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2018年06月27日

拓馬篇−7章2 ★

「その子に手を出すの、なしね」
 ノブの友人──崔俊という中国人──が立ち上がる。一見普通の中年男性だが、その体は図抜けてタフかつ身軽だ。大男はぐったりするヤマダを寝かせ、彼女から離れる。
「……何者だ?」
「ただの会社員ね」
 ジュンは上体を前のめりにして走り、攻撃を仕掛ける。対する大男は迎撃姿勢もとった。
 ジュンは身を低くし、足払いをかける。大男が軽く跳んでかわした。その直後、ジュンはベルトのバックルを振りはらった。バックルには鞭のような細長い帯状の金属が繋がっている。ベルトに似せた武器だ。ジュンは腰に巻いていた暗器で大男の上着を裂いた。ジャンプしていた大男が地に足をつける。そして彼の衣服に損害を与えた獲物を見る。
「腰帯剣《ようだいけん》……」
「おや、物知りね。その通り、これヤオダイジェンよ」
 大男は暗器の使い手を見据えた。ジュンはしなる剣を振るう。その剣は刃先が丸い。
「なまくらだけど、当たると痛いよ」
 ジュンの剣は鈍器のたぐいだ。それを彼は「なまくら」と表現した。
 武器で威嚇されても大男はひるむ様子がない。彼は大胆にジュンに詰め寄り、剣の射程内へ入る。剣による攻撃を待っているようだ。見え透いたカウンターを警戒してか、ジュンは大男の顔めがけて蹴りを放った。
 大男はかがんで攻撃をかわした。同時に大きく踏みこむ。ジュンが後退する暇を与えないまま、ジュンの顔面をつかんだ。絶体絶命──かと思われたが、ジュンは手中の剣で大男の首をねらった。直撃寸前、大男の空いた手で刃は受け止められる。すると武器は乱暴に投げ捨てられた。
 ジュンは武器を失った。それでも彼の闘志は衰えず、自身を捕縛する大男の腕の上と下から、手刀を繰り出した。上下からの打撃が命中する。しかし頑強な太い腕には効果がなかった。依然として拘束は解けない。
「お前……並みの暴漢ではないね」
 ジュンは自身の顔を圧迫する手をつかむ。
「なにが目的でこの子たちを狙う?」
「……答える義理はない」
 大男が片手でジュンを持ち上げる。顔をしめつけられるジュンは苦悶の声をあげた。痛々しい声は長く続かず、即座に捕捉者がジュンを投げ飛ばす。ジュンは軽々と吹っ飛び、木の幹に背中を強打した。
 大男はジュンを一瞥した。敵の復帰に時間がかかると知るや、立ちすくむ須坂を見る。
「もう、会うことはない」
「えっ……?」
 大男は一言つぶやいたきり、静かに去る。須坂はその後ろ姿を見たまま、呆然とした。
 勝負は完敗に終わった。達人級に強いと拓馬が思っていたジュンでも、大男には歯が立たない。結果は出せなかったが、敵対する者が無敵だという収穫はあった。それゆえに無力感が拓馬にのしかかる。
(やっぱり、シズカさん頼りになるか……)
 わかってはいた事態だ。こうも完膚なきまでに負けるとかえってすがすがしい気もする。
(ジュンさんが勝てないんじゃ、俺がどうがんばっても勝ち目ないってことだな)
 普通の人間では太刀打ちできない相手──それが視覚化されて、ふんぎりがついた。
 拓馬は重い体を強引に起こす。拓馬より先に戦闘不能になった者もぞくぞくと復帰する。
「くっ……してやられたな……」
 三郎が竹刀を杖がわりにして立つ。その声は腹立たしげだ。
「結構たくましい体だったわね〜」
 反対に千智は座ったまま、大男との遭遇をよろこんでいた。彼らは無事だ。拓馬はもっとも激しい打撃を受けた者の容態を確認しにむかう。拓馬が潜伏していた茂みを越えた場所に顔見知りの男性が木の幹にもたれている。
「ジュンさん、無事か?」
「メイシ、なんともないよ」
 ジュンがすっくと立つ。座っていた人がただ腰を上げたような、しっかりした動作だ。その仕草からは深手を負っていないように見えた。拓馬は安心する。
「よかった……いちばん酷くやられたジュンさんが、なんともなくて」
「たぶん、あの男はさじ加減をわかってやってるね」
「なにを?」
「『これぐらいの攻撃は耐えられる』という見極めだよ」
「痛めつけていい人とダメな人を、区別してる?」
 ジュンは両手を上下から背に回して、ぽんぽんと埃を払う。
「そう。長く戦っていたら、大ざっぱにわかるようになるよ」
「じゃああいつ、わりと歳食ってんのか?」
「それはどうかわからないね」
 拓馬がジュンによる大男の印象を聞くところを、三郎がとぼとぼと歩み寄ってくる。
「オレは須坂と千智を送ってから帰ろうと思うが……」
 三郎はちらっとジュンを見た。拓馬とジュンが協力して、ヤマダ親子の帰宅をうながすことを期待しているらしい。拓馬は「ヤマダたちは任せてくれ」と先に言う。
「ジュンさんと一緒ならなんとかなる」
「では頼む」
 三郎はジュンに「勝手ながらお願いします」と一礼した。この礼儀正しさが目上の者からの評判がよいポイントなんだろう、と拓馬は思った。
 三郎と女子二人が公園を後にし、この場には拓馬たち計四人が残る。うち二人は地面に寝そべったままだ。拓馬は覚醒の望みのあるヤマダを起こしにかかる。彼女の頬を軽く叩くと、すぐに目を開けた。
「大丈夫か?」
「あ、タッちゃん……」
 ヤマダがむくりと上体を起こす。拓馬の後ろに立つジュンを発見すると「どうだった?」と拓馬にたずねる。
「わたし、途中から寝ちゃって……」
「負けだ負け。ジュンさんでも勝てる気配ゼロだったぞ」
「そっか……完敗かぁ」
「それよか、お前の体は平気か?」
「うん。痛いところはないよ。いきなり抱きつかれたのはびっくりしたけど」
 大男は器用な回避行動をとっていた。ヤマダが上段から両手で木刀を振るう、その腕と腕の隙間に自身の頭をつっこんだ。体格差のいちじるしい相手に、そう簡単にやれることではない。
「あいつ背がデカいのに、よくあんなのやったよな」
「あの姿勢ってどうやってたんだろ。アキレス腱伸ばしでもやってたのかな?」
「俺もそこまで見てない」
 二人の会話を、ジュンが「話は帰り道で」と中断させる。
「トンちゃんは持ってきた道具を回収! わすれものがないようにね」
「あ、うん……片付けするよ」
 ヤマダは最初に潜んだ場所へ向かった。ジュンも大男に投げ捨てられた暗器を回収する。しなる剣を、鞘にあたるベルトに収納していく。拓馬は身一つで集合したのでやることがなく、パッと思いついた疑問をジュンに聞く。
「ジュンさんはもっとはやく公園にくるもんだと思ってたけど、なんかあった?」
 大男登場から戦闘開始まで、ノブが予定外の時間稼ぎをしていた。にもかかわらずジュンの到着は他全員の全滅と同じタイミングだった。そこになんらかの手違いがありそうだ。
「ヤマダの連絡がミスってたとか……」
「遅れてすまないね。トンちゃんの連絡はとどいていたんだけれど、こっちもハプニングがあったよ」
「なにが起きてた?」
「髪を染めてる男の子……が倒れてた。話しかけても反応はないし、救急車をよんであげたらいいんだろうが、そんな時間がなくて……近くの家の人におしつけてきたよ」
「それ、倒れてた人がどうなったのか聞きにいったほうがいいんじゃ?」
「そのつもりはあるんだがね……まあシェン兄を運ぶのは後回しでいいか」
 ジュンの武器の柄がバックルに擬態した。移動の準備ができたジュンはヤマダのいるほうへ体を向ける。
「トンちゃん、家に帰るまえにすこーし待っててちょうだいよ」
「わたしもついていっていい?」
「かまわないけど、なぜに?」
「よく町中をうろついてる『髪を染めてる』『男の子』には知ってる子がいるの」
 その人物は拓馬も心当たりがある。まさか、とは思うが、あの喧嘩っ早い性格では何者かに昏倒させられる事態もありうると思った。
「じゃあトーマにはシェン兄を見張っててもらおうか」
 ジュンが拓馬にそう指示した。うなずく拓馬に、ヤマダが自身の荷物を渡す。
「これも見てて!」
「わかった。荷物番をしとくから、はやくもどってきてくれよ」
「うん。じゃあオヤジに気をつけてね。ヘタに近寄ったら抱き枕にされるからね」
 光景を想像したくない忠告だ。ヤマダは気味の悪い助言をしたあと、ジュンと一緒に公園を出る。公園に居残った拓馬は、すこしまえまでノブが座ったベンチへ腰を下ろした。

posted by 三利実巳 at 02:50 | Comment(0) | 長編拓馬 

2018年06月25日

拓馬篇−7章1 ★

 時刻は夜の九時頃。ヤマダの作戦を実行するにあたり、拓馬たちは以前に不良と格闘した公園にきた。連中はあれ以来、公園に現れていない。一度学校の近辺を張りこまれたこともあったが、それから目撃情報はない。不良の件は一段落ついており、拓馬たちの目下の関心は大男に一点集中した。
 少年少女たちは暗い公園内に待機する。作戦の拠点となる場所はベンチ。その真正面と斜め横の二箇所の茂みに二人ずつ隠れる。ヤマダは仙谷と組み、斜め横の位置を担当する。真正面を担当する拓馬の相方は、当初不参加の予定だった千智だ。
「夜間外出禁止の規則は守らなくていいのか?」
 と、千智の参加宣言を受けた際に、拓馬は異議をとなえた。
「お友だちの家にお泊りするんだったら、夜でも自由にうごけるの」
 千智は噂の大男に会いたいがために、週末は本当に名木野宅に泊まるという。その熱意と行動力は並みの野次馬でない。ここまで努力されてはだれも反対できなかった。
 暗がりの中、拓馬はしゃがむ自分の足元を見た。薄茶色の柴犬似な小型犬がいる。腹を地につけた姿勢で、その背中を千智になでられていた。
 この犬はシズカが遣わした獣だ。いつもは常人に見えない獣が、いまは実体化した状態でいる。この形態で派遣された目的はおそらく、大男に対する擬態だ。この場に普通の犬がいると油断させる。その偽装工作にふさわしく、犬は愛嬌のあるたたずまいだ。とても悪党をたおせる猛犬には見えない。もし須坂に見せたら「こんなのがどう役に立つの」となじられそうだ。千智もそんな姿にだまされて「この子、一晩借りていっちゃダメかしら」と犬の愛らしさを気に入っていた。
 拓馬たちが潜伏する中、二種類の男性の声が近付いてきた。声の主が公園の電灯にさらされる。痩せぎみの男性が、大柄な男性に肩を貸している。千智が「背の大きい人がヤマちゃんのお父さん?」とたずねてきた。
「ああ、そうだ。細いほうはジュンさん」
「ジュンさんって人がいっしょに戦ってくれるのよね」
「そうなってる」
 拓馬の知人男性らを知らぬ千智は「わかったわ」とすぐに納得してくれた。同様のやり取りが他方のヤマダ組でも行われているはずだ。公園を訪れる人が知人か否かを見極めるため、今回は幼馴染コンビを分断していた。
 中年たちはトイレ近くのベンチに腰を下ろした。細身の中年が立ちあがる。
「シェン兄、ここにトンちゃんがくる」
 ジュンはノブとヤマダを独自のあだ名でよぶ。それは彼の母国での漢字の読み方に由来した。そういった呼び名は拓馬にもある。
「それまで寝ないで待っててよ」
「もう帰るのかぁ?」
「そういう約束ね。また近いうちに顔を出すよ」
 ジュンはノブの肩を軽く叩き、去っていった。残されたノブは大きなあくびをする。所在なさげに両腕を上へ伸ばしたり肩を回したりした。ヤマダに扮する須坂が接触する好機だ。しかし仕掛け人はまだこない。
 ノブは頭をこくりこくりと揺らした。我慢むなしく、とうとうベンチの上で横になる。寝息はいびきに変わった。本格的に寝入りにかかった、かと思うと突然「いってぇ!」と跳ね起きる。ヤマダが用意したパチンコの投石攻撃が命中したらしい。眠気覚ましとはいえ、親を親とも思わぬ仕打ちだ。拓馬は内心ノブを憐れんだ。
 ノブは脇腹をさすりながらベンチに座りなおす。周りをきょろきょろ見る。どこから飛来物があったのか、探しているらしい。
 急にノブは一点に視線を合わせた。立ち上がり、ゆっくり歩く。ノブが向かう先に、白か水色らしき物体がある。須坂が被る頭巾だ。
「よー、遅かったなぁ!」
 ノブは娘の頭巾を被った者に接近した。それが見ず知らずの少女だとは露にも思わない。
「うっかり寝ちまうとこだったぜ」
 大胆にも少女に抱きついた。拓馬はノブの行為が須坂を怒らせないかと不安に駆られた。
 ノブは元来スキンシップの好きな人だ。酔うと一層その性格が強くなる。男嫌いな須坂には刺激の強すぎる相手だ。ノブが胸中の頭巾をなでて「帰るかぁ」と言う。須坂はノブの腹を押した。離れようと抵抗しているのだ。その嫌がる態度が、いまは大事だ。
「なんだ、今日は元気ねえな」
 ノブは須坂の肩を手でおさえる。
「パンチのひとつや二つ、打ってこいよ。張り合いがねえ」
 ノブはいまだに須坂が娘だと思っている。偽の娘の反抗が弱すぎる、というケチをつけた。須坂はノブの指示通りにノブの腹へ一発入れる。ノブは「ヘナチョコすぎんぞ、もっと腰を入れろ」と威力の低さを指摘した。
 格闘指南が始まってまもなく、ノブの頭上から大きな影が落ちた。現れた者は鍔広の帽子を被っており、身の丈はノブを超える。
(よし、きたな!)
 順調に事が運んでいる。決行の合図が出るまで、拓馬は緊張しつつ待った。
 ノブが異様な気配を察知し、振り返る。
「あれ? 二メートル近い身長に、帽子……」
 ノブは須坂を解放した。彼女を自身の背に隠すように立つ。
「娘を襲ったやつか?」
 ヤマダは大男のことを親に話していたようだ。だからノブが娘をかばおうとしている。
「……だとしたらどうする」
 低く重い声だ。外見だけでなく声も他者に重圧を感じさせる。そんな男を相手にノブは「ちょうどいい!」と歓迎する。
「おれも家まで送ってくれよ」
 独特のポジティブ思考のもと、ノブは大男の懐へ身をあずける。
「もー眠くてしゃーねえんだ」
 ノブは相手が知己であるかのように、馴れなれしく抱きつく。
「布団の上まで運んでちょ」
「……」
 大男は無言で酔っ払いを突き飛ばした。その対応を見た拓馬は大男に同情してしまう。
(なんかノブさんが加害者になってる?)
 酔漢が通行人に迷惑をかける構図になった。いちおうは意図したやり取りではあるものの、その被害が標的である大男までいくことは想定になかった。
 ノブは地面に倒れる。酩酊中といえど、ノブは倒れる際に受け身をとった。体に染みついた武術がなせる業だろう。転倒したことを痛がりもせず、大の字の姿勢のままいびきをかき始めた。どこまでもマイペースな人だ。そのせいで拓馬の緊張が途切れた。
 須坂を救出した大男は無言で去ろうとした。そのとき、潜伏していた三郎が竹刀を手にして躍り出る。これが最初の合図だ。千智が「行ってくるわ!」と三郎に続いた。拓馬はジュンの増援があるまで待機することになっており、しばし見守る。
「手合わせ願おう!」
 三郎が下段の構えで大男に突進する。竹刀が大男の太ももをとらえた。だが大男は攻撃を食らう直前に竹刀をつかんでおり、握った竹刀を真上へ振り上げる。竹刀は三郎の手から抜けた。強い摩擦熱を手に感じた三郎がひるむ。その隙に、大男は竹刀を叩きつけるように三郎へ返す。三郎はとっさに両手を広げた。しかし竹刀を受けとめきれず、倒れた。
 次に千智が大男めがけて飛び蹴りを繰り出した。大男はヤマダの潜伏する方向へ歩き、回避する。歩行はやまず、彼はヤマダの待機場所へ進む。単に移動しているだけのように見えた。大男が攻撃者をいないも同然にふるまっている。その様子に千智は腹を立てる。
「なーんであたしには興味ないのよ!」
 千智が怒りを爆発させた。自棄になって大男の背面から抱きつく。
「ねえ、顔見せてよ!」
 千智は相手の横腹と腕のすきまに顔をぐいぐい押し込んだ。大男の片腕が上がる。彼の手は千智のうなじにかかった。
「やーん! 猫じゃないんだから!」
 首筋をつかまれた千智は身をよじる。だが拘束をゆるめようとはしない。膠着状態が続くと、千智のうごきがどんどん鈍くなった。威勢の良かった勝気な少女がくずおれる。
「なんだか、足がへろへろに……」
 千智は横座りし、後方へしおしおと倒れた。
「元気を奪われたんだ」
 と、だれかが拓馬に説明する。拓馬が声の主を捜すと、横にヤマダがいた。所定の位置から移動してきたようだ。片手には小太刀サイズの木刀をにぎっている。
「ジュンさんがくるまえに決着つきそうね」
 明るい調子でヤマダは言う。そのセリフには前向きに解釈できる余地がなかった。
「俺らが負けるって意味でか」
「うん、こりゃわたしの読みが甘かったね」
 二人が作戦失敗を口にしていると、仰向けに倒れていた三郎が起き上がった。彼は竹刀の先を地に突く。竹刀を支えに立とうとしているのだ。しかし大男に捕まり、あえなく地面へ突っ伏した。全滅は時間の問題だ。ヤマダは拓馬の肩に手をのせる。
「一蓮托生、わたしらもやられよう! なぁタッちゃん」
 まるでアトラクションをたのしみにいくかのようにヤマダが誘ってきた。拓馬は「あきらめるな」と断る。
「ジュンさんがくるまで、ねばってみるぞ」
 拓馬は予定を前倒し、大男に挑む。防がれるとわかっていても、手加減はない回し蹴りを試みた。大男は拓馬の足首をつかんだ。そこから黒い煙のようなものがたちこめる。
「な……んだ、その黒いの……?」
 次に拓馬ののどが捕捉される。足同様に煙が現れた。黒煙が噴出するにつれ、拓馬の体が重くなる。これが千智らを無力化した技のようだ。拓馬が抵抗する力を失った頃合いに、大男は拓馬を放した。拓馬は意識があっても身動きが取れない。あえなく戦闘不能者の仲間入りをした。
 不審者以外に立っている者は美弥とヤマダのみ。大男は次にヤマダに狙いを定める。ヤマダは短めな木刀をかまえる。そのとき──
「あなたは、どうして私を尾けるの?」
 須坂が大男に話しかけた。タイミングからして、ヤマダへの注意を自分に引こうとしているらしい。大男の歩みが止まった。
「わけもわからずに守られるのは気味が悪いのよ。理由を教えて!」
 大男は答えない。再度、もうひとりの健在者に近付いた。ヤマダは一歩踏み込み、木刀を横に払う。射程が短い武器のせいで切っ先は敵に届かない。それはヤマダなりの威嚇だ。
「美弥ちゃんの質問に答えてよ」
 凛然とヤマダが言い放つ。さっきまで「やられよう」とのんきにかまえた者とは思えないくらい、シリアスな雰囲気をかもす。
「レディに礼を尽くすのがナイトでしょ?」
 ヤマダは須坂の護衛役を果たそうとする大男に礼儀を説いた。木刀の先を大男に向ける。すると大男が前傾姿勢になる。彼は大振りな回し蹴りを放つ。この攻勢は拓馬の予想外だ。
(あいつ、ヤマダを大事にしてるくせに?)
 正確にはヤマダに憑りつくなにかを大男は気にかけている、というのが拓馬の父の見立てだ。その宿主であるヤマダも彼の保護対象のはず。ヤマダの挑発的な物言いのせいで、彼の考えが変わったのかもしれない。
 拓馬の不安をよそに、ヤマダは大男の攻撃をかがんで回避した。矢継ぎ早に大男との距離を詰める。無防備な背中へ一刀見舞おうと、木刀を振り上げた。だが武器は天を仰いだまま、下がらない。振り下ろせないのだ。ヤマダの両手首は大男のうなじに乗っている。相手が瞬時に方向転換したうえに零距離まで接近したために、ヤマダが大男の首に抱きつくような状態になった。おまけに大男はヤマダの背へ両手を回している。両者は前にも後ろにもうごけない状況だ。
「えっと……ちょっと、いや、だいぶ近くないかな?」
 ヤマダは逃げ場がない。大男の腕の中でまごつき、例のごとく活力を失っていく。彼女の手から木刀が落ちた。からん、と木製の武器が地面に転がる。
(やっぱ全滅か……)
 拓馬はあきらめた。あとは仲間がこれ以上傷つかずにすむのを祈るのみだ。
 不意に大男は後方へ手をのばした。次の瞬間、大男の手中に靴がおさまる。だれかの足だ。大男は靴ごと人を横薙ぎに投げた。すると宙返りをうつ人影が生じる。投げられた人物は足をかがめて着地した。その衣服と体術は、酔漢を公園へ運んだ中年のものだっだ。

posted by 三利実巳 at 23:00 | Comment(0) | 長編拓馬 
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