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2018年07月09日
拓馬篇−7章5 ★
拓馬たちが大男に大敗を喫したあと、なんの進展もなく時間が経過した。とうとう期末試験の期間に突入する。この時期は多くの生徒が愚痴っぽくなる。だれしも無残な試験結果を残したくないのだが、かといって万全の試験態勢でいどめるほどの勉強はしたくない。その葛藤が不機嫌な態度にあらわれた。
試験のさなかでも平素と変わらぬ生徒はいる。普段から学習を続けている勤勉な生徒と、なるようになると諦める生徒と、赤点をとらない程度の試験範囲をきっちり把握する生徒。拓馬の場合は赤点の回避対策をしている、そつのない生徒だ。それゆえ試験に対する不安はかきたてられなかった。唯一の不安をあげるとすると、それはヤマダの英語の試験結果だ。彼女は筆記の試験になるとあまり点数がのびない。言語分野を感覚で理解するせいで、正確な読解や文法問題は苦手なのだ。
ただし今回は彼女の試験結果が良くなる見通しがある。英語の試験内容の大半は直前の授業で教わり、一字一句変更なく試験に出すという。これほど広範囲の正確無比な「ここ試験に出るよ」発言はいままでの英語の授業にはなかった。答案作成者が新人の教師であり、彼が今期を最後に退職することもあって、ご祝儀的な試験になったらしい。英語が苦手な生徒にはよろこばしいことこのうえない。
本日最後の試験は英語。その直前、生徒たちは休憩時間を利用して、最後の追い込みにかかる。赤点を回避できる答えを写したノートを見返すのだ。ヤマダもご多分にもれず、ノートを穴が開くほどにらんだ。
数名の試験監督者が廊下に出てくる。生徒は指定の席にもどり、配られた裏返しの問題用紙と答案用紙を机上に置いた。
スピーカーから試験開始の合図が鳴る。一斉に生徒が裏返しの用紙を表にする。そこには事前に提示された通りの出題が半数あった。
(よし、これなら大丈夫)
今回の試験はやさしいと拓馬は確信し、快調に問題を解きすすめた。
告知にあったままの解答部分を書き終える。気持ちに余裕が生まれた拓馬はちらっとヤマダの様子を見る。いまごろは授業で知らされなかった難問に直面し、頭を抱えていると想定したが、ちがった。頭を抱えるどころか机につけている。どうも寝ているらしい。
(いま居眠りするやつがあるか?)
試験監督の女性教師がその異変に気付いた。この教師は前年度に拓馬とヤマダの担任をしていた人だ。教師は教壇を離れ、ヤマダの肩をゆすった。効き目はないが、監督者は過激な叱咤ができなかった。それは教師の温柔な性格が関係するものの、最大の理由はこの場の雰囲気だ。静寂を求められる試験環境が災いし、とうとう教師はヤマダを放置した。
(最低限のところを書けてりゃいいが……)
拓馬は動揺をぬぐえないまま、残りの解答に集中する。薄情だが共倒れをする意味もないので、ここは最善を尽くした。
試験終了のチャイムが鳴る。答案が回収され、ほぼ全員が満足のいく解答ができたおかげか室内はなごやかな雰囲気になる。その中でヤマダだけは気が滅入っていた。彼女は空欄だらけの答案を提出したのだろう。休憩時間になってから、拓馬は彼女の体調を尋ねる。
「お前、寝てただろ。調子よくないのか?」
「わたしは健康だよ。だけど……テスト中にちょっかいかけられて」
「まさか、例の……」
ヤマダはうなずく。試験中に何者か──おそらくは精神体の大男──に力を奪われてしまい、居眠りをしてしまったらしい。
「試験が終わるまで、シズカさんの友だちに守ってもらおうかな……」
「ああ、俺からシズカさんに伝えておくよ」
「おねがいね。てっきり夜にだけ活動するもんだと油断してた」
「俺も、ちょっとは常識あるやつかと思ってたが……こんないやがらせをしてくるとは」
「悪気があったかはわかんないよ。死にそうなくらいお腹がへってたのかも」
ヤマダは異形への寛容な理解を示した。たったいま不利益を被ったにもかかわらず、加害者に嫌悪する様子がない。ひとえにヤマダの鷹揚さがなせる反応だ。
「人がいいな、ほんとに……」
ほめたつもりだったが、ヤマダの浮かない顔は変わらない。彼女は「ああー」と悲嘆に暮れながら突っ伏す。
「追試か……」
まぬがれ得たはずの好機を失った失望感は大きい。拓馬は彼女の肩に手を置く。
「試験がぜんぶおわってから落ちこめ」
試験は明日明後日と連続していく。今回の被害を最小限にとどめるには、とっとと気持ちを切り替えるほかない。ヤマダとてそのことを頭で理解できているだろうが、なかなか実行できずに顔を伏せっている。見かねた拓馬は彼女を元気づけるものをエサにする。
「昼飯食ったら、うちにこい。気がすむまでトーマと遊んでいいぞ」
落胆中の女子が顔を拓馬に向けた。その片頬はいまだに机と密着している。
「うん。癒されにいく」
承諾はとれたが、傷心中の女子が席を立つ気配はなかった。
「俺は帰るからな」
拓馬はそう告げて、帰り支度をした。鞄に荷物を詰めおえた際にちらっとヤマダを見る。机に伏せる姿勢は同じだが、顔は反対を向いていた。まだ帰宅する意思はないらしい。
(ほっといて平気かな……)
時間つぶしがてら、この場でシズカへの諸連絡をひそかにやっておいた。が、それが済んでも幼馴染にうごきはなかった。仕方なく拓馬はひとりで家路についた。
試験のさなかでも平素と変わらぬ生徒はいる。普段から学習を続けている勤勉な生徒と、なるようになると諦める生徒と、赤点をとらない程度の試験範囲をきっちり把握する生徒。拓馬の場合は赤点の回避対策をしている、そつのない生徒だ。それゆえ試験に対する不安はかきたてられなかった。唯一の不安をあげるとすると、それはヤマダの英語の試験結果だ。彼女は筆記の試験になるとあまり点数がのびない。言語分野を感覚で理解するせいで、正確な読解や文法問題は苦手なのだ。
ただし今回は彼女の試験結果が良くなる見通しがある。英語の試験内容の大半は直前の授業で教わり、一字一句変更なく試験に出すという。これほど広範囲の正確無比な「ここ試験に出るよ」発言はいままでの英語の授業にはなかった。答案作成者が新人の教師であり、彼が今期を最後に退職することもあって、ご祝儀的な試験になったらしい。英語が苦手な生徒にはよろこばしいことこのうえない。
本日最後の試験は英語。その直前、生徒たちは休憩時間を利用して、最後の追い込みにかかる。赤点を回避できる答えを写したノートを見返すのだ。ヤマダもご多分にもれず、ノートを穴が開くほどにらんだ。
数名の試験監督者が廊下に出てくる。生徒は指定の席にもどり、配られた裏返しの問題用紙と答案用紙を机上に置いた。
スピーカーから試験開始の合図が鳴る。一斉に生徒が裏返しの用紙を表にする。そこには事前に提示された通りの出題が半数あった。
(よし、これなら大丈夫)
今回の試験はやさしいと拓馬は確信し、快調に問題を解きすすめた。
告知にあったままの解答部分を書き終える。気持ちに余裕が生まれた拓馬はちらっとヤマダの様子を見る。いまごろは授業で知らされなかった難問に直面し、頭を抱えていると想定したが、ちがった。頭を抱えるどころか机につけている。どうも寝ているらしい。
(いま居眠りするやつがあるか?)
試験監督の女性教師がその異変に気付いた。この教師は前年度に拓馬とヤマダの担任をしていた人だ。教師は教壇を離れ、ヤマダの肩をゆすった。効き目はないが、監督者は過激な叱咤ができなかった。それは教師の温柔な性格が関係するものの、最大の理由はこの場の雰囲気だ。静寂を求められる試験環境が災いし、とうとう教師はヤマダを放置した。
(最低限のところを書けてりゃいいが……)
拓馬は動揺をぬぐえないまま、残りの解答に集中する。薄情だが共倒れをする意味もないので、ここは最善を尽くした。
試験終了のチャイムが鳴る。答案が回収され、ほぼ全員が満足のいく解答ができたおかげか室内はなごやかな雰囲気になる。その中でヤマダだけは気が滅入っていた。彼女は空欄だらけの答案を提出したのだろう。休憩時間になってから、拓馬は彼女の体調を尋ねる。
「お前、寝てただろ。調子よくないのか?」
「わたしは健康だよ。だけど……テスト中にちょっかいかけられて」
「まさか、例の……」
ヤマダはうなずく。試験中に何者か──おそらくは精神体の大男──に力を奪われてしまい、居眠りをしてしまったらしい。
「試験が終わるまで、シズカさんの友だちに守ってもらおうかな……」
「ああ、俺からシズカさんに伝えておくよ」
「おねがいね。てっきり夜にだけ活動するもんだと油断してた」
「俺も、ちょっとは常識あるやつかと思ってたが……こんないやがらせをしてくるとは」
「悪気があったかはわかんないよ。死にそうなくらいお腹がへってたのかも」
ヤマダは異形への寛容な理解を示した。たったいま不利益を被ったにもかかわらず、加害者に嫌悪する様子がない。ひとえにヤマダの鷹揚さがなせる反応だ。
「人がいいな、ほんとに……」
ほめたつもりだったが、ヤマダの浮かない顔は変わらない。彼女は「ああー」と悲嘆に暮れながら突っ伏す。
「追試か……」
まぬがれ得たはずの好機を失った失望感は大きい。拓馬は彼女の肩に手を置く。
「試験がぜんぶおわってから落ちこめ」
試験は明日明後日と連続していく。今回の被害を最小限にとどめるには、とっとと気持ちを切り替えるほかない。ヤマダとてそのことを頭で理解できているだろうが、なかなか実行できずに顔を伏せっている。見かねた拓馬は彼女を元気づけるものをエサにする。
「昼飯食ったら、うちにこい。気がすむまでトーマと遊んでいいぞ」
落胆中の女子が顔を拓馬に向けた。その片頬はいまだに机と密着している。
「うん。癒されにいく」
承諾はとれたが、傷心中の女子が席を立つ気配はなかった。
「俺は帰るからな」
拓馬はそう告げて、帰り支度をした。鞄に荷物を詰めおえた際にちらっとヤマダを見る。机に伏せる姿勢は同じだが、顔は反対を向いていた。まだ帰宅する意思はないらしい。
(ほっといて平気かな……)
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2018年07月06日
拓馬篇−7章4 ★
翌週、拓馬は教室で浮かない顔をした三郎に会った。正しくは、拓馬が入室した途端に三郎の顔色がくもった。拓馬を見かけたのをきっかけに、大男の一件が連想されたらしい。
「あの男、めちゃくちゃ強かっただろ?」
「ああ……完膚なきまでに負けた」
「まだ俺たちで捕まえる気はあるか?」
失意の男子はひかえめに首を横に振る。
「無理だな。間近で見て、はっきりわかった。やつにとってオレたちは赤子同然だ」
「俺もそう思う。ありゃ普通の警察もお手上げだな」
「シズカさんはやつをどう捕縛するつもりだ? 真っ向勝負では勝機がないぞ」
「くわしくは聞いてないけど、対策は練ってる。あとはシズカさん任せでいいか?」
「わかった……口惜しいがオレたちでは打つ手がない」
真っ当に学業に励もう、と三郎は優等生らしい方針を述べた。その気持ちは実直なようで、彼は席に着くと教科書を読みはじめた。
(いっつもこうならいいんだけどなぁ……)
大人たちも同じ感想を持つだろう。本人の心中はどうあれ周りには好ましい変化だ。
「おっと、そうだ」
三郎が机の側面に掛けたリュックサックに手を入れる。そこからノートを一冊出した。表紙に極秘とマジック書きされている、大男に関する情報をまとめた記録物だ。
「これを拓馬にあげていいか」
「なんで俺に?」
「ここに、まだシズカさんに伝えられることが残っているかもしれん」
拓馬はこの提案に気乗りしなかった。どこまでシズカが例の男のことを把握しているのか、不透明だからだ。既知情報を伝えても時間の無駄である。
「えー……どれをシズカさんに言ったか言ってないかはおぼえてねーぞ」
「使える記録がなければ、処分していい」
処分のほうが重要なのだと拓馬は察した。彼がこの件から手を引くケジメだ。そのように考えた拓馬は友人のノートを受け取った。
(捨てるくらいならヤマダに渡そうかな)
ヤマダは日々の記録を書き留めている。その材料になりうる素材だ。あとで彼女に渡そうと思い、拓馬は自席に向かうと、女子に呼びとめられる。声をかけた者は須坂だ。
「あなたと、あなたの知り合い……どっちもケガはしてないの?」
「平気だ。あの男が手加減してくれた」
須坂の表情がなぜかくもる。
「……私だけなんにもされなくて、不公平だと思わなかった?」
須坂は自分があの場で唯一無事だったのを、引け目に感じている。拓馬は首を横にふる。
「俺らはあいつにケンカふっかけて、返り討ちにされた。それだけのことだ」
反撃を食らうのは承知の上だった。これは予見できた被害である一方で、須坂は予想外の展開に巻きこまれていた。
「そういやノブさんに抱きつかれてたろ?」
須坂が顔をそむけた。恥ずかしがっているようだ。やはり彼女には抵抗のある状況だったのだと拓馬は同情する。
「イヤだったろうな、男が苦手なのに……俺からあやまるよ」
「べつに、あなたがわるいんじゃ……」
「フォローになるかわかんねえけど、ノブさんに下心は全然ないんだ」
「それはわかってる。あのお父さんは私を自分の娘だと思って、ああやったんだもの」
須坂は好意的な解釈をしてくれている。やせ我慢をしている様子はなく、ノブへの嫌悪感は伝わってこない。
「あんなふうに、父親に頭をなでられたことがなくって、ちょっと、うらやましかった」
拓馬は耳をうたがった。繊細な須坂とがさつなノブは反りが合わないものだと思っていたのだが。須坂は自分とタイプの異なる異性でも受容できる余裕ができつつあるようだ。
「だいぶ、変わってきたな」
「え?」
「いや……転校したばっかのときだったら、そんなことを言わなさそうだと思ってさ」
須坂は自嘲気味に笑う。その顔には悲壮感もあった。
「クズな男に振りまわされてたせいね」
「お姉さんを追ってきた記者のことか?」
「それもあるし、自分の父親も……」
気丈な女子がネガティブな心情を吐露する。
「あいつは娘のことなんか愛してない。お姉ちゃんの稼ぎがあったから私たちを引き取っただけなの。……母さんが死んじゃったとき、父さんに会えると思ったら悲しくなくなったのがバカみたい」
直後、須坂が目を閉じた。長い髪をゆらす。
「こんなことを言いたかったんじゃない。私は、あなたたちと一緒にいられて、よかったと思ってる。私がめんどくさい女だとわかってるのに、イヤな顔しないで話してくれて、ありがとう。それだけは伝えたかった」
須坂が顔を赤くする。その赤面を見られないようにか、顔を伏せながら席にもどった。彼女にとってはかなり勇気の必要な告白だったようだ。その相手に、男子がえらばれた。
(俺に言うのが、いちばん気楽なのか?)
ほかにも同行した女子、とくに拓馬と同じ状況を知るヤマダ相手に話してもよい内容だ。
(俺、あんまり男だと思われてないのかな)
異性だとわかっているが、そういう目では見ない──ちょうど拓馬がヤマダに接するのと同じ態度だ。それが男として良い評価かはさておき、信頼を築けたことはうれしかった。
拓馬も席に着こうと視線を変える。その先に、歯を食いしばる成石がいた。拓馬は思わずのけぞった。鬼の形相ともいうべき苦渋に満ちた面に驚いたのだ。
「薄ぼんやりしてるきみが、あの子の凍てついたハートを溶かすとは!」
女好きの男子が言いがかりをつけた。どうやら須坂と親しい拓馬に嫉妬しているらしい。
「冴えない見た目の男子にリードを取られてしまった!」
「そんなアホなことを言ってるから、あいつに見向きもされねーんだよ」
拓馬は自分を貶してくる男子に相応の返事をした。
(こいつは須坂にゃ信頼されねーだろうな)
下心が先立つ男子にイライラさせられながらも、拓馬は授業へ意識を持ち直した。
「あの男、めちゃくちゃ強かっただろ?」
「ああ……完膚なきまでに負けた」
「まだ俺たちで捕まえる気はあるか?」
失意の男子はひかえめに首を横に振る。
「無理だな。間近で見て、はっきりわかった。やつにとってオレたちは赤子同然だ」
「俺もそう思う。ありゃ普通の警察もお手上げだな」
「シズカさんはやつをどう捕縛するつもりだ? 真っ向勝負では勝機がないぞ」
「くわしくは聞いてないけど、対策は練ってる。あとはシズカさん任せでいいか?」
「わかった……口惜しいがオレたちでは打つ手がない」
真っ当に学業に励もう、と三郎は優等生らしい方針を述べた。その気持ちは実直なようで、彼は席に着くと教科書を読みはじめた。
(いっつもこうならいいんだけどなぁ……)
大人たちも同じ感想を持つだろう。本人の心中はどうあれ周りには好ましい変化だ。
「おっと、そうだ」
三郎が机の側面に掛けたリュックサックに手を入れる。そこからノートを一冊出した。表紙に極秘とマジック書きされている、大男に関する情報をまとめた記録物だ。
「これを拓馬にあげていいか」
「なんで俺に?」
「ここに、まだシズカさんに伝えられることが残っているかもしれん」
拓馬はこの提案に気乗りしなかった。どこまでシズカが例の男のことを把握しているのか、不透明だからだ。既知情報を伝えても時間の無駄である。
「えー……どれをシズカさんに言ったか言ってないかはおぼえてねーぞ」
「使える記録がなければ、処分していい」
処分のほうが重要なのだと拓馬は察した。彼がこの件から手を引くケジメだ。そのように考えた拓馬は友人のノートを受け取った。
(捨てるくらいならヤマダに渡そうかな)
ヤマダは日々の記録を書き留めている。その材料になりうる素材だ。あとで彼女に渡そうと思い、拓馬は自席に向かうと、女子に呼びとめられる。声をかけた者は須坂だ。
「あなたと、あなたの知り合い……どっちもケガはしてないの?」
「平気だ。あの男が手加減してくれた」
須坂の表情がなぜかくもる。
「……私だけなんにもされなくて、不公平だと思わなかった?」
須坂は自分があの場で唯一無事だったのを、引け目に感じている。拓馬は首を横にふる。
「俺らはあいつにケンカふっかけて、返り討ちにされた。それだけのことだ」
反撃を食らうのは承知の上だった。これは予見できた被害である一方で、須坂は予想外の展開に巻きこまれていた。
「そういやノブさんに抱きつかれてたろ?」
須坂が顔をそむけた。恥ずかしがっているようだ。やはり彼女には抵抗のある状況だったのだと拓馬は同情する。
「イヤだったろうな、男が苦手なのに……俺からあやまるよ」
「べつに、あなたがわるいんじゃ……」
「フォローになるかわかんねえけど、ノブさんに下心は全然ないんだ」
「それはわかってる。あのお父さんは私を自分の娘だと思って、ああやったんだもの」
須坂は好意的な解釈をしてくれている。やせ我慢をしている様子はなく、ノブへの嫌悪感は伝わってこない。
「あんなふうに、父親に頭をなでられたことがなくって、ちょっと、うらやましかった」
拓馬は耳をうたがった。繊細な須坂とがさつなノブは反りが合わないものだと思っていたのだが。須坂は自分とタイプの異なる異性でも受容できる余裕ができつつあるようだ。
「だいぶ、変わってきたな」
「え?」
「いや……転校したばっかのときだったら、そんなことを言わなさそうだと思ってさ」
須坂は自嘲気味に笑う。その顔には悲壮感もあった。
「クズな男に振りまわされてたせいね」
「お姉さんを追ってきた記者のことか?」
「それもあるし、自分の父親も……」
気丈な女子がネガティブな心情を吐露する。
「あいつは娘のことなんか愛してない。お姉ちゃんの稼ぎがあったから私たちを引き取っただけなの。……母さんが死んじゃったとき、父さんに会えると思ったら悲しくなくなったのがバカみたい」
直後、須坂が目を閉じた。長い髪をゆらす。
「こんなことを言いたかったんじゃない。私は、あなたたちと一緒にいられて、よかったと思ってる。私がめんどくさい女だとわかってるのに、イヤな顔しないで話してくれて、ありがとう。それだけは伝えたかった」
須坂が顔を赤くする。その赤面を見られないようにか、顔を伏せながら席にもどった。彼女にとってはかなり勇気の必要な告白だったようだ。その相手に、男子がえらばれた。
(俺に言うのが、いちばん気楽なのか?)
ほかにも同行した女子、とくに拓馬と同じ状況を知るヤマダ相手に話してもよい内容だ。
(俺、あんまり男だと思われてないのかな)
異性だとわかっているが、そういう目では見ない──ちょうど拓馬がヤマダに接するのと同じ態度だ。それが男として良い評価かはさておき、信頼を築けたことはうれしかった。
拓馬も席に着こうと視線を変える。その先に、歯を食いしばる成石がいた。拓馬は思わずのけぞった。鬼の形相ともいうべき苦渋に満ちた面に驚いたのだ。
「薄ぼんやりしてるきみが、あの子の凍てついたハートを溶かすとは!」
女好きの男子が言いがかりをつけた。どうやら須坂と親しい拓馬に嫉妬しているらしい。
「冴えない見た目の男子にリードを取られてしまった!」
「そんなアホなことを言ってるから、あいつに見向きもされねーんだよ」
拓馬は自分を貶してくる男子に相応の返事をした。
(こいつは須坂にゃ信頼されねーだろうな)
下心が先立つ男子にイライラさせられながらも、拓馬は授業へ意識を持ち直した。