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2018年02月22日

世界の三猿 

飯田道夫 人文書院

三猿の話。

実は世界中にある三猿、その起源はどこにあるのかを訪ねて世界中を訪れお土産の三猿を買っていく、一般家庭を訪れて家にある三猿たちがどうなっているかを探っていくというもの。
もともとは日本以外の三猿、アフリカにも三猿があることを知った著者が興味を持って世界中を回ったという流れです。

日本の三猿はかなり古く、庚申信仰とかかわってるとか、ケニアにはマサイ族の家には結構三猿が置いてあるとか、アシャンティ文明の段階で三猿の原型があったっぽいとか、インドや中国系の三猿が各地に散らばっているとか、インドではガンジーが三猿好きで、そのためガンジーの教え=三猿になっているとかいろいろと世界の三猿事情を各地の三猿ユーザーを紹介しつつ書いていき、すでに原型的なものはエジプトにありトト神(ヒヒのような顔)の信仰とかかわりあがったのではという感じで落ち着いています。

私がこの本を手に取った理由も著者が三猿に興味を持った理由と同じで、ケニアの三猿を知ったからなんですよね。

パンの文化史 

舟田詠子 講談社

パンの文化史だそうで。

ヨーロッパの膨らんだ丸パン、乾燥地帯の平たいパン、そしてコメで大体ユーラシアは成り立っているようで、ヨーロッパは燃料が多いため燃料効率が悪い反面一気に作れる丸パンとドーム状のパン焼き窯、乾燥地帯は燃料効率がいい薄いパンで、クルド人などは中華鍋状の調理器でパンを焼く、最小限の道具で移動生活ができるようにしているらしい、パン焼き窯は円筒型(タンドール窯もこれ)稲作地帯はパンを作る場合コメの延長である蒸しパンという発想がある。

この本自体はヨーロッパのパンを対象にしており、ヨーロッパはあまり食べ物がないため、結果パンだけでもおいしくしようと膨らんだパンになったそうだ。
前近代は各家庭にパンの味があったが、近年はオーブンレンジの普及で昔のような家ごとに規格化されてないパン焼き窯に合わせた家庭の味からレシピ通りに焼けば作れるパンへと変貌したようだ。

パンはライ麦燕麦系の黒パンと小麦系の白パンがあり、貴族は白、農民は黒だったそうだが、近年は完全に白の丸パンが主体になりつつあり、中東すらヨーロッパ系のパンが売られ始めている。
パンは全体から熱を当てないと固固になったり生焼けになったりで激マズであり、焚火と棒で焼いたパンは非常にまずいらしい、南北戦争時代南軍パンのまずさは風と共に去りぬで言及されてるとか。ちなみにその棒パンをおいしく焼く技術が発展していった結果がバウムクーヘン。
そして全体から熱を当てるシステムは結構大変らしく、上と下から火を当ててパンを焼いたりしたようだ、そして楽なのが蒸しパン。

覚えたことはヨーロッパ系と中東インド系のパンの差は、燃料コストの差がそのまま影響しているという話。

南国群狼伝

柴田錬三郎 

所謂時代小説だが、江戸初期を題材にした内容。作者が作者なので文章力は高いので要所要所は楽しめたが、短い話のわりに主役が多く、話の方向性はよくわからなかった。

世界漫遊家が歩いた明治ニッポン

中野明 筑摩書房

グローブトロッターという世界漫遊家が誕生した当時の世界、不思議の国日本へ向かう者たちも多かった。ただし値段は日本だと事実上の生涯年収レベルの費用が掛かったため、富豪クラスでないと日本へ来ることは叶わなかったようである。
明治初期には護衛が必要だった日本の旅は、数年後には護衛すら不要になっていたり、また鉄道がとおるようになって徐々に移動がしやすくなっていったり、箱根は当時はぎりぎり入れないエリアだったり(外国人は小田原までしか行けなかったため許可が必要)中にはバックパッカーみたいな人物もおり、値切り交渉を行う人物もいたそうである。
あの有名なイザベラ・バラードは実はあんまり生活能力がなくガイドが優秀だっただけらしかったりとまあいろいろ。

壬申の乱の謎 関裕二

関雄二

この本の内容をすごいざっくり要約すると

・中臣鎌足=百済王子の豊璋という説を取る
・大化の改新(入鹿暗殺)は律令制からの対立ではなく、百済から離れつつあった当時の日本に百済救援を行うために起こった、日本の豪族は多くがもう衰退する百済から離れており、親百済派と親新羅派で割れていた
・その後白村江での敗北から結局中大兄皇子は立場的に不利になり、結果蘇我氏と強調体制を取って政権運営を行った
・しかし結局壬申の乱では蘇我氏が大友王子を裏切る形で大海人王子へと寝返ってしまいあっけなく終わった

という感じの内容
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