2015年01月29日
アスペ嫁に、慣用句は通用しない。伝えるならなるべく直球で!
アスペ嫁は皮肉もたとえ話も通用しません。
100回に1回ぐらい分かることもありますが、
こちらがこのぐらいわかるだろうという期待は、
あくまでこちらの脳で考えている妄想なのです。
わかるかわからないかは、自分が判断するのではなく、
相手の脳が判断するので、勝手な期待は大きな落胆を
生むことになります。
相手からすると、
勝手に期待して、勝手に落胆して、勝手に怒っている
こんな感情なのだろうと思います。
日本語って表現が沢山有りすぎて、
発達障害を持つ人にとっては煩わしい
言語なのではないかと思います。
慣用句もそのうちの一つです。
生活の中でも、会話の中でも使われることが
多い慣用句ですが、アスペ嫁の場合、こういう
表現を混ぜて話をすると、どこまで理解しているのか
正直分かりません。
慣用句は特に身体の部分などをつかった表現が
多いです。
嫁「○○さんのお父さんは子供とまたディズニーランドに行ったんだって。いいよね〜」
私「・・・。それは俺にとっては耳が痛い言葉だなぁ。。」
嫁「えっ!どこが痛いの?」
私「いや、連れて行ってあげてないから耳が痛いって。」
嫁「耳が痛いの?耳鼻科に行った方が良いんじゃない?」
私「本当に耳が痛いっていってるのじゃないくて・・・。」
嫁「ディズニーランドに行けないと耳が痛くなるの?」
私「耳が痛いっていうのは、聞くのがつらいって意味だよ」
嫁「そうなんだ。変なの。」
私「・・・。(いやいや変なのはあなたです)」
慣用句と言っても、よく使う物から、余り使わず
難しい物まで沢山あります。
アスペ嫁からすると、そういうオブラートに包まれたような
表現方法はわかりにくく理解にくいそうです。
耳が痛いなんていう小学生でも理解できるような言葉
だから、わかるだろうというこちらの思いこみが会話を
複雑にしてしまいます。
こういった間接的な表現は、わからないと理解しておき、
仮に、理解できる表現方法があったとしても、それは
たまたま理解できる表現だったと思う方が気が楽です。
これが出来ないと、いちいち会話で突っ込んだり、
説明したりする必要がでてきて話がそれてしまう
きっかけになります。
上記の会話の場合、アスペ嫁は、皮肉の意味で
私に言っているわけではなく、単にその日有った出来事を
思った通りに話しただけなんです。
私を責める意味で言ったわけではないのですが、
私自身が、被害者意識があるために、
自分に落ち度がある言葉と受け止めたことも原因です。
こういった場合は、
単に、「うちの家族もみんなで一緒にディズニーランドいきたいね!」
こんな言葉だけで良いのです。
やはり相手のことよりもなによりも
自分自身の自己肯定感を高めることが
優先順位が高いと感じます。
競争社会に向き合う自己肯定感 もっとゆっくり / 信じて待つ / 高垣忠一郎 【単行本】
100回に1回ぐらい分かることもありますが、
こちらがこのぐらいわかるだろうという期待は、
あくまでこちらの脳で考えている妄想なのです。
わかるかわからないかは、自分が判断するのではなく、
相手の脳が判断するので、勝手な期待は大きな落胆を
生むことになります。
相手からすると、
勝手に期待して、勝手に落胆して、勝手に怒っている
こんな感情なのだろうと思います。
日本語って表現が沢山有りすぎて、
発達障害を持つ人にとっては煩わしい
言語なのではないかと思います。
慣用句もそのうちの一つです。
生活の中でも、会話の中でも使われることが
多い慣用句ですが、アスペ嫁の場合、こういう
表現を混ぜて話をすると、どこまで理解しているのか
正直分かりません。
慣用句は特に身体の部分などをつかった表現が
多いです。
嫁「○○さんのお父さんは子供とまたディズニーランドに行ったんだって。いいよね〜」
私「・・・。それは俺にとっては耳が痛い言葉だなぁ。。」
嫁「えっ!どこが痛いの?」
私「いや、連れて行ってあげてないから耳が痛いって。」
嫁「耳が痛いの?耳鼻科に行った方が良いんじゃない?」
私「本当に耳が痛いっていってるのじゃないくて・・・。」
嫁「ディズニーランドに行けないと耳が痛くなるの?」
私「耳が痛いっていうのは、聞くのがつらいって意味だよ」
嫁「そうなんだ。変なの。」
私「・・・。(いやいや変なのはあなたです)」
慣用句と言っても、よく使う物から、余り使わず
難しい物まで沢山あります。
アスペ嫁からすると、そういうオブラートに包まれたような
表現方法はわかりにくく理解にくいそうです。
耳が痛いなんていう小学生でも理解できるような言葉
だから、わかるだろうというこちらの思いこみが会話を
複雑にしてしまいます。
こういった間接的な表現は、わからないと理解しておき、
仮に、理解できる表現方法があったとしても、それは
たまたま理解できる表現だったと思う方が気が楽です。
これが出来ないと、いちいち会話で突っ込んだり、
説明したりする必要がでてきて話がそれてしまう
きっかけになります。
上記の会話の場合、アスペ嫁は、皮肉の意味で
私に言っているわけではなく、単にその日有った出来事を
思った通りに話しただけなんです。
私を責める意味で言ったわけではないのですが、
私自身が、被害者意識があるために、
自分に落ち度がある言葉と受け止めたことも原因です。
こういった場合は、
単に、「うちの家族もみんなで一緒にディズニーランドいきたいね!」
こんな言葉だけで良いのです。
やはり相手のことよりもなによりも
自分自身の自己肯定感を高めることが
優先順位が高いと感じます。
競争社会に向き合う自己肯定感 もっとゆっくり / 信じて待つ / 高垣忠一郎 【単行本】
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