2018年07月06日
拓馬篇−7章4 ★
翌週、拓馬は教室で浮かない顔をした三郎に会った。正しくは、拓馬が入室した途端に三郎の顔色がくもった。拓馬を見かけたのをきっかけに、大男の一件が連想されたらしい。
「あの男、めちゃくちゃ強かっただろ?」
「ああ……完膚なきまでに負けた」
「まだ俺たちで捕まえる気はあるか?」
失意の男子はひかえめに首を横に振る。
「無理だな。間近で見て、はっきりわかった。やつにとってオレたちは赤子同然だ」
「俺もそう思う。ありゃ普通の警察もお手上げだな」
「シズカさんはやつをどう捕縛するつもりだ? 真っ向勝負では勝機がないぞ」
「くわしくは聞いてないけど、対策は練ってる。あとはシズカさん任せでいいか?」
「わかった……口惜しいがオレたちでは打つ手がない」
真っ当に学業に励もう、と三郎は優等生らしい方針を述べた。その気持ちは実直なようで、彼は席に着くと教科書を読みはじめた。
(いっつもこうならいいんだけどなぁ……)
大人たちも同じ感想を持つだろう。本人の心中はどうあれ周りには好ましい変化だ。
「おっと、そうだ」
三郎が机の側面に掛けたリュックサックに手を入れる。そこからノートを一冊出した。表紙に極秘とマジック書きされている、大男に関する情報をまとめた記録物だ。
「これを拓馬にあげていいか」
「なんで俺に?」
「ここに、まだシズカさんに伝えられることが残っているかもしれん」
拓馬はこの提案に気乗りしなかった。どこまでシズカが例の男のことを把握しているのか、不透明だからだ。既知情報を伝えても時間の無駄である。
「えー……どれをシズカさんに言ったか言ってないかはおぼえてねーぞ」
「使える記録がなければ、処分していい」
処分のほうが重要なのだと拓馬は察した。彼がこの件から手を引くケジメだ。そのように考えた拓馬は友人のノートを受け取った。
(捨てるくらいならヤマダに渡そうかな)
ヤマダは日々の記録を書き留めている。その材料になりうる素材だ。あとで彼女に渡そうと思い、拓馬は自席に向かうと、女子に呼びとめられる。声をかけた者は須坂だ。
「あなたと、あなたの知り合い……どっちもケガはしてないの?」
「平気だ。あの男が手加減してくれた」
須坂の表情がなぜかくもる。
「……私だけなんにもされなくて、不公平だと思わなかった?」
須坂は自分があの場で唯一無事だったのを、引け目に感じている。拓馬は首を横にふる。
「俺らはあいつにケンカふっかけて、返り討ちにされた。それだけのことだ」
反撃を食らうのは承知の上だった。これは予見できた被害である一方で、須坂は予想外の展開に巻きこまれていた。
「そういやノブさんに抱きつかれてたろ?」
須坂が顔をそむけた。恥ずかしがっているようだ。やはり彼女には抵抗のある状況だったのだと拓馬は同情する。
「イヤだったろうな、男が苦手なのに……俺からあやまるよ」
「べつに、あなたがわるいんじゃ……」
「フォローになるかわかんねえけど、ノブさんに下心は全然ないんだ」
「それはわかってる。あのお父さんは私を自分の娘だと思って、ああやったんだもの」
須坂は好意的な解釈をしてくれている。やせ我慢をしている様子はなく、ノブへの嫌悪感は伝わってこない。
「あんなふうに、父親に頭をなでられたことがなくって、ちょっと、うらやましかった」
拓馬は耳をうたがった。繊細な須坂とがさつなノブは反りが合わないものだと思っていたのだが。須坂は自分とタイプの異なる異性でも受容できる余裕ができつつあるようだ。
「だいぶ、変わってきたな」
「え?」
「いや……転校したばっかのときだったら、そんなことを言わなさそうだと思ってさ」
須坂は自嘲気味に笑う。その顔には悲壮感もあった。
「クズな男に振りまわされてたせいね」
「お姉さんを追ってきた記者のことか?」
「それもあるし、自分の父親も……」
気丈な女子がネガティブな心情を吐露する。
「あいつは娘のことなんか愛してない。お姉ちゃんの稼ぎがあったから私たちを引き取っただけなの。……母さんが死んじゃったとき、父さんに会えると思ったら悲しくなくなったのがバカみたい」
直後、須坂が目を閉じた。長い髪をゆらす。
「こんなことを言いたかったんじゃない。私は、あなたたちと一緒にいられて、よかったと思ってる。私がめんどくさい女だとわかってるのに、イヤな顔しないで話してくれて、ありがとう。それだけは伝えたかった」
須坂が顔を赤くする。その赤面を見られないようにか、顔を伏せながら席にもどった。彼女にとってはかなり勇気の必要な告白だったようだ。その相手に、男子がえらばれた。
(俺に言うのが、いちばん気楽なのか?)
ほかにも同行した女子、とくに拓馬と同じ状況を知るヤマダ相手に話してもよい内容だ。
(俺、あんまり男だと思われてないのかな)
異性だとわかっているが、そういう目では見ない──ちょうど拓馬がヤマダに接するのと同じ態度だ。それが男として良い評価かはさておき、信頼を築けたことはうれしかった。
拓馬も席に着こうと視線を変える。その先に、歯を食いしばる成石がいた。拓馬は思わずのけぞった。鬼の形相ともいうべき苦渋に満ちた面に驚いたのだ。
「薄ぼんやりしてるきみが、あの子の凍てついたハートを溶かすとは!」
女好きの男子が言いがかりをつけた。どうやら須坂と親しい拓馬に嫉妬しているらしい。
「冴えない見た目の男子にリードを取られてしまった!」
「そんなアホなことを言ってるから、あいつに見向きもされねーんだよ」
拓馬は自分を貶してくる男子に相応の返事をした。
(こいつは須坂にゃ信頼されねーだろうな)
下心が先立つ男子にイライラさせられながらも、拓馬は授業へ意識を持ち直した。
「あの男、めちゃくちゃ強かっただろ?」
「ああ……完膚なきまでに負けた」
「まだ俺たちで捕まえる気はあるか?」
失意の男子はひかえめに首を横に振る。
「無理だな。間近で見て、はっきりわかった。やつにとってオレたちは赤子同然だ」
「俺もそう思う。ありゃ普通の警察もお手上げだな」
「シズカさんはやつをどう捕縛するつもりだ? 真っ向勝負では勝機がないぞ」
「くわしくは聞いてないけど、対策は練ってる。あとはシズカさん任せでいいか?」
「わかった……口惜しいがオレたちでは打つ手がない」
真っ当に学業に励もう、と三郎は優等生らしい方針を述べた。その気持ちは実直なようで、彼は席に着くと教科書を読みはじめた。
(いっつもこうならいいんだけどなぁ……)
大人たちも同じ感想を持つだろう。本人の心中はどうあれ周りには好ましい変化だ。
「おっと、そうだ」
三郎が机の側面に掛けたリュックサックに手を入れる。そこからノートを一冊出した。表紙に極秘とマジック書きされている、大男に関する情報をまとめた記録物だ。
「これを拓馬にあげていいか」
「なんで俺に?」
「ここに、まだシズカさんに伝えられることが残っているかもしれん」
拓馬はこの提案に気乗りしなかった。どこまでシズカが例の男のことを把握しているのか、不透明だからだ。既知情報を伝えても時間の無駄である。
「えー……どれをシズカさんに言ったか言ってないかはおぼえてねーぞ」
「使える記録がなければ、処分していい」
処分のほうが重要なのだと拓馬は察した。彼がこの件から手を引くケジメだ。そのように考えた拓馬は友人のノートを受け取った。
(捨てるくらいならヤマダに渡そうかな)
ヤマダは日々の記録を書き留めている。その材料になりうる素材だ。あとで彼女に渡そうと思い、拓馬は自席に向かうと、女子に呼びとめられる。声をかけた者は須坂だ。
「あなたと、あなたの知り合い……どっちもケガはしてないの?」
「平気だ。あの男が手加減してくれた」
須坂の表情がなぜかくもる。
「……私だけなんにもされなくて、不公平だと思わなかった?」
須坂は自分があの場で唯一無事だったのを、引け目に感じている。拓馬は首を横にふる。
「俺らはあいつにケンカふっかけて、返り討ちにされた。それだけのことだ」
反撃を食らうのは承知の上だった。これは予見できた被害である一方で、須坂は予想外の展開に巻きこまれていた。
「そういやノブさんに抱きつかれてたろ?」
須坂が顔をそむけた。恥ずかしがっているようだ。やはり彼女には抵抗のある状況だったのだと拓馬は同情する。
「イヤだったろうな、男が苦手なのに……俺からあやまるよ」
「べつに、あなたがわるいんじゃ……」
「フォローになるかわかんねえけど、ノブさんに下心は全然ないんだ」
「それはわかってる。あのお父さんは私を自分の娘だと思って、ああやったんだもの」
須坂は好意的な解釈をしてくれている。やせ我慢をしている様子はなく、ノブへの嫌悪感は伝わってこない。
「あんなふうに、父親に頭をなでられたことがなくって、ちょっと、うらやましかった」
拓馬は耳をうたがった。繊細な須坂とがさつなノブは反りが合わないものだと思っていたのだが。須坂は自分とタイプの異なる異性でも受容できる余裕ができつつあるようだ。
「だいぶ、変わってきたな」
「え?」
「いや……転校したばっかのときだったら、そんなことを言わなさそうだと思ってさ」
須坂は自嘲気味に笑う。その顔には悲壮感もあった。
「クズな男に振りまわされてたせいね」
「お姉さんを追ってきた記者のことか?」
「それもあるし、自分の父親も……」
気丈な女子がネガティブな心情を吐露する。
「あいつは娘のことなんか愛してない。お姉ちゃんの稼ぎがあったから私たちを引き取っただけなの。……母さんが死んじゃったとき、父さんに会えると思ったら悲しくなくなったのがバカみたい」
直後、須坂が目を閉じた。長い髪をゆらす。
「こんなことを言いたかったんじゃない。私は、あなたたちと一緒にいられて、よかったと思ってる。私がめんどくさい女だとわかってるのに、イヤな顔しないで話してくれて、ありがとう。それだけは伝えたかった」
須坂が顔を赤くする。その赤面を見られないようにか、顔を伏せながら席にもどった。彼女にとってはかなり勇気の必要な告白だったようだ。その相手に、男子がえらばれた。
(俺に言うのが、いちばん気楽なのか?)
ほかにも同行した女子、とくに拓馬と同じ状況を知るヤマダ相手に話してもよい内容だ。
(俺、あんまり男だと思われてないのかな)
異性だとわかっているが、そういう目では見ない──ちょうど拓馬がヤマダに接するのと同じ態度だ。それが男として良い評価かはさておき、信頼を築けたことはうれしかった。
拓馬も席に着こうと視線を変える。その先に、歯を食いしばる成石がいた。拓馬は思わずのけぞった。鬼の形相ともいうべき苦渋に満ちた面に驚いたのだ。
「薄ぼんやりしてるきみが、あの子の凍てついたハートを溶かすとは!」
女好きの男子が言いがかりをつけた。どうやら須坂と親しい拓馬に嫉妬しているらしい。
「冴えない見た目の男子にリードを取られてしまった!」
「そんなアホなことを言ってるから、あいつに見向きもされねーんだよ」
拓馬は自分を貶してくる男子に相応の返事をした。
(こいつは須坂にゃ信頼されねーだろうな)
下心が先立つ男子にイライラさせられながらも、拓馬は授業へ意識を持ち直した。
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