬の犬をいたくかわいがってくれ、犬もまたこの教師を気に入った。両者の態度を間近で見た拓馬は、シドの動物好きぶりに親しみをおぼえた。
ただこのときの邂逅はけっして平和的なものではなかった。新任教師は校長の指示を受け、拓馬たちと衝突しかねない不良少年らの動向を時々さぐっているのだという。彼の採用目的は、拓馬たちを守ることでもあるとか。だから前職が警備員という男性が急遽配属されたのだと、拓馬は腑に落ちた。
試験監督中のシドは教卓の椅子に鎮座する。彼は連休中に拓馬と会って以来、スーツのジャケットを羽織らなくなった。黒い長袖シャツをひじのあたりで腕まくりするスタイルでいる。ジャケットを着用する間は目立たなかった筋肉がありありと見えるようになり、体育教師に見間違う雰囲気をかもしていた。
試験開始からしばらく経過し、体格の良い教師がやおら席を立ちあがった。彼は教室の後方へ進む。
「はい、どうぞ」
シドがそう言うと、次に男子生徒の謝辞が聞こえた。どうやら生徒が筆記用具を落としたのを、シドが拾ったようだ。試験中は通常、生徒の離席ができない。その規則を生徒が順守するために、監督者が適宜対処することになっている。雑用を終えた教師はすぐ教卓にもどる、はずだった。
教室中に鈍い音がひびく。その音には重量感があった。只事ではないと思った拓馬が室内を見回す。こういった異変に対処すべき教師をさがすと、いつも高い位置にある彼の銀髪が、生徒の机と同じ高さにあった。
「失礼! つまづいてしまいました」
弱るのは髪の色素だけで充分、とシドは軽口を述べた。拓馬は彼がただの不注意で転倒したのだと思い、ほかの生徒もそう楽観する。教師が教卓へ鎮座すると、なにもなかったかのように試験が続行した。
試験が無事終わり、答案が最後列から前へと渡った。それらの紙束をシドが回収する。
「皆さん、お疲れさまです。結果は後日、授業で」
監督者は人のよさそうな笑顔を生徒に向けたのち、教室を出た。今日で試験は終わりである。重大なイベントを終えた拓馬は帰り支度をした。その最中にヤマダがやってくる。
「タッちゃん、いまから暇ある?」
「答えの確認でもするのか?」
「シド先生、あのまんまだと本当に倒れそう。だから一緒に帰るように誘いたいの」
ヤマダは教師の転倒を一時の不注意として見過ごす気がない。拓馬は先日、シドが休みを返上して町中を練り歩いたのを思い出した。彼は疲労がたまっているかもしれない。
「そんなにつらそうだったか?」
ヤマダが二度うなずく。
「とにかく、話をつけてくる!」
ヤマダとそのお守りの白い狐が教室を走り出た。拓馬が廊下に行ってみると、答案の束を持つ教師が他の女子生徒に捕まっていた。シドが女子らに解放されたあとで、ヤマダが声をかける。その会話は拓馬に聞こえない。
「あれ、帰らないの?」
鞄を持つ千智が拓馬に話しかけてきた。拓馬は状況を正直に話した。彼女はうなずいて「まあ、ヘンよね」とヤマダに同意する。
「先生は三郎の攻撃を全部かわせるのに、なにもない床でつまづくなんて」
三郎は剣道部員だが、徒手での戦いにも興味を示す男子だ。それゆえ彼は武芸家だと見込んだシドに徒手で稽古をつけてもらったことがある。拓馬は稽古風景を終始観戦してはいないものの、シドの回避行動の中で、彼の足がふらつくところは見なかった。
「あ! 危ない!」
千智は鞄をその場に放りすてた。
(まさか先生がたおれて……)
拓馬の不安は的中しかけていた。大柄な教師は、女子生徒にもたれかかる。小柄なヤマダでは教師の体を支えきれない。両者が体勢を崩す。大きな音が廊下中に伝わった。
「先生、ヤマちゃんがつぶれちゃう!」
千智は倒れる彼らの耳元でさけんだ。女子に覆いかぶさった教師の意識はなく、下敷きになった生徒も反応がない。さいわい生徒の後頭部は教師の右手で守られてあった。
拓馬は「先生をどかすぞ」と宣言した。ヤマダの上半身だけでも負荷を取り除く必要がある。そう判断して教師の肩を押そうとしたとき、教師が目を開ける。倒れたときの衝撃で彼のサングラスはずり落ちており、青色の目が露わになる。
「シド先生、気がついた?」
千智が意識確認の言葉を投げかけた。教師は返答するよりさきに上半身を起こす。
「……無様なところをお見せしました」
シドは座位に体勢を変えながらつぶやいた。いたって冷静に、落ちかかったサングラスをかけなおす。彼はその場で立膝をついた。ヤマダの肩と腿の裏に腕をとおす。
「オヤマダさんを保健室へ運びます。ネギシさんは答案を職員室へ届けてくれますか?」
いましがた昏倒した男が、気絶中の女子を運ぼうと言う。拓馬は無謀だと判断する。
「俺がヤマダを運ぶよ。先生は休んでて」
「私は平気です。もうなんともありません」
シドがヤマダの上体を起こした。するとヤマダが目覚め、拓馬と目が合う。
「……あれ? 学校?」
次にヤマダは自身の体を支える者を見る。すると彼女は固まった。反対にシドは笑みを浮かべる。
「痛いところはありませんか?」
ヤマダは視線をそらして「えっと……」と口ごもった。状況がまだ飲みこめないらしく、返答に窮している。そこへ慌ただしく廊下を駆ける音が近づいてきた。
「おい! 先生が倒れたって……」
拓馬らの担任が騒ぎを聞きつけてきた。本摩はシドと生徒たちを見て、ぽかんとする。
「小山田が倒れた、のか?」
本摩は聞いた情報と現実との相違に困惑していた。教師たちが事実を共有したのち、この場は解散となる。シドは即時帰宅することとなり、拓馬とヤマダも二人で一緒に帰った。
狐が派遣されて半月ほど経ったころ。拓馬は連休明けの中間テストの真っ只中にいた。いまの時限の試験監督者は銀髪の英語教師である。彼は今学期から赴任した新人だ。新人といってもその年頃は三十歳ちかい、垢抜けた大人である。
新人教師のあだ名をシドという。これはヤマダの命名だ。由来はミドルネームをふくめた、教師の名の頭文字である。このあだ名を使っていいか、ヤマダが申し出たときの彼は、奇妙なほどに戸惑っていた。だがすぐに快諾し、以後多くの生徒は彼をシド先生と呼ぶようになった。
シドは諸事情により一学期のみの就任をするという。以前は警備員を務めたと自称する、経歴の異色な男性である。一般的でない髪色もさることなから、色黒で、黒いシャツを着て、黄色いサングラスをかける風貌もまた稀有だ。風変わりな姿とは裏腹に、その人柄は温厚で愛想がいい。それゆえ生徒からは高い支持を得た。なお彼は身の丈一八〇センチを超えた偉丈夫なせいか、女子の人気が特にあるようだ。
拓馬もこの偉丈夫には好感をもっている。拓馬はさきの連休中、飼い犬の散歩の際にシドと出会っていた。彼は拓馬の犬をいたくかわいがってくれ、犬もまたこの教師を気に入った。両者の態度を間近で見た拓馬は、シドの動物好きぶりに親しみをおぼえた。
ただこのときの邂逅はけっして平和的なものではなかった。新任教師は校長の指示を受け、拓馬たちと衝突しかねない不良少年らの動向を時々さぐっているのだという。彼の採用目的は、拓馬たちを守ることでもあるとか。だから前職が警備員という男性が急遽配属されたのだと、拓馬は腑に落ちた。
試験監督中のシドは教卓の椅子に鎮座する。彼は連休中に拓馬と会って以来、スーツのジャケットを羽織らなくなった。黒い長袖シャツをひじのあたりで腕まくりするスタイルでいる。ジャケットを着用する間は目立たなかった筋肉がありありと見えるようになり、体育教師に見間違う雰囲気をかもしていた。
試験開始からしばらく経過し、体格の良い教師がやおら席を立ちあがった。彼は教室の後方へ進む。
「はい、どうぞ」
シドがそう言うと、次に男子生徒の謝辞が聞こえた。どうやら生徒が筆記用具を落としたのを、シドが拾ったようだ。試験中は通常、生徒の離席ができない。その規則を生徒が順守するために、監督者が適宜対処することになっている。雑用を終えた教師はすぐ教卓にもどる、はずだった。
教室中に鈍い音がひびく。その音には重量感があった。只事ではないと思った拓馬が室内を見回す。こういった異変に対処すべき教師をさがすと、いつも高い位置にある彼の銀髪が、生徒の机と同じ高さにあった。
「失礼! つまづいてしまいました」
弱るのは髪の色素だけで充分、とシドは軽口を述べた。拓馬は彼がただの不注意で転倒したのだと思い、ほかの生徒もそう楽観する。教師が教卓へ鎮座すると、なにもなかったかのように試験が続行した。
試験が無事終わり、答案が最後列から前へと渡った。それらの紙束をシドが回収する。
「皆さん、お疲れさまです。結果は後日、授業で」
監督者は人のよさそうな笑顔を生徒に向けたのち、教室を出た。今日で試験は終わりである。重大なイベントを終えた拓馬は帰り支度をした。その最中にヤマダがやってくる。
「タッちゃん、いまから暇ある?」
「答えの確認でもするのか?」
「シド先生、あのまんまだと本当に倒れそう。だから一緒に帰るように誘いたいの」
ヤマダは教師の転倒を一時の不注意として見過ごす気がない。拓馬は先日、シドが休みを返上して町中を練り歩いたのを思い出した。彼は疲労がたまっているかもしれない。
「そんなにつらそうだったか?」
ヤマダが二度うなずく。
「とにかく、話をつけてくる!」
ヤマダとそのお守りの白い狐が教室を走り出た。拓馬が廊下に行ってみると、答案の束を持つ教師が他の女子生徒に捕まっていた。シドが女子らに解放されたあとで、ヤマダが声をかける。その会話は拓馬に聞こえない。
「あれ、帰らないの?」
鞄を持つ千智が拓馬に話しかけてきた。拓馬は状況を正直に話した。彼女はうなずいて「まあ、ヘンよね」とヤマダに同意する。
「先生は三郎の攻撃を全部かわせるのに、なにもない床でつまづくなんて」
三郎は剣道部員だが、徒手での戦いにも興味を示す男子だ。それゆえ彼は武芸家だと見込んだシドに徒手で稽古をつけてもらったことがある。拓馬は稽古風景を終始観戦してはいないものの、シドの回避行動の中で、彼の足がふらつくところは見なかった。
「あ! 危ない!」
千智は鞄をその場に放りすてた。
(まさか先生がたおれて……)
拓馬の不安は的中しかけていた。大柄な教師は、女子生徒にもたれかかる。小柄なヤマダでは教師の体を支えきれない。両者が体勢を崩す。大きな音が廊下中に伝わった。
「先生、ヤマちゃんがつぶれちゃう!」
千智は倒れる彼らの耳元でさけんだ。女子に覆いかぶさった教師の意識はなく、下敷きになった生徒も反応がない。さいわい生徒の後頭部は教師の右手で守られてあった。
拓馬は「先生をどかすぞ」と宣言した。ヤマダの上半身だけでも負荷を取り除く必要がある。そう判断して教師の肩を押そうとしたとき、教師が目を開ける。倒れたときの衝撃で彼のサングラスはずり落ちており、青色の目が露わになる。
「シド先生、気がついた?」
千智が意識確認の言葉を投げかけた。教師は返答するよりさきに上半身を起こす。
「……無様なところをお見せしました」
シドは座位に体勢を変えながらつぶやいた。いたって冷静に、落ちかかったサングラスをかけなおす。彼はその場で立膝をついた。ヤマダの肩と腿の裏に腕をとおす。
「オヤマダさんを保健室へ運びます。ネギシさんは答案を職員室へ届けてくれますか?」
いましがた昏倒した男が、気絶中の女子を運ぼうと言う。拓馬は無謀だと判断する。
「俺がヤマダを運ぶよ。先生は休んでて」
「私は平気です。もうなんともありません」
シドがヤマダの上体を起こした。するとヤマダが目覚め、拓馬と目が合う。
「……あれ? 学校?」
次にヤマダは自身の体を支える者を見る。すると彼女は固まった。反対にシドは笑みを浮かべる。
「痛いところはありませんか?」
ヤマダは視線をそらして「えっと……」と口ごもった。状況がまだ飲みこめないらしく、返答に窮している。そこへ慌ただしく廊下を駆ける音が近づいてきた。
「おい! 先生が倒れたって……」
拓馬らの担任が騒ぎを聞きつけてきた。本摩はシドと生徒たちを見て、ぽかんとする。
「小山田が倒れた、のか?」
本摩は聞いた情報と現実との相違に困惑していた。教師たちが事実を共有したのち、この場は解散となる。シドは即時帰宅することとなり、拓馬とヤマダも二人で一緒に帰った。
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