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2021年04月03日
宋の太祖と太宗
竺沙雅章 清水書院
宋王朝の太祖とその弟でその後皇帝となった太宗の伝記。趙匡胤が車での華北における軍閥同士の抗争、河北軍閥が山西軍閥に味方した結果河南軍閥が敗北した結果が五代十国の前半、山西軍閥内の有力者による主導権争いが五代十国の後半の歴史らしい。その後趙匡胤が皇帝となって、宋王朝以降中華王朝において標準となった君主独裁体制の確立及び南部の十国の統一を進めていくが、燕雲十六州は奪還できず、太祖は弟の太宗の系統に皇位を奪われる形となる。
そして太宗の系統は北宋が滅びたときに断絶し、南宋は再び太祖の系統が皇帝となったそうだ。
宋王朝の太祖とその弟でその後皇帝となった太宗の伝記。趙匡胤が車での華北における軍閥同士の抗争、河北軍閥が山西軍閥に味方した結果河南軍閥が敗北した結果が五代十国の前半、山西軍閥内の有力者による主導権争いが五代十国の後半の歴史らしい。その後趙匡胤が皇帝となって、宋王朝以降中華王朝において標準となった君主独裁体制の確立及び南部の十国の統一を進めていくが、燕雲十六州は奪還できず、太祖は弟の太宗の系統に皇位を奪われる形となる。
そして太宗の系統は北宋が滅びたときに断絶し、南宋は再び太祖の系統が皇帝となったそうだ。