2017年05月06日
アスペルガーの配偶者の対応方法は?!がんばりすぎると自分が壊れる!
「どうにかして、自分ががんばることで家族を守りたい!」と夫に合わせることを続けた末、限界に達し、別居。
しかし、相手と距離を置いたことで、今は少しづつ自分を取り戻し、認めてあげる事が出来るようになったと話していました。
今回、お話しを聞いていて改めて思ったのが、発達障害の難しいところは、外から見てわからない事。
本人の自覚も薄いので、妻がいくら訴えても一方通行。
しかも、このやり取りは家庭と言う閉鎖空間の中での出来事なので、なかなか外部に人に伝わりづらいのだと野波さんも話していました
引用元:NHKハートネット
野波ツナさんという発達障害の夫をもつ奥さん。
どうにかしてじぶんががんばることで家族を守りたい!
こんな風に思うことは夫婦や家族からすれば当然でしょ?!
そんな風にわたしも考えていましたよ^^
そして同じように精神的に限界に達することになります。
このブログの趣旨としては、アスペルガーの配偶者と前向きに
取り組んでいくヒントの共有がネット上でさまざまな人とできれば…
という気持ちがあります。
ただ断片的に批判的な記事をよんだり、後ろ向きな表現がある記事をみたりすると
それだけでアスペルガーを馬鹿にしているみたいな偏見を持つ人たちが思った以上に
多いことにビックリしています。
そして私としては何とか結婚を継続して夫婦、家族がなんとか
面白おかしく生活できればいいなぁという前向きな気持ちはあります。
しかしだからといって、結婚を続けることだけが正義みたいな価値観は
もっていません。個人的に離婚するという選択肢や別居するという選択肢は
まったくもって間違いとは言い切れないからです。
昭和時代の感覚ですとどうしても離婚することはマイナスイメージの人が多いです。
・我慢強くない
・もっと話し合いができたのでは?
・忍耐力がない
離婚するに当たっては最終的に外野は断片的な要素しかわかり得ません。
たいていは一方の当事者から話を聞けばその人の価値観と感情が交ざって
説明が進行するのでその人の肩を持ちたくなります。我が子であっても
最終的には自分の子どもの方を持ちたくなる人が多いでしょう。
調停をしようが裁判をしようが、第三者がすべてを正当に理解してくれる
かどうかなんてわかりませんからね。
私自身は発達障害ではないパートナーと結婚生活をしたことがないので
今の生活との比較というのは正確にはできません。
さらに妄想の中では、「いまよりは自分のことをわかってくれたり、察してくれる」
という印象が強いのでどうしても良いイメージをしやすくなります。
私が現在の心境になるまでにはもちろんさまざまな葛藤や怒り、
憎悪、悲しみ、虚無など複雑な気持ちが入り交じっています。
昔は嫁がもっとこうだったらどんなに幸せだっただろうみたいなことばかり
考える日々が多かったです。しかし結局私自身の依存心の高い性格にも
問題があったのだろうと自己分析しています。
物であれば、すばらしい性能の物を手に入れても、さらにすごい物を
てにいれたくなってしまい、いつになっても満たされない思考のクセが
自分をより苦しくしている材料になっている感じです。
家庭や環境によってさまざまな選択という物が存在します。
しかしどれも間違いなんてことはないでしょう。
私はどこかでもうダメなら離婚すればいいや!と思うようになってからは
意外と気楽になった気がします。
実際には離婚をするのは簡単ではありませんし、そんなに簡単にできるとも限りませんが…
そんな堅苦しく考えすぎず、そういう選択肢もokだなと道を作っておくだけでも
今の生活を何が何でも維持して継続しなければみたいなものは薄まると思います。
【楽天ブックスならいつでも送料無料】アスペルガーの男性が女性について知っておきたいこと [ ...
2週間無料でスタート!クラウド型レンタルサーバー「Zenlogic」
【このカテゴリーの最新記事】
-
no image
この記事へのトラックバックURL
https://fanblogs.jp/tb/6236594
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
この記事へのトラックバック
コメントありがとうございます!
失敗は許されない…というものが潜在的に植え込まれてしまっているのでかもしれません。
自分では意識してなくても結果的にはそういう思考のくせになっている感じでしょう。
逃げ道というとどうしてもネガティブに聞こえてしまいますが、
私の場合は結果的に安心できる自分の場所というものがあまり実感できずに
人生を過ごしてきてしまったような気がします。
絶対安住の地なんてあるわけもないのに、それをどこかで怖がっている自分が
探して傷付かないように保険を掛ける感じ^^
良い意味で自分がかわいそうと思えるぐらいに心が変容しているのであれば
それは痛みは伴いますが良い傾向だと思います。
どちらかというと自分の気持ちを後まわしにしてきて自分がかわいそう
なんて考える余地も与えず周りからの評価を最優先にしてきたのでしょうから。
マロンさんがパソコンで閲覧しているかわかりませんが
パソコンでみるとブログの右上に連絡先フォームをつくってみました。
(スマホ閲覧でも作りたいのですが、知識が乏しく調査中です^^)
具体的な内容についてはこちらからでもお願いいたします。
もしかしたら他の人よりも、そもそもの時点で「失敗は許されない」という考えが強く、それによってがんじがらめにしてしまうので、意識的にそう考えようとしているのかもしれません。
例えば今、新しい職場に慣れることに必死ですが、一人部署なので不安が大きく、続けられるかが自信ありません。でも、過去の自分を振り返ると、金銭的に行き詰まるような無鉄砲なことは嫌だったので、きっとなんだかんだ言いながら続けるというか、少なくとも後先考えずに辞めることはしないかと、思うんです。
でも部屋を借りるにあたり、仕事を続けられるかどうかは大問題です。そこに不安があると、性格上踏ん切りがつかなくなります。
そうなると次は、何のために働くのか?自活するためだったのに?と、新たな疑問が出てきます。
私の頭の中はそんな負のループです。
そこで意識的に逃げ道を作ろうと思いました。
もし辞めても、近くで仕事を探せばいい。結局は家賃が払えればいいわけだから、必ずしも同じ職場である必要はない、と。
賃貸契約書見てると、フリーターでも無職でも借りれるんですよね。
世の中にはそんな状況でも借りる気になれる人がいるのに、私は価値観が凝り固まってるのか、全うな仕事で余裕を持って生活できないと満点ではないと、バカの一つ覚えのように思っているのです。
そう。こんな低レベルな私のくせに、心のどこかで満点を目指しているのです。
頑なに満点を目指すなかで、もっと要領のいいやり方や、もっとお得な方法、というものを見落としてきました。邪道なのは、自分の信念に反する気がしたのかもしれません。
じゃあ私の信念って何?ってなると、見事にすっからかんの、虚像なんです。
もっと気楽に生きたら?
もっと楽しいことを優先したら?
もっと人に頼ってみたら?
どれも人に言われたし、自分も自分に言ってきたことです。
でもそんな簡単じゃないですよね?
分かってもらえますか?
そんな無責任なことできないんですよ。
ふと思います。
この世そのものが不完全なもののはずなのに、その中で私は一人完全なる何かを求めて奔走しているのかな、と。
自分をかわいそうに思います。
オフ会というものが初めてで私もよく分かっていません。
私は二人で会って話したいと思っています。
自分の心の内を話したいし、あなたの考えも聞きたい。
共感できる点があれば嬉しい。そんな感じです。
ファミレスとかで、ゆっくり喋りたいです。
皆で集まってワイワイとかは考えていません。
それでもいいでしょうか?
私は病院に勤めている、普通の人です。
もしよければ、東京へ行きます。